第2話:追放先には、祖母の薬房がありました
王都の外れ、丘のふもとにその屋敷はあった。
旧ハーゼ領。かつて祖母マティルダが暮らし、亡くなったあとは誰も住まなくなった、古い薬師の家。蟄居せよと言われて放り込まれた先が、よりにもよってここだというのは、皮肉なのか、それとも——。
(ばあさまが、呼んだのかもしれないわね。)
馬車を降りたわたしを、ひとりの老人が出迎えた。腰の曲がった、白髭の男。
「……嬢様」
その声に、覚えがあった。
「ギルベルト? まだ、ここにいたの」
「大奥様がお亡くなりになってから、ずっと。薬草だけは、絶やしてはならんと」
ギルベルトは、ハーゼ家に長く仕えた薬僕だ。祖母のもとで、薬草の世話をしていた。彼の皺だらけの手を見て、わたしは十年前の、まだ小さかった自分を思い出した。
屋敷の奥、薬房の扉を、ギルベルトが開けた。
埃と、乾いた薬草の匂いが、どっと押し寄せた。
棚に並ぶ、無数の硝子瓶。壁一面の引き出しには、それぞれ小さな札。天井から吊るされた干し草の束。薬研、乳鉢、蒸留の器具。——そのどれもが、記憶のままだった。
「……変わってないのね」
「嬢様が来られると思うて、埃だけは払うておきました」
わたしは、部屋の一番奥へ歩いた。鍵のかかった、古い書物棚。その奥に、それはあった。
革表紙の、分厚い一冊。背に、金の箔で『毒草譜』と記されている。
祖母が生涯をかけて編んだ、毒と薬の集大成。この世界で唯一、毒を「体系」として書き記した書物。宮廷の侍医たちですら、その存在を噂でしか知らない。
(ばあさま。……戻ってきたわ。)
指先で、革の表紙をなぞる。冷たく、けれど確かな重み。
この国の医術は、聖女の癒しを至上とする。傷は魔法で塞がり、熱は奇跡で下がる。だから誰も、原因を「断つ」ことを学ばない。量を測り、時間を読み、毒の正体を見立てる——そんな地味な技は、下賤のものとされてきた。
祖母は、それを憂いていた。
「癒しは、症状を消すだけ。毒は、原因を断たなければ治らないよ、リーゼ」
耳の奥に、祖母の声が蘇る。あの言葉の意味を、わたしは今、宮廷を追われて、ようやく骨身で分かりはじめている。
——その、夜だった。
屋敷の門を、激しく叩く音がした。
ギルベルトが応じるより早く、ひとりの騎士が転がり込むように駆け込んできた。返り血のような泥にまみれ、息を切らしている。
「薬師どのは——この家に、薬師どのはおられるか!」
「わたしです」わたしは進み出た。「何があったのですか」
「ジークフリート殿下が……王弟殿下が、お倒れになった。宮廷医が総出で診たが、手が付けられんと。もはや、匙を投げおった」
王弟、ジークフリート。近衛騎士団を率いる、王家の剣。名前だけは知っている。戦場では無敵と謳われ、けれど社交の場にはめったに姿を見せぬ、無口な武人。
「宮廷医が診て、駄目だと?」わたしは眉をひそめた。「ならば、なぜわたしのところへ」
騎士は、苦しげに顔を歪めた。
「団長の……殿下のご遺言のようなものです。『毒なら、ハーゼの娘に診せろ』と。意識が混濁する前に、それだけを、繰り返し」
(——わたしを、名指し。)
毒に触れる不吉な女、と宮廷を追われた、その同じ夜に。
「案内して」
わたしは、迷わなかった。壁の棚から、祖母の形見の銀の薬匙を取り、『毒草譜』を小脇に抱える。
「嬢様、お一人で宮廷へなど、また何を言われるか」ギルベルトが案じた。
「言われるでしょうね。毒の女が、王弟に近づいたと」わたしは薬匙を握った。「でも、目の前で人が死にかけているのに、誰の目が怖くて手を引く薬師が、どこにいるの」
馬を飛ばし、たどり着いた王弟の館。寝台に横たわるその人を見て、わたしは息を呑んだ。
大きな体が、まるで抜け殻のようだった。呼吸は浅く、速い。額に脂汗。——だが、わたしの目が捉えたのは、そこではなかった。
唇の色。爪の色。うっすらと、青い。
(この青は……昨夜、断罪の場で見た。オリヴィアの、指先と同じ。)
背筋を、冷たいものが走った。偶然ではない。同じ毒だ。同じ手が、宮廷でいくつもの命に触れている。
「殿下」わたしは寝台の脇に膝をつき、彼の脈をとった。「聞こえますか。……大丈夫。まだ、間に合います」
朦朧とした瞼が、かすかに震えた。
「……はな、を……盛った、奴を」
消え入りそうな声だった。それでも、その人は、自分の命ではなく、真実を求めていた。
「突き止め、て、くれ……」
わたしは、その手を握った。武人らしい、傷だらけの、大きな手を。
「ええ。突き止めます。——ですがその前に、あなたには生きていただきます。話は、それからです」
銀の薬匙が、彼の唇に触れた瞬間、匙の輝きが、うっすらと曇った。
毒の、証だった。
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追放先で待っていたのは、祖母の遺した薬房と『毒草譜』、そして毒に倒れた王弟ジーク。宮廷医が匙を投げた毒を、リーゼは救えるのか。
次話、いよいよ「この国一の薬師」の本領——解毒がはじまります。
「癒しでは、これは治りません。毒は、原因を断たなければ」
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