深夜六時 1
もう朝か、と思うようになるのが、こんなにも早く感じるようになったのはいつからだろうか。
彼が昇ってきた。窓の向こうから、家々の向こうから、山の向こうからきらり。彼が顔を出した瞬間から、世間は朝に変わる。こんなにも広い地球を、彼はたった一人で照らしている。雨や夜はあれど、雲の上では、空の上ではずっと輝いている。いつでも、どこまでも、いつまでも。
なぜそんなにも、飽きずに、めげずに世界を照らし続けることができるのか、そのコツを一度訊いてみたい。なぜ、こうも世界を朝に変えることにやぶさかではないのか、と。毎日きっちり同じ時間に昇り、同じ時間にきっかり沈む。毎日同じ光度で輝き、夕方には色を変えて鮮やかに目を閉じる。世界を変えるという大変な大義を、なぜルーティーンのようにこなせるのか。そのコツを伝授してもらいたい。しかしきっと、答えは「できるから」だろう。自分から見て、彼がやっていることは異次元なことだけど、彼にとっては世界を照らすことはきっと、文字通り朝飯前なのだろう。
自分も、彼のようにならなければ。自分一人で、教師の世界を照らすことができる、太陽にならなければ。
完璧な、太陽に。
海野灯馬は、徹夜で固まった関節を小指から親指に向けて鳴らしていく。三十五歳。まだまだ若いと思いたいが、無理をすればそれなりにしっぺ返しをくらう歳になってきた。
輝く彼に照らされて、ダイニングテーブルに乱置された教育書たちに命が宿る。夜通し読み散らかされた挙句、何年も使われたことで、表紙も小口も赭く汚れている。明日の授業のために、今夜の投稿のために、何度も何度も読み返された教育書たちは、今にも事切れそうな装いをしている。しかし、朝日が昇り、太陽に照らされるたびに聞こえるのだ。声が。
進め、進め、進め。速く、綿密に、あらゆる方向に。どこに助けを必要としている人材が眠っているかわからないぞ。助けるのだろう、変えるのだろう。我々はまだまだ戦えるぞ。
お前も、まだ戦えるだろう?
無論だ。無論ではあるが、ただ時間が足りない。
一日は、二十四時間ではない。教師を十数年続けた結果、辿り着いた結論だ。起床し、仕事をこなして、帰宅する。家事をして、入浴し、眠る。少しの隙間で明里と旭陽と遊ぶ。一日は、これだけで終わってしまうのだ。時計が二十四周しているとは到底思えない。どれだけ生き急いでも、一日は二十四時間できっかり終了する。しかし、体感はその半分で終了する。
銀色のノートパソコンに手をかける。画面の下方、メニューバーの中でSNSのアイコンが薄く光りながらこちらを眺めてくる。
とぅ先生 @to_sensei_edu 五時間前
授業のベクトルは教師→子どもではなく、子ども⇄子どもです。我々はよく、「教える」ということに固執しがちになりますが、大切なのは子どもたち同士が「教え合う」ことです。「学ぶ」という行為に「教え合う」という行為も含まれていると思います! そのための対話活動例をまとめました! 明日の授業の参考にぜひ!
[https://note.com/to_sensei_edu/n/n2026t83]
(https://note.com/to_sensei_edu/n/n2026t83)
#教師全体でいい授業を #教材はみんなのもの #少しの工夫で明日を楽に
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深夜一時に世界に投げた投稿が、いつも通りの反響を呼んでいる。誰もがいい授業ができるように。教材をみんなで共有できるように。教師たちが、少しでも休めるように。いつでも見られるようにSNSに投稿している。一年前くらいから始めた活動だ。本当は別の『教師のタスキ』というハッシュタグで活動していたのだが、そのハッシュタグは教育界をよくするものではなくなり、不満をぶつけるサンドバックに成り下がってしまった。それはそれでストレスを溜めないための大切な役割を果たしていたのかもしれないが、俺がやりたかったのはそういうことではなかった。
今夜の投稿が、二万人の目に届いたということはとても嬉しいことだ。その分、都の中で働く教師たちを助けられたということになる。しかしそれは同時に、深夜一時から六時までの間に、二万人の教師が仕事をしていたことも証拠にもなる。朝から晩まで働いたはずの先生が、帰宅してもなお眠れない夜を過ごしていることになる。教職は、身体が資本の仕事だ。授業のために身体を壊しては元も子もない。せめて学校ではなく、自宅で作業してくれていることを切に願うばかりだ。
だから、俺は太陽にならなければならない。ここまでくればゴールなんだよと教える旗のような、眠れない夜を終わらせる太陽に。
「———おはよう」
寝室のドアがゆっくり開かれる。ユニクロのコラボTシャツに高校生時代のジャージを履いた明里が、髪をかき上げる。
「おはよう」
と、声をかけても目が合わなくなったのは、俺が夜通し教材研究するようになった頃、SNSへの投稿を始めるようになった頃と完全に付合する。
「何時に起きたの?」
「うーん、何時に起きたっていうか・・・」
「・・・え。寝てないの?」
それまで澱みなく朝食の準備をしていた明里の手がぴたっと止まる。パートナーとして、母親として、何も言わずに朝食の準備をしてくれることに、日々感謝しなくてはならない。そのおかげで、のうのうと教材研究に打ち込んでいられるのだから。
「呆れを通り越して、もう何も思わなくなった」
「はは。バカだよな」
おどけて見せるが、明里は笑わない。もちろん、笑ってもらえると思って言ったわけではないが。
「どんどんひどくなってるね。いい加減にしないと、若くないんだよ。それに———」
明里と色違いのマグカップに、コーヒーが注がれていく。カフェインを搭載した湯気が、身体を無理矢理再起動させていく。
「———それに、旭陽のことを見てあげて」
寝室のドアの隙間から旭陽が見える。旭陽はうーんと唸りながら寝返りを打っている。
一日は二十四時間ではない。一人の人間として、教師として、旦那として、父親として。生きる上で肩書きが増えれば増えるほど、一日の時間は一時間ずつ削られていく。全てが大切だからこそ、全てに全力を注ぎたいが、そうすることは難しい。背負うもの、守るものが増えることは幸せなことだが、背負うために、守るために備える時間は平等に用意できない。
ゆえにだろうか。旭陽は、こんなにも大きかっただろうか。と最近よく思う。
「見てるよ。昨日のテストも百点だったのも知ってるし」
旭陽は、今まで俺が見てきた三年生の中では勉強が得意なほうだ。習得数が一気に増える漢字も、わり算も少数・分数も、みんながつまずく壁もなんとか超えることができた。先日見せてくれたわり算のテストも、初めてのわり算で計算ミスが一つはあると思ったが、笑顔で百点を見せてくれた。
「いや、そういうことじゃなくて」
明里が入れてくれたコーヒーを一口飲む。朝食はいつも、車の中で食べられるカスクートを明里が用意してくれる。
「ごめん、もう行かないと」
「待って」
ユニクロのポロシャツに腕を通しながら、明里の顔を見る。
「ん? 帰り、何か買ってくる?」
「そうじゃなくて———。小説。」
アップルウォッチを装着し、リュックを背負う。
「最近、小説読んでる? ほら、『夜のピクニック』とか」
出会った頃は、二人で小説を読み漁った。同じ小説を読んでいるのに、読んだ後の感想が全く違うことが二人で可笑しくて仕方なかった。それも、旭陽が生まれて、仕事が軌道に乗るにつれ、読む時間がなくなっていった。そんなことする余裕なんて——と思いかけた気持ちをコーヒーと一緒に流し込む。
「最近読めてないね」
「読む予定、ある?」
アップルウォッチがいつも通りアラームを鳴らす。遅くとも、この時間には家を出たいという時間だ。
「うーん、どうだろう。読む気がないわけじゃないけど、すぐには難しいかな」
「そ。分かった。いってらっしゃい」
最近、明里としっかり話せていない。もちろん旭陽とも。
それが、いけないことだということは分かってはいる。
それでも俺は進まなければならない。
教師の世界を、守らねば。教師が望む世界に変えねばならない。
教師の世界は歪を抱えて回っている。
そのことに、気づいてしまったのだから。
*****
「海野先生、きいてもいいですか?」
六年生の担任——後輩の中山がデスクチェアを回転させて自分の方を向く。彼が振り向いた勢いで、Aesopのハンドクリームの香りが一瞬香る。Aesopの香りは、漂うだけでその場を自然に変える。
「だめって言っても訊くんだろう?」
「ばれちゃいました?」
「隠してないのにばれたはおかしいだろ」
中山は新人ゆえの生意気さと可愛さを絶妙なブレンドで兼ね備えている。その絶妙なブレンドのせいで、どれだけ忙しくても彼の頼み事は断れなくなる。しかし、ただ可愛いから助けてしまうわけではない。どれだけ生意気な態度をとられても、子どもと授業に一生懸命向き合う彼の姿が、頭のどこかでちらつくからだ。
だからこそ、気づけた。普段はパソコンを触りながら話しかけるのに、どうしても話を聞いてほしいときはこちらを向いて話をする癖があることに———。
「で、何が訊きたいの?」
「修学旅行の自由行動の班なんですけど、くじ引きで決めることになりそうなんですけど、それでよさそうですかね」
当時俺は五年生の担任をしていた。六年生を受け持つのが初めての中山をすぐにサポートできるように配置された人事だった。
くじ引きかぁ、と額に手を当てる。自分ならなるべく自分のクラスではあまりくじ引きで何かを決めることをやらせたくない。もちろん、話し合いが延々と続くときや早く決めなければならないとき、子どもたち自身に決めさせたときに不備が出る場合(仲間外れなど)、苦肉の策としてつかうときはある。しかし、くじ引きには早く決まるというメリットしかなく、結果に文句が出る場合が多い。相性が悪く子どもたちが一緒になった場合、トラブルが起こる可能性が跳ね上がる。どうしてもくじ引きを行う場合は、結果に文句を言わないというルールを子どもたちと確認して行う必要がある。話し合いをする場合も同様にルールが必要になる。一人になる子がいたら必ず声をかけること。グループだけではなく、クラス全体が納得グループ作りを意識すること。納得がいかない子が一人でもいたら、何度でもやり直すこと。一人が楽しくなるのではなく、とにかく誰かが一人にならないルールが好ましい。
「その案、子どもたちから出たのか? 修学旅行の班決めなんて、絶対自分たちで決めたいだろう」
何かを決めるときは、決め方から子どもたちに決めさせることが多い。自分たちで納得した方法で決めさせた方が、結果に文句を言う子どもたちが少ないからだ。もちろん、決め方から話し合って決めさせることが大切だからだが、先生は可能な限りいじめや喧嘩のリスクを減らしておいた方がいい。
そうした方がいいことは、無論中山にも伝えてある。
「うーん、やっぱりそうですよねぇ」
中山が鉛筆でつむじの辺りを掻きむしる。さっきよりAesopのハンドクリームが強く香る。
「中山の案ですらないのか?」
「やっぱり変ですよね? 自分たちで決めさせるほうがいいですよね?」
中山が身を乗り出しながら小声で叫ぶ。叫ぶように言っているのに声が小さいのは、誰かに聞こえてはいけないからだろう。それだけでくじ引きを提案したのは誰なのか想像がつく。
「海野くん、中山くん。修学旅行のことでちょっと」
校長が校長室から手だけを出して、呼び立てる。うちの校長は、話の大小に関わらずこの呼び方で人を呼びつける。
俺も? と思ったが、すぐに中山をサポートして欲しいという言葉を思い出す。
「中山くん、修学旅行の自由行動の班は決まった?」
「えー、ちょっとまだで・・・」
「お? それは早く決めないと」
中山が六年生たちと作った『旅のしおり』のぱらぱらめくりながら、校長が中山に圧をかける。手元に資料があるとき、校長は絶対に相手の目を見ない。
「校長先生、その話なんですけど」
校長のしおりをめくる手がぴたっと止まる。校長が横やりを入れられるのが嫌いなことは承知しているが、入れなければ自分がここにいる理由がない。
「班の決め方、くじ引きでよろしいんでしょうか。子どもたち自身で決めさせた方がいいと思うのですが・・・」
持っていたしおりを応接用の机にぴしゃりと置く。校長とようやく目が合ったが、こんな目で見られるなら合わない方がよかった。
「そうなると女子が微妙なの、海野くんも分かってるでしょ」
中山が受け持つ六年生は男子四人、女子三人の全員で七人しかいない。人数は少ないが、思春期に片足をつけ始めた六年生の担任をすることの大変さに変わりはない。
「それはもちろん承知していますが、最終くじ引きで班を決めるとしても、話し合いはさせた方がいいんじゃないでしょうか」
「それでもし全員が話し合いで決めるってなった場合どうするの? 後から先生が急にくじ引きでって変えるほうが問題になるよ? 女子が二対一に分かれる確率があがるよ?」
女子三人は今、職員会議の議題に上がるほど状態がよくない。もともと女子が三人の奇数であること自体すでに火種をはらんでいるのだが、ペアで動きたい二人と、それを理解しながらもペアに割って入ろうとする一人との間で冷戦が起ころうとしている。
しかし、たとえ火種が爆発する可能性があろうと、話し合いに時間がかかろうと、子どもたちから話し合いの時間を奪うわけにはいかない。教師が、くじ引きを強制させるのはあまりにも簡単なのだから。子どもたちから考える時間を、一秒だって奪いたくない。
「ですが・・・」
校長は、横やりを入れられる以上に、食い下がられることが嫌いだ。
「じゃあ、責任とれるの?」
机の上のしおりを二度、こんこんと叩く。怖い、わけではないが緊張ははしる。
「話し合いだと確実に女子は二人と一人に分かれるよ? 仮に女子が三人のグループを組んだって、移動中に一歩後ろを歩かされるよ。そんなことになるなら、もう最初からくじ引きにして、男女ごちゃ混ぜでグループ作ったほうが文句はないじゃん。二対一に別れたらそれはそれでしょうがないわけで。くじ引きのほうが平等だと先生が言えば、みんなも納得するでしょ。くじ引きで決まった結果の方が、みんな納得するでしょ」
先生がくじ引きだと強制してしまえば、子どもたちは何も言わないだろう。くじ引きの結果に文句は言わないと言ってしまえば、子どもたちは何も言わないだろう。しかしそれは、子どもたちが納得して何も言うことがないわけじゃない。教師が、子どもたちに何も言わせない空気をつくっているだけだ。
「中山先生は、この修学旅行のための学級づくりもしています。少人数ですし、二グループに分かれても中山先生と校長先生の目もあります。その都度注意していけばいい空気になると思うのですが」
何より、話し合いで決めさせたい中山の気持ちを尊重してやりたい。
「じゃあ、海野くんが責任をとってくれるんだね?」
責任の所在を明らかにしたがるくせに、その責任を進んで負ってくれることはない。教師という生き物にはそういう人種が多い。
「小学校で一回しか行くことがない修学旅行が、嫌な思い出になってもいいのかい? 女子二人は楽しい思い出ができるけど、一人は嫌な思い出ができるだろ。今まで何とか亀裂で保っていた関係が、今回の修学旅行で修復不可能になってしまうかもしれないんだよ? そういう可能性があるかもしれないのに、話し合いで決めるっていうのはどうなのかな? 形はどうであれ、みんなが平等に楽しめる形をとったほうがクラスのために・・・」
「もう分かりました。子どもたちには自分からくじ引きにしましょうと言います。となると、他のこともくじ引きで決めることになると思うのですが、それでもよろしいでしょうか」
中山が間に入って、ようやく校長の口撃が止まる。横やりは横やりでも、こちらが折れる横やりに文句はないらしい。
「分かってくれて嬉しいですわ。では早めに決めてな」
俺と中山を校長室から出した後、校長は扉をぴしゃりと閉めた。
「・・・もしかしていつもこうなのか?」
「いつもこうです。最近は何か言うこともやめました」
そう言い残すと、中山は自分の席に戻ってせっせとくじ引きのあみだを作り始めた。Aesopのハンドクリームの香りは、もうしなくなっていた。
二階にある、五年生の教室に向ってゆっくり歩く。
経験を重ねた先生は、その経験を軸にし過ぎる人が多い。昔はその知識と技術が通用したのだろう。しかし、時代は変わっていく。子どもに知識を詰め込む時代から、自ら学んでいく姿勢を伝える時代になった。校長はおそらく、学力を子どもに詰め込んできた先生で、それが正義の時代を生きたのだろう。言わずもがな、先生に文句を言う子どもなどいるはずもなかったわけだ。
中山は新人だが、よく考えている。導き出す答えが正解であることが多いわけではないが、考えることをやめることはしない。それは、俺を含め、職員室にいる先生は全員理解している。だからこそ隣に、それなりに経験がある俺を据えたのだろう。中山が一人で突っ走ることがないように。
しかし、中山や俺という「若い者」が導き出した答えは、たとえそれが正解だったとしても、連綿と受け継がれてきた技術と知識の歴史の前ではあまりに無力だ。どれだけ目から鱗を出させたとしても、それが新しいとか見たことないという判断が下された瞬間、価値は一気に暴落させられる。
中山は最近、やらなければならないことは伝えられても、どうすればいいのかは全く教えられていない。あれをやれ、これをやれと言われ続けるわりに、そのノウハウは自分で考えろと言われている。そう言われる度に、生意気さと可愛さに裏打ちされた中山の元気は、どんどん削られている。
普段は喧しい中山が言葉を飲み込むくらい、中山は今落ち込んでいる。
教師を始めて十余年。自分はまだまだだと思うが、できることは増えてきた。気持ちにも時間にも余裕がある。
隣の教師がこんな風に困っているなら、全国には中山のような教師がもっといるのだろう。
責任とれるの?
校長が責任をとらなければ、誰が責任をとるのだろう。校長とは、責任の最後の砦はないのだろうか。
おそらく校長は、中山が何もせず、思考を止め、自分の言うことだけを聞く指示待ち人間になれば、それはそれで怒るのだろう。
ああしなければならないこうしなければならない。しなければいけないことばかり教えたって、どうするかが分からなければ目的は達成できない。目的と手段の両方を理解してもらわなければ、どちらの意味もなくなる。最初は誰かの真似でもいい。そこからもっとこうすればいい、ここがよくなかったと反省し、自分のやり方を見つけていけばいい。中山はそうやって自分を磨いていたはずだ。
しかし、その自分のやり方すら、中山は否定されてきたのだろう。
教室の先生用の椅子に腰かける。夕方になると、教室には西日が差し込む。
中山を助けなければ。中山がこうしたいああしたいと自分で思うようになり、じゃあこうしようああしてみようと自分で手段を見つけられるようにしてあげよう。そのために、自分が持つ手段を中山に伝授しよう。使うかどうかは中山が決めればいい。
最初は、隣にいる中山だけを助けるつもりだった。しかし次第に、助けを求めている全国の人々のことも助けたいと思うようになった。
その夜から、俺は海野先生であり、明里のパートナーであり、旭陽の父であり、『とぅ先生』になった。
教師の世界は、歪だ。教えなければならないことは日々更新されるのに、先生は新しくなっていかない。
理不尽から教師を守らねば。どんな教師でも、自分の考えを言える世界に変えねばならない。
世界は歪を抱えて回っている。
そのことに、気づいてしまったのだから。
自分には、それができるかもしれないのだから。




