第42 大いなる誤解
少しだけ開いた扉の前に立つと、室内の声が途切れ途切れに聞こえて来た。
「君だけが頼りなんだ」とか、「触られるのが嫌なのか」とか、レスターの珍しく興奮したような声が断片的に聞こえた。
扉の前に立ち、副団長を呼び出そうとしてくれている騎士――ラリーも、声をかけるタイミングを図りかねていた。
(これって……完全に、来ちゃ、いけない、タイミングってこと……? お兄さまのこと、気にしているといけないからと思って……来ちゃったけど――)
サラは顔色が悪くなっていた。
「あの――……大事なお話そうだし……私、やっぱり」
ラリーに声をかけると、慌てて「いえ! 大丈夫だと思いますから」と、サラを勇気づけるように微笑んでくれた。
(でも――)
ラリーが声をかけると、明らかに不機嫌なレスターが現れた。
レスターは、予想外だったのだろう。
サラの姿を見て、目を見開いて固まっている。
サラはレスターの視線から逃れるように、俯きがちに答えた。
「レ……レスター、忙しいところ、約束もしてないのに……ごめんなさい。今日、早く仕事が終わって……」
(レスターはいつ来てもいいって言っていたから、真に受けていたけど……。私のこういうところがダメなんだわ)
レスターは青ざめた顔をして「サラ……」とつぶやいた。
レスターのつぶやきに反応して、「サラ?」とユーニスの声が中から聞こえた。
ユーニスの声は、明るいものだった。
レスターは、取り繕った笑顔を張り付け、サラを部屋へと招き入れた。
「お姉さま、ごめんなさい。大事なお話をしているなんて知らなくて……」
サラが気まずそうに声をかけると、ユーニスはきょとんと「大事な話?」と言った。
「そんな話、レスターとなんかしないわよ」
「じゃあ――」
「ちょっとお兄さまに頼まれごとがあって寄っただけ。何でもないのよ。もう帰ろうと思っていたし」
ユーニスはにっこりとほほ笑むと、立ち上がった。
「それより、レスターはサラに大事な話があるみたいよ」
ユーニスはレスターをチラッと見た。
「私……?」
「結婚式の準備も順調なんでしょう? レスターから聞いたわ」
「……ええ。レスターが色々やってくれて……」
「いいのよ。気にしなくて。レスターはそれが至上の喜びなんだから」
ユーニスは意味深にレスターを見た。
レスターはユーニスの言葉に、コホンと咳払いをして「ああ、気にする必要はないよ。俺が好きでやっているんだから」と貴公子然とした微笑みを浮かべた。
「まあ、お熱いこと。じゃあ、邪魔者は帰るわね」
ユーニスは帰るときに、小さな花束を手にした。
(……お花?)
帰ろうとするユーニスと、見送るレスターを見ても、いつも通りに見えた。
(密会がバレた気まずさ……みたいな感じには、見えないけれど)
ただし、テーブルの上には、姉が好みそうなお茶菓子に、姉がよく飲んでいるお茶の香りもした。
(もしかして、お花も……レスターが?)
その考えが過った瞬間、思わず自分への贈り物とサラは比較してしまった。
(大人の女性には花を贈るのが一般的だって、レスターも分かっているってことよね? それなのに、私にはお菓子やぬいぐるみ……)
レスターはテーブルの上を騎士に片付けさせ、サラに新しいお茶を入れてくれた。
目の前で微笑むレスターは、いつものレスターだった。
(それなのに――。なんで、こんなにザワザワするの?)
「サラ、この前は本当にすまなかった」
レスターは先日のことをまだ気にしているらしく、改めて頭を下げた。
「それは……本当に、いいの」
「でも――」
「あ……その、お兄さまのこと、気にしているかなって思って……来たんだけど……」
サラは気まずそうに、レスターが入れたお茶のカップをじっと見つめていた。
(ダメだ。レスターの顔、見られない……)
お茶に映った自分の顔が、明らかに不安な顔をして揺れていた。
「お兄さま、ちゃんと……分かってくれたから。もう気にしなくて大丈夫よ」
サラは早口でそういうと、お茶のカップを置いて立ち上がった。
(ダメだ。今日は、もう帰ろう)
そう思って立ち上がった瞬間、レスターにガシッと手を掴まれた。
「――どうしたの?」
「い、忙しそうだし……今日は、もう」
レスターはサラの手を握ったままゆっくりと立ち上がると、「忙しくないよ」とほほ笑んだ。
「でも――」
「お茶もまだ飲んでないじゃないか」
「あ……」
「せっかくサラに入れたんだ。お茶くらい、飲む時間、あるだろう?」
レスターの笑顔からは、妙に圧を感じて断ることができなかった。
掴まれた手も、離してくれない。
サラはそのままもう一度ソファに座った。
サラが座った瞬間、レスターは手を離してくれたが、サラの隣にどすんと座った。
入口を塞ぐように、妙に近くに座った。
「……何?」
お茶のカップを持ちながら、サラはレスターに尋ねた。
「俺が近くに座ったら、嫌?」
「……嫌ではないけど……、そんなに近いとお茶が、飲みにくい」
そう言ったのに、レスターはサラから離れようとしない。
それどころか、レスターの方を向こうとしないサラの顔を間近から覗き込んで来た。
「なっ……なに!?」
驚いて身体を仰け反らせると、レスターがサラをじっと見つめていた。
「――ようやく、見た」
サラはレスターの急な接近に、全身の体温が上がるのを感じた。
「きゅっ……急に近づかないで!」
サラはレスターの身体を押し戻したが、ビクともしない。
「サラ、なんか誤解していない?」
「……誤解?」
「ユーニスと、密談していたわけじゃない」
サラは図星を指されて、どんな顔をして良いか分からなかった。
(そ……そりゃあ、真面目なレスターが……不倫しているなんて――、そんなわけないとは思うけど……でも――)
「ユーニスにはちょっと相談があったから来てもらっただけだ」
「相談?」
その言葉を聞いて「君だけが頼りなんだ」と言ったレスターの言葉が蘇った。
(何か困ったときには、レスターはお姉さまを頼るんだわ)
「ああ……。その、詳しくは言えないが……ちょっと、ユーニスの見解を聞きたいことがあって……」
(レスターの悩みが何なのか、私には教えてもくれないのね……)
サラはそのことを寂しく思っていた。
「だから、変なことはないんだ」
「……うん」
「もしかしたら――……俺とユーニスとの噂を聞いたこともあるかもしれないが……」
レスターはちょっとためらいながら、サラに切り出した。サラは密かに気にしていたことに水を向けられ、ドキッとした。
「う……うん」
(レスターがお姉さまに失恋したって話、よね。まさかレスターから言われるとは思わなかった)
「あれはデタラメだ」
「……え?」
「別に俺も、ユーニスも、お互いに特別な感情は一切ない」
レスターはサラにそうはっきりと告げた。
「社交界の噂なんか、いい加減なものだ。ユーニスへの思いがあったら、君と結婚しようなんて思わない」
「え……」
「だれにどう思われていても構わなかったが、君にだけは誤解されたくない」
サラを見つめるレスターの目に、嘘はない。
そんな気がした。
その瞬間、さきほどまでモヤモヤしていたことが少し晴れるような気がした。
「さっき……触れていいかとかも、聞こえたんだけど……」
「え!? 聞こえていたのか? 違う! それは……完全に誤解だ!」
レスターはおろおろと慌てていた。
「それは……その――、君の話をしていて……。その、君に『触れていいか』と確認したと言う話で……」
しどろもどろに説明するレスターの姿に、サラは思わず笑ってしまった。
「一体なんの話をしていたの?」
「いや……それは――まあ、なんというか……」
(レスターがお姉さまに何を相談していたのかはよく分からないけど――)
ユーニスとレスターの関係は、レスターが言うことを信じたいと、サラは思っていた。
「お姉さまに何を相談していたのかはよく分からないけど……」
「え? あ、ああ……」
「私のことも、頼ってくれると嬉しいわ」
サラは狼狽するレスターを見て、微笑んだ。
レスターはそんなサラを見て、安堵したような顔をした。
「頼りないかもしれないけど――……私は、あなたの妻に、なるんだし……」
照れたようにそういうと、レスターはサラをぎゅっと抱きしめた。
「心配させてすまなかった」
「最近ずっとレスターに謝られてばっかりよ」
「情けない夫ですまない」
「そんなことないわ。レスターは頼もしいわ」
「実はローレンスには、俺からもう一度説明に行ったんだ。君が話してくれていたから、一応許してもらえた。――ありがとう、サラ」
「ううん」
「あの怒りようだったら、婚約を白紙にされるかと思ったよ」
サラはローレンスの様子を思い出し、「確かに」とふふっと笑った。
「まあ、君に口づけをしようとしていたことを知ったら、白紙に戻されるかもしれないが」
レスターはサラの耳元でそっと囁いた。
「さすがのお兄さまも、そんなことしないわよ」
「どうかな。ローレンスのことだから、本当に俺が君を害すると思ったら、徹底して排除するだろう」
「そんなこと……するかしら?」
「するさ。サラは自分に寄せられる好意には、鈍いところがあるから心配だな」
「お兄さまは、特別よ」
(私を特別視する人間なんて、お兄さまくらいだし……)
レスターはサラの髪を一筋掬うと、髪先にそっと口づけた。
「俺も――君を特別に思っているよ」
サラの胸がドクンッと強く高鳴った。
その姿は、本物の王子さまよりも王子さまらしかった。
(特別……。私――本当に……レスターの『特別』になれているのかしら?)
「サラ? 分かっているの?」
レスターは赤くなったサラの頭に口づけを落とした。
「サラ、結婚式が楽しみだな」
そう言って、レスターは優しく笑った。
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