第1話:その毒、わたしが一番よく知っています
「毒に触れる不吉な女」と婚約破棄された令嬢が、その毒の正体を断罪の場で言い当てて逆転します。剣も魔法も聖女の癒しもいりません。武器は、祖母仕込みの毒と薬の知。毒見の要を失った宮廷が勝手に傾いていく、遅効性の爽快ざまぁ。命を救われた無骨な王弟の溺愛つき。
大広間の床は、磨きすぎた鏡のようだった。そこに映る自分の顔が、あまりに落ち着いているので、わたしは少しだけ可笑しくなった。
「リーゼロッテ・フォン・ハーゼ。貴様を、毒を盛った咎で告発する」
王太子エーミールの声が、天井の高い広間によく響いた。
わたし——ハーゼ薬伯爵家の娘リーゼは、婚約者であるその人の前に立たされていた。周りを囲む貴族たちの視線は、好奇と侮蔑で湿っている。誰も、わたしを憐れんではいない。むしろ、そら見たことか、という顔をしていた。
(毒を盛った、ね。……ずいぶん大きく出たこと。)
わたしは膝を折りも、涙をこぼしもしなかった。ただ、殿下の傍らに寄り添う娘を見た。
自称・癒しの聖女、オリヴィア。透けるような金の髪に、庇護欲をそそる潤んだ瞳。半月前まで名も知らぬ平民だった娘が、今や王太子の隣にいる。
「わたくし、見てしまいましたの」
オリヴィアが、震える声で言った。上手い。声の震わせ方が、実に上手い。
「ハーゼ様が、殿下の杯に、何か白い粉を……。殿下は昨夜から、ずっとお加減が悪くて」
「毒よ」と誰かが囁く。「そういえばあの家、薬師の家系だろう」「毒に触れる女なんて、いかにも不吉だ」
ざわめきが、波のように広がっていく。
(薬師の家系。ええ、そうです。だから——分かるんですよ。誰よりも。)
「その杯を」
わたしは、静かに言った。
「拝見しても?」
エーミール殿下が眉をひそめた。だが、周りの手前、拒む理由もなかったのだろう。侍従が、証拠として運ばれていた銀の杯を、しぶしぶわたしの前へ差し出した。
わたしは杯を手に取り、縁に鼻を近づけた。
目を閉じる。息を、ゆっくり吸う。
——甘い。蜜のように甘く、その奥に、かすかな苦みが尾を引いている。ひと口では気づかない。二日、三日と重ねて、はじめて牙を剝く。遅れて効く毒だ。
(兜草の煮出し。それも、根を乾かして砕いたもの。……昨日今日で用意できる代物じゃない。半月は、寝かせている。)
わたしは目を開けた。
「殿下。ひとつ、伺っても?」
「……なんだ」
「お加減が悪くなられたのは、昨夜からと仰いましたね。けれど、殿下はもう三日ほど、朝の膳をあまり召し上がっていない。違いますか」
殿下の顔が、わずかに強張った。図星だ。
「これは、遅れて効く毒です。ひと口盛ってすぐ倒れる類のものではありません。少しずつ、幾日もかけて盛る。……昨夜わたしが白い粉を入れたのだとしたら、殿下はまだ、指一本お動かしになれているのが不思議なくらいですわ」
「詭弁だ」オリヴィアが叫んだ。「そ、そんなの、あなたが毒に詳しいだけの——」
「ええ」
わたしは、彼女を遮った。
「わたしは、毒に詳しい」
広間が、しんと静まった。
「その毒、わたしが盛ったものではありません。——なぜなら」
わたしは杯を、そっと侍従に返した。
「その作り方を、この国で一番よく知っているのは、わたしですから。もし本気で殿下を害したいなら、こんな、ひと嗅ぎで分かるような粗い毒は使いません」
沈黙の意味が、変わった。侮蔑から、戸惑いへ。貴族たちが、互いの顔を見合わせている。
けれど。
「——黙れ」
エーミール殿下の声は、低く、そして最後の希望を潰すように冷たかった。
「小賢しい女だ。毒の講釈で、この場を煙に巻くつもりか。そういうところが、昔から気に入らなかった。オリヴィアのように、素直に微笑んでいればよいものを」
(ああ。……そういうこと。)
胸の奥が、すっと冷えた。悔しさではない。あきらめでもない。もっと静かな、線を引くような感覚だった。
この人は、真実を聞きたいのではない。理由が欲しいだけなのだ。わたしを捨てるための、都合のいい理由が。
「リーゼロッテ・フォン・ハーゼ。貴様との婚約を破棄する。ハーゼの家名も、もはや王家に不要。王都の外れ、旧ハーゼ領へ蟄居せよ。二度と、宮廷に足を踏み入れることを許さん」
オリヴィアが、勝ち誇ったように殿下の腕に縋った。その白い指先に、わたしは目を留めた。
(……爪の色。うっすら、青い。)
気のせいだろうか。いや。わたしの目は、そういうものを見逃さないように育てられている。祖母に。
わたしは、深く礼をした。淑女として、非の打ちどころのない角度で。
「承りました。——ですが殿下、ひとつだけ」
「まだ何かあるのか」
「その毒、盛った者は、まだこの宮廷におります。遅れて効く毒は、盛るのをやめても、しばらく効き続けます。……お大事に」
殿下の顔から、勝ち誇った色が、ほんの少し引いた。
わたしは背を向けた。磨きすぎた床に映る自分は、やはり、少しも取り乱していなかった。
(不吉な女。毒に触れる女。……結構です。)
(もう二度と、そう言わせない。わたしの価値は、あなたたちの機嫌でなく、毒の真実が証明する。)
大広間の扉が、背後で重く閉じた。
その音は、追放の音であり——そして、わたしが本当のわたしを取り戻す、はじまりの音でもあった。
お読みいただき、ありがとうございます。
毒を盛った罪で婚約破棄された令嬢リーゼ。ですが彼女は、この国で誰より毒を知る薬師でした。次話、追放先で待っていたのは、亡き祖母の薬房と——毒に倒れ、宮廷医が匙を投げた、ひとりの王弟殿下。
「……まだ、間に合います」
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