第28話 政府と、ちゃんと話した。おじさん、初めて交渉上手になる
篠原室長との会議は、内閣府の会議室だった。
前回と同じ部屋。窓のない四角い部屋に長いテーブル。
違うのは、今日は出席者が増えていたことだった。
篠原室長。黒沢。早川。
そしてもう二人、初めて見る顔だった。
片方は五十代の女性。白髪交じりの短い髪。目が鋭い。名刺を出した。
《外務省 国際ダンジョン局 局長 岩田千鶴》
もう片方は四十代の男性。眼鏡。資料を大量に抱えている。名刺を出した。
《内閣府 ダンジョン政策調査室 室長補佐 藤堂誠》
俺の隣にはリオが座っていた。
「田中さん、今日は私も同席していいですか。父の研究者としての立場で」
「もちろんです」
「黒沢さんには事前に連絡しました」
「そうなんですか?」
黒沢が俺を見て小さく頷いた。
全部把握している、という顔だった。
「では始めましょう」
篠原が言った。
◇
岩田局長が口を開いた。
「田中さん、単刀直入に言います。今回の異世界との往来成功を受けて、各国政府が動いています。アメリカ、中国、欧州連合、それぞれが独自にダンジョンを通じた異世界接触を試みる動きがあります」
「それは止められないと思いますが?」
「止めるつもりはありません。ただ、問題があります」
岩田が資料を一枚、テーブルに置いた。
外務省 機密資料 異世界接触の危険性評価(抜粋)
■ 各国ダンジョンの構造はすべて田中武志が設計したものと推定される
■ 扉の開閉には《帰還者》かつ《上位帰還者》の能力が必須
■ 現時点で《上位帰還者》は田中武志ただ一人
■ 各国が強行的に扉を開こうとした場合:ダンジョン構造体への不可逆的な損傷の可能性
■ 最悪のシナリオ:二つの世界の境界が一時的に崩壊し、大規模な異変が生じる
「……つまり、俺を通さない方法で扉を開こうとすると、危険だということですか?」
「そうです。田中さんだけが安全に扉を開けられる。各国がそれを理解していない、あるいは理解していても強行する可能性がある」
「それを日本政府が止めるために、俺との取り決めが必要、ということですか?」
「その通りです」
岩田が俺をまっすぐ見た。
「田中さん、率直に聞きます。あなたは今後、異世界との行き来をどう位置づけるつもりですか。個人の活動として続けるのか、何らかの公的な立場で行うのか」
俺は少し考えた。
「個人の活動として続けます」
「では、政府との協力関係は?」
「情報共有は行います。ただし、どこに行くか、何をするかは俺が決めます」
「…それだけですか?」
「条件があります」
岩田が少し目を細めた。
篠原が「…どんな条件ですか?」と言った。
「三つです」
◇
俺は続けた。
「一つ目。異世界に対する軍事的な利用を禁止してください。俺が把握している限り、向こうの人たちは平和的です。武力による接触は認めません」
藤堂補佐が何かを書き始めた。
「二つ目。向こうとこちらの行き来について、日本政府が独占しないこと。他国とも情報を共有し、将来的には国際的な枠組みを作ってください」
岩田が頷いた。
「三つ目。配信は続けます。向こうとこちらの様子を、一般の人たちにも見てもらう。それは止めないでください」
篠原が「理由は?」と聞いた。
「透明性のためです。政府だけが情報を持つより、多くの人が知っている方が、誰かが勝手に利用しにくくなります」
室内が静かになった。
岩田がしばらく俺を見た。
「……田中さん、それは合理的な判断ですね」
「そう考えましたからね」
「以前は『ふーん』と言っていた方が、ずいぶん変わりましたね」
「早川さんから聞きましたか?」
「いえ、黒沢から」
黒沢がため息をついた。
「……申し訳ありません」
「いいえ」と俺は言った。
「変わっていないところもありますよ?」
「…どこが?」
「条件を呑んでもらえなければ、断ります」
篠原が笑った。
会議に入ってから初めて、篠原が笑った。
「……わかりました、田中さん。三つの条件、検討します」
◇
休憩になった。
廊下に出たら、リオが俺の隣を歩いた。
「田中さん、今日は……いつもと違いましたね」
「どのへんが?」
「ちゃんと準備してきていました。三つの条件、事前に考えていたんですか?」
「昨日の夜に」
「昨日の夜!?」
「ダンジョンから帰って、一人で考えました。向こうとこちらの関係をちゃんとしないと、シルヴィアたちに迷惑をかけると思って」
リオが少し間を置いた。
「……田中さんって、誰かのために動くとき、一番ちゃんとしますね」
「そうですか?」
「自分のためだと「ふーん」で済ませるのに、誰かのためだとちゃんと考える」
「癖みたいなものかもしれません」
「いい癖ですよ?」
リオが後ろで手を組ながら窓の外を見た。
「……父が、また田中さんのことを話していました」
「何と言っていましたか?」
「信用できる人だと。向こうで感じた通りだったと」
「お父様に、ありがとうございます、と伝えてもらえますか?」
「伝えます」
「あと、もし、神崎誠一さんが俺の研究に協力してもらえるなら、ぜひお願いしたいです。ダンジョンの設計について、俺の記憶と父上の研究を合わせると、もっとわかることがある気がして」
リオの目が輝いた。
「……父は絶対、喜んで協力しますっ!」
「よかった」
「田中さんと父が研究する姿、見てみたいです」
「どんな絵面になるでしょうか?」
「スーツのおじさんと白衣のおじさんが資料を広げてる感じですかね?」
「それはシュールですね」
「シュールだけど、すごいことになりそうですっ!」
二人で少し笑った。
会議後 — 同接なし(サクラの記録)
後日公開コメント:
ガチ勢777:田中さんが三つの条件を準備してきた 昨夜ちゃんと考えてたのか
エトウ:「軍事利用禁止」「独占しない」「配信続ける」の三条件 全部合理的すぎる
匿名A:「条件を呑まなければ断ります」という姿勢だけは変わらない田中さん
プロ冒険者X:誰かのためだとちゃんとするリオちゃんの観察が的確すぎる
リオ推し:神崎誠一と田中さんが研究するの見たい 絶対面白い
匿名B:篠原室長が初めて笑った 田中さんに認められてきた
◇
午後になって、会議が再開した。
篠原が言った。
「三つの条件、基本的に受け入れます。ただし、一点だけ確認させてください」
「どうぞ」
「配信について。今後、向こうとこちらの往来に関わる情報が配信で流れる場合、事前に政府に知らせてもらえますか。全部止めるわけではなく、準備する時間が欲しいということです」
俺は少し考えた。
「……合理的ですね」
「ありがとうございます」
「わかりました。大きな動きがある前には知らせます」
「ありがとうございます」
篠原が書類にサインをした。
黒沢が俺の前に同じ書類を置いた。
「田中さん、こちらも」
俺はペンを取った。
書類を読んだ。
「……読みますか?」
篠原が言った。
「読みます」
「どのくらいかかりますか?」
「三分くらいです」
「どうぞ」
俺は三分で読んだ。
問題なかった。
サインした。
黒沢がため息をついた。
「……田中さん、本当に読んだんですか?」
「読みましたよ?」
「三分で六ページを?」
「速読が得意なわけではないですが、経理で書類を読む訓練はしてきたので」
「……なるほど」
「元経理ですから」
黒沢が小さく笑った。
「……元経理の異世界の王が、政府の書類に三分でサインする」
「変ですか?」
「変ですが——田中さんらしいと思いますよ」
◇
会議が終わったあと、岩田局長が俺に声をかけた。
「田中さん、少しだけ」
「どうぞ」
岩田が周囲に人がいないことを確認した。
「……個人的な質問をしていいですか?」
「どうぞ」
「向こうの世界は、良いところですか?」
俺は少し間を置いた。
「良いところです」
「危険ではないですか?」
「危険な部分もあります。でも、大切にしてもらいました」
岩田が少し目を伏せた。
「……私の息子が、去年ダンジョンに入ったきり、行方不明になっています」
「……」
「どのダンジョンかは言えませんが。上層で消えたと報告が来ていて、でも、遺体が見つかっていない」
「……向こうにいる可能性がありますか?」
「わかりません。でも、可能性はあると思っています。だから、この局長職を引き受けました」
岩田が顔を上げた。
目が、リオと似ていた。
何かを探している目。
「……田中さん、もし向こうで日本人を見かけたら、教えてもらえますか?」
「わかりました」
「名前は、岩田陸といいます。二十四歳です」
俺はその名前を、頭に入れた。
「……探してみます」
岩田が小さく頭を下げた。
「…ありがとうございます…っ!」
「お礼はまだ早いです」
「それでも」
岩田が、また目を伏せた。
「……局長として言うべきことと、母として言いたいことが、今日ずっと混ざっていました。」
「局長として、充分な仕事をされていたと思います」
「……ありがとうございます」
今度は、ため息ではなかった。
静かな、感謝の言葉だった。
◇
内閣府を出た。
夜になっていた。
リオが隣を歩いていた。
「……田中さん、岩田局長と何か話していましたか?」
「少し」
「何の話ですか?」
「……向こうで探す人が、増えました」
リオが止まった。
「行方不明の人がいるんですか?」
「そうなるかもしれない。まだ確認できていないですが」
「……また、向こうに行きますか?」
「行きます。元々そのつもりでしたから」
「今度は何のために?」
俺は少し考えた。
「最初は、帰ることのためだった」
「それは果たせましたね」
「今度は、繋げることのためです。こちらとあちらを。人と人を」
リオが俺を見た。
「……田中さん、それが王の仕事ですよ?」
「そうかもしれませんね」
「王としての自覚、出てきましたか?」
「出てきていないと思います」
「でも、やることは王のことをやっていますね」
「そうですか?」
「そうです。田中武志のままで、王のことをやっている。それが、一番いい形だと思います」
俺は少し間を置いた。
「……ありがとうございます、リオさん」
「どういたしまして」
「父上に、よろしくお伝えください」
「伝えます。父も喜びます!」
夜の道を、二人で歩いた。
街灯が、点々と続いていた。
◇
その夜、ヒナからメッセージが来た。
《政府との話、どうでしたか?》
《うまくいきました》
《え、断らなかったんですか!?》
《条件を出しました。受け入れてもらいました》
《どんな条件ですか?》
《軍事利用禁止、独占禁止、配信継続の三つです》
しばらく間があった。
《……それ、完璧な条件じゃないですか!》
《そうですか?》
《田中さん、いつの間にそんな交渉できるようになったんですか?》
《昨日の夜に考えました》
《昨日は……うちとコーヒー飲んでた日じゃないですか!?》
《帰ってから考えました》
《帰ってから……》
また間があった。
《田中さん、昨日のコーヒーが美味しかったから元気が出たんじゃないですか?》
《そうかもしれません》
《じゃあうちのおかげですね》
《そうなります》
《よし》
「よし」が来た。
俺はスマホを置いた。
コーヒーを作った。
やっぱり薄かった。
だが今日は、昨日ほど気にならなかった。
岩田局長の話が、頭に残っていた。
岩田陸、二十四歳。
向こうにいるかもしれない人。
リオの父が向こうで待っていたように、誰かが向こうで待っているかもしれない。
あるいは、向こうで迷っているかもしれない。
次の渡航まで、少し時間がある。
その間に、できることをする。
シルヴィアに聞いてみる。ガルドに聞いてみる。ゼナなら何か知っているかもしれない。
そうやって、少しずつ。
繋げていく。
——田中武志のままで、王の仕事をやっていく。
リオの言葉が、静かに腑に落ちた。
コーヒーを飲み終えて、布団に入った。
眠る前に、ふと思った。
クビになってから、まだひと月も経っていないな。
あの月曜の朝、部長に「来なくていい」と言われた日から。
ひと月足らずで、こんなことになった。
人生というのは、わからないものだ。
でも、悪くなかった。
むしろ、良かった。
目を閉じた。
今日はすぐに眠れた。
◇
【感想】岩田局長の「息子を探してほしい」で田中の第三章の本筋が見えてきた件
1 名無しさん : 三つの条件「軍事禁止・独占禁止・配信継続」 田中さんがちゃんと考えてきた 昨日のコーヒーのおかげらしい
2 名無しさん : 「元経理なので書類の速読はできます」で黒沢さんが笑ったの、ついに心を開いてきた感
3 名無しさん : 岩田局長が強面だと思ってたのに息子を探してる母親だったの 田中さんに相談したの絶対リオちゃんの話を知ってたから
4 名無しさん : 岩田陸22歳 新キャラ登場か 向こうにいるなら絶対面白い展開になる
5 名無しさん : 「帰ることのために→繋げることのために」 目的が進化した これがこれからのテーマ
6 名無しさん : 「ヒナとコーヒー飲んだから元気が出た」「じゃあうちのおかげですね」「よし」の流れが全部好き
7 名無しさん : クビから一ヶ月も経ってないのに2200万登録者で政府と交渉して異世界に行って帰ってきた 田中さんの一ヶ月密度が高すぎる
8 名無しさん : 登録者2300万突破 本格始動する予感がする
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