第8話:毒を盛る手と、癒す手が同じなら
夜が更けても、薬房の灯りは消えなかった。
わたしは帳面を前に、指を止めない。ぶり返した患者たちの名、倒れた日、聖女に「癒された」日、そしてまた崩れた日。ばらばらだった紙片を、一枚の表に並べ直していく。
(魔法は、その場で光る。わたしのは、帳面に積もる。……でも、積もった記録は、嘘をつかない。)
カミラ。ヨナス。メルダ。三人の日付を横に揃えると、揃いすぎていることが、目で見えた。
倒れて、癒され、きっちり七日でまた倒れる。まるで誰かが暦を見ながら、匙で量って毒を継ぎ足しているみたいに。
「先生、これ……全部おんなじ形してる」
覗き込んだトビアスが、素直に驚いた声を上げた。九つの子の目にすら、その規則正しさは異様に映るのだ。
「そう。病は、こんなに行儀よく並ばないの」
わたしは銀の薬匙を、三人分の吐しゃ物を拭った布の上にかざした。祖母の形見の匙は、銀泪の痕に触れるたび、白く曇る。三度、同じように曇った。
(同じ毒。同じ間隔。同じ手。……これは、偶然が三つ重なったんじゃない。仕組みなの。)
ニナが、湯気の立つ器を運んできてくれた。
「先生。カミラさんも、ヨナスさんも、メルダさんも、証言してくださるそうです。『聖女さまに治していただいたのに、また倒れた』と、はっきり」
「……ありがとう。三人が口を揃えてくれるなら、それは、もう噂じゃない」
わたしは帳面の最後に、太く一行を引いた。
——症状、日付、匙の曇り。三つが指すのは、ひとつ。
(魔法の光は消える。けれど、記録と、証言と、この匙の曇りは、消えない。これが、わたしの武器。)
けれど、と冷えた声が胸の奥で言う。
(証拠を握ったところで、わたしは無位無官の薬売り。聖女を、公の場で問い質す立場なんて、どこにもない。)
帳面を閉じたとき、戸が低く鳴った。
夜気とともに入ってきたのは、灰色の瞳をした長身の男だった。近衛騎士団長にして、王弟ジークフリート。この薬房の、いまや数少ない後ろ盾。
「まだ起きていたか」
「あなたこそ。……騎士団長は、夜が暇なの?」
「暇ではない」ジークはわずかに口の端を上げ、それからわたしの帳面に目を落とした。「進んだのか」
わたしは表を見せた。彼は、光る奇跡を信じる男ではない。日付と数字を、指でゆっくりと追っていく。
「癒しては、また七日で崩す。……これを、人が仕組んだと言うんだな」
「証言も、匙の痕もあります。でも」わたしは首を振った。「わたしには、聖女を問える立場がありません。薬売りが何を並べても、『妄言』の一言で片づけられる」
ジークはしばらく黙って、灰色の瞳を伏せた。
そして、ひどく静かに言った。
「陛下には、俺が話す」
わたしは顔を上げた。
「……王弟の名で、ということ?」
「近衛騎士団長として、だ」ジークはまっすぐにわたしを見た。「王都で毒が続いている。民が倒れ、癒され、また倒れる。近衛が動く理由としては、じゅうぶんだろう。……お前は、いつも通り、真実だけを並べればいい」
その言葉は、飾りがなさすぎて、かえって胸に刺さった。
(この人は、わたしの手が穢れているとは、一度も言わなかった。薬草に触れる手を、汚らわしいとも。……ただ、真実を並べろと言う。)
「陛下が、動いてくださると思う?」
「聖女の真偽を検める場を、俺が願い出る」ジークは言った。「御前検分だ。陛下の御前で、聖女の『癒し』が本物かを検める。……逃げ場のない場所に、引きずり出す」
御前検分。その四文字が、薬房の空気を変えた。
(公の場。……わたしの帳面が、初めて陽の当たるところに出る。)
だが、事はすんなりとは運ばなかった。
翌々日、王城の一室に呼ばれたわたしを待っていたのは、王太子エーミールの怒声だった。かつての婚約者は、玉座の間の隅で、顔を赤くして王弟に食ってかかっていた。
「叔父上、正気ですか! 薬売りの女の妄言のために、聖女を——オリヴィアを、疑いの場に立たせると仰るのか」
「疑いを晴らす場でもある」ジークは動じない。「聖女が本物なら、検分は何よりの証明になる。なぜ、拒む」
エーミールは言葉に詰まった。見栄えと感情で真偽を判じるこの人には、数字も日付も届かない。届くのは、聖女の潤んだ瞳と、続発する毒事件が民のあいだで囁かれはじめた、その不穏な噂の重さだけだ。
(庇いたいのね。でも、庇いきれない。街が、もう気づきはじめているもの。)
玉座の奥から、低い声が落ちた。
「——よい」
国王だった。長い沈黙のあと、陛下は疲れた目でわたしたちを見渡した。
「王都で民が倒れ続けているのは、事実だ。聖女の癒しが真であれ偽であれ、一度、公に検めておくがよい。エーミール、聖女には、御前に出るよう伝えよ」
「陛下……!」
「これは、王家の名にかかわる話だ」
エーミールは唇を噛み、それ以上は言えなかった。
こうして、正式に場が設けられた。
わたしは廊下に出て、抱えた帳面をそっと胸に押し当てた。この一冊に積もらせた、名も、日付も、匙の曇りも、ぜんぶ——ようやく、陽の当たる場所へ出る。
隣に並んだジークが、前を向いたまま言った。
「怖いか」
「いいえ」わたしは答えた。「やっと、正面から向き合えるんです。魔法の光じゃなく、事実で」
(毒を盛る手と、癒す手が、もし同じものなら。……その手を、みんなの前で開かせてみせる。)
窓の外、王城の尖塔が、夕陽を鋭く弾いていた。
——陛下の御前で、聖女の癒しを検分する。
決戦の場は、整った。わたしは静かに、胸の奥の火に、息を吹きかけた。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。リーゼの「積もらせた記録」が、ついに陽の当たる場所へ——ジークが後ろ盾となり、御前検分の場が正式に設けられました。次話はいよいよ、陛下の御前での公開対決です。魔法の光と、リーゼの帳面。どちらが真実を映すのか。
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