第82話 ラケルとの晩餐
「いやあ、まさか北部に研究所とは驚きましたよ!」
ラケルは水のように麦酒をごくごくと飲み干した。明日王都へ帰還する二人のために、ラケルが晩餐に誘ってくれた。騎士団との晩餐も考えてくれていたようだが、レスターとデニスの微妙なやり取りを見てやめたとサラにこっそりと教えてくれた。
「さあ、どうぞ。北部の名物料理が食べられる店にしましたから!」
ラケルが得意気になるのがよく分かるほど、テーブルに乗り切らない郷土料理が用意されていた。少年少女たちの話が既に伝わっているのか、ラケル団長行きつけの店だからか、住民たちの視線に初めて好意的なものをサラは感じた。
「ラケル殿、気を遣わせてしまったようだな」
レスターがそういうと、ラケルは明るい笑顔を見せながら「前回もお誘いしたかったのですが、お急ぎのようだったので。こんな短期間にまた来ていただけるとは思いませんでしたよ。しかも、北部に研究所を作っていただけるお話を引っ提げてくれるとは……」と続けた。
「ああ。それは、妻の……」
「ええ。サラ殿はお若いが、非常にしっかりされていますし、薬学の知識も素晴らしい!」
ラケルはそうサラを手放しに褒めた。サラはそのストレートな賞賛に驚きながらも礼を口にし、レスターは満足そうにワインを口にした。
「それで……北部に派遣される方は、サラ殿になるのでしょうか?」
ラケルは興味津々に訊ねた。
「それは――」
実はいま最もネックとなっていることだった。3課長は、マリアとの関係も悪くなく、それなりの経験もあるケントに打診したが、難色を示されていた。北部に赴くからには昇進もあり、特別手当も用意していたが、中々引き受けてがいなかった。
「今のところ、その予定はない」
サラの代わりにレスターが答えた。
そうなのだ。本当は言い出しっぺであるサラが赴くという話もあったのだが、サラが北部へ異動するとなると、レスターのことも関係してくる。「サラが異動するなら、自分も北部へ異動するって言って聞かないんだ。悪いけど、サラには王宮にいてもらいたい」と、ロージャー団長にも、王太子にも、言われてしまっていた。3課長も「新薬の開発を今後進めるうえにも、サラくんに北部行かれるのは正直痛手だ」と評価してくれているため、北部行きの職員の件は宙ぶらりんになっていた。
ラケルは「そうですか……。サラ殿が来るなら心強かったのですが……」と、分かりやすく肩を落とした。
「ご評価いただいて嬉しいですが、派遣される職員も信頼いただける方になると思いますので」
「中々決まらないのですか?」
「ええ、まぁ……」
「そうですか。やはり、北部へ異動を希望する者は少ないですからね……」
ラケルは北部出身で、元々北部へ戻ることを強く希望していたそうだ。アカデミーで出会った婚約者と結婚し、いまは女の子2人の父親だという。
「しかし、女の子の親となると……いずれ嫁に出すことを考えると――」
ラケルは泣き上戸のか、大きな身体を小さく丸めていた。
「そんな……。ラケル団長ったら、まだ2歳と4歳だっておっしゃっていたではありませんか」
「それはそうですけどね……」
ラケルは麦酒を飲みながら、ちらりとレスターを恨めしそうに見た。
「うちの娘にもこういう男が現れて……掻っ攫われるのかと思うと……」
「掻っ攫うとは人聞きが悪い……。大体ラケル殿も、奥方の親にはそう思われているのではないですか?」
「それはそうかもしれませんけど……。妻との家とは、今もそうですが……元々家族ぐるみの付き合いでしたから。レスター殿は、どうなんですか?」
ラケルは急に興味津々にサラとレスターを見た。
「サラ殿の親御さんはすぐに了承されたんですか?」
ラケルは顔を赤らめながら、ぐいぐいとレスターに聞いている。レスターもラケルの勢いに押されているようだった。キラキラした純粋な目を向けられると、レスターも無視しにくいのか、重い口を開いた。
「それは……――まぁ、サラの意思を尊重する、と」
(最終的には、そういう返事をもらえたのだから嘘ではないな。その前の打診は、ことごとく相手にされなかったが……)
「そうですか。まあ、レスター殿のような方からの申し込みであれば、親御さんも二つ返事ですよね」
「まぁ……どうだろうな」
レスターは「そうでもなかったが……」と思いながら、曖昧な返答を繰り返していた。
「レスター殿、他人事と思っておられるかもしれませんが、お二人に御子が生まれれば私の悲哀がすぐに分かりますよ」
ラケルのその言葉に、サラは「二人の子ども」というまだ見ぬ存在を初めてしっかりと意識した。
(そうか。私もいずれ……。レスターの子どもを身ごもるかもしれないんだわ。そしたら、レスターはどんな父親になるんだろう。厳しいのかしら? 私に接する感じからは、女の子だったら甘そうだけど……)
レスターとの未来を夢想するサラとレスターとを、ラケルはニヤニヤと眺めた。
「なんだ?」
「いえいえ。お似合いのお二人だと思いまして……」
サラは顔を赤らめた。
「……本当、ですか?」
(いつも、年の差を指摘されることが多かったから、ラケル団長の言葉は正直嬉しい)
「ええ。お二人並んでいると、お互いを尊重し合っていてとてもバランスが良い。それに、レスター殿が……」
ラケルはレスターを見てさらににやけた。
「なんだ?」
「いえ、なんでも……」
「言いかけたなら、最後まで言え。気になるだろう」
「怒らないでくださいよ。北部は王都とも離れていますし、そもそも私は噂に疎いほうですがレスター殿のお噂は見知っておりました」
「噂?」
「王都の鬼の副団長といえば、冷酷無比の実力主義者。美しい相貌に似合わぬ手厳しさ、その厳しさは美しいご令嬢すら跳ねのける、と――」
「なんだ、その話は……」
「噂というのは尾ひれはひれがつくものですから。北方まで届いた際はそのくらいになるのはお許しください。しかし、本当に噂は信用ならんですな! 妻の食事をせっせと取り分ける男のどこが冷酷無慈悲なのか……」
ラケルは笑いをこらえながら、いつものごとくサラの世話を焼いていたレスターを見た。
「――あ! その……」
レスターの世話焼きを自然と受け入れていたことに、サラも指摘されて気が付いた。
(さすがに今日は細かく切ることまではしていなかったけど……確かに、ずっと私の食事を取り分けてくれていたし、私もなんだか自然に受け入れていたわ)
「それに……護衛中も――」
ラケルはまだあるのか、笑いながら続けた。
「護衛中?」
「いやあ、ちょっと……さすがに、私もデニスには同情しましたね。まあ、あいつも迂闊にサラ殿に近づくのがいけないのですが」
「え?」
レスターはラケルの指摘にそっぽを向き知らぬふりをしている。
「サラ殿に不用意に男が近づこうものなら、視線が鋭くなるのですから……」
「え? そんなこと……」
「私も、なるべくサラ殿とは一定の距離で接するように心がけておりましたよ」
ラケルは視線を反らすレスターを冷やかすように見た。
「護衛対象に近付くものを警戒するのは、騎士として当然の行為だ」
平然とそう言ってのけたレスターに、ラケルは「その通りですね。レスター殿は騎士の鏡です」と爆笑した。
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