004 英雄の弟子たち
ドンドン!
「んん……」
ドンドンドンドン!
「う~さい……」
「リーベ! とっとと起きねえと朝飯抜きになるぞ!」
「ごはん!」
こうして目覚めたリーベは慌ただしく身支度を調え、1階のホールへと向かった。
この日の朝食は弱ってきた野菜を片っ端から入れたラタトゥイユだ。
エーアステ家では頻繁に出てくるメニューの1つだが、毎度具材が変化しているため、リーベが飽きることはなかった。むしろ『今日はなんの野菜が入ってるのかな』と、楽しみでさえある。
ちなみにこの日は、ナスやズッキーニといったオーソドックスなものに加え、セロリとカボチャが入っていた。
リーベにとってセロリは苦手な部類に入るが、シェーンは料理人として、嫌いな野菜も美味しく食べられるように調理していた。そこにリーベは尊敬を抱きつつも、食事を楽しんだ。
「ふふ、おいし♪」
その時ふと、父の食べっぷりに目がいく。
「はぐ……うぐっ…………!」
その勢いたるや、3日3晩なにも食べてこなかったかのようだ。
「……お父さん、ちゃんと噛んでる?」
「ごくり……ああ。栄養を無駄にはできねえからな」
「とてもそうには見えないけど……」
「お父さんは噛むのが早いのよ」
シェーンは困り顔で言った。視線を戻すと、エルガーは「見てろ」とラタトゥイユを頬張る。
その様子を目をこらして見ると、今まで気にしてこなかったのが不思議なくらい。顎が素速く上下していた
「ごくり……どうだ、凄いだろ!」
「う、うん……リスみたい…………」
驚愕していると、コンコンとノッカーが鳴った。シェーンが腰を浮かせるが、「俺が行く」とエルガーが出て行った。
ドアを開けると、そこには郵便屋の制服を着た男性がいた。
「エルガーさんにお手紙です」
「おう、ご苦労さん」
サインをして郵便屋を見送ると差出人を確かめながら食卓に戻る。
「誰から?」
「んー……おっ、ヴァールからだ!」
ヴァールという人物はエルガーの1番弟子であり、弟子からの手紙に師匠は頬を綻ばせた。
一方、リーベは小さい頃からよく遊んで貰っていた為にヴァールに懐いていた。
「おじさん? ってことはこっちに来るの!」
彼女は嬉しくなってつい立ち上がった。
「さあな。開けてみないことにはわかんねえよ」
そう言いつつも、エルガーは手紙を開封することなくカウンターの上に置いた。
「えー! 開けないの?」
「飯が先だ」
妙なところででしっかりしていると、リーベは不満に頬を膨らませた。
「むう……」
「ふふ! さ、リーベもお父さんを見習って食事に戻りなさい」
「はーい……もぐもぐ」
早く手紙の内容が知りたくて、彼女は一心不乱に咀嚼した。
彼女は食べ終わってようやく気付いた。自分が早く完食したとしても仕方ないことに。
顎の痛みに虚しさを感じつつも、父の背後から手紙を覗き込む。
「こら! 人の手紙を覗くものじゃありません!」
シェーンはそう言うが、エルガーは笑って許した。
「良いじゃねえか。どうせヴァールからなんだしよ」
「……あなたがそういうなら」
「やった! ――どれどれ」
紙面には筆圧が濃く、角張った文字が並んでいる。一画の初めには決まってインクが滲んでいて、リーベは昔ディアンに見せてもらった東国の文化『ショドウ』を彷彿とした。
『師匠へ
察しているとは思うが、今度――多分この手紙が届いた、1週間後にそっちに行く。
理由は2つだ。
1つは第三級以上の魔物が数を増やしている事。
もう1つは、俺も弟子を取ったからだ。無愛想なヤツだが、素質は確かだ。期待していてくれ。
シェーンとリーベによろしく。
以上』
事前に手紙を出してくるくせに、拝啓や敬具という語を用いない辺り、おじさんはおじさんだとリーベは思った。
「ほお……弟子か」
エルガーは愉快そうに口角を吊り上げる。
「ヴァールのヤツがここまで太鼓判を押すって事は、相当な逸材なんだろうな」
「では、やはりいらっしゃるのですね?」
シェーンもまた楽しそうな声を発する。
「ああ。1週間後だとよ」
「そうですか。じゃあ、お料理もたくさん用意しておかないといけませんね」
母が立ち上がる一方、リーベは未だ『弟子』という単語から目が離せないでいた。
(……おじさんに弟子が?)
一体どんな人なのか気になって仕方ない。やっぱり男の人で、背が高くてがっしりとしてるのだろうかなどと考察を巡らせていると、ちょっと楽しくなってきた。
「リーベ?」
シェーンに呼ばれてハッとする。
「……あ、なに?」
「食べ終わったんだから、ホールのお掃除をしておいてちょうだい」
「はーい」
道具を取りに行こうとした時、父は言う。
「悪いが、俺は屋根裏の続きがあるから」
彼は冒険者を引退した勢いで、コレクションを処分しようとしていた。それはここで妥協すれば意思が揺らいでしまうという懸念があったからだ。
一方、それを説明せずとも妻であるシェーンは理解していた。
「ええ。わかっていますよ」
そんなこんなで彼らの日常が始まるのだった。
手紙が来てから8日が経過したが、ヴァールたちは一向に来ず、リーベは今か今かとやきもきしながら日々を過ごしていた。
それはさておき、今日は定休日だ。しかし、店の仕事はちゃんとある。定休日とは言い換えれば、次の営業日を迎えるための準備期間にすぎないのだ。そういう訳でエルガーは上階の掃除を、シェーンは食材の状態確認や設備の点検など、厨房回りを担当している。そしてリーベはホールの掃除を任され、現在は窓を拭いていた。
「う~ん!」
背伸びをするも、高い所に手が届かない。リーベは『わたしは成長期だから~』と言っていたが、もしかしたら伸びしろはもうないのかもしれない。女の子であるからして低身長に悩むことはないものの、もう少し伸びてほしいものだと思っていた。
(仕方ない、椅子を使おう)
そう思って視線を下ろすと、窓ガラスに大きな顔が張り付いていた。
「……き、きゃああああっ!」
ビックリして尻餅をつくと、窓の向こうから重低音の笑い声が響いてくる。
「だはは! 驚いてやんの!」
それを聞きつけて両親がホールにやって来る。
リーベが立ち上がると同時にカウベルが鳴り、入り口に例の顔が現れる。
「よっこいしょっと」
身を屈めながらに入ってきたのは身長が210センチもある巨漢だ。
ヒグマのように隆々とした体付きをしていて、それにライオンのように大きく彫りの深い頭が載っている。厳めしい出で立ちであるがしかし、陽気な笑みを浮かべているから恐ろしいという印象はなかった。
彼は大きな手を掲げると分厚い唇を割り開く。
「うっす」
「ようヴァール。元気そうでなによりだ」
「ああ。師匠の方こそ」
2人は拳を突き合わせる。ヴァールの拳が大きすぎて、まるで大人と子供がやっているように見えるが、両者ともに大人だ。さらに言えば、エルガーだって長身の部類に入るのだが……錯覚とは恐ろしいものだ。
「シェーンもリーベも元気そうだな!」
ヴァールが順繰りに親子を見て小さな瞳がリーベに向けられた時、そこに多少のいたずらっ気が宿った。それにリーベは敏感に反応する。
「もお~っ! おじさんったら、びっくりさせないでよ!」
「はは! あんな脅かし甲斐のある格好でいるお前が悪いんだよ!」
彼は悪怯れる事なくそう言い切った。
その様子にリーベは悔しくて仕方なかったが、彼の背後から響く涼やかな声に宥められる。
「いけませんよヴァール。それでリーベさんがケガをしたらどう責任を取るつもりですか?」
ヴァールの陰から線の細い青年が現われる。
月光を編んだような金髪は儚く、朝霧のように白い顔面には澄んだ瞳が煌めく。体格はやや長身の部類であるがしかし、隣に巨漢が立っているという事もあり、相対的に小柄に見えてしまう。そのせいで、彼の女性的な美貌がいっそう際立っていた。
「すみませんね。ヴァールは相変わらずで」
「いいえ。お久しぶりです。フェアさん」
彼は穏やかに目を細める。
「ご無沙汰しております」
「お2人ともご無事の用で安心しました」
シェーンの言葉に夫が続く。
「本当にな。それで? 例の弟子は何処にいる?」
その言葉に思い出したリーベは注目した。
ヴァールとフェアが両脇に退くと、そこには小柄な――リーベと同じくらい小さな男の子がいた。
東洋人を想起させる黄色い肌に真っ黒でさらさらの短髪。それにあどけない丸い輪郭の顔。首には赤いスカーフを巻いていて、まるで黒猫のようだ。彼はくりくりと愛らしい瞳でエルガーを見つめていたが、シェーンに「初めまして」と声を掛けられ、目線を移す。
「…………」
その美貌に見蕩れてしまい、瞳が恍惚と潤む。
「ふふ、お名前は?」
「っ……!」
彼女に微笑まれると照れくさくなり、前髪とスカーフを掴んで俯く。そのあどけない仕草にリーベは思わずきゅんとしてしまった。
一方、エルガーは呆れとも驚愕ともつかない感情に囚われ、間の抜けた声を漏らす。
「……弟子って、コイツがか?」
「ああ……フロイデっつうんだが、人見知りが激しいんだ。まったく、ガキっぽくて仕方ねえ」
「ガキじゃない……!」
フロイデが控えめに反論する。その言葉に説得力は微塵もない。
だから彼の師匠であるヴァールは肩を竦め、やれやれと笑った。
「……そうか。俺はエルガー。それに嫁のシェーンと、娘のリーベだ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
改めて挨拶をすると、フロイデは伏し目がちに「……よろしく」と返す。
そうして一段落ついたところでヴァールが切り出す。
「それよか、バートのヤツから聞いたんだが――」
「それはひとまず、お茶を飲みながらにしましょう」
シェーンが言うと、ヴァールは「うっす」と目礼し、フェアは「お構いなく」と社交辞令を口にした。
もしも今日が営業日だったら話し合うどころか、挨拶すらままならなかっただろう。
リーベはラッキーと思いつつ、母の手伝いに向かった。
2つ連なった丸テーブルには茶と菓子と果物が並んだ。
それを取り囲む面々は体格的に凹凸が激しく、風貌も一様でない。お茶会と呼ぶには些か奇妙な雰囲気を放っているが、それでもお茶会だ。
リーベは素敵な予感に胸を躍らせながら茶を一口啜った。そして一息ついていると、同様に茶を口にしたフェアが言う。
「ふう……良い香りですね」
彼は伊達ではなく、心から茶を愉しんでいた。
それは誰の目から見ても明らかであり、茶を淹れたシェーンは気を良くして、茶葉にまつわるほんの些細なエピソードを口にする。
「いただき物の茶葉なんですが、とても香りが良い品種だそうで」
「なるほど……道理で繊細な香りがするわけで――」
「ずずずーっ!」
「もっもっもっ……!」
ヴァールが下品にお茶をすすり上げ、フロイデは一心不乱にスコーンを頬張った。
楽しみ方はそれぞれだが、多少は気品ある素振りをしてほしいものだと、フェアは苦笑した。
「……申し訳ありません」
「いえいえ」
シェーンがくすりと笑うと、カップを乾かしたヴァールが口を開く。
「そんで、剣を捨てたってのは本当なんか?」
エルガーはその小さな瞳に深い理解と、敬愛ゆえの引き留めたい気持ちを見て取った。それは同門であるフェアに対しても同様だった。彼は弟子たちの眼差しを受け止め、瞑目する。感情を抑えるべく一服すると、時間を掛けて息を吐き出す。
「……そうだ」
曲解の余地のない答えに弟子2人は溜め息をついた。
「そうかい。ま、師匠も若くねえんだし、けじめは付けるべきだよな」
「……悪いな」
「アンタの命に関わんだから、無理は良くねえよ」
「ヴァールの言うとおり、魔物は私たちに任せて御自愛ください」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「これからは食堂だけに絞るんか?」
「そのつもりだ」
その言葉にシェーンとリーベは深く安堵した。
『このまま帰って来ないんじゃ……』と不安になる夜も無くなるし、なによりずっと一緒にいられるのが嬉しかった。言葉には出さないが、2人は――取り分けシェーンは大きな感動を抱いていた。
そんな妻子の様子にエルガーは『引退して良かったと』早くも思ってしまった。自分の容易さをおかしく思いつつ、彼は自分の孫弟子に当たる少年に尋ねた。
「ところでフロイデ。お前はどうして冒険者になった?」
すると彼は食べカス塗れのままきょとんとし、伏し目がちに、暗い目をして答える。
「……えと、倒したい魔物が、いる」
「そうか……」
その言葉を受け、エルガーはとある人物の事を思い出したが、この場にそぐわないため、そっと胸にしまい込んだ。
以来、お茶の席は気まずい空気が流れる。
リーベは一服して間を繋ぐも、茶は冷めていた。
「と、ところで、フロイデくんは何歳なの?」
猫舌な彼は人肌ほどに冷めた茶にふーふーと息を吹きかけていた。突然、女の子に話しかけられ、彼はエルガーに問われた時以上に驚き、縮こまって答える。
「……じゅうろく」
「へー、16歳か……て、ええ⁉ わたしより年上⁉」
彼が不服そうに茶を啜る傍ら、ヴァールが大口を開けて笑う。
「だはは! やっぱりその反応か!」
「だ、だって――」
リーベは年頃の男子が自分と同程度の背丈しか持たないでいた為に、年下であると思い込んでいたのだ。しかし、その思い込みは誤りであった。
自らの失言をどう取り繕ったものか、持て余していたが、フェアが助け船を出す。
「ふふ、誰しもヴァールのようにわかりやすくはないと言うことです」
「そうだ――って、どういう意味だ!」
「そのまんまですよ」
6人には広すぎるかに思われたホールには笑いに満ちる。リーベは口下を覆いつつも、ちらりとフロイデくを盗み見る。
むっつりと口を閉ざしたまま茶を啜る姿は人見知りする幼子のそれだった。




