第2話 謎のおっさん、正体不明のまま登録者100万人を突破してしまう件
目が覚めたとき、通知が止まっていなかった。
スマホ画面が光り続けている。
登録者数:1,024,381
「…………」
俺は天井を見た。六畳一間の賃貸、染みのついた白い天井。
十五年前から変わっていない。
昨日の朝まで俺は無名のおじさんだった。
今日の朝、俺は百万人に知られているらしかった。
人生とは不思議なものだ。
とりあえずトイレに行って、顔を洗って、インスタントコーヒーを飲んだ。
コーヒーの味は昨日と同じだった。少し薄い。
ヒナからのメッセージは朝六時に届いていた。
《今日のコラボ、十時に渋谷ダンジョン第一層入口で待ってます。絶対来てください。来なかったら行方不明として警察に届けますから》
脅しだった。
俺は「わかりました」と返すしかなかった。
◇
待ち合わせ場所に着くと、ヒナはすでにいた。
金髪ツインテール、制服ではなく今日はアウトドア系の動きやすい格好。両手にリングライト付きのスマホスタンドを持っていた。完全に配信の装備だった。
そして、俺を見た瞬間、真顔になった。
「……その格好で来たんですか?」
「格好?」
「スーツ。しかも、また革靴です」
「普段着なので」
「ダンジョン入るのにですか?」
「昨日も入れましたよ?」
ヒナは三秒俺を見て、スマホを持ち上げた。
「……配信始めます。お願いします」
「はあ…?」
配信開始直後 — 同接:23,441
ヒナ推し最前線:今日もスーツで来てるの草
匿名A:おじさんキャラ固定されてるじゃんw
ガチ勢777:昨日の動画見たけどマジであれ何だったの?
エトウ:ヒナちゃんが若干ドン引きしてて笑う
匿名B:革靴でダンジョン入るおじさんなんか嫌いになれない
◇
第一層は観光地みたいなものだ。
整備された石畳の通路、要所要所に案内板、売店まである。出てくる魔物も《コモンスライム》と《ウィークゴブリン》程度。入門者向けのエリアだ。
ヒナが配信しながら歩いていた。俺はその後ろを黙ってついていった。
「今日は田中さんという方とコラボです。昨日の配信見てた人はわかると思うけど、あの……」
ヒナが言葉を選んだ。
「…………助けてくれた人です。」
「どうも」
「自己紹介とかないんですか?」
「田中武志、四十二歳、元経理です。先週クビになりましたので。」
ヒナが小声で「もう少し盛れっ!」と言った。
「盛り方がわかりません」
同接:41,882
全員:先週クビになりましたは笑う
匿名C:盛り方わかりませんは優しさなのかボケなのか?
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんの顔が死んでるwww
ガチ勢777:このおじさん絶対天然だろ!
エトウ:田中武志でX検索したら何も出てこなくてワロタ 本当に無名じゃん!
匿名D:登録者100万人なのに本人は全然気にしてなさそうで逆に好きだわwww
◇
第二層への階段を下りたとき、空気が変わった。
ひんやり、というより……重い。
第一層はどこか観光地的な軽さがある。整備されていて、照明もある。だが第二層は違かった。光苔の青白い光だけが頼りで、通路は広くなり、天井は高くなる。
そして、何かがいる気配がした。
「田中さん、ここから《シャドウウルフ》の縄張りなので気をつけて——」
ヒナが言い終わる前に、影が動いた。
通路の左壁、暗がりから三体が同時に飛び出してきた。《シャドウウルフ》。全身が暗灰色の毛に覆われた、狼型の魔物。体長は成人男性より少し大きい。素早く、群れで行動し、初心者が一体でも侮ると死ぬ相手だ。
ヒナが武器を構えた。
だが俺は既に前に出ていた。
一体目。左手で首を掴んで壁に叩きつけた。
二体目。跳んできた軌道をそのまま受け止めて、地面に押さえ込んだ。
三体目。俺の顔を見て、止まった。
魔物が、怯んだ。
俺を見て、一歩下がった。
「……あっ」
ヒナの声だった。
三体目のシャドウウルフは、そのまま踵を返して走って消えた。
俺は手を払った。スーツの袖が少し汚れていた。
「ドライクリーニング出さないといけないな…」
ヒナは口を開けたまま俺を見ていた。
「……今、魔物が逃げましたよっ!?」
「そうですね」
「田中さんから逃げましたよっ!?」
「気のせいじゃないですか?」
「気のせいじゃないですっっっ!!」
同接:89,004 — コメント速度:限界
全員:魔物が逃げた??????
ガチ勢777:シャドウウルフって第二層のボス格だぞ!?それが逃げたのか!?
エトウ:おじさんのオーラが魔物に伝わってるの草
匿名E:ドライクリーニングを心配してるおじさんとビビってるヒナちゃんの温度差www
プロ冒険者X:このおじさん……Sランクどころじゃないって。魔物が本能で逃げるって人間じゃありえないぞ!
匿名F:誰なんだよ田中武志って 情報0すぎる…
新規リスナー:今流れてきて見てるけど面白すぎてサブチャン登録した
◇
配信を続けながら、俺たちは第二層を歩いた。
道中、ヒナは俺にちょこちょこ話しかけてきた。
「ダンジョンって今まで来たことあったんですか?」
「今週が初めてですね」
「田中さんの強さの理由とかわかりますか?」
「わかりません」
「……昔から強かったんですか?」
「普通でしたよ?体育は三でしたし」
ヒナが歩きながら俺の横顔を見た。
「嘘つかないでください!」
「本当のことしか言ってないですよ?」
俺は本当にわからなかった。
なぜ強いのか。
昨日から何度か考えたが、答えが出ない。
ただ、体が動く。ただ、考えるより先に動いている。ただ、それだけだ。
そして、この空気。
第二層に下りてから、ずっとその感覚があった。
懐かしい。
どこかで嗅いだことがある空気。どこかで歩いたことがある感触。
あの夢の話を、ヒナにしようか一瞬思ったが、やめた。
変な人だと思われるかもしれない。
というか、もう思われているかもしれないが。
「田中さん、あそこ——」
ヒナが通路の奥を指した。
薄暗い分岐路の向こう、壁に何かが刻まれていた。
俺は目を細めた。
文字だった。
石壁に、深く刻まれた文字。日本語でも英語でもない。
見たことがない字体だ。だが——
「……読める」
思わず口から出た。
ヒナが振り返った。
「えっ?」
「あ、いや、なんでもないです」
俺は目を逸らした。
壁の文字の意味が、頭の中で静かに浮かんでいた。
——《帰還者よ、門はまだ開いている》
意味がわからなかった。
なのに、胸のどこかが、ざわついた。
同接:134,290
エトウ:今「読める」って言いかけたよな?
ガチ勢777:あの壁の文字、ダンジョン研究者でも解読できてないやつじゃん
匿名G:なんでもないですで流すな!!!
プロ冒険者X:読めるのか…!?なんで!?
新規多数:このおじさん何者なんだよ本当に
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんも気づいてるよね 絶対聞いて
◇
配信終了後、ヒナが黙って隣に立った。
「田中さん」
「はい?」
「あの壁の文字、読めたんですか?」
俺は少し間を置いた。
「……気のせいだと思います」
「気のせいじゃないでしょっ!」
ヒナの目が真剣だった。
今どきの女子高生の目ではなく、ちゃんと何かを見ようとしている目だった。
俺はため息をついた。
「……帰還者よ、門はまだ開いている、と書いてありました」
ヒナが息をのんだ。
「……帰還者って、なんですか?」
「俺に聞かれても…」
「田中さんのことじゃないんですか?」
俺は答えなかった。
わからない、とは言えなかった。
なぜか。
——心当たりが、あった。
ただ、まだ思い出せないだけで。
◇
【考察】田中武志の正体、マジでヤバい説が出てきた【渋谷ダンジョン配信】
1 名無しさん : 「帰還者よ門はまだ開いている」 あの碑文の解読に成功したの田中武志が初めてじゃん
2 名無しさん : 研究機関が五年間解けなかった文字をおじさんが読める理由、誰か説明してくれ
3 名無しさん : 帰還者ってことはつまり一回あっち行ったことある人間ってこと?
4 名無しさん : 魔物に怯まれる、素手で第二層クリア、異世界文字が読める……これ一般人じゃないだろどう見ても
5 名無しさん : でも本人は本当に何も知らなそうなのが逆に怖い
6 名無しさん : 登録者今見たら142万になってた。昨日の朝まで7人だったのに
7 名無しさん : ヒナちゃんが完全に田中のこと気になってるのバレバレで草
8 名無しさん : 次の配信絶対見る。田中武志の正体が明かされる回が来たらネットが崩壊する
面白いと思ったら、コメント、フォロー、評価をお願いいたします!
とても、励みになります!




