第21話 王城で、初めてゆっくりしたおじさん
閉門衆が武器を置いた翌日、誰も何もしない日が来た。
珍しかった。
ダンジョンに入り始めてから、ゆっくりした日というのがほとんどなかった。毎日誰かと会って、何かが起きて、コメントが流れて、次の配信の準備をしていた。
今日は違った。
朝食を食べて、城の庭に出た。
草が柔らかかった。
空が広かった。
紫がかった深い色の空。薄く、青い星が昼間でも見えていた。
俺はそのまま草の上に座った。
スーツが汚れると思ったが、まあいいかと思った。
クリーニングの話をしたら、シルヴィアが「城に腕のいい洗い師がいます」と言っていたので、異世界にも似たようなものはあるらしかった。
「田中さん、何してるんですか?」
ヒナが来た。
「座っています」
「草の上に?」
「気持ちいいので」
ヒナが俺を見た。スーツのまま草原に座っているおじさんを見た。
「……なんか、田中さんらしいですね」
「そうですか?」
ヒナが隣に座った。
スカートで草の上に座るのは少し大変そうだったが、気にしていないようだった。
「一緒にいていいですか?」
「どうぞ」
二人で、しばらく黙っていた。
風が来た。草が揺れた。花の匂いがした。
知っている匂いだった。
体が、知っていた。
◇
「……田中さん」
ヒナが言った。
「はい」
「こっちに来てから、記憶はどのくらい戻ってきてますか?」
「…少しずつ」
「具体的には?」
「昨日の朝食のパンが、子供の頃食べていたパンと同じだと気づきました。味が一致して、そこから引っ張られるように記憶が出てきました」
ヒナが少し笑った。
「食べ物から戻るんですね」
「そういうものかもしれません」
「田中さんらしい」
「そうですか?」
ヒナが草を一本抜いた。くるくると指で回した。
「……他には?」
「ガルドに剣を教わった午後の記憶が戻りました。たぶん十代の頃。あの人は昔から無口で、でも一番丁寧に教えてくれた」
「ガルドさんが丁寧に、か。今のぶっきらぼうな感じからは想像できない」
「ぶっきらぼうなのは今も変わりませんが、丁寧なのも変わっていないと思います」
「そういうもんか」
ヒナが草を置いた。
「シルヴィアさんとの記憶は?」
「戻ってきています。少しずつ」
「どんな感じの人でしたか、子供の頃?」
「今とほとんど変わりません。真剣で、きれいで、泣きながら笑える人でした」
「泣きながら笑える、か…。」
ヒナが少し間を置いた。
「……好きだったんですか、ずっと?」
「好きでした。大切な人です。向こうの世界に来てから、その記憶は一番最初に戻ってきた」
ヒナが空を見た。
「……そう、ですか」
「なんですか?」
「なんでもないです。聞いたうちが馬鹿でした」
「馬鹿ではないと思います」
「……田中さん、慰め方が下手ですね」
「そうですか?」
「そうです」
でも、ヒナは笑っていた。
少し複雑な顔をしていたが、笑っていた。
「でも聞けて良かったです。ちゃんと知りたかったので」
「知りたかった、というのは?」
「田中さんのことを、全部知りたい。向こうのことも、こっちのことも…!」
「全部、というのは大変ですよ?」
「大変でいいです。時間はあるので」
「時間、というのは?」
ヒナが俺を見た。
「帰ったら言います。その話の続きを」
「まだここにいますが?」
「帰ってから言いたいんです。向こうの世界で。田中さんが田中武志でいる場所で」
俺は少し考えた。
「……わかりました。帰ったら聞きます」
「約束ですよ?」
「約束ですね」
ヒナが前を向いた。
耳が赤かった。
「……それまでは、ここにいるうちに全部知っておく」
「全部、聞いてもらえますか?」
「聞きます。全部」
二人で、また風の中に座っていた。
金色の花が揺れていた。
空に、青い星がかすかに光っていた。
◇
昼頃、キリソウが城の廊下で俺に声をかけた。
「田中さん、少し話していいですか?」
「どうぞ」
廊下の窓から草原が見えた。
キリソウが外を見ながら言った。
「……田中さんに絡みに行ったの、覚えてますか。ちょっと前のことですが」
「覚えています」
「あのとき俺は、正直嫉妬していました。急に現れた無名のおじさんが、自分の倍以上の登録者を集めて、すごいって言われて」
「そうでしたか。」
「そうでした。でも実際に会って、戦って——」
キリソウが少し間を置いた。
「田中さんに嫉妬するのがアホらしくなった、というか。なんというか……田中さんって、俺が目指してるものの上にいるんじゃなくて、横にいる感じがするんです」
「横、というのは?」
「強さの方向が違う。俺が剣の強さを磨いてたとするなら、田中さんはそもそも剣を持たなくても世界をどうにかできる。でもそれを自慢しない。自分が特別だと思っていない」
「特別ではないと思っているわけではないですが——」
「でしょうね。でも、それを前に出さない」
キリソウがまっすぐ俺を見た。
「……俺、田中さんのそういうところを尊敬しています。最初は認めたくなかったけど、今は素直に言えます」
「ありがとうございます」
「俺も、配信続けます。田中さんみたいな方向ではないですが——自分の方向で、ちゃんとやっていきます」
「応援していますよ」
「……田中さんに応援されると、なんか重みがありますね」
「そうですか?」
「最強のおじさんに応援されてる俺、今後どうなるんだろうとちょっと怖い!」
俺は少し考えた。
「よくなると思いますよ」
「根拠は?」
「キリソウさんが、いい人だからです」
キリソウが固まった。
「……え、それだけですか根拠!?」
「それだけですね」
「シンプルすぎる!」
「シンプルな方が信用できます」
キリソウが笑った。
「……田中さんって、やっぱり変な人ですよ。でも、好きです」
「ありがとうございます」
庭配信(午前)・廊下配信(午後) — 同接:3,114,004
ガチ勢777:ヒナちゃんが「シルヴィアさんのこと好きだったか」を正面から聞いた強さ
エトウ:「食べ物から記憶が戻る」が田中さんすぎて笑う
匿名A:キリソウが「横にいる感じ」って言ったの なんかすごい正確な表現だと思った
ヒナ推し最前線:「帰ってから言いたい、田中武志でいる場所で」がめちゃくちゃ刺さった
キリソウファン:推しが成長してる 好きになってくれてありがとう田中さん
プロ冒険者X:「いい人だから」のシンプルな根拠が一番重い
匿名B:ヒナちゃんの耳が赤かったのカメラがばっちり捉えてた サクラちゃんナイス
新規:この配信、ずっと泣いてるか笑ってるかどっちかになる
◇
【感想】「帰ってから言いたい、田中武志でいる場所で」ヒナちゃんの一言が全部だった
1 名無しさん : シルヴィアのこと正面から聞いて、「聞いたうちが馬鹿でした」って言えるヒナちゃんの強さ
2 名無しさん : 田中さんが「大切な人、最初に戻ってきた」って正直に言ったの こういうとき嘘つかないのが田中さんらしい
3 名無しさん : ヒナが「向こうの世界で言いたい、田中武志でいる場所で」って言ったのが全話通して一番好きな台詞かもしれない
4 名無しさん : キリソウの「横にいる感じ」が的確すぎた 上下じゃなくて横
5 名無しさん : 「いい人だからよくなる」という根拠 田中さんにしか言えない
6 名無しさん : ゆっくりした日の話なのにちゃんと全員が動いてた これが日常回の正解
7 名無しさん : 登録者1950万 2000万もうすぐ
8 名無しさん : シルヴィアとヒナが話す回が来るはず 楽しみ
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