第36話 登録者3000万人になった。おじさん、ようやく実感する
翌朝、スマホを開いたら通知が止まっていなかった。
岩田陸が帰還したニュースが、世界中に広まっていた。
向こうの世界から人が来て、こちらの世界に人が帰ってきた。
その全てが配信に残っていた。
登録者数を見た。
登録者数:30,441,882人
「……ふーん」
俺は言った。
コーヒーを飲んだ。
やっぱり、薄かった。
でも、昨日と同じくらい、悪くなかった。
スマホを置いて、天井を見た。
六畳一間の、染みのついた白い天井。
俺の日常は変わっていなかった。
「……三千万人、か」
声に出してみた。
ピンとこなかった。
七人のときの感触と、三千万人のときの感触が、どう違うのかが、体感としてわからなかった。
ヒナからメッセージが来た。
《登録者3000万突破おめでとうございます!!!!!》
《ありがとうございます》
《「ふーん」って言いましたよね絶対》
《言いましたね》
《予想通りすぎる!?》
《実感がわかないので》
《じゃあ今日、実感させてあげます!》
《どうやって?》
《来てください、渋谷で午後二時に!》
《何をするんですか?》
《来ればわかります!》
「来ればわかります」は俺の口癖だったが、ヒナに使われると断れなかった。
《わかりました》
◇
渋谷に着いたら、ヒナが待っていた。
今日も私服だった。
「来ましたね」
「来ましたが、何をするんですか?」
「まず、歩きます」
「歩くだけですか?」
「ついてきてください」
ヒナが歩き始めた。
スクランブル交差点を渡る。
周りを見渡すと人が多かった。
「田中さん、見てください」
「何を?」
「あの人」
ヒナが前を向いたまま目線で示した。
二十代くらいの女性が、スマホを見ながら歩いていた。
画面に、俺の配信のサムネイルが見えた。
「……俺の配信を見ていますか?」
「そうです。次」
今度はサラリーマンの男性が、イヤホンをしながら歩いていた。
「あの人も?」
「そうです。今日の帰還の配信のアーカイブを見てます」
「どうわかるんですか?」
「田中さんの声が聞こえてきたので!」
「……俺の声が外に漏れているんですか?」
「イヤホンしてても少し漏れてます」
「それは申し訳ないですね」
「申し訳なくないです。それが3000万人ということです」
ヒナが俺を見た。
「この渋谷の通りで、何人かに一人は田中さんを知っている。それが3000万人ということです!」
俺はスクランブル交差点を見た。
大勢の人が行き交っていた。
そのうちの何人かが、俺の配信を見ていた。
「……実感、少し出てきましたか?」
「少しは」
「少しだけですか?」
「少し、は確かに出てきましたよ?」
「よし!」
ヒナが言った。
「それが目的でしたか?」
「それが目的でした!」
散歩配信(後日公開) — 再生数:8,441,882
ガチ勢777:渋谷の通りで田中さんの声が漏れてるの笑う
エトウ:「少しは実感が出てきました」を引き出したヒナちゃんが今日も有能
匿名A:3000万おめでとー!!!
プロ冒険者X:渋谷を歩くだけで3000万を体感させる方法 考えた人天才
ヒナ推し最前線:あいつが…3000万…。
新規:視聴者がリアルに渋谷にいたの思うと感慨深い
◇
コーヒーの美味しい喫茶店に入った。
いつもの席に座った。
「ここ、また来ましたね」
「連れてきたかったので」
「どうしてですか?」
「記念日だからです」
「記念日?」
ヒナがコーヒーを一口飲んだ。
「3000万人の記念日です。うちが「記念日だ」と決めました」
「決めていいんですか、それ?」
「決めます。誰かが決めなきゃ、田中さんは何もしないので」
「そうかもしれませんね」
「昔から記念日とかお祝いとか、気にしなさそうですよね。」
「気にしていませんでした」
「これからは、うちが決めます。気にしてあげるので」
俺は少し間を置いた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして!」
ヒナがカップを両手で持った。
「田中さん、一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「今まで、誰かに記念日を気にしてもらったことがありましたか?」
「……ないと思います」
「誕生日も?」
「経理の同僚が一度ケーキを買ってきてくれたことがありました。でも、部署全員の分を一度にやる形だったので、自分のためというわけでもなかった」
「……それだけですか、四十二年間で?」
「…そう、かもしれません」
ヒナが少し黙った。
「……田中さんって、誰かに大事にされることに慣れていないですよね?」
「そうですか?」
「そうです。だから「ありがとう」が言えなかったし、「嬉しい」が言えなかった。受け取ることが下手だったじゃないですか?」
「……そうかもしれません」
ヒナがカップを置いた。
「うちが、練習につきあいます!」
「…練習?」
「受け取る練習。大事にされる練習。記念日を気にしてもらう練習」
「練習が必要なんですか?」
「必要です。田中さんには!」
「そうですか。」
「そうなんです!」
ヒナが真剣な顔をしていた。
「……わかりました」
「よし!」
「今の「よし」は何の意味ですか?」
「決まった、という意味です!」
「決まったとは?」
「うちが田中さんの練習相手になることが、今決まりました!」
「……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
ヒナが少し笑った。
コーヒーが美味しかった。
今日は薄くなかった。
◇
帰り際、ヒナが言った。
「田中さん、誕生日いつですか?」
「七月十四日です」
「覚えました。次の七月は——」
「今から半年以上先ですが。」
「計画します。ちゃんとお祝いしますよ!」
「…そこまでしなくていいですよ」
「します。練習の一環なので」
「練習とは言いながら、本気ですよね?」
「本気です。何か問題がありますか?」
「……ありません」
「よし!」
また「よし」だった。
今回の意味は——受け入れた、だと思った。
俺が受け入れた、という意味の「よし」だった。
◇
その夜、珍しく全員が集まった。
場所は近所のファミレスだった。
理由は、サクラが「3000万記念、全員で祝います」と言ったからだった。
「前にも記念をファミレスでやりましたね」
と、早川が言った。
「1000万のときですね」
キリソウが言った。
「あのときより、人数が増えていますよ?」
リオが言った。
「そうですね。神崎さんも来ているし、岩田陸くんも来ています」
サクラが言った。
神崎誠一が向かいに座っていた。
「……ファミレスというのは、向こうにはない種類の店ですね」
「そうですか?」
「なんでもあって、みんなで来られて、長居しても怒られない。便利な場所ですよ?」
「日本らしい場所かもしれませんね」
「向こうにも似たような場所があればいいのに」
「いつか、作ってもらえますか?」
「研究してみます…!」
神崎誠一がメモを取り始めた。
「向こうのファミレスのコンセプト」と書いていた。
「お父さん、飲み物頼んでから!」
リオが言った。
「あ、そうだな」
岩田陸がドリンクバーから戻ってきた。
コーラを持っていた。
「半年ぶりのコーラです…!」
「美味しいですか?」
「めちゃくちゃ美味しいです!」
「向こうにはなかったですか?」
「ないです。あそこの炭酸飲料は甘すぎて。コーラのバランスが絶妙だと今更気づいた…。」
「帰ってよかったですね」
「はい。……でも、向こうのハーブのお茶も美味しかったです」
「両方好きになりましたか?」
「なりました」
「よかった」
岩田陸が少し笑った。
「田中さんから「よかった」が貰えたっ!これ、嬉しいですね」
「そうですかね?」
「なんか、認められた感じがします、」
「そうですか?」
「田中さんって、向上心?的な言葉ってあまり言わないイメージがあったので」
ヒナが俺を見た。
俺もヒナを見た。
「……練習の成果が、早速出ましたね」
ヒナが小声で言った。
「そうかもしれません」
「よし!」
小声の「よし」だった。
俺にだけ聞こえる「よし」だった。
◇
帰り道、全員でぞろぞろと夜の渋谷を歩いた。
キリソウが神崎誠一と向こうの話をしていた。
早川とリオが政府との連携について話していた。
岩田陸がサクラに「ゼナさんから伝言がありました」と言っていた。
神崎誠一が「向こうのファミレス」のアイデアを岩田陸に相談していた。
俺はその全員を少し後ろから見ながら歩いた。
ヒナが隣に来た。
「田中さん」
「はい?」
「全員を後ろから見てる顔をしていましたよ」
「していましたね」
「どんな気持ちでしたか?」
俺は少し考えた。
「賑やかだなぁ、と考えていました」
「…それだけですか?」
「……悪くないな、とも」
「それだけですか?」
「……良いな、とも」
「それだけですか?」
「……最初にダンジョンに入った日は、一人だったので」
ヒナが少し間を置いた。
「今は?」
「今は、たくさんいます」
「そうですね」
「…それが、良かったです」
「よし!」
ヒナが言った。
「今回の「よし」は何の意味ですか?」
「……内緒です」
「また内緒ですか?」
「たまには、内緒でもいいじゃないですか?」
「…そうですね」
夜の渋谷を、全員で歩いていく。
ふと皆の後ろ姿見つめ、俺は配信が出来てこの平穏な環境さえあれば、それで十分だと思えた。
…20年前とは、違うのだから――
◇
【感想】「最初の日は一人だった。今はたくさんいる。それが良かったです」で全員泣いた件
1 名無しさん : 「受け取る練習。大事にされる練習。記念日を気にしてもらう練習」をヒナちゃんが申し出た 全部わかってる
2 名無しさん : 「最初の日は一人だった、今はたくさんいる、それが良かったです」 この一文が今までの全てだった
3 名無しさん : 岩田陸に「よかった」を言えた田中さん 練習の成果が一日で出てヒナちゃんが「よし」した
4 名無しさん : 神崎誠一が「向こうのファミレス」を研究し始めた この人ほんとに研究者だ
5 名無しさん : 「来ればわかります」をヒナちゃんに使われて断れない田中さん 口癖が逆に使われるの好き
6 名無しさん : 1000万記念がファミレスで3000万記念もファミレム でも今回は人数が倍以上いる
7 名無しさん : 小声の「よし」が田中さんにだけ届いたの 二人の間の言葉になってきてる
8 名無しさん : 登録者3050万突破 3000万を超えてから加速しんなぁ
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