016 希望の継承者
「ただいまー!」
ホールに入ると、そこに母の姿はなかった。リーベは首を傾げたが、調理をする音と共に美味しそうな匂いが漂って来たことで母が厨房にいるのだと知った。それに導かれ、厨房へ向かう。
「ただいま」
そこにはシェーンがいた。彼女はキッチンナイフをまな板の奥に置くと振り返る。
「おかえりなさい――ってまあ!」
娘の姿を見るや、まるで数年ぶりに再開したような、そんな大げさとも言える反応を示した。
「ふふ、もうすっかり冒険者ね」
先程はあんなに泣いていたというのに、今では清々しいまでの笑顔を見せてくれている。
それに対しリーベは娘を気遣っているだけなのか、はたまた素直な感情なのかわからなかったが、母が笑顔を見せてくれたのがとにかく嬉しかった。
「うん! ドラゴンだってやっつけちゃうんだから!」
ブンブン剣を振り回す仕草をすると、即座に「こら、厨房で暴れないの」と窘められる。
「ご、ごめんなさい……」
「はは! 叱られてやんの」
カウンター越しにエルガーがにっかりと笑う。
「ほら、燥いでねえで荷造り済ませちまうぞ」
「あ、はーい――それじゃお母さん、また後でね?」
「ええ――とそうだ、今晩はトマト煮よ」
「え、ほんと!」
(ふふ、今日は良いことずくめだよ!)
冒険に持っていくものは様々で、大きく見えたリュックは見る間に満杯になってしまった。
「……意外と入らないんだね」
「ああ。持ち物の取捨選択にも冒険者の技量が現れるんだ。テルドルにいる間は俺が見てやれるが、王都に行ったらそうもいかねえ。ヴァールによく見てもらうことだ」
「うん。わかった――って、王都⁉」
リーベが叫ぶとエルガーは『何を驚いてる』とばかりに眉を顰めて娘を見る。
「ヴァールは王都のギルド本部所属の冒険者だぞ? だからアイツの弟子であるお前もそれにくっついていくワケだ……まさかと思うが、そこまで考えてなかったのか?」
「う、うん……てっきり、ずっとここでやるものだと…………」
娘の浅はかさに父は深い溜め息をついた。
「あのな……やる気は結構だが、もっと将来を見据えてくんねえと困るぜ?」
「ご、ごめんなさい……」
「たく……もう後戻りは出来ねえんだ。いまさら嫌とは言わねえだろうな?」
「だ、大丈夫だよ! 嫌じゃない! 嫌じゃないけど……」
彼女は俯いた。
冒険で数日離れる事はあれど、両親とダンクと一緒に暮らすことに変わりはないものだと思っていた。それだけにその衝撃は大きかった。
「うう……」
「リーベ。お前はこの街を出たことがなかったな」
「……うん」
「世界は広い。お前が想像も付かないようなすげえものばっかで、きっと目が回っちまうだろうよ。だから、寂しいことなんてすぐに忘れちまうさ」
娘の肩を叩いて励ます。
「……お父さん…………」
その言葉を反芻する内に、外の世界に対する憧れが強まっていった。
「王都か……」
(テルドルより広くて、お城があって……)
新天地へ想いを馳せていると階下から母の呼ぶ声がした。
「晩ご飯ができたわよ!」
その声を聞くとリーベの腹がぐうう、と鳴った。
「~~っ!」
「ははは!」
エルガーは一頻り笑うと、穏やかな顔をして言う。
「王都にも美味い店は沢山あるが、うちが1番だ。今のうち、しっかり味わっとけよ」
「うん、わかった」
荷物を壁際に寄せて部屋を出ようとした時、父が振返って言う。
「汚しちゃいけねえし、着替えてから来な」
「あ……」
その言葉に自分が武装したままである事を思い出した。同時に自分が燥いでいたことを思い知らされた。こんな自分が、果たして親元を離れて大丈夫なのだろうかという疑問が胸に起こる。
(大丈夫……大丈夫、だよね?)
自分に問い掛ける間に、父は娘の部屋を出て行った。
その夜。魔法のランプが照らす私室のベッドの上で、リーベは親友ダンクへの報告会を開いていた。
もふもふの彼は飼い主の膝に前脚を置いて、くりくりの瞳で見上げている。
「報告があります」
「…………」
ダンクは神妙に口を噤み、報告を待ち受けている。
リーベは彼の誠意に報いるべく、丸い瞳を見つめて言う。
「わたし、リーベは冒険者になりました」
「…………」
飼い主の言葉に驚くあまり、ダンクは言葉を失った。
それもそのはず。リーベは単なる食堂の娘であり、体力に優れるわけではなく、これと言った戦技を持っているわけでもない。そんな彼女が冒険者になるだなんて、防具屋のダニエル以外に、一体誰が想像できただろうか。
「……大丈夫かって? うん、ちょっぴり不安なの」
展望台でヘラクレーエと戦った時のことを思い出す。
自分より背の高いカラスが一息で距離を詰めてきて、極太いくちばしを伸ばしてくる。あの恐ろしい光景はしかし、あまりにも非日常的で、悪い夢でも見ていたかのようにも思えてしまう。だが、これからは日常の一部になるのだ。それを思うと、どうしても不安になってしまう。
それに両親と離ればなれになる事が同じか、ひょっとしたらそれ以上に恐ろしかった。
「怖いよ。怖いけど…………でも」
客たちの落ち込んだ顔、静まり返った街……その悲しい情景が彼女の勇気を奮い立たせる。
「それでもね、わたしは冒険者になりたいの。冒険者になって、みんなの希望になるの。お父さんみたいに……だからダンクも応援してね?」
「…………」
無言のまま彼は頷いた。
ダンクの応援を得られて、リーベの勇気は一段と高まっていく。
だがしかし、今は夜だ。しかも深夜だ。その勇気を発揮する機会などない。リーベは空回った胸を宥めるようにダンクを抱きしめる。
「おやすみ……」
ダンクをギュッと抱きしめたその時、ふと思った。
(おじさんたち、いつ帰ってくるのかな?)
彼らが帰還したその時から、リーベの冒険者活動が始まるのだ。翻って、それまでの僅かな期間が、彼女が家族に尽くせる時間なのだ。そう実感すると、途端に悲しくなってきた。
『やっと家族みんな、一緒でいられるようになったのに』
母の言葉が心に重くのし掛かる。
彼女は自分の意思で、心で、冒険者と言う道を選んだんだ。そこに後悔はない。あるとすれば、それはほんのちょっぴりの寂しさだけであろう。
◆◇◆
シェーンが寝付いたのを見計らい、エルガーは寝床を抜け出した。
冒険者活動で培った忍び足を駆使し、カウベルの付いていない裏口から外へ出る。
月明かりの入らない路地裏だが、表の通りから差し込む街灯の明かりのお陰でさほど暗くなかった。だが鮮明に辺りを見回せるというわけでもない。こんな場所に居座っていたら、いくら治安の良いテルドルとはいえ、何らかの犯罪に巻き込まれるかもしれない。
(まあさすがに大の男を狙う輩はいねえだろうがな)
そんな考えの元、エルガーは通りへ出た。
街路の両脇には等間隔で街灯が立てられていて、灯籠の内に据えられた刻印からは青白い光が放たれている。それによって石畳が銀色に照らし出されている。
辺りに人影はなく、街を流れる川のせせらぎだけが安らかに響いていた。
彼は物静かなのが好きではない。故にこの静寂に靴音を足した。
そうして街の北西に向かうと、程なくして目的地に辿り着いた。
周囲の家々から孤立した民家……彼はここの家主に用があるのだ。
錆びた門扉を勝手に開け、雑に刈り上げられた芝生の上を歩く。そうして玄関前にやって来るとドアを叩こうと手を形作る。だがその時、シカモチーフのノッカーと目が合って、叩くのをやめた。
以前、家主に『お前はノッカーも使えんのか』と言われたのを思いだしたからだ。
ともあれ、エルガーはノッカーを使った。
ゴンゴンと硬質な音が響いた数秒後、屋内で誰かが歩く気配がした。直後、内鍵をあける音が小さく響いたが、それは蝶番の軋む音にかき消された。
「こんな時間に誰だ?」
嗄れた声と初老の男が顔を覗かせる。仕事の途中に呼び出された彼は不機嫌そうに眉を顰めていた。
「よう、ディアン」
「……お前か」
溜め息と共に眉が弛緩する。
「なんだ、こんな時間に珍しい」
「お前に報告があってな」
用向きを告げるとディアンは目の色を変えた。勘の良い彼はエルガーが何を言わんとするのか、おおよそを察していたのだ。
エルガーが招かれたのは前回と同じでアトリエだった。
中央にはまっさらなカンバスがあり、壁際には大きなテーブルや棚がある。そこには画材が乱雑に置かれていて、気むずかし屋のくせに結構がさつなんだなとエルガーは苦笑した。
「あのワイバーンのヤツは売ったんだったか?」
カンバスを見ながら尋ねると「そうだ」と短く返される。
「次は何を描くんだ?」
「さあな。今のワシにはわからんよ」
「お、その言い方、なんか画家っぽいな」
「画家だからな」
ディアンは鼻で笑うとカンバスの前に置かれたスツールに腰を落とした。
「それで、報告ってのはなんだ?」
「リーベが冒険者になった」
「……そうか」
驚愕の色は見せなかったが、代わりに不思議そうに目を瞑る。
「なぜ冒険者になりたがったんだ?」
「ダルの女房がヘラクレーエに殺されたのは知ってるか?」
「ああ」
「あれ以来、街の連中はすっかり落ち込んじまってな。だからリーベはみんなを励ましてやりたい、護ってやりたい……そう考えたんだとよ」
語って聞かせる内、エルガーは娘の健気さに胸が熱くなった。
「たく、親子揃って――」
リーベのことで頭がいっぱいで、彼はディアンの言葉を聞き逃してしまった。
「わりい、今なんて?」
「単なる独り言だ」
誤魔化すように鷲鼻を掻くディアンを不思議に思いつつも、エルガーは腰に手を当て苦笑する。
「俺がそうだったみたいに、みんなの希望になりたい。リーベはそう言ってた。……ディアン、お前の言うとおりになったな」
「……英雄に求められるのは腕だけじゃない」
ディアンは以前自らが口にした言葉を呟いた。
「求められるのは象徴であることだ。大臣ではなく王子が国を継ぐように、お前のガキにしか継げないものがある」
そこまで言うとエルガーを見る。その瞳は彼にしては珍しく、心配の色を浮かべている。
「……だが、お前はそれでいいのか?」
その問いには即答しかねたが、エルガーの答えはリーベが『冒険者になりたい』と言い出した時から変わらず胸にある。
「…………俺はリーベの意思と勇気を尊重する」
「そうか。じゃあ、お前の嫁はどうなんだ?」
「それは……」
シェーンもまた、リーベが冒険者になることに同意していた。
その言葉は凛とした響きをしていて、自棄や諦観のために発したものでないのは明らかだ。
だが、今はどうだろうか?
時間を置いたことで考えが変わり、自分の決断を悔やんでいたりしないのだろうか?
(……いや、シェーンは後悔する選択をするような女じゃない)
「シェーンも俺と同じだ」
答えると、ディアンは訝しげに彼を見上げた。冒険者を引退して20年が経った今でもディアンの目には凄みがあった。だから彼は負けじとつい、睨み返してしまう。
そのまま数秒が過ぎた頃、痰の絡んだ溜め息と共に空気の澱みが解消される。
「子を持つ親の考えってのはわからんもんだな。まあ精々、お前らが後悔しないで済むことを祈っといてやるよ」
憎まれ口をたたくとハエを払うような仕草をする――帰れということだ。
「邪魔したな」
去り際、エルガーはチラリとディアンの様子を盗み見た。
痩せこけた背中は整然と伸びており、その状態でカンバスと向かい合う姿はどこか異質で、儀式めいて見えた。ああやってインスピレーションを呼び起こしているのだろうかと感心したのも束の間、エルガーはまたしても「仕事の邪魔だ」と追い出されてしまった。
ディアンの家を後にし、寝床に帰り着くとシェーンが起きていた。
「エルガーさん。こんな夜更けにどちらへ行ってたんですか?」
その声は張り詰めていて、不安よりも怒りを感じさせられた。小さな鼻をスンスンと鳴らしていることから浮気を疑われているのは明らかだった。
(……まあこの状況じゃ、疑われても文句は言えまい)
エルガーは反省しつつも事情を告げる。
「ディアンのとこだ」
エルガーはディアンに大恩がある。だからリーベが冒険者になったことはその日のうちに報告するのが筋だと彼は思っていた。夫の義理堅い性格を理解していたシェーンは直ぐさま事情を理解した。
「ディアンさんはなんて?」
「健闘を祈るってな」
「そうですか」
淡然とした答えを最後に沈黙が流れる。
お互いの呼吸に耳を澄ましていると、シェーンがもぞもぞと毛布の下で手を動かし、エルガーの袖を摘まんだ。
「いきなり、いなくならないでください」
その生娘のようないじらしい仕草にエルガーの胸には愛おしさがこみ上げてきた。
「……ああ。俺はずっと、お前の側にいるぞ」
「約束、ですからね」
エルガーは妻の小さく温かい頭を撫でた。




