第1話 今日クビになったおじさん、ダンジョンで登録者50万人の女子高生配信者を素手で救ってしまう
コメント欄が、壊れているのかと思った。
数字が止まらない。
同時接続数:12,847。
一分前は7人だったのに。
◇
少し巻き戻して話す。
俺の名前は田中武志。四十二歳。独身。中小の経理部員……だった。
"だった"というのは、つい三日前の話だ。
月曜の朝、朝礼のあとで部長に個室に呼ばれた。
「田中くんね、会社の方向性が変わってさ。経理はアウトソーシングにしようと思うんだよね。来月から……来なくていいから」
来なくていい、だって。
十五年間、遅刻も無断欠勤もしたことがない俺に、その言葉か。
腹も立たなかった。
ただ、ものすごく疲れた。
帰り道にコンビニのアイスを一本買って、自宅の最寄り駅で気づいたら二時間ぼんやり立っていた。人通りが途切れたその隙間、駅の構内掲示板に貼られたポスターが目に入った。
《渋谷ダンジョン・一般入場開放中》
東京の地下、地上三丁目から地下五丁目にかけて突然出現した例の「穴」だ。五年前の異変以来、政府は「Dゾーン」と呼んでいるが、世間はみんな"ダンジョン"と言っている。渋谷ダンジョン。新宿ダンジョン。池袋ダンジョン。
今では大小合わせて全国に三十二か所。入場料さえ払えば一般人でも入れる。最近は配信者が中に入って視聴者を稼ぐのが流行っているらしい。
……やることないし、行ってみるか。
それだけの動機だった。
機材?
持ってなかったから、スマホを百均のクリップに挟んで胸ポケットに突っ込んだ。
チャンネル名:『おじさんのダンジョン散歩』
サムネ:スマホで撮った自撮り(顔グレー、表情ゼロ)
最初の三日間で登録者数:7人。
うち三人は業者だと思う。
四日目の朝、俺は渋谷ダンジョンの第三層にいた。
正式名称・地下異変区域D-13「渋谷深層エリア」。通称・渋谷ダンジョン第三層。ここから先は「中級帯」で、ゴブリンの上位種である《ゴブリンナイト》や、粘液型の変異種が出始める。一般入場は可能だが、難度証明書が要る。俺はなぜか、審査で一発通過した。
係のおじさんが俺の顔をじっと見て「あ、どうぞ」と言っただけだった。
理由は知らない。
静かだった。
石造りの通路、ところどころ光苔が生えていて薄く青白く光っている。
ひんやりした空気が肺に入る。なんとなく……懐かしい気がした。
なんでだろ、この感じ。
考えながら角を曲がったとき、聞こえた。
悲鳴、だった。
足が動いていた。
気づいたときには走っていた。
四十二歳のおじさんが革靴で石畳を走っていたが、足音は意外と静かだった。
曲がった先に、いた。
壁際に追い詰められた女の子が一人。
金髪ツインテール、制服姿。スマホを片手に持って、もう片方の手で壁を押さえながら震えていた。胸元のリングライトがまだピカピカ点灯していた。配信中だ。
そして、その子の前には——
《アシッドスライム》が四体。
さらにその奥、薄暗い通路の向こうから《ゴブリンナイト》の影が三体、じりじり近づいてきていた。
女の子の顔は青白かった。
持っていた武器、折り畳みのダガーナイフが、溶けかけていた。
アシッドスライムの体液で刃が半分消えていた。
まずい。
一瞬でわかった。
俺は、ため息をついた。
「……あ、ちょっとすみません。通りますね」
LIVE コメント(視聴者:12,847)
匿名:Aえ?誰これ
スイカ太郎:ヒナちゃん逃げて!!!
匿名B:おっさん誰だよwww
ガチ勢777:通りますねって何wwww
ゆかりん:え待って革靴じゃん
ダンジョン民:第三層で一般人?死ぬぞ??
ゴブリンナイトが一体、剣を振りかぶって突っ込んできた。
俺は右手を軽く前に出した。
——ただ、それだけだった。
ゴブリンナイトは吹っ飛んだ。石壁に激突して、そのまま動かなくなった。
残り二体のゴブリンナイトが固まった。
アシッドスライムが四体、じわじわ後退し始めた。
俺は残りを三秒で片付けた。
手を払って、女の子の方を向いた。
「怪我してますか?」
LIVE コメント(視聴者:48,291)
???:今の何!?!?
ガチ勢777:えおっさん強すぎて草
エトウ:ゴブリンナイトが一撃って……第三層で?
匿名C:誰この人マジで誰
ヒナ推し最前線:ヒナちゃん生きてた!!!!!
プロ冒険者X:あの動作……Sランク冒険者でも見たことない
匿名D:革靴のおじさんがゴブリンナイト素手でワンパンは草すぎる
女の子—彼女は名前が「白川ヒナ」というらしい—は、しばらく俺を見上げたまま固まっていた。
十七歳。登録者五十万人。ダンジョン攻略系配信者。ランキング三位。
そんな子が今、口をぽかんと開けて俺を見ていた。
「……誰、ですか?」
「田中です。経理の」
「は?」
「あ、経理は違うか。元経理の。今日から無職です」
ヒナは三秒固まって、
「……つよい」
と、ぽつりと言った。
LIVE コメント(視聴者:91,004)
全員:元経理wwwwwwwwwwwwwwww
ガチ勢777:今日から無職は笑う
エトウ:最強のおじさんが無職になった日にダンジョン来てるのじわじわくる
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんが「つよ」しか言えてなくて草
帰り際、ヒナが俺のスマホを覗き込んだ。
「……このチャンネル、田中さんのですか?」
「そう。まあ、暇だったので」
「登録者……7人しかいないじゃないですか?」
「うち三人業者だと思いますね」
ヒナはしばらく黙って、俺の顔を見て、また画面を見て、
「……コラボしましょう」
と、今度は声に力があった。
「え、いや別に」
「絶対に、します…!」
断れる雰囲気じゃなかった。
俺は「……はあ」とだけ言った。
◇
【速報】渋谷ダンジョンで謎のおっさん、ガチで最強だった件【動画あり】
1 名無しさん : 白川ヒナの配信に乱入したおっさんやばすぎ。ゴブリンナイト素手でワンパンってありえなくね
2 名無しさん : うちも見てたけど正直目疑った。動きが人間じゃない
3 名無しさん : チャンネル「おじさんのダンジョン散歩」登録者今確認したら7万超えてるんだが???
4 名無しさん : 元経理で今日から無職は笑いどころじゃないよな、その人何者なんだよ
5 名無しさん : Sランク冒険者のデータベース照合したけどヒットなし。完全に無名の一般人
6 名無しさん : ヒナちゃんとコラボするって言ってたやつ本当なら来週ヤバいことになる
7 名無しさん : あの一撃のスロー映像、右手ちょっと動かしただけなのに衝撃波出てない?
8 名無しさん : やばすぎる。今すぐ登録してきたわ
◇
その夜、スマホを充電しながら横になって俺は気づいた。
登録者、百十二万人。
「…………」
ダンジョンの中で、あの冷たい空気のことを思い出した。
懐かしい、という感覚。
あれはなんだったんだろう、と思いながら目を閉じた。
夢を見た。
石造りの城。耳慣れない言葉を話す人たち。足元で丸まっている何か。そして、空の色が、少しだけ違った。
目が覚めたとき、窓の外は朝だった。
スマホに、ヒナからメッセージが来ていた。
《昨日は助けて頂いきありがとうございました!…本題なんですが、明日、第五層行きましょう。絶対来てください!》
俺はため息をついて、返信した。
《わかりました》
——なんか、また疲れそうだな。
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