第85話 侯爵夫人の勤め
「お帰りなさいませ」
夜会から帰った二人を使用人たちが礼儀正しく迎えた。馬車から降りた主人が不穏な空気を放っているのを、家令のニックも、侍女長のナタリーもいち早く気が付いた。そして、その主人を宥めている若き侯爵夫人の頼もしさも。
ナタリーは、サラの愛らしいドレス姿を見て、なんとなく事態を察していた。
「あ、ナタリー、ニック。相談があるの」
「どうかなさいましたか?」
「今日ね、シリルさまと、お兄さまにもお会いしたんだけど……。近々ね、皆さまをお招きして夕食会でも開きたいと思っているの」
「そうですか。それは皆さまお喜びになりますね」
ナタリーが微笑むと、サラは嬉しそうにはにかんだ。
「そうだと嬉しいんだけど……」
「パーティーの準備は、もちろんお任せください」
「うん。私も……侯爵夫人として準備をしたいから、教えてほしいの」
サラは「侯爵夫人」と言う言葉に、少し顔を赤らめた。ナタリーはそんなサラの姿に思わず微笑んだ。
(本当に可愛らしくて、けなげで素直な……。そういうところを旦那さまも好ましく思っているのでしょうけど、周囲がそれを理解すればするほど……)
不機嫌な様子のレスターを見て、ナタリーはレスターを慮った。
(まあ、その点については、旦那さまがもう少し大人になるしか……ないような気がしますけれど――)
レスターは、ナタリーとニックに夕食会の件を説明し終えたサラに「もう、寝るぞ」と主寝室へと引っ張って行った。
◇◇◇
「あの……さすがに、このドレスはアンに手伝ってもらわないと――。皺になっても嫌だし。それにお化粧も落として……」
サラをベッドに引きずり込もうとするレスターを、サラは必死に宥めた。
「ドレスは俺が脱がしてやる」
レスターの口調がいつもより荒々しいし、サラを引っ張る手もいつもより強引だ。どうやら馬車の中でも、苛立ちが収まらなかったようだ。でもこのままベッドに引きずり込まれたら、せっかくのドレスが台無しになってしまう。
「いつものドレスとは違うから、レスターだって脱がすの大変よ?」
このドレスは、背中が編み上げになっているし、今日はがっちりとコルセットもつけていた。
「汗もかいていると思うから、湯あみもしたいし……」
レスターはベッドの上で、膝を折って立つサラに縋りつくように抱きしめていた。
「サラの汗の匂いなら、むしろ嗅ぎたい」
変態的なセリフを吐くレスターに、サラはぎょっとしてへばりつくレスターの身体を引き離そうと動いた。
「レスターったら、もう。変なこと言ってないで、離してよ」
「変なことなんて言ってない。君が……――分かっていないから」
「分かっていないって……――」
(レスターはまだ夜会のことを怒っているようだ)
「レスター……そんなことを言ったら、私はどうしたらいいの? あなたはいつでも、どこでも、女性の視線を集めているし……気付くと女性が近付いるし、今日だって女性たちが私に寄って来たのはレスターとお近付きになりたいって方だっていたと思うわ」
「俺は君しか見てない」
「そんなの、私だってそうよ」
サラとレスターは見つめ合った。そして、今度はサラがため息をついた。
「レスターの婚約者になるときに決めたの。レスターの隣にいて、恥ずかしくない人になるって。仕事でも、妻としても、あなたの隣が不釣り合いだって笑われる妻にはなりたくない。お洒落だって……――よく分からなかったけど、あなたに近付くご令嬢を少しでも牽制したくて、私なりに頑張っているだけなのに」
サラは不貞腐れ続けたレスターに、むくれた顔を見せた。
(サラが……そんなことを考えていたなんて――)
レスターは青天の霹靂のようなサラの告白を耳にした。
「サラ……」
「……分かって、くれる?」
「……ああ。すまない。俺が幼稚だった」
「ううん。レスターが……そうやって、焼きもちを焼いてくれるのは、正直――……ちょっと、嬉しかったし。でも、このドレス、ダメにしたくないの。レスターが選んでくれたドレスだもの。今日のレスターも、王子様みたいにカッコよかったから、またこのドレス着たいわ。それに、お化粧も落とさないで寝ると、お肌も荒れるし……。大変なのよ」
「――……ごめん」
レスターは、しゅんとして謝るとサラをそっと離した。
「じゃあ、アンに着替えを手伝ってもらうから」
レスターはこくんと素直に頷いた。
「部屋で待っていてね。すぐに寝る支度をするから」
「ああ。俺も少し――……頭を冷やしてくる」
レスターはそう言って、自虐的に笑った。サラはアンに頼んで、ドレスの着替えを手伝ってもらい、化粧を落とし、湯あみをしてから、主寝室へと再び戻った。主寝室の扉を開くと、いつもの穏やかなレスターが、夜着に着替えて本に目を落としていた。
「レスター」
そう声をかけると、少しだけバツが悪そうなレスターがサラを見た。
「サラ」
レスターの隣にサラがちょこんと座ると、レスターはバツの悪そうな顔をした。
「さっきは、乱暴にしてすまなかった」
「ううん。別にそういうのが嫌だったんじゃないから」
そう言って落ち込むレスターの頭に、ちゅっと口づけを落とした。以前、レスターがサラにしてくれた慰め方を、真似をしてみた。
(ふふっ。立場が逆転したみたいで、面白いわ)
「レスター、あなたがあんなに私を求めてくれるのは……私だって、嬉しい」
「サラ」
「レスター、ぎゅって抱きしめて……。強く」
そういうと、レスターは「離さない」とでも言うように、息苦しくなるほどサラをきつく抱きしめた。
お読みいただきありがとうございます!
ブクマやご評価いただけると嬉しいです。
宜しくお願い致します。




