第4話:症状を消すのと、治すのは違います
朝の薬房は、湯気と草の匂いで満ちている。
わたしは乾いた眠り苔を選り分けながら、窓の外を眺めていた。王都の外れ、祖母の遺した小さな薬房。ここに戻ってまだ数日だというのに、戸を叩く人が、少しずつ増えている。
「お姉ちゃん、これなに! この草、なんて名前?」
声のした方を見れば、痩せた男の子が、棚の籠に顔を突っ込んでいた。宮廷の下働きだという、トビアス。九つだと言っていた。使いのついでに、いつの間にか薬房の常連になっている。
「それは眠り苔。眠れない人に、ほんの少しだけ使うの」
「ほんの少し?」
「ええ。たくさん使えば、二度と目を覚まさない。……薬と毒は、量で決まるのよ」
トビアスは目を丸くして、それから、宝物でも見るように苔を覗き込んだ。
(この子は、匙加減を聞いた。……筋が、いいのかもしれない。)
「リーゼ様」
入り口から、遠慮がちな声。侍女のニナだった。二十歳そこそこの、青白い顔をした娘。先日、癒しでは引かぬ胸の痛みをわたしが取ってから、こうしてときどき顔を出す。
「今日は、お薬ではなくて……お連れした方が」
ニナの後ろから、初老の女が、足を引きずるようにして入ってきた。
「靴屋の、女房でございます」女は震える声で言った。「膝が……ひと月前、聖女様に癒していただいたんです。痛みも腫れも、その場で嘘みたいに引いて。……なのに、また」
「また、腫れてきた」
わたしが引き取ると、女は縋るように頷いた。
「それも、前より、ひどく」
(——癒されたのに、ぶり返す。それも、悪化して。)
わたしは女を腰掛けに座らせ、膝に触れた。熱がある。腫れて、ぶよりと湿っている。指で押すと、女が息を呑んだ。
「痛むのは、朝がひどいでしょう。動かしはじめが」
「は、はい。なぜ、それを」
「膝の中に、悪いものが溜まっているからです。……水と、膿と」
わたしは女の膝を、指の腹で、そっとたどった。熱の集まる場所を探す。祖母は言っていた。毒は隠れるのが上手いが、体は、必ずどこかで白状する、と。
「祖母が、教えてくれたんです」ぽつりと、口をついて出た。「痛みには、意味がある。それを消すだけでは、体の声を、握り潰すのと同じだと」
女は、きょとんとしていた。けれど、わたしはもう、女を見ていなかった。
わたしは銀の薬匙を取り出した。祖母マティルダの形見。膝の縁に、そっと当てる。
匙が、うっすらと曇った。
(膿だけじゃない。……古い傷が、化膿して、毒を持っている。)
「聖女様の癒しは、たしかに痛みを消したのでしょう。腫れも、その日は引いた。——でも」
わたしは顔を上げた。ニナも、トビアスも、息を詰めてこちらを見ている。
「消えたのは、顕れだけ。膝の奥の膿は、そのまま残っていた。痛みという“報せ”を止められて、あなたは膝をかばうのをやめた。だから、余計に悪くなったんです」
女の顔から、血の気が引いた。
「症状を消すのと、治すのは、違います」わたしは静かに言った。「癒しは、痛みに蓋をする。……でも、蓋の下で、毒は育つんです」
「……で、では、あたしの膝は」
「治せます。時間はかかりますけど」
わたしは立ち上がり、棚へ向かった。膿を出す膏薬。腫れを引く冷やし草。そして、化膿の芯を断つための、苦い煎じ薬。手が、勝手に草を選んでいく。
「トビアス。乳鉢を、こっちへ」
「う、うん!」
男の子が、目を輝かせて駆けてきた。わたしは薬研を挽く手を止めずに、選んだ草の名を、ひとつずつ教えてやった。膿を吸い出す草。熱を散らす葉。芯を断つ、苦い根。トビアスが、口の中で復唱する。忘れまいと、必死な顔で。
「早く挽かないと。膿は、放っておくと、じわじわ広がるの。骨まで届けば、もう膝は動かなくなる。……だから、これは、時間との勝負」
「じ、時間の、勝負……!」
トビアスが、真剣な顔で乳鉢を押さえた。ニナは、女の背をさすりながら、じっとわたしの手つきを見つめている。
「ニナ。あなたも、覚えておいて」わたしは言った。「もし、あなたの胸がまた痛んだら、どの草を煎じればいいか。……いつまでも、わたしがそばにいられるとは限らないから」
「……はい」ニナの声が、少し掠れた。「はい、リーゼ様」
膏薬を膝に貼り、包帯を巻く。冷やし草を添える。それだけで、女の張り詰めた顔が、少しほどけた。
「明日には、膿が出はじめます。臭いますし、痛みも戻る。……でも、それは、治りかけの証。逃げていた原因が、外へ出てくるんです」
「痛みが、戻るのが……治る、証」
女は、その言葉を噛みしめるように繰り返した。癒しの奇跡とは、まるで逆の理屈。けれど、腑に落ちる顔をしていた。
「――ありがとう、ございます。あんな、痛くて怖い膝を……あなただけが、ちゃんと、見てくださった」
女が去ったあと、ニナがぽつりと言った。
「わたしの胸の痛みも、そうでした。癒していただいても、幾日かすると、また。……でも、リーゼ様のお薬にしてから、戻ってこないんです」
わたしは答えず、ただ、薬匙を布で拭った。曇りは、もう消えている。
(癒しは、光。……でも、光は、影を消すだけ。影の下のものは、消えはしない。)
「ねえ、お姉ちゃん」
トビアスが、乳鉢を抱えたまま、首をかしげた。
「聖女様って、すごい人なんだよね。宮廷のみんな、言ってる。なのに……なんで、治らない人が、いるの?」
無邪気な問いだった。
けれど、その問いは、わたしの胸の奥を、小さく刺した。
(そう。……なぜ、治らない。一人や二人じゃない。膝の女房も、ニナも。)
「わたしにも、まだ分からない」わたしは正直に答えた。「でもね、トビアス。分からないことは、調べるの。それが、薬師のお仕事」
その夜。
寝台で身を起こせるまでに回復したジークが、湯気の立つ茶を、ゆっくりと口に運んでいた。毒を恐れず飲めるようになった、その一杯。
「……市井の患者を、診ているそうだな」
「ええ。今日も、聖女の癒しで治ったはずの人が、ぶり返して来ました」
ジークの、灰色の瞳が、わずかに動いた。
「ひとりか」
「いえ」わたしは、茶器に手を伸ばした指を、止めた。
「……この数日、聖女の“癒しで治ったはず”なのに、ぶり返した人が、幾人も。今日の膝の女房も、その一人です」
ジークは、しばらく黙って茶を見つめていた。それから、低く言った。
「宮廷でも、同じことが起きているかもしれん。……治ったはずの者が、また倒れる。俺が知るだけでも、幾人か」
(宮廷でも。……偶然、では片づかない数。)
「気になるか」
「ええ」わたしは頷いた。「とても」
ジークは、それ以上何も言わなかった。ただ、湯気の向こうから、わたしをじっと見ていた。灰色の瞳が、案じるように、少しだけ細められる。
「……無理は、するな」
ぶっきらぼうな一言。けれど、その不器用さに、胸の奥が、ほんの少しあたたかくなった。
(この人は、いつも、言葉が足りない。……足りない分だけ、嘘がない。)
窓の外、王都の灯が、ひとつ、またひとつと消えていく。
――聖女の癒しで治ったはずの患者が、次々と、ぶり返している。
それは、まだ、小さな違和感にすぎなかった。けれど、毒というものは、いつも、そういう小さな綻びから顔を出す。
お読みいただきありがとうございます。第四話、いかがでしたか。
今回は「症状を消すのと、治すのは違う」——リーゼの原因療法の真髄を、膝を病んだ女房の手当てで描きました。癒しは痛みに蓋をするだけ。でも、蓋の下で毒は育つ。
そして、下働きの子トビアス、侍女のニナが初登場。彼らはこれから、リーゼの心強い味方になっていきます。
「聖女の癒しで治ったはずの患者が、次々ぶり返している」——この違和感が、次話で大きく動きます。ブックマーク・評価で応援いただけると、とても励みになります。




