第91話 初恋の騎士さまの愛が重すぎます(後編)
半年後――。
「ジャックさん、これはすごいわ! すべすべ!」
マチルダはハンドクリームを手に塗り込み香りを嗅いだ。ジャックはマチルダの興奮する声に少し照れたように頭を掻いた。
ジャックは焔耳兎のハンドクリームを開発した。当初は骨や角を利用した薬品製造を試みたが、焔耳兎の油の保湿効果が高いことが分かりボディケア商品へと切り替えた。北部は空気が乾燥しているから保湿クリームの需要が高く、焔耳兎のハンドクリームはノーザンドの若い女性たちを中心に人気に火がついた。焔耳兎のハンドクリームの効果は、王都の流行に敏感な女性たちの耳にも届いており、「王宮薬学研究所・ボディケアシリーズ」で売り出す準備をしていた。
「このハンドクリーム、香りも甘いけど、爽やかな感じでいいです」
「ああ、雪涙という北方の植物なんだ」
そういうとエルトンはハンドクリームを「どれ?」と持ち上げて香りを嗅いだ。
「うん、まあ――……花の香りだな。悪くはない」
「なんなんですか、その反応」
マチルダがじとっとエルトンを睨んだが、エルトンは自分の反応の何が悪いか分からずきょとんとしている。エルトンはすっかり「王宮薬学研究所・特効薬処方シリーズ」専属職員のように3課に滞在する時間の方が長くなっていた。エルトンやハンネスに限らず、1課と合同で作業することも増え、合同の課になる日も近い気もする。
ジャックは「王宮薬学研究所・ボディケアシリーズ」の完成品を確認するために、久しぶりに古巣へと戻って来ていた。
「この香りは、マリアくんの提案なんだ」
ジャックは香りを嗅ぎながら、ふふっと思い出し笑いをした。「マリア」の名に、マチルダもエルトンも目を見開いた。サラは半年前の素直ではないマリアの姿を思い出し、ジャックの笑いにつられてしまった。
「魔獣を薬やボディケア用品に使用していることはマリアくんには話せないけど、それ以外のことは結構相談しているからね。やっぱりボディケア商品は女性の方が詳しいし。このハンドクリームも研究所に来ている女性の手を見ていて気が付いたんだ」
「ジャックさんは、すっかり北方研究所の所長ですね」
サラは北方研究所の職員との関係を築くだけではなく、新シリーズを作り上げたジャックの力量に感心していた。
(ここで働いていたときは、優しい先輩だとは思っていたけど。こんな風に自分が前に出ることはなかったような気がする)
「うん。自分で言うのも何だけど、北方は結構僕には合っている気がするよ。新シリーズもできたから王都出張のときに家族の様子を見られるからちょうど良いし。本当、北方に研究所ができて感謝している」
ジャックはサラににっと微笑んだ。
「そうだ。このシリーズのラインナップについて、意見を聞かせてよ」
ジャックは、焔耳兎のハンドクリーム、ボディクリーム、リップクリームを並べた。どれも保湿効果が高く、少量でもしっとりとする。
「うん。どれもいいですよ」
「このリップは色付きとかバリエーションがあるといいかもしれませんね」
「色付き?」
「あ、それは確かに」
「どんな色がいいの?」
「俺は、リップは香りがない方がいい」
「なるほど。男性は無香の方がいいかもしれないですね」
ジャックは熱心に、マチルダ、サラ、エルトンの感想を書き留めていた。
「ジャックさん、焔耳兎の油は化粧水とかとは相性悪いんですか?」
「化粧水?」
「北方に限らず、冬場は保湿効果がある化粧水は需要がある気がします。化粧水が難しくても、ヘアオイルとかも」
「化粧水に、ヘアオイルね。うん、ちょっと試してみるよ。とりあえずは、ハンドクリームと、リップクリームのバリエーション増やしてみようかな」
「そうですね! 楽しみ」
「サラ、エルトン様! 王宮薬学研究所・特効薬処方シリーズも新商品開発しないと! 負けてられないわ!」
ジャックの意気込みに火がついたマチルダは、傷薬、回復薬、鎮痛剤に続く新商品開発に燃えていた。
◇◇◇
「それで、マチルダがジャックさんにライバル意識燃やしていて」
二人の主寝室で、サラは今日の出来事をレスターに話していた。レスターは静かにサラの話を聞いてくれていた。
「そうか。新商品ができるのは騎士団としては有難いな」
「ふふっ。楽しみにしていてね。また、薬は騎士団に治験をお願いすると思うし」
「ああ――……。そういえば、今日は騎士団に治験に来なかったんだな」
「え?」
「これは、焔耳兎のリップクリームの効果か?」
レスターはサラの顎を掴み、サラの唇を覗いた。サラの唇は、焔耳兎のリップクリームの効果でいつも以上にふっくらしていた。真剣な目でレスターに唇を見つめられ、かぁっと顔を赤らんだ。
「今回は……美容系の商品だし……。騎士団とは、あまり関係ないでしょ?」
サラは自分でそう言いながらも内心は、美しいレスターと、美容系の商品はむしろ相性が良いような気もしていた。
「でも、エルトンは試したんだろう?」
「エルトン様はずっと3課にいるから……」
「あいつばかりずるいな」
レスターは拗ねたようにサラを見た。こういうときのレスターは結構しつこい。
「ずるいって……エルトン様は回復薬の仕事が――」
「俺だって、それなりに魔力はある。エルトンには負けていない」
なぜかエルトンには、妙に張り合う。
「そう、かもしれないけど……レスターは騎士の仕事が……」
「それはあるが、サラの用事が最優先だ。そのリップも試したって良かったのに」
サラの目にはレスターの笑顔が妙に艶っぽく映った。
「……分かった。じゃあ、今度――」
そう言った瞬間、サラの唇にレスターが深く唇を寄せた。息苦しくなるほどの急な深い口づけに、頭の奥がぼうっと痺れていくのを感じた。苦しくて離してほしいのに、レスターの唇が離れていくのが寂しかった。レスターはそっとサラと唇を離すと、自分の唇を何かを確かめるように指で触れた。
「うん。保湿効果は高いな。サラの唇も、俺のも、しっとりしているだろう?」
レスターは顔を赤らめるサラに、にっと微笑んだ。
(そっ……それって……――焔耳兎のリップの効果なの? ただ、キスが激しかったからじゃ……)
「どうかしたか? サラ」
「……なんでも、ない」
「俺は雪涙の香り付きでも良いな。そんなに強い香りじゃないし。以前嗅いだサラの髪の香りも思い出すし」
北方の宿の夜を思い出して、サラは赤くなる頬を抑えた。レスターはサラの夜着を少し開けさせてから、「あの夜のランジェリー姿も、最高だったな」と耳元で囁いた。
「なんだ? なんで、顔を隠すんだ?」
「……――いじわる」
「褒めてるのに」
「もういい」と、ベッドサイドに置かれたレスターのくまのぬいぐるみを抱くと、プイッと横を向いた。ぬいぐるみは従順にサラの腕の中で微笑んでいた。レスターはそんなサラに、覆いかぶさるように抱きしめた。「次の北方出張はもうすぐか?」と、レスターは分かりやすく話題を変えた。サラも本気で怒っているわけではないので、それに乗っかり「うーん。どうかな」と言った。
「今回はジャックさんが来てくれたから、もう少し先になるかも。魔獣の材料の運搬は、出張と一緒じゃなくても良くなりそうだし」
「王宮薬学研究所・ボディケアシリーズ」が王都での流通のために、北方との定期便も確立される予定だった。
「そうか。まあ、次に行くとは俺が一緒に行く。魔獣討伐の予定とは調整するから」
「着いて来てくれるの?」
「当たり前だ。この前は緊急だから仕方なかったが、俺が君の護衛をそう易々と他の男に譲るわけがないだろう」
レスターの抱きしめる腕の力が少し強くなった。
「でも――……いつも、私の出張に同行してくれていいの?」
サラはレスターに着いて来てほしい気持ちを隠して聞いた。本当はサラだってレスター以外に同行してほしいなんて思っていない。でも、当たり前のようにいつも同行することが大変だということくらい、サラにだって分かっていた。
(試すみたいな……聞き方をしちゃったかも――)
サラの背でレスターの気配が変わった。レスターは鋭い目でサラを捕らえていた。その目に捕らえられたサラは、背筋がぞくっとするのを感じた。サラを捕らえているのは、自分を一心に求めてくれているレスターの瞳だった。
(この瞳に――……私は……)
「俺が責任を持って、妻の護衛を担当する。」
碧の瞳に、彼に捕らわれた自分の姿が映し出されていた。
(そうだ。私――……)
初恋は実らず終わると諦めていた。
でも――違った。
私の初恋は、熱く、重く――……ずっと私の傍にいた。
「――……責任持って、着いて来てね」
サラはレスターをぎゅっと抱きしめた。
「当たり前だ。君が嫌だと言っても同行するよ」
レスターは迷いなく答えた。
「嫌なわけ……ないわ」
そう言ったサラの声は、困ったような響きはなかった。レスターの腕の中は、息苦しいのに、不思議と心地良かった。
私の初恋は――。
ずっと昔から、誰よりも私を見つめ続けていた。
「愛してるわ、レスター」
小さく零れた言葉に、レスターは目を見開いた。
そして次の瞬間、宝物を抱きしめるようにサラを抱き寄せた。
その腕は相変わらず重たくて――。
けれど、その重さが愛おしくて、狂おしかった。
(この腕からは……離れられそうにないわ)
初恋の騎士様の甘い檻に閉じ込められるように、サラは胸に顔を埋めた。
――私は、これからもずっと、何があっても、彼の隣を歩いていく。
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現在悪役令嬢ものの新連載を計画中です。この作品を気に入っていただけましたら、ぜひ新連載もお付き合い頂けると嬉しいです。連載開始は活動報告やXでお知らせしますので、あわせてチェックいただけると嬉しいです。




