017 冒険の始まり
リーベが冒険者登録した翌日。食堂エーアステはスーザンが亡くなって以来の賑わいを見せていた。
「リーベちゃん! 冒険者になるって本当なんかい?」
ウワサ好きなサラ婦人がふくよかな顔をずいと寄せて問い掛ける。彼女だけじゃない。周りの客は皆がリーベに注目していた。
「ええと……」
「どうなんだい!」
「ほ、本当です……」
仰け反りつつ答えると、周囲がドッと湧いた。
「ははは! エルガーさんの娘が冒険者になるなんてねえ! これでようやく、安心して眠れるよ!」
「そ、そんな……大げさですよ」
大げさでも何でも、街の人が元気を出してくれれば、それが本望なのだが、つい謙遜してしまう。
「そんなことねえぞ」
別の男性が言う。
「なんたって俺たちの英雄の娘なんだからな! きっと才能の塊だよ」
そうだそうだ、と同調する声が多数上がる中、リーベは一緒に給仕をしている父に助けを求める。
「お、お父さんからもなんか言ってよ」
するとエルガーに視線が集まる。その視線は昂揚したものであり、まるで余興でも観るかのようだ。
エルガーはそんなノリに乗じて仰々しく咳払いをして答える。
「あー、お前ら。期待するなとは言わねえが、コイツはこんな細い娘だし、第一魔法使いなんだ。それを分かった上でだな――」
「えー! リーベちゃんは魔法使いなのかい?」
「ダニエルは剣士だって言ってたぞ!」
エルガーの言葉は流れていってしまった。
「……ま、魔法使いです……」
リーベが断言すると場は多少の落ち着きを見せた。中には溜め息をつく人の姿も……
(やっぱり、わたしは剣士になる事を求められていたんだ……)
そう実感する一方で、期待がすぼんだことに安堵している自分がいた。
父と同じだけの活躍を期待されるのは酷と言うにもほどがある。目標を低く持つつもりはないが、リーベはリーベである。彼女なりに、自分にできるだけのことを精一杯やって、それが街の人々の安心に繋がってくれればそれでいいのだ。
波乱のランチタイムを凌ぐと、リーベはもの凄い疲労感に襲われた。
「ふう……こんなに疲れたのはいつぶりだろう」
表の札を『準備中』に変えた彼女は、懐かしい感覚に独り言ちた。
「前に戻っただけなんだが、妙な感じだな」
「ほんと~……」
それだけ忙しい日々が常態化していたと言うことで、それはそれでどうなのだろうとリーベとエルガーは疑問に思った。
そんな贅沢な疑問はともあれ、父子は疲れを絞り出そうと伸びをした。その最中、厨房からシェーンがやって来る。
「ふふ、でも忙しいってことは、それだけお客さんがあなたに注目してくれているってことよ?」
母の言葉に、リーベは期待の籠もった眼差しの数々を思い出す。1つであれば胸をくすぐるだけであったろうが、あんな束になって向けられると重圧以外の何物でもない。
「うう……思い出したら緊張してきた…………」
「はは! 『みんなの希望』になれたんだから良いじゃねえか?」
エルガーはニヤニヤと、1番弟子のような意地悪な笑みを向ける。
「もー! 揶揄わないでよ!」
「揶揄ってねえさ! ……誇らしいんだよ」
そう言って娘の頭に手を置いた。
「お父さん……?」
「ディアンが言ってたんだ。『英雄に求められるのは腕だけじゃない』ってな」
エルガーはほんの半月までディアン作の『断罪の時』が飾られていた場所を見つめる。
「武勇で優れることじゃない。身近で活躍していることじゃない。ただ純粋に、希望であればいいんだ。
『あの人が頑張ってくれているから大丈夫』ってな具合にな?」
向き直ったその顔は、雨上がりの空のような、清々しい表情をしていた。
ヴァールたちが冒険から帰還して、リーベを迎えに来たその瞬間からの冒険者活動は始まるのだ。だから彼女は日を重ねるごとに度を増してそわそわとしていたが、彼らは中々やって来ない。
早く冒険に出たいと言う思いと、食堂の仕事を続けたいという思い。
相反する2つの事柄に煩悶としている内に時間は流れ去り、遂にその時が訪れた。
「邪魔するぜ」
ヴァールがドア枠に上体をねじ込みながら言う。続いてフェアとフロイデが屋内に入ってきた。彼らはいつもと違い、妙に余所余所しい雰囲気を醸しており、今日この瞬間が如何に特別であるのかを物語っていた。
「おじさん……」
「よう、迎えに来たぜ」
彼はその大きな顔をリーベの両親であるエルガーとシェーンへ向ける。
「これからは俺たちの都合でリーベを連れ回すが、本当に良いんだな?」
その問い掛けに両親は揃って閉口し、悲しげな目を娘に向ける。その儚い煌めきにリーベは胸が苦しくなって、目には涙が滲んできた。
「わ、わたし……」
食堂への未練が急速に膨らんでいき、彼女の胸を押しつぶそうとする……だが、それでもリーベは象徴的な存在になりたいと思っていた。街の人々を励まして、安心させてあげられる……そんな冒険者になりたかったのだ。
そのためにはまず、両親を安心させてあげないといけない。
彼女は窄まろうとする唇を吊り上げ、笑みを作って見せる。
「――っ」
エルガーは下唇を噛んで、シェーンは顔を覆った。
「……リーベを頼む…………!」
「ああ、任された」
師弟は拳を突き合わせるとリーベを見る。
「頑張れよ、リーベ」
「うん……!」
母へ目を向けると、涙ぐんだまま両手を広げた。リーベがその腕に収まると、震えた声が耳元にか細く響く。
「……お店の心配ならしなくていいから。あなたは、あなたのやるべきことを頑張りなさい……いいわね?」
「……うん。わたし、頑張るよ……!」
強く抱擁を交わし……体を離すとリーベは2人を。そしてホールを見渡した。
彼女の家であり、職場である。今まで、いろんな事があった。
失敗したこともあったし、怖い客に当たったこともあった。でも、辛いことの何倍もの素敵な出来事があった。そのどれもが愛おしくて、他の何にも代えがたい思い出だった。
そしてリーベは今日、この時を以て、この食堂を卒業するのだ。
「…………」
ひょっとしたら何かの形で携わることもあるのかもしれない。だから別れは言わなかったが、それでも尚、寂しさが胸を圧していた。
「……っ!」
リーベは思いを振り払って、新たな仲間たちに向き合う。
「……よろしくお願いします!」
頭を下げると、3人は口々に彼女を歓迎してくれた。
「おう!」
「こちらこそ」
「……よろしく」
ヴァールはドアの方を親指で指すという。
「これから鍛練に出るから、お前も来い」
「うん……!」
短く答えるとリーベは2階に駆け上がり、慌ただしく身支度を整えてきた。
「中々サマになってるじゃねえか」
「よくお似合いです」
彼女の冒険服姿を見るや、ヴァールとフェアは口々に褒めた。
「ふふ、ありがと」
最後に両親の方を見る。
「それじゃ、行ってきます!」
意気軒昂と飛び出して来たはいいが、リーベはヴァールたちについて歩いていく内、緊張が募っていった。
それを見かねて、隣を歩いていたフロイデが尋ねる。
「緊張、してる?」
「はい……わかっちゃいます?」
「手と足、一緒に動いてる」
言われて初めて気付いた。
慌てて直していると、耳聡く聞きつけたヴァールが低音を響かせて笑う。
「だはは! こりゃ、道化師に弟子入りした方がいいんじゃねえか?」
「道化じゃないよ! ……もお、おじさんったら」
リーベが溜め息をつくと、正面を歩いていたフェアが涼やかに笑う。
「ふふ、初めは誰でもそうなるものですよ。むしろ、緊張できるということは、冒険者という職業を正しく認識できているということですから、良い兆候です」
「そう、ですか?」
小首を傾げているとヴァールが同意する。
「その通りだ。ピクニックに行くくらいのノリでいられるよりかは、その方が良いに決まってる」
「そう、なんだ。……なんだか、ちょっと自信が湧いてきたかも」
「たく、チョロいヤツだな」
ヴァールが穏やかに笑んだとき、スーザンの武器屋の前に差し掛かった。
以前は休業を告げる張り紙があったが、今はそれがない。その代わりに『営業中』の札が掛かっている。
(ダルさんは大丈夫かな? 無理をしてないといいんだけど……)
心配していると、フェアが言う。
「私とリーベさんは杖を買いに行きますので、ヴァールたちはお先にどうぞ」
「おう。いくぞ、フロイデ」
彼は物思いにでも耽るかのように俯いていた。
「フロイデ?」
「あ………うん。いこ」
2人が東門へ向うのを見送ると、彼はリーベの方に振り返る。
「それでは、参りましょうか」
「はい――あ、でもお金……」
「お金ならありますので」
「でも……」
リーベは自分が使うものの代金を払って貰うのは気が引けた。
そんな心情を察して彼は微笑んだ。
「お金はクラン共有の財産ですから、そこからリーベさんの装備代を出すのは当然のことですよ?」
優しい言葉に申し訳なさは解け、やる気へと変わっていった。
「……ありがとうございます。わたし、お代を還元できるくらい、頑張ります!」
「ふふっ。そのためには良い杖を選ばないといけませんね」
「はい!」
2人は笑みを交わし、店舗へと向う。
リーベは店舗に近づくごとに相棒となる武器との出会いに胸がときめき、到達する頃にはすっかり上機嫌になっていた。この感覚は服を買いに行くときと似ているが、若干違う。彼女は『武器を買う』という未知の行いに対し、昂揚しているのだ。
「こんにちは」
ドアを開けると、そこにはダルがいた。
案の定、顔色が悪く、うつろな瞳が呆然と天井を見上げていて、まるで病んでしまったかのようだ。来客に気が付くと緩慢な動作で、覇気のない瞳を向けてくる。
「リーベか。また来やがって……なんの用だ?」
「杖を買いに来たんです」
「ワンドならそこだ」
彼は無愛想に顎をしゃくるが、生憎と目的の品はそれではない。
「違いますよ。今日はスタッフを買いに来たんです」
「なに⁉」
スタッフというのは日用品の類いであるワンドと違い、戦闘や儀式に用いる歴とした武器である。だから食堂の娘であるリーベがスタッフを求めていることにダルが驚愕したのは無理からぬことだった。
「お前、まさか冒険者になるんか!」
「はい。今日はそのためにスタッフを――」
「自分の娘を冒険者にするなんて! エルガーめ! 自惚れやがったか!」
ダルは赫怒した。魔物によって妻の命を奪われた一方、同様に魔物に襲われながら生きながらえたリーベが冒険者になるという事実を拒絶するのはとても人間的な感情だった。
リーベは彼を哀れに思ったが、だがそれでも自らの意思で選んだことを曲げるつもりは無かった。
彼女はダルには申し訳なく重いながら事情を告げる。
「ちがいます! わたしの方からなりたいって言ったんです!」
「……お前が?」
落ちくぼんだ目が彼女を睨む。元来強面のダルだ。その形相たるや、まるで鬼のようだ。
リーベは慄き、顔を背けたくて仕方なかったものの踏ん張った。
ダルを怖がってるようでは、魔物に立ち向かえないからだ。
そうして睨み合った末、ダルは憤然と鼻息をつく。
「理由はどうだっていい」
彼は椅子を蹴って立ち上がる。
「……だけどな、お前はスーザンと違って、魔物に襲われて助かったんだ。そのくせ死んだら、タダじゃおかねえぞ」
それは激励なのか、単なる当てつけなのか。リーベには判然としなかったものの、発破を掛けられる思いだった。
「……死にません、絶対に……!」
変わらぬ形相で彼女を睨むダルであったが、納得をしたのか、はたまた呆れたのか、喉を鳴らしながら勢いよく腰を下ろす。それから鍛冶ギルドの機関誌に視線を落としながら、吐き捨てるように言う。
「愚かな娘だ。だったらせめて、マシなもんを持っていくことだな」
「それって……」
フェアの方を見ると、彼はにっこりと言う。
「杖を売ってくれると言う事でしょう」
「やった!」
「ふふ、では早速、リーベさんに相応しい杖を探しましょうか」
「はい!」
魔法杖のコーナーへ向う途中、リーベはダルに睨まれているのに気付いた。彼女と目が合うと、彼は視線を遮るために機関誌を持ち上げた。




