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第3話:癒しでは、毒は治りません

「聖女を、呼べ」


 寝台を囲む侍医のひとりが、震える声で言った。


「もはや我らの手には負えぬ。癒しの奇跡に、すがるほかは——」


「おやめください」


 わたしは、彼の言葉を遮った。宮廷医たちが、一斉にこちらを睨む。追放されたばかりの女が、王弟の枕元で何を言うか、という顔で。


「癒しでは、これは治りません」


「なにを、下賤の薬師が……!」


「では、伺います」わたしは立ち上がった。「聖女の癒しで、殿下の熱は引くでしょう。汗も止まり、顔色も戻る。——ですがそれは、毒が消えたからですか? それとも、毒の顕れが、覆い隠されただけですか?」


 侍医たちが、言葉に詰まった。答えられないのだ。彼らは、症状を消す術は知っていても、なぜ症状が出るのかを、考えたことがない。


「症状を消しても、毒は体に残ります。今日消えても、明日また牙を剝く。……原因を断たなければ、この方は、何度でも同じ淵に落ちます」


 わたしは、寝台に向き直った。時間がない。議論している間にも、毒は回っている。


 まず、匂い。彼の口元に顔を寄せる。兜草の甘い匂い——だが、それだけではない。奥に、金気のような、微かに錆びた匂いが混じっている。


(兜草だけじゃない。……銀泪。蓄積して効く、遅い毒。二つを、重ねてある。)


 次に、時間。侍女に問う。殿下がお倒れになったのはいつか。膳を減らされたのは。手足の痺れは、どこから始まったか。答えを、頭のなかの『毒草譜』と照らし合わせる。ページが、めくれていく。指の先から、始まった痺れ。それは、銀泪が体の芯まで達した証だ。


「——十日」


 わたしは呟いた。


「殿下は、十日かけて、毒を盛られています。少しずつ。気づかれぬように。誰かが、毎日の膳か、茶に」


 その場の空気が、凍った。十日。ならば、犯人は、この館に自由に出入りできる者。


(今は、それを追う時ではない。まず、命。)


「ギルベルト」わたしは、遅れて駆けつけた老薬僕を振り返った。「持ってきた籠を。青い封の瓶と、乳鉢を」


 銀泪の毒は、体の熱を利用して回る。ならば、まず熱を上げてはならない。そして、兜草の遅効は、時間との勝負だ。拮抗する薬を、いま、ここで作る。


 乳鉢に、乾いた根をいくつか。祖母の薬房から持ち出した、禁制すれすれの薬草。手が覚えている。分量を、目分量ではなく、匙で正確に測る。一滴の狂いが、薬を毒に変える。


 薬研を挽く音だけが、部屋に響いた。侍医たちは、もう誰も止めなかった。ただ、見ていた。この女は、何をしているのか、と。


(癒しは、光。わたしのは、地味な作業。……でも、地味なものだけが、原因を断てる。)


 半刻。額に汗をにじませ、わたしは一杯の薬湯を調じ上げた。濁った、緑がかった液体。とても、奇跡には見えない代物。


「殿下。飲めますか。……少しずつで、いい」


 わたしは彼の頭を支え、匙で、薬湯を唇へ運んだ。青ざめた喉が、かすかに動く。一匙。また、一匙。


 時が、ひどく長く感じられた。


 やがて——荒かった呼吸が、少しずつ、深くなっていった。速く浅かった脈が、ゆっくりと、確かな拍を打ちはじめる。


 唇の、青が。爪の、青が。


 ほんの少しずつ、赤みを取り戻していく。


「……脈が」侍医のひとりが、呆然と呟いた。「落ち着いて、いく……」


 わたしは、銀の薬匙を、もう一度彼の唇に触れさせた。今度は、匙は曇らなかった。毒の勢いが、退いた証。


 どれほどそうしていただろう。閉じられていた瞼が、震え、ゆっくりと開いた。


 深い、灰色の瞳が、天井を見て、それからわたしを捉えた。


「……お前、か」


 かすれた、けれど確かな声だった。


「はい」わたしは、詰めていた息を、ようやく吐いた。「ハーゼの、リーゼロッテです」


「毒を、盛った……女、だと。宮廷で、そう聞いた」


「ええ」わたしは微笑んだ。「そう言われて、追放されました。ちょうど、昨夜」


 ジークフリート殿下は、しばらくわたしを見つめていた。それから、乾いた唇の端を、ほんの少しだけ、動かした。


「毒を盛った女が……毒を、解いたのか」


「盛ってなどいません。ただ——解けるだけです」


 わたしは、彼の手に、そっと銀の薬匙を握らせた。


「その毒のことなら、わたしが一番よく知っています。作り方も、解き方も。……この国で、一番」


 窓の外が、白みはじめていた。長い夜が、明けようとしていた。


 匙を投げられた命が、ひとつ、この手のなかで、たしかに繋がった。


 ——毒を盛った女は、この朝、毒を解く、ただひとりの薬師になった。


 お読みいただきありがとうございます。第3話、いかがでしたか。

 宮廷医が匙を投げた毒を、リーゼが解き明かし、王弟ジークの命を繋ぎました。ですが、毒は十日かけて盛られていた——つまり、犯人はまだ、宮廷の内にいます。

 そして、断罪の場で見た聖女オリヴィアの、青い爪。あの奇跡には、隠された「順番」がありました。

 次話から、リーゼの反撃と、じわじわ効いてくる“ざまぁ”が始まります。ブックマーク・評価で応援いただけると、とても励みになります。


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