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第12話:薬房に、鍵をかけられました

 朝の光が、まだ薬草の匂いに白く滲むころ、薬房の戸が、無遠慮に叩かれた。


 開けると、宮廷薬務の役人が三人、立っていた。先頭の男が、朱の印を捺した書状を、掲げるように読み上げる。


「薬務の名において、通告する。当薬房における一切の調剤を、本日をもって差し止める。免状を持たぬ者による調剤は、法に反する行為である——」


 役人たちは、答えを待たなかった。わたしの脇をすり抜け、棚という棚に、細い縄をかけていく。硝子瓶に、薬研に、干し草の束に。最後に、鍵のかかった書物棚へ。そこへ、朱の封蝋を、ぺたりと。


(——封を、された。)


 薬房が、閉じた。手も、動かせないまま。


「トビアス」わたしは、奥で震えている下働きの子を呼んだ。「大丈夫。何も、盗られてはいないわ」


 まだ。心の中で、そう付け足す。


 閉ざされた薬房の前には、それでも人が来た。


 パン屋のカミラが、青い顔で子を抱いて。仕立て屋のヨナスが、痛む腹を押さえて。花売りのメルダが、縄のかかった戸を見て、立ち尽くす。


「リーゼさん……お店、閉めちまったのかい」


「いいえ。閉めさせられたの」


 わたしは、戸口の縄に触れないよう、外へ出た。カミラの子の額に手を当てる。熱。喉の腫れ。眠り苔の煎じを、三日も飲ませれば引く熱だと、わたしには分かる。棚の、あの瓶の、あの一掴み。


(診える。わたしには、診える。……なのに、手を出すことを、法が禁じる。)


「カミラ。西通りの、ギルベルトの知り合いの薬僕を訪ねて。わたしの名は、出さずに」


 できるのは、それだけだった。人を、別の手へ回すこと。自分の手では、匙一つ、握れない。


 歯を、噛みしめる。奥歯が、軋むほどに。


 昼過ぎ、蹄の音を蹴立てて、灰色の外套が駆けつけた。ジークフリートだった。


「聞いた。薬務が、ここを封じたと」


 彼は、縄のかかった戸を、信じられぬという目で見た。剣の柄に、手がかかる。まるで、この縄が斬れる相手だとでもいうように。


「王弟の名で、抗議する。こんな沙汰、通させはしない」


「……殿下」わたしは、静かに首を振った。「薬務は、侍医長の管轄です。医術のことに、剣は」


「分かっている」


 ジークは、低く、苦く言った。握った拳が、震えていた。


「分かっている。……俺が王弟でも、薬務の中までは、剣が届かん。医術と薬は、あの男の領分だ。陛下とて、医のことは侍医長に諮る。正面から覆すには、証がいる。動かぬ、証が」


 彼は、わたしの前で、初めて、無力そうな顔をした。剣の強い、この人が。


「……すまん」


 その一言が、かえって、胸に重かった。守ろうとしてくれる手が、届かない場所へ、わたしは踏み込んでしまったのだ。


 そして、その日の夕刻。宮廷から、早馬が来た。


 伝えたのは、侍女のニナだった。息を切らして、駆け込んでくる。


「リーゼさま……宮廷が、大変なことに。老宰相、エーレンフェルト侯が、政務の最中に、突然お倒れになって……!」


 わたしは、身を固くした。


「宮廷医は、なんと」


「それが……手の施しようがない、と。聖女さまもいなくなったいま、癒しの御力も使えず……あとは、天命を待つばかりだと、匙を投げて……」


(匙を、投げた。)


 わたしは、ニナに、宰相の様子を、細かく問うた。指先の色。爪の艶。ここひと月ほどの、食の細り。眠りの浅さ。——聞くほどに、背筋が、冷えていく。


 突然に、ではない。ゆっくりと、少しずつ。日々の膳に、ごく薄く。溜まって、溜まって、ある日、器から水があふれるように、どっと倒れる。それは、一息に効く毒ではない。


(銀泪。……蓄積の毒。ひと匙では、誰にも気づかれない。けれど、三月も続ければ、人ひとりを、静かに枯らす。)


 癒しでは、消せない。あれは、原因を断たねば、治らない。そして、その原因を——毒を、見抜ける者は。


(この宮廷に、たぶん、わたしひとり。)


 なのに。わたしの手には、封蝋の朱が、貼りついている。


(診える。誰よりも、はっきりと。……なのに、行けない。手を、出せない。)


 これほど、己の手が遠く感じたことは、なかった。


 夜。灯を落とした薬房で、わたしは、封をされた書物棚の前に、立っていた。


 そこへ、老薬僕のギルベルトが、燭台を手に、そっと寄ってきた。祖母マティルダを、若いころから知る、生き字引の老人。


「……リーゼお嬢さま」


 彼は、封蝋の朱を、じっと見つめてから、静かに言った。


「大奥様は、こうなることを、見越しておられたのかもしれません」


「え」


「あの方は、いつも仰っていました。——『匙を取り上げられても、薬師は終わらぬ』と。あの『毒草譜』には、まだ、誰も開いたことのない頁が、ございます」


 燭の火が、ゆらりと揺れた。


 祖母の遺した、一冊の書物。その、まだ見ぬ余白に——何が、記されているのか。


 お読みいただきありがとうございます。今回は、リーゼが一度、深く追い詰められる回でした。薬房を封じられ、患者を診られず、老宰相の毒も見抜けるのに手を出せない。守ろうとするジークの剣さえ届かない——歯がゆい「谷」の回です。

 けれど、この谷は、次の反撃のための、深い「ため」。祖母マティルダが遺した『毒草譜』の、まだ誰も開いていない頁とは。次話から、リーゼの逆襲が動きはじめます。

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