第6話:殿下は、剣は強いが毒には勝てない
朝の薬房は、薬草を刻む音から始まる。
わたしは兜草の乾いた根をひとつ、まな板の上で細く裂いていた。遅効の毒だが、正しく煎じれば痛み止めになる。要は匙加減。毒と薬は、境目がひどく曖昧だ。
「リーゼ様、お客さまです」
ニナが戸口から顔を出した。声がわずかに硬い。
(お客、ね。この薬房に、身なりの良い客が来ることなんて、めったにないのだけれど。)
振り返って、わたしは手を止めた。
戸口に、灰色の瞳の男が立っていた。長身を扉の枠に半分あずけるようにして、けれど確かに、自分の足で。
王弟ジークフリート。近衛騎士団長。
半月前、二重の毒に倒れて生死の境をさまよった人が、いま、自分で歩いてここに来ている。
「……歩けるようになったのですね」
「医者に、寝ていろと言われた」
「では、寝ていてください」
「お前の顔を見てからにする」
あまりに平坦な声で言うものだから、わたしは一瞬、返す言葉を失った。
(この人は、こういうことを真顔で言う。冗談なのか本気なのか、まるで判別がつかない。)
「お礼なら、快癒してからで結構です。ぶり返されては、わたしの手間が増えるだけですから」
「……礼が、うまく言えん」
ジークは低くそう言って、視線を落とした。剣だこの目立つ大きな手が、所在なさげに握られたり開かれたりしている。
(本当に、言葉が足りない人。でも、嘘のない人だ。)
わたしは息をついて、竈のほうへ顎をしゃくった。
「立ち話は毒です。座ってください。茶を淹れます」
トビアスが井戸から水を汲んできて、ギルベルト老人が薬棚の奥から素焼きの茶器を出してきた。
わたしは乾かしておいた薬草を、指先で三種、選り分ける。
「これは何の草だ」
ジークが器の中を覗き込んできた。無骨な体を丸めて、子どものように。
「香茅と、金盞花と、乾かした林檎の皮。胃をあたためて、血の巡りを助けます。……毒ではありませんよ、殿下」
言ってから、わたしは形見の銀の薬匙を湯に浸し、器の縁で軽く拭ってみせた。
匙は、曇らない。銀色のまま、朝の光を弾いている。
「祖母の匙です。毒に触れると曇る。ほら、澄んだまま。安心して飲んでください」
「……毒見か」
「毒見です。わたしの茶席には、いつもこれが付きます」
(毒を盛られて婚約を破棄された女の淹れる茶ですもの。これくらいの作法は、当然でしょう?)
トビアスが目を丸くして匙を見つめ、「すげえ……」と小さくつぶやいた。
ニナがくすりと笑い、ジークの前に湯気の立つ器を置く。
ジークは、両手でそれを包むように持った。剣を握るための手が、ひどく慎重に、割れ物を扱っている。
ひとくち。
喉の動く音。
「……あたたかい」
それだけ。けれど、その一言に、半月ぶりに人心地ついた男の実感が、まるごと乗っていた。
しばらく、竈の火の爆ぜる音だけがあった。
やがてジークが、器の中を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。
「昔、俺の主に、茶を淹れる者がいた」
「主、ですか」
「先の……いや。俺を拾い、剣を教えてくれた人だ。父のような、な」
言葉が、途切れ途切れに落ちてくる。
「あの人は、茶の席で倒れた。飲んだ茶に、毒が入っていた。誰の仕業かも、わからずじまいだ」
わたしは刻む手を止めた。竈の火が、ジークの横顔を赤く照らしている。
「俺は、その場にいた。剣を佩いて、すぐ横に。だが、何もできなかった。……剣では、茶碗の中の毒は斬れん」
(ああ。——だから、この人は。)
「敵が刃を向けてくるなら、俺は誰にも負けん。だが、毒は姿が見えん。笑って差し出される。俺は、あれ以来ずっと——毒には、勝てないと思っていた」
灰色の瞳が、揺れていた。強い男の底に沈んだ、古い水のような自責。
(この人は、剣で守れなかったことを、ずっと自分の罪だと数えている。半月前、自分が毒に倒れたときでさえ、命より先に、真実を求めた。……その理由が、いま、やっとわかった。)
「殿下」
わたしは、まな板を置いて向き直った。
「毒は、勝てない相手ではありません」
ジークが顔を上げる。
「刃なら、間合いに入ってから斬る。でも毒は、間合いに入る前に見立てるものです。誰が、いつ、どの器に、何を盛ったか。ぶり返しの兆し、匙の曇り、脈の乱れ——兆候は、必ず残る。剣とは別の戦い方があるだけです」
「……別の、戦い方」
「ええ。毒は、正しく見立てれば防げます。あなたの主を殺した毒だって、本当は防げたかもしれない。——遅すぎた、と嘆くより、次を防ぐほうが、よほど供養になりますよ」
言い過ぎたかもしれない、と思った。皮肉屋の悪い癖だ。
けれど、ジークの目は、怒ってはいなかった。
むしろ——何かが、ゆっくりと、こじ開けられていくようだった。
「……毒からも、人を、守れるのか」
「守れます。現に、あなたはこうして生きて、わたしの茶を飲んでいるでしょう」
沈黙のあと、わたしは切り出した。
「殿下。ひとつ、聞いていただきたい話があります」
市井で続く、奇妙なぶり返し。「聖女の癒し」で治ったはずの患者が、日をおいて同じ症状で倒れる。パン屋のカミラ。仕立て屋のヨナス。花売りのメルダ。癒しは症状を消すだけで、身の内に残った毒の原因までは、断っていない。
「そして、あなたの毒も。二重に盛られていた。市井と宮廷——別々のようで、わたしには、同じ手つきに見えるのです」
ジークの表情が、変わった。
自責に沈んでいた男の目に、久しく忘れていたもの――戦う者の光が、戻っていた。
「その連鎖、俺も追う」
「殿下は療養中です」
「療養しながら追う。動ける。お前が診てくれるなら、なおのこと安心だ」
(……この、理屈になっていない理屈。でも、悪くない。)
「わかりました。宮廷はあなた、市井はわたし。見立ては、わたしが」
「剣は、俺が」
差し出された大きな手を、わたしは薬草の匂いのする手で握り返した。
トビアスが「おれも手伝う!」と割り込んできて、ニナが「わたくしもです」と続く。ギルベルト老人が、ふぉっふぉっ、と久しぶりに笑った。
狭い薬房が、めずらしく、あたたかい人いきれで満ちていた。
帰りぎわ、ジークは戸口で足を止めた。
もう空になった茶器のことを、まだ手のひらが覚えているみたいに、その手を軽く握って。
「リーゼ」
「はい」
「お前がいれば、俺は――」
言葉を探して、灰色の瞳が、わたしを見た。
「もう、毒を恐れずに済むのか」
最後まで読んでくださってありがとうございます! ようやくジークが立ち上がり、二人がタッグを組みました。無骨で言葉足らずな殿下の「もう、毒を恐れずに済むのか」——この一言、書いていて筆者の頬もゆるみました。
次話、市井と宮廷をつなぐ「同じ手つき」の正体に、二人はどこまで迫れるのか。溺愛の芽もそっと育ってまいります。
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