ブルーライト 1
夜が怖い、と思うようになったのはいつからだっけ。
常夜灯の仄かな灯りが、ゆっくりと天井から降ってくる。部屋のありとあらゆるところが常夜灯の陰になっているというのに、私だけはくっきりとその灯かりに照らされている。まるで私だけを監視するように、ベッドの上でもがく私のことだけは目を離さないでいる。普段部屋の中を真っ暗にしないよう優しく包み込んでくれていたはずの灯かりが、近頃は目玉に見えて仕方がない。
–––––藤岡先生、ちょっといいですか?
校長の言葉が脳内で再生される度、黒板を引っ掻いた時の音のように、一瞬全身の毛穴から汗がじわっと噴き出す。私を監視する常夜灯から降ってくる光と一緒に、校長の声も降ってきているようで眠れない。常夜灯から降ってくる光が、職員室で注がれる視線と似ていて眠れない。
眠れない夜が、怖くて仕方ない。明日が怖くて仕方がない。
頭の上で充電されているスマホが、ぶっと震えて光る。無意識にスマホに伸びていく右手を、左手が制する。
十二時。長針が短針に追いつき、もうすぐ日付が変わろうとしている。もちろん、明日も仕事だ。早く眠らないと、明日の身体が正常に動いてくれない。夜更かしは、充電二十パーセントをきったスマホを充電しないのと同じだ。動くことはできるけど、省エネモードで動かなければすぐに電池がなくなる。
こつん。暗くて静かな部屋に、時計の針が時間を刻む音が響く。
長針と短針は、それぞれ進む速さが違う。六十分という長い距離を進む長針と、五歩進むだけで一時間を刻む短針。時計の針は、どこか教師と似ている。教師には、がむしゃらに進めば進むほど、しっかりと力をつける長針のような教師と、ありえないほど効率的に進む短針のような教師の二種類がいる。
もちろんどれだけ頑張っても一向に実力がつかない教師もいれば、若い頃から先生と呼ばれて鼻だけ高くなる教師もいる。
多種多様な先生が入り乱れても、職員室は何千何百の部品が複雑に機能し合う時計のように回る。時計の部品には、全てに意味がある。それは欠陥品とて同じだ。欠陥品は、弾かれることに意味がある。
私が教員としてこの町で採用されて、もうすぐ三年が経とうとしている。初任のうちは、短針のように小さな歩幅で大きく進めるなんて考えてはいけない。驕らず、まずはたくさん歩いて距離を稼ぐ長針にならなければ、と思うことが大切なんだと言い聞かせてきた。
今の私は、短針はおろか、長針のように進むこともできてない。
私は、私が思うような教師として進めていない。
ベッドの上で数度、体をぐるんと捻らせる。捩じるたびに、半分しか乾かさなかった長い髪が、首に巻き付いてくる。ベッドのどこでで寝転んでも、ベッドが強く私を押し返しているような気がする。
教員を続ける上で最も必要な能力は、学力ではなく紛れもなく体力だ。授業力なんてもの一長一短で身につくものじゃない。地道な努力をこつこつと続けられる、確かな土壌が必要であり、そのために体力が必要なのだ。大学の教授にそう教わって買った低反発のベッド。沈み具合が絶妙で、私の全てを柔らかく包み込むそれは、綿飴のように甘い睡眠を与えてくれる夜の必需品だった。
今は、私を捉えて明日へ強制的に送り込む檻になっている。
眠れない夜は、とにかくネガティブが加速して仕方がない。
スマホが、また明るくなってぶるっと震える。さっきより、見たい、という気持ちが抑えられなくなる。多分、画面にはフォロワーたちが投稿をした、という通知が来ているはず。スマホの画面の向こう側にある、私より進むことができてない偽物の長針。自分は教師として大成していると勘違いしている教師。それが見たくて仕方ない。
確かめたい。私が今どれだけ進んでいるのか。一時間で六十歩進むことができる長針になれているのか。ありえない効率で進む、短針に近づけているのか。私は、教師としてヒエラルキーのどの辺にいるのか。確かめないと眠れない。
でも。
眠ってしまえば『明日』が『今日』になってしまう。『明日』が『今日』になれば、また『今日』を生きなくちゃならなくなる。どれだけ『今日』を一生懸命丁寧に生きても、必ずどこかでボロが出る。ボロが出ればまた、「藤岡先生、ちょっといいですか?」と言われる。そう言われた回数が多ければ多いほど、また今日眠ることができなくなってしまう。
また一つ、夜が怖くなる。
眠りたいと眠りたくない。スマホを見たいと見たくない。相反する気持ちを行ったり来たりすればするほど、頭はどんどん冴えてゆく。その分、不安も大きくなる。
あぁ、だめた。
こうなったらもう、あの世界を覗かないと安心できない。
スマホを充電コードから引きちぎって、鼻に当たりそうになるまでスマホを顔に近づける。
常夜灯に慣れた目が、スマホの冷たいブルーライトで灼かれていく。
寝る一時間前からスマホは触らない、というルールを破っても、私の心は安堵で満ちていた。
*****
ウォーリー@残業時間100時間超過教師 @thomas_over100h
学校の宿題より、習い事を優先させる親ってどうなん? 習い事は自分で始めたプラスαの要素でしょ? そんなのって大体親が始めさせたものなんだから、親がきっちり管理してやれよな。みんなはどっち派? 宿題? 習い事?
#教師のタスキ
ちゃんみぃ@子どもに夢を与える教師 @chanmii_dream_t
初任のレポートめんどくさすぎぃ。学校のことで手いっぱいなんだからさぁ、やること増やさないで欲しいよねぇ。ていうかそのレポート白紙で出してやったwwwwwwwwwww
この投稿は一時間後に消しまーすwwwwwww
#教師のタスキ
F・M @f_m_1024_edu
一週間前にやった公開授業、失敗はしたけど自分なりにはやりたいことをうまく詰め込めた。と思ってたけど、他の先生はそんなふうに思ってなかったみたい。また、どこが悪いか言われるだけで、どうすればいいのか教えてもらえなかった。あとは自分で考えろだって。どうせ自分もどうすればいいのかわからないんでしょ。教師ってそんな人ばっか。
#教師のタスキ
スマホを握りしめてから、百年くらい経った気がする。でも、もしかしたら一秒も経っていないのかもしれない。
時刻はもうすぐ、深夜一時になろうとしている。このまま眠らなければ、「明日」が来ることはない。眠るのが怖いなら眠らなければいい。馬鹿の大学生みたいな考え方だけど、そう思うことで今の私は救われている。
文字通り無限に湧き出てくるSNSの投稿を次へ次へと指で送り続ける。そうしている間だけ、私は『明日』を思い出さないでいられる。さっきまで私を閉じ込めていたはずのベッドも、スマホをスワイプしている間は綿飴みたいにふわふわに戻る。けど、本物の綿飴のように少しベタついている気もする。
こつん、と長針が音を鳴らして、正確に一分を刻む。
#教師のタスキ。SNSに突如出現したハッシュタグが、教師界隈で物議を醸している。
本来は、これから教師を目指す大学生に向けて、現職の教師が夢や希望を語ったり、今のうちにできることを発信したりするハッシュタグとして、一年ほど前から誰かが始めた取り組みだった。研修もなく、初任でもいきなり担任を持たなければならない教職の現状を憂いたその人が、少しでも新卒がいいスタートを切れるように、現職の教師たちが知識を発信するハッシュタグだ。初めは純度の高い善意からくる取り組みだったはず。けれど、蓋を開けてみれば、そのハッシュタグの箱に入っていたのは職場への愚痴や、教職の現状への憤りばかりだった。
これが教師界隈だけではなく、SNS全体でも少し話題になった。これらの投稿を見た人は、一般企業からかけ離れた、古臭い職場環境に難色を示してくれ、このハッシュタグに同情の声が多く寄せられた。けれど、それと同じくらいの量の批判の声もあった。
教職のことはよくわかんないけど、見てたら結構子どものパーソナルな情報多くないか? 見る人が見たら誰のことかわかると思うんだが・・・。#教師のタスキ
子どもの前に立って話す言葉遣いじゃない。SNSっていうからリアルから離れた空間で喋ってるつもりかもしれないけど、こんな先生はきっと現場でもこういう態度が出てる。#教師のタスキ
客観的に見たつもりだったけど、どれも一般社会では通用しない文句ばかりだった。先生には基本感謝しているけど、自分の子どもの担任がこうだったら黙っていられないなぁ。#教師のタスキ
現職の教師の思いが、これからの教師の卵たちに。連綿と受け継がれてきた知識と技術が後世にも受け継がれるように。少しでも、教育界が良くなるように。繋ぐ意味を込めて名付けられたタスキにかかっていたのは、人の醜いところばかりだった。
腕が疲れてきたので、反対の方向を向く。生乾きの髪が、また首元に巻き付く。
習い事も宿題もどっちも大事じゃん。SNSを使って問題提起してるつもりかもしれないけど、結局は愚痴を言いたいだけなのが見え見え。どうせ親に「おうちで宿題やってますか? 宿題の調子が悪そうなんで心配で」っていう確認の連絡もしてないんでしょ。この『ウォーリー』って人、プライド高そう。
初任のレポートは私もやったけど、私はちゃんと期限の一週間前に提出したもんね。確かにやることが一つ増えるのは面倒だけど、やらなきゃいけないことはちゃんとやらないと。初任研で書いたレポートも貰った資料も、結構今でも役に立つことも多いのに。この『ちゃんみぃ』って人よりは、いい先生になれてるかも。
裏でこんなにも悪態をついた投稿してる人たちが、明日には子どもたちの前で授業してるなんて考えられない。裏でも表でも、ちゃんとしているのが先生でしょ。
スクロールするたびに現れる投稿に対して、毒を一つ投げつけるたび、体に眠気が一つずつ戻ってくる気がする。教師の教師らしからぬ投稿をみるたびに、自分はこれよりもマシだと思える。だから、眠る一時間前のスマホの使うことがいくら睡眠に影響を与えると言われようと、私はこれを精神安定剤、睡眠導入剤にすることをやめられない。
私は、SNSで悪態をつくことが教師の世界のためになっていると勘違いしている、偽物の長針ではない。短針にはなれなくても、長身のようにぐんぐん進めてはいないけど。時計の中の端っこの小さな部品くらいにはなれている。そう思えば思うほど、体に眠気が戻ってくる。
こつん、と音がする。一分前に同じ音が鳴っているはずなのに、もうずっと前に鳴ったように感じる。
次の投稿を見たら、その次を見たらスマホを閉じよう。そう自分に言い聞かせながらも、スクロールやめることができない。止めようとしているけれど、多分本当にやめるつもりはない。明日が来る、という恐怖に対して、無限に湧き出る投稿はあまりにも甘くて、深夜のケーキと同じくらい罪悪感があってひどく中毒的だ。
でも、いい加減にしないと、そろそろ『あれ』が出てくる。『あれ』が出てくると今まで毒を吐いて積み上げてきた眠気が、一気に霧散してしまう。
今から宿題をしよう、と思った時に限ってお母さんに「宿題しなさい」と言われるときがある。あと一つだけ投稿を見たらスマホを閉じよう、と思った時に限って、『あれ』がくる。
とぅ先生 @to_sensei_edu
授業のベクトルは教師→子どもではなく、子ども↔子どもです。我々はよく、「教える」ということに固執しがちになりますが、大切なのは子どもたち同士が「教え合う」ことです。「学ぶ」という行為に「教え合う」という行為も含まれていると思います! そのための対話活動例をまとめました! 明日の授業の参考にぜひ!
[https://note.com/to_sensei_edu/n/n2026t83]
(https://note.com/to_sensei_edu/n/n2026t83)
#教師全体でいい授業を
#教材はみんなのもの
#少しの工夫で明日を楽に
あぁ、やってしまった。今まで必死にかき集めた眠気がどこかへ飛んでいく。
藤岡先生、ちょっといいですか?
校長の声が常夜灯から降ってくる。画面の向こうに投げたはずの毒が自分の口に放り込まれる。
こつん。長針が動く。またさっきより遅く感じる。
とぅ先生。フォロワー数六十四万人の小学校教師。メディアに出たことはないけど、おそらく日本で一番有名な小学校教師だ。深夜になると、決まって明日すぐに使える教材や技術をSNSに投稿してくれる。夜遅くまで仕事に励んでいる先生に少しでも早く休んでもらえるように、深夜の投稿を続けているらしい。
実際とぅ先生の投稿はとても役に立つ。あと少しの工夫があれば授業が格段に良くなるのに、という悩みを投稿一つで解決してくれる。先生たちが手軽に取り組むことができて、子どもたちも興味を持ってくれる楽しい技術が、とぅ先生のアカウントにはたくさん保存されている。とぅ先生の投稿のおかげで、早く帰ることができた夜が、星の数ほどある。
SNSで有名なとぅ先生も、日中は私たちと同じ授業をする同じ先生のはず。優秀な先生であり、その分残業もたくさんしているだろう。それなのに、夜は顔も知らない先生のために身を粉にしている。この人は、長針のように教師としての時間をたくさん使ってたくさん進むことができるし、忙しい中でも普通に生活できるくらい短針のような効率も持っている人だ。
きっと、『あの質問』の答えを忘れたことなんて、一度もないんだろう。
でも、私が今見たいのはそういう正しく構築された時計ではない。私は、一歩間違えれば教育界全体を揺るがしかねない異分子が見たい。投稿していることがばれれば、一発で何らかの処分が下されそうな欠陥品が見たい。長針でも短針でもない、組織の時計の部品から逸脱したエラーが見たい。
———いつから私は、赤の他人を必要としなければ、自分の存在価値を理解できなくなってしまったんだろう。
少なくとも、あの頃の私はそんなことはなかった。『あの質問』に即答できていた新人の頃の私なら。根拠はなくとも、教師としてしっかり自分の足で歩いていく自信があった頃の私なら。
あなたは、どんな先生になりたいですか?
あの時、私はその質問になんて返したのか、思い出すことができない。




