表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/14

第5話:治ったはずの人が、また倒れる理由

 その朝、薬房の戸を叩いたのは、三人目の「治ったはずの人」だった。


 パン屋のカミラという女で、頬に脂汗を浮かべ、戸口にすがるようにして立っていた。手足が痺れて力が入らない、と彼女は言った。

「聖女さまの御手で、いちど治していただいたんです。ちゃんと、すっかりよくなったのに」

 それが七日と保たずに、また同じ具合に倒れた——そう訴える顔は、怯えというより、裏切られたような色をしていた。


 わたしはカミラを寝台に横たえ、脈をとった。速く、浅い。舌の裏が、うっすらと青みを帯びている。

(この痺れ方。……知っている。)

 銀の薬匙を、彼女の唇にそっと当ててみる。祖母の形見の匙は、毒に触れると曇る。金属の面が、息を吐きかけたように白く濁った。


「銀泪ね」

 わたしは声に出さず、口の中だけでその名を呼んだ。蓄積毒。少しずつ体に溜まり、あるところで一気に牙をむく、静かな毒だ。


 問題は、カミラが一度「治って」いることだった。


 わたしは奥の帳面を開いた。この十日で薬房を訪れた者の名と、症状と、日付を書きつけてある。祖母に叩き込まれた癖だった——薬師は覚えるな、書け、と。

 仕立て屋のヨナス。花売りのメルダ。そして今日のカミラ。

 三人とも、まず倒れ、聖女オリヴィアの「癒し」で回復し、そして決まって七日ほどで、まったく同じ症状でぶり返している。


「ニナ」

 薬をすり潰していた侍女のニナが顔を上げた。持病を診て以来、この薬房に通ってくれている、数少ない味方だ。

「この三人、住んでいる区は、ばらばらよね」

「ええ。カミラさんは西門、ヨナスさんは川沿い……揃っているのは、聖女さまに癒していただいた、ということだけです」

 ニナの言葉が、みぞおちの奥で嫌な形に結晶した。


(揃っているのは、そこだけ。)


 わたしは帳面の日付を、指でなぞった。

 倒れる。癒される。しばらくして、また倒れる。三人とも、判で押したように同じ間隔で。

 病というものは、こう規則正しくは並ばない。風邪も、腹下しも、人によって出方が違うのが当たり前だ。なのにこの三人は、まるで同じ楽譜を渡された演奏者みたいに、揃って倒れ、揃って持ち直し、また揃って崩れていく。


(まるで——誰かが治しては、また同じ病を、仕込んでいるみたいに。)


 背筋が、すっと冷えた。


 癒しは、症状を消す。回復魔法は熱を下げ、痛みを取り、痺れをほどく。けれど、体に溜まった毒そのものを、外へ流しはしない。だから消えたように見えて、毒は残る。残った毒に、また新しい毒が足されれば——溜まって、あふれて、また倒れる。

 症状を消すのと、治すのは違う。わたしがいつも患者に言うことが、こんな形で証明されるとは思わなかった。


「先生」

 トビアスが、薬草の束を抱えたまま、わたしの顔を覗き込んでいた。九つの、薬師に憧れる下働きの子だ。

「先生、こわい顔してる」

「……そう? ごめんね」

 わたしは帳面を閉じた。まだ、誰にも言えない。これはただの見立て、疑いにすぎない。証拠は、何もない。


 だが、その疑いに——向こうから、答え合わせが来た。


 昼を過ぎたころ、薬房の戸が、ノックもなく開いた。

 透けるような金の髪が、まず光を弾いた。潤んだ瞳、白い喪服めいた聖女の衣。オリヴィアだった。供も連れず、けれど戸口を背にして立つその姿は、まるでこちらを逃がさないための壁のようだった。


「あなたが、リーゼ」

 鈴を転がすような声で、彼女は微笑んだ。目だけが、笑っていなかった。

「聞きましたわ。西門のパン屋の女が、ここに来ていると。わたくしがせっかく癒して差し上げたのに、薬売りの家に転がり込むだなんて。恩知らずなこと」


 わたしは立ち上がり、匙を袖に隠した。曇ったままの、その匙を。

「カミラさんは、また倒れました。あなたに癒された、そのあとで」

「あら。だったら、信心が足りなかったのね」

 オリヴィアは小首をかしげ、いかにも憐れむように睫毛を伏せた。演技だ、と一目でわかる憐れみだった。

「病は、心の弱さから来るもの。わたくしの御業を疑うような者は、何度でも倒れますわ。当然のことでしょう?」


(心の弱さ。……ずいぶん都合のいい理屈ね。倒れることに、理由があるとは、決して言わせないための。)


「症状が、あまりに揃いすぎているんです」わたしは静かに言った。「同じ間隔で倒れて、同じ間隔で治って。まるで、順番が決まっているみたいに」


 その瞬間、オリヴィアの潤んだ瞳から、水気がすっと引いた。

 庇護欲を誘う少女の面が、一枚めくれる。下から現れたのは、こちらを値踏みする、冷たく乾いた目だった。


「薬売り風情が、聖女の御業に口を出すの?」

 彼女は一歩、踏み込んできた。声だけが、まだ甘い。

「穢れた手を、下げてくださらない? 薬草だの毒草だのを弄る、その汚らわしい手で、わたくしの癒しに触れないでいただきたいの」


 わたしは手を下げなかった。袖の中で、曇った匙が、指に冷たかった。


 オリヴィアが去ったあと、薬房には、香の甘い匂いだけが残った。

 ニナが不安げにわたしを見る。トビアスが、それでも心配そうに袖を引く。わたしは帳面をもう一度開き、三人の名の下に、新しく一行を書き足した。


 ——この“癒し”には、隠された順番があるのではないか。


(治しては、また仕込む。……もしそうなら、この人は、患者を救っているんじゃない。飼っているんだわ。)


 匙の曇りは、拭いても拭いても、消えなかった。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。リーゼがついに“癒しの正体”の輪郭に触れ、オリヴィアが牙をむきました。「治しては、また仕込む」——この規則性の裏に、いったい誰の手があるのか。次話、リーゼは疑いを確かめるために、危うい一歩を踏み出します。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価(★)で応援していただけると、とても励みになります。続きでお会いできますように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ