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想像の国のゼンパンク  作者: Kikuchi
第3章 (空人) 想像上の楽園
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8

 翌朝、空人はまだ見慣れない天井を見つめながら目を覚ました。部屋の中には、昨日のゼンパンクの光景が夢ではなかったことを示すかのように、未来的なインテリアが整然と並んでいる。窓の外には、夜のうちに灯りが消えた街が静かに目覚めようとしていた。

 深呼吸をして気持ちを落ち着けた空人は、ガイドブックに書かれていた研修施設の場所を確認し、支度を整えた。寮のロビーを抜けると、大河内が廊下の角で待っていた。

「お、松島。今日が本番だな、頑張ろうぜ」

 その陽気な声に少しだけ緊張がほぐれ、空人は軽く頷いた。「ああ、よろしく」

 二人は並んで寮を出て、研修施設へと向かう。通りを歩くと、ゼンパンクの街は昨日とはまた違った顔を見せていた。朝の光を受けて、建物のガラスや金属部分がきらきらと輝いている。遠くの空には、浮遊する島のような建造物がゆっくりと移動しているのが見えた。通りを行き交う人々も、現実の世界と変わらないほど自然に生活しているように見える。

「本当にここが仮想空間なのか、信じられないよな」と大河内が呟いた。

「……ああ。現実と区別がつかないくらいだ」

 やがて二人は研修施設に到着した。建物はガラスと金属で構成された近未来的なデザインで、入り口の自動ドアが静かに開く。中に入ると、広々としたロビーが広がり、そこにはすでに数人の新人ゼンジニアたちが集まっていた。

 空人と大河内が指定された会議室に入ると、そこには自分たちを含めて合計10人のゼンジニアが集まっていた。皆、それぞれに異なる雰囲気を持っている。真面目そうな青年、物静かな女性、そしてどこか浮ついた様子の中年男性。空人は、自分が一番最後にゼンパンクに到着したことに気づき、少し気まずさを覚えた。


 しばらくすると、前方のドアが開き、一人の男が入ってきた。スーツ姿の初老の男性で、その立ち姿には厳格さと落ち着きが漂っている。男はゆっくりと前に進み、壇上に立つと、静かに口を開いた。

「皆さん、ようこそゼンパンクへ。私は佐々木(ささき)、これから皆さんのコーチを務めます」

 佐々木の声は低く、落ち着いたトーンだったが、その一言一言には重みがあった。彼は参加者たちを見渡し、しばしの間を置いた後、再び口を開いた。

「まず最初に、ここがどういう場所かをご説明しましょう。ここ、ゼンパンクは単なる仮想空間ではありません。皆さんの意識は今、舞浜のテーマパーク内のカプセルに保管された身体から切り離され、この場所に存在しています」

 その言葉に、空人は思わず背筋を伸ばした。頭では理解していたが、改めて説明されると、その現実味に圧倒される。

「ゼンパンクはゼンジニアリングという特殊な技術によって作られています。この技術は、瞑想と最先端のデジタル工学を融合させたもので、意識の深層にアクセスし、現実と遜色のない仮想空間を作り出すことを可能にしています」

 佐々木は手元のタブレットを操作し、壁に映し出されたホログラムにゼンパンクの構造を示す図を映し出した。複雑な回路図のようなラインが絡み合い、中心には「ZEN(ゼン) |ENGINEERING《エンジニアリング》 CORE(コア)」と記された部分が輝いている。

「この技術によって、ここでは現実世界とは異なる時間の流れが存在します。皆さんがここで過ごす一日は、現実世界ではわずか数時間にしか過ぎません。逆に言えば、ここで数ヶ月、数年を過ごしても、現実世界に戻ればそれは一瞬の出来事となるのです」

 その説明に、参加者たちはざわめき始めた。空人も内心驚きを隠せなかった。時間の流れが異なる――それは理論的には理解できても、実際に体験するとなると、全く別次元の話だ。

「さらに、ゼンパンクは単なる実験空間ではありません。これは政府のムーンショット目標の一環として開発されたプロジェクトです。ムーンショット目標とは、二〇五〇年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現するという壮大な計画です」

 佐々木は一息つき、参加者たちの反応を見渡した。

「ゼンパンクはそのための実験的空間であり、皆さんゼンジニアはその構築と維持に重要な役割を担っています。現在、この空間は超富裕層向けのテーマパークとして機能しています。世界中の限られた富裕層がこの場所を訪れ、現実では体験できない贅沢なひとときを過ごしているのです」

 その説明を聞きながら、空人はふと、昨日見かけた街の華やかな人々を思い出した。洗練された服装に、どこか浮世離れした表情。あの人たちが、超富裕層だったのか――と、ようやく合点がいった。

 空人の胸には軽い驚きがあったが、それ以上深く考えることはなかった。

 重要なのは、このゼンパンクで成果を出し、妹の治療費を稼ぐこと。それが彼の最優先事項だった。

「ゼンジニアとしてのミッションを完了し、現実に戻ることができた者には、多額の報酬が支払われます。それは皆さんが思っている以上の金額です」

 佐々木は静かに言葉を区切り、会場の空気がわずかに引き締まるのを感じた。

「この機会を活かすかどうかは、皆さん次第です。全力で取り組んでください」

 その言葉に、空人の胸に熱いものが走った。なんとしてもミッションを成し遂げ、多額の報酬を受け取り、夢花のアメリカでの治療を成功させなくてはならない。


 説明会が終わると、ゼンジニアとしての初日のトレーニングが始まった。最初の課題は、自分の中にある小さなイメージを具現化すること。具体的には、頭の中で想像した物体を実際にこの空間に現出させるというものだった。

 空人は目を閉じ、小さな立方体を思い浮かべた。頭の中では明確に形が見える。しかし、実際に目の前に現れたのは、歪んだ不格好な塊だった。

(難しい……)

 何度も試みたが、思い通りの形にはならない。隣を見ると、大河内も同じように苦戦していた。

「くそ、思ったより難しいな!」

 それでも少しずつコツを掴み、やがて小さな立方体が形を成し始めた。しかし、それはほんの小さな一歩に過ぎなかった。


 トレーニング終了後、佐々木は全員に「仮想空間に適応するための錠剤」を渡した。

「これはこの空間での適応を助けるものです。副作用はありませんので、安心して服用してください」

 ゼンジニアたちは次々に錠剤を飲み込んでいく。しかし、空人はその錠剤を手に取りながらも、飲むことをためらった。

(本当に安全なのか……?)

 妹や母の病気で薬の副作用に苦しむ姿を見てきた空人は、薬に対する強い不信感を持っていた。彼は周囲に気づかれないように錠剤をポケットに忍ばせ、飲んだふりをしてその場をやり過ごした。

 その夜、空人はベッドに横たわりながら、今日の出来事を思い返していた。この場所がただの仮想空間で終わることはない――そんな予感が、胸の奥に静かに芽生えていた。

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