ブルーライト 2
「私は、子どもに寄り添うことができる教師になりたいです!」
初任頃の私は、自信を持ってそう答えていた、その言葉が採用試験の決め手になったと思うし、本当にそうなることが「いい先生」になるための近道だと思っていた。
配属先は小さな小学校だった。県道から外れた道を少し進んだところにある、周りからは見えないようになっている静かな場所に校舎があった。けれど、たくさんの木に囲まれた、一日中陽の光が降り注ぐ温かい小学校だった。
長い髪を藤色の髪留めでぎゅっと結び、毎日スーツを着て出勤した。毎日そうすることが子どもたちの手本になると思ったから。立ち姿から子どもたちの手本にならなければと、考えに考えた結果だった。
「おぉ、気合い入ってるなぁ」「毎日大変だと思うけど、無理しないようにね」「勢いも大事だけど、長く走り続けることも大切だよ」
大学を卒業して間もない私を、昨年度からその学校にいる先生方は温かく迎え入れてくれた。
こんな優しい先生たちが、いずれは助けてくれなくなる。そんなことは疑いもしなかった。
「藤岡先生、ちょっといいですか?」
校長先生に呼び出される瞬間は、たとえ思い当たる節がなくても体からじわっと汗が噴き出す。それは大人でも子どもでも関係ない。
校長室に入ると、校長は一枚の紙とボールペンを持って、応接するときに使う少し豪華な椅子に座っていた。ボールペンをノックし続けるカチカチカチカチという音が、校長室の独特な雰囲気と混ざって汗がさらに噴き出す。
「失礼します。いかがしましたでしょうか」
「この間、配布物に『イルカと遊You』ってプリントがあったと思うんだけど、あれどうなったかな。校内締切は昨日だったんだけど」
あ。
五年生が自主的に参加を申し込む、町主催のイベントがあったんだった。確かクラスのほとんどが参加を希望していたはず。私がそれを校長に提出しないと、五年生はそのイベントに参加することができない。
「失念しておりました。書類は揃っています。すぐに持ってきます」
「お願いしますね。でも慌てずに。次から気をつけてね」
教職の現場では、大学で習わなかったことが圧倒的に多い。講義の内容のほとんどが授業の仕方であるのに、職場には大学の講義にはなかった事務仕事の仕方や守らねばならないマナーが壁のように立ちはだかった。一般企業では新人に社内研修やマナー講習が行われるが、教師は初任であっても担任をもつことになる。加えて仕事の進め方や授業の考え方にテンプレートやマニュアルがないから、どれが正解かわからないまま、やらなければならないことだけが押し寄せてくる。みな独自の進め方で仕事をしているせいで、手本が無限にある。
それなのに、正解はないが間違いはある。
そんな初任の誰もがぶつかってしまう荒波に、当然私も飲み込まれた。
藤岡先生、今日は朝礼の日ですよ。藤岡先生、授業の進行速度はどうですか? 学期末までに間に合いますか? 藤岡先生、また提出物の期限切れてますよ。藤岡先生、この間授業をちらっと見せてもらった時のことなんですけど。藤岡先生、教室とデスク、もう少し片付けた方がいいですよ。
教師の仕事の本番は、放課後から始まる。明日のことで一番大事なのは授業を考えることなのに、放課後は些細なのに重要度が高い事務処理に満ちている。期限があったり、子どもたちのための丸つけだったりするから後回しにもできない。結果、授業を考える時間が後回しになる。授業を考える時間は、その事務処理の何倍もの時間がかかる。
藤岡先生、ちょっといいですか?
そう言われるたび、私の体のどこかで、校長先生が鳴らすボールペンのカチカチという音が鳴るようになった。
「毎日スーツでこられてもこっちが困るよな。こっちが手を抜いてるみたいになるよ」「提出物遅れるせいでこっちの監視も厳しくなるんだからしっかりしてほしいよね」「もうちょっと、頑張ってもらわないと」
ミスをしないようにしないようにすればするほど、ミスは増えた。ミスが増えれば増えるほど次第に職員室での風当たりも強くなった。
夜が、怖くなった。
一人で暮らしていると、家の中は驚くほど静かだ。スマホで動画を流さないと、家の中は簡単に静まり返る。かといって動画を見ている暇はない。家に帰っても、やらなければならないことはたくさんある。子どもの個人情報を学校外に持ち出してはならないプライバシーの問題がある以上、持って帰る仕事は必然的に明日の授業のことになる。
早く迷惑をかけない先生にならないと。早く普通の先生にならないと。
こつん、こつん、こつん。
長針の一分が、部屋だと異常に遅く感じる。学校にいるときは光の速さで過ぎ去っていくというのに。
長針が時を刻む音が、シャーペンをノックした時の音と完全に同じだと感じるようになってから、私は夜な夜なブルーライトの向こうにあるSNSに向けて毒を吐くようになった。
「まい先生、ちょっといいですか?」
五年生の中で一番優しいあおちゃんの瞳が、まっすぐ私を見つめる。授業中、自分が言いたい答えがあっても、他の人に譲るくらいあおちゃんは優しい。その優しさと同じくらい、打たれ弱くもある。
あおちゃんの「ちょっといいですか?」にも体が少し反応して汗が噴き出る。
「どうしたの? 何か用事?」
今日は朝から忙しかった。忘れ物をした子がいたから親に連絡したり、休み時間に喧嘩があったり、一人の子が筆箱がないと言ったりしてまともに宿題を見れる時間がなかった。教師の一日は割と緻密に組み上げられている。一つのトラブルがあると、全ての予定に波及する。最悪の場合、授業どころじゃなくなるときもある。
今日の宿題の丸つけを、今日中にやり切らないと、また何を言われるかわからない。どうしても、この休憩時間の間に宿題の丸付けをやりきってしまいたい。
インクのカートリッジを取り替えたばかりの赤ペンから、少しインクが漏れ出す。
「少し聞いてほしい話があって。放課後に聞いてもらってもいいですか?」
放課後———。
学期末は成績をつけなければならない。通知表の先生からのコメント——所見を、一度校長に見てもらわないといけない。その締め切りが今日だったはず。明日ではいけない。今日じゃないといけない。遅れてしまえば、また「藤岡先生、ちょっといいですか?」と言われる。そう言われれば言われるほど、持って帰る授業の準備の量が増える。
寝る時間が減れば、次の日のミスが増える。
どんどん夜が怖くなる。
「うーん、今じゃだめかなぁ」
丸、丸、丸。早くこれを終わらせないと。
「いいんだけど、あんまり誰にも聞かれたくなくて」
丸、バツ、丸。早く、早く、早く。
「うーん、でもほら! 今周りには誰もいないよ?」
バツ、バツ、丸。あ、違う。最後のはバツだ。
早く。早く普通の先生にならないと。他の先生が当たり前にできていること、当たり前にできる先生にならないと。
あれ。私今、プリントなんか見てる場合じゃなくない? 絶対に、子どもの顔を見てなくちゃいけなくない?
藤岡先生、ちょっといいですか? どこかでそう聞こえた気がした。同時に、あの質問も再生される。
あなたは、どんな先生になりたいですか?
私は〇〇〇〇〇〇〇〇〇ができる先生になりたいです!
あれ。私、どんな先生になりたいんだっけ?
「まい先生、まい先生! 大丈夫? 手、怪我したの?」
赤ペンを握っていた右手をゆっくりと開く。掌にはペンから漏れた赤いインクがべっとりと付いていた。
それが、本当の血のように見えた。
*****
こつん、こつん、こつん。
スマホから放たれるブルーライトが健やかに心を蝕んでいく。今から寝るからスマホは見ないと心に誓った瞬間から、結局スマホを見てしまうまでの時間が、一週間前より、一昨日より、昨日より確実に短くなっていっていることが分かる。
三日ほど前から、常夜灯をつけるのをやめた。おかげで監視されているという恐怖は少し和らいだけど、結局暗いのは怖い。常夜灯から逃れることはできたけど、結局常夜灯がないと自分はどこにいるのか、自分でも分からない。
あれから、私は手のひらを血だらけにし続けている。洗っても次の日にはインクがべっとりこびりついて、それでもまた洗って手のひらを血で染め続けている。早く当たり前のことを当たり前にこなせるように。早くみんなと同じように仕事ができるように。長針のようにとにかく前に進めるように。短針に効率的に進めるように。手のひらが血だらけになっても関係ない。痛みがあっても関係なく。
早く。
私は多分、人より要領が悪い。どれだけ注意をしても提出物は遅れるし、ケアレスミスが後を絶たない。SNSで流れてくるADHDの特徴には半分以上当てはまるし、それを自覚しても自分のミスを注意しきれない。授業を考えるのは遅いし、考えたとしても授業中はうまくいかない。そもそもその授業の進め方で合っているのか分からない。子どもの意見を拾って授業を進めたいけど、そんな高度なことはできない。頭の中にあるのはとにかく予定通り進めないと、ということしか頭にない。
早く、早く。
どれだけ工夫を凝らして仕事に向き合ってもダメだと言われる。何をしてもダメと言われるということは、何もかもダメなのだろう。効率よく進むことができない、がむしゃらに進めてもいない。それでもとにかく進むしかない。それが周りから見てどれだけ愚かで格好悪い姿であっても、教壇に立ってしまえばそんなこと関係ない。新人であっても中堅であってもベテランであっても、子どもは等しく私たちを先生と呼ぶのだから。
早く、早く、早く。
私は、仕事はおろか明日に備えて早く眠ることもできない。
時刻は、十一時を過ぎている。今日は少し早めに帰ることができた。それ喜んでしまっている自分が、恥ずかしくて仕方ない。今日だけ早く帰れたということは、裏返せばいつも遅いということなのだから。
こんなにミスをする先生なんて、いらない。AIが先生をすれば私みたいな先生が生まれなくて済むのに。
常夜灯すら消してしまった部屋に、ブルーライトが拡散される。どれだけ部屋を真っ暗にしても、スマホの明かりがついている限り、部屋のどこにも逃げ隠れすることができない。
明日は本当に早く学校に行かなくてはならない。一年前、提出には間に合った成績。当日子どもたちに渡す瞬間になって誤字が見つかってしまった。そういうミスは、なぜか大人より子どもの方が鼻がきく。校長を通しても見逃してしまったミスだったけど、お互いミスを見逃したことより、提出がギリギリになったことを責められた。校閲する時間が少なかったからミスを見逃したのだと言われた。今まで遅れてしまった積み重ねがそうさせたのだろうと理解はできたけど、その日は結局眠ることができなかった。
早く起きて、早く学校に行って、ミスがないか早く確認して、ミスがあるなら早く印刷し直して、万全にしておかないといけない。焦ってする仕事は、結局新たなミスを生む。そうなれば、気づいて直したミスも水の泡になる。何百回も確認したと思うけど、確認すればするほどミスしているような気がしてならない。
この不安を消したい。そう思って、一時間前からブルーライトを眺めている。
この時間なら大丈夫。日付が変わるまであと一時間ある。あと一時間で眠りにつけば、とぅ先生の投稿を見ないで済む。一時間もあれば、睡魔を取り戻すことができる。
夏休み前であっても、SNSの投稿は無限に溢れてくる。明日から業務が楽になるといっても、教師の愚痴が減るわけではない。
ウォーリー@残業時間100時間超過教師 @thomas_over100h
子どもが今日も直しをしないといってごねる。
たくさんあるのが嫌なんだって。明日から夏休みなのに。自分がしなかったんだから、それは自分の責任なのでは? その積み重ねで今の自分があるということに気づいていない。最近の子ども、わからん・・・。
#教師のタスキ
ちゃんみぃ@子どもに夢を与える教師 @chanmii_dream_t
成績の所見全然終わんなーい。ていうか他の自治体は三学期だけ所見を書くところがあるみたいじゃん? 全部そうすればいいのにね。ぶっちゃけ書くこと三回もないしねー。ていうか明日渡さないといけない通知表まだできてないのやばすぎwwwwwwww
#教師のタスキ
こつんと、長針が動き始める音がする。
直しねぇ。やらない子は本当にやらないよね。ちょっとずつしかできないから、どんどん溜まっていくし。でも、案外枚数決めたり、時間を決めたりするとすらすら進む子もいたなぁ。目の前にある量が多すぎるから億劫になっているだけの子もいるよね。
初任の頃、所見全然書けなかったなぁ。学期中に書き溜めておくなんて器用なことできなかったし。でも、案外所見のお手本みたいな本を見ると、「あ、ここに書かれていることあの子やってたなぁ」って思い出すことあったなぁ。本当は、子どものいいところを書き溜めた方がいいんだろうけど。
こつん、こつん、こつん。長針が動く音が部屋に響く。響く感覚が、短く感じる。
スマホの光を自動調整する機能が、ブルーライトをふっと抑える。
あれ。
無限に湧き出る投稿をいくらスクロールしても、いつもならすぐに体内で生成される毒が吐き出されない。
『ウォーリー』の無駄に対立を煽る投稿にも、『ちゃんみぃ』の程度の低い投稿にも、今日だけは投稿の内容と自分の経験が重なる。あのとき苦い思いをした経験が、彼らへの解決策となって湧き出る。
あ、今来るかも。不意な予感ほど、当たるときがある。
とぅ先生 @to_sensei_edu
いよいよ学期末ですね! 怒涛の一学期ももうすぐ終わり! 出張や校内研修、もしかしたらプールをやる学校もあるかもしれませんが、ここを踏ん張れば夏休みです! 子どもたち自身も気持ちよく夏休みに入れるよう、あと一週間を意味のあるものにしましょう。
【学期末に時間が余っているならやっておきたいこと八選】
・これまでの復習
・お楽しみ会
・みんなで記念撮影
・教室の大掃除(学校単位で取り組むところもあるかも!!
・席替え
・二学期の係や当番決め
・振り返り(学習面・生活面)
・二学期の目標を考える。
#教師全体でいい授業を
#教材はみんなのもの
#少しの工夫で明日を楽に
いつもより早い時間に投稿されたとぅ先生の投稿が、弱くなったブルーライトを通して目に沁み込んでくる。
みんなの気が抜けがちになる学期末に、ミスが増えないよう訴えかける投稿。自分の仕事はいつやっているのかと心配になる短針の仕事。当たり前だけど忘れがちになる、先生がやらなければならないことに、とぅ先生はいつも旗を立ててくれる。
これ、全部私が今週やったことだ。
いつか何かの本で読んだことがある。長針と短針は進む速さが違う。それぞれのペースで進む。その長針と短針の特徴は社会で働く人々と似ているが、そもそも時計自体が社会の構造と似ている。すべての歯車が噛み合わなければ時計———組織として機能しなくなる。長針は努力、短針は結果。努力をしていれば、いつか結果に結びつく。長針は一時間に一度、短針に追いつく。
長針と短針は、十一時だけ重ならない。
どれだけがむしゃらに突き進んだとしても、うまくいかない瞬間がある。それが人生においての『十一時』なのだという。どれだけ効率的に進んでも、どれだけ距離を稼いでも、努力と結果が結びつかない暗がり。本人の優秀さに関わらず、長針と短針が重ならない瞬間は、どんな人間であっても訪れる。
努力と結果は、必ずしもイコールでつながるわけではない。コスパのいい努力が結果に結びつくことがあれば、その逆があることも覚悟しないといけない。
しかし、時計は時計だ。一日に二度、長針と短針が重ならなかったとしても、針は進む。十一時を超え
れば、十二時になって、十二時から先はまた、一時間に一度針が重なる。夜はいずれ明けるように。どれだけ眠くなくても、いずれは眠り落ちているように。長針と短針はいずれ重なる。どれだけ前に進もうとしても進めない時があれば、進めないと思っていても意外と進めている時だってある。
自分には何も身についていないと思っていた。何もできないとダメ出しをされ続けた結果、自分で自分にレッテルを貼るようになっていた。それに間違いはない。私は多くを間違えて、多くを身に付けないまま進んでしまっている。けれど多くを身につけていないからといって、何もみにつけていないわけじゃない。ぼろぼろの身体の中にも、一つくらい輝くものがあるかもしれない。
そして、その輝きを頼りに、ぼろぼろに自分を脱ぎ捨てていけば、いつかはすべてが輝く自分になっているのではないか。怒られ続けた自分を脱ぎ捨てれば、いつかは自分で自分を先生だと受け入れられる日もくるのではないか。
自分を成長させるために新しいものを次々に付け足すことと、今まで自分が身に付けてきたものは何なのかふり返ることは、努力の尺度としては同じなのかもしれない。
今手元にあるものは何なのか。見つけたものを宝石とし、高く掲げることもまた、成長と呼べるのかもしれない。
こつん、こつん、こつん、こつん、こつん。長針が澱みなく歩みを進める。間隔は正しく、一定に流れている。
ブルーライトを少し強め、SNS投稿画面を開く。文字を打ち込みながら、私の中には本当の安堵に満ちていた。
偽物の長針を見ながら、自分はこれより長針だと安心していた昨日までの自分。先生は子どもの手本にならなければならないというのに、人目を憚らない先生たちの投稿を見て毒を吐いていた私は、その人たちと同じ価値観を持って仕事をしている。
F・M @f_m_1024_edu
みなさん、一学期お疲れ様でした。四〜七月は毎年のことながら忙しいですよね。夏休みもどうせ校内研修と出張ばかりだと思いますが、しっかり体を休めましょう。とりあえず明日! 何事もなく子どもたちを夏休みに送り出しましょう!
#少しの工夫で明日を楽に
時刻はもうすぐ、十二時を指そうとしている。
机の上には、格安で買ったアロマディヒューザーと、今まで担任をもった子どもたちと撮った写真が並んでいる。ベッドから体を起こし、おもむろにアロマディヒューザーの電源を入れる。金木犀の香りをのせた水蒸気が、ゆらりとうねりながら部屋中に香りを届ける。
スマホをベッドに置いたまま、髪の毛を高い位置で結ぶ。藤色の髪留めが、夜空の色と完全に一致する。
自分だけは、自分を褒めてあげないと。自分にも何かが身についていると自覚できたとき、夜が少しだけ、怖くなくなった気がした。
明日で一学期が終わる。長い長い夏休みが始まる。でも、少しでも、二学期の準備、しておこう。家でも、パソコンがあれば仕事ができる。
そう思って、私はパソコンの電源に指を置いた。




