第7話:癒しの奇跡には、順番がありました
卓の上に、帳面と、ジークフリートが集めてきた紙片が広げられていた。
薬房の窓には板を打ちつけ、明かりは蝋燭ひとつに絞っている。灰色の瞳が、燭台の炎を映して揺れていた。無口なこの人は、必要なとき以外、口を開かない。けれど今日は違った。
「三人分、教会の施しの記録から写してきた」
彼が指で押さえたのは、聖女オリヴィアの「癒し」を授けた日付の一覧だった。
わたしは自分の帳面と、それを並べた。
カミラ。ヨナス。メルダ。三人の名の横に、倒れた日と、癒された日と、また倒れた日が刻まれている。
「順番に、並べてみましょう」
指で日付をなぞる。倒れる。翌日、聖女が現れて癒す。七日ほど、快復する。そして——判で押したように、また倒れる。
「ジーク、気づいた?」わたしは声を落とした。「癒しが、いつも“発症のすぐ後”に来ている」
彼が眉を寄せた。
「たまたまではないのか」
「三人とも、倒れた翌日に、聖女が“通りかかった”の? 施しの巡回は十日に一度のはずよ。なのに、この三人のときだけ、都合よく居合わせている」
わたしはようやく、その形を口にした。
(先に、誰かが毒で倒す。そのあとで、聖女が癒して見せる。……順番が、決まっているのよ。)
癒しは、症状を消す。だから毒で倒れた者の痺れも、熱も、すっと引く。人の目には、奇跡と映る。倒れた者が立ち上がり、涙を流して聖女を拝む。噂は羽が生えたように飛び、信心が集まり、賽銭が積まれる。
けれど毒そのものは、体に残る。銀泪は蓄積毒——少しずつ溜まり、次の一盛りで、また牙をむく。だから同じ症状で、必ずぶり返す。
「奇跡じゃないわ」わたしは紙片を握った。「毒を盛る手と、癒す手が、繋がっているのよ。誰かがこの三人に毒を仕込んで、聖女がそれを消して回っている。倒す係と、治す係で」
ジークフリートが、低く息を吐いた。
「聖女が、自分で毒を盛っていると?」
「いいえ。……あの人の手は、たぶん癒すだけ。毒を渡している“別の誰か”が、いる」
言ってから、背筋が冷えた。
オリヴィアひとりの悪知恵にしては、毒の選び方が正確すぎる。銀泪の量、盛る間隔、発症の頃合い——どれも、毒を知り尽くした者の仕事だった。聖女の後ろに、顔の見えない手がある。その手が誰なのか、今はまだ、影さえ掴めない。
(この人は、駒。……盤の向こうに、指し手がいる。)
「まだ、公にはできないわ」わたしは帳面を閉じた。「これは筋が通っているだけ。人前に出せる証しは、この帳面と、曇った匙だけよ」
立証と、告発は、違う。焦って口にすれば、薬売りの世迷い言で片づけられ、逆にこちらが縛られる。
そのときだった。
表で、木の割れる音がした。
板を打ちつけた窓が、外から蹴り破られたのだ。乾いた土間に、男の影が三つ、雪崩れ込んできた。布で顔を隠している。
「トビアス、奥へ!」
叫ぶより早く、ジークフリートが動いた。わたしの前に、背中で壁を作る。灰色の瞳が、燭台の光を斬るように細まった。
「聖女さまの御業に、けちをつける薬売りには、災いが降るのですって」
先頭の男が、覚えたての台詞を吐き捨てた。オリヴィアの、手の者だ。
「帳面と、そこの匙を寄こしな。手荒はしたくねえ」
棚が薙ぎ倒された。乾かしていた兜草の束が、眠り苔の壺が、土間に散る。ニナが悲鳴を噛み殺し、トビアスを抱えて奥へ転がり込む。
「証しを奪えと言われたのね」わたしは帳面を背に隠した。「なら、これがよほど痛いんだわ。あなたたちの主にとって」
男が匕首を抜いた。刃が、蝋燭を映して光る。
ジークフリートが、一歩、前へ出た。
「彼女に触れるな」
いつもの無口が、嘘のように低く、はっきりと響いた。剣の柄に手をかけたその背中は、揺らぎもしない。
わたしは袖の中で、祖母の匙を握りしめた。曇ったままの、銀の薬匙を。
この帳面を渡すわけにはいかない。ここに書かれているのは、三人の患者の命であり、あの“順番”を暴く、たった一つの手がかりなのだ。
男たちが、じり、と間合いを詰める。
燭台の炎が、ふっと傾いだ。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。リーゼとジークが、ついに“癒しの奇跡”の正体——先に毒で倒し、後から癒して見せる自作自演の構造を掴みました。けれどそれを察したオリヴィア側が、実力行使に出ます。証しの帳面を守るジークと、迫る刃。次話、薬房の夜が動きます。
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