第4話 突然の抱擁
幻聴だろうか? 一瞬自分の耳を疑った。
無言は同意と取ったのか、レスターは真顔でサラに近付いた。
(無言は同意では――……! 前世だったら、セクハラ案件になりそうな……いや、本当は嫌ではないのだけど。むしろ、嬉しいけど。でも、でも、一体なんなの? 意味が分からない!)
「な、な、なんで?」
「私のことを兄のようなものだと思っているから、躊躇うんだろう?」
(兄だなんて、思ったことはないけど……)
「抱きしめて見れば分かる」
「な、何が?」
「……いいから」
そういうと、レスターの胸にぽすっと包まれた。
(な、な、な、何なのーっ!? 私、今日、死ぬの!?)
レスターの身体に包まれると、その大きさや鍛えられた身体を嫌でも意識してしまう。
心臓が早鐘のようにドクドク鳴る。
(軽く、抱きしめられているだけなのに……落ち着かないっ!!!)
「……どうだ?」
頭の上からレスターの低い声が聞こえる。
「ど……どうって?」
「気持ちが、悪いか?」
サラは今日一番大きくかぶりを振った。
その様子に、レスターが小さく笑ったのが聞こえた。
「……緊張、します。ドキドキして……死にそう……」
「君は、本当に……」
レスターはそうつぶやくと小さくため息をつくと、抱きしめる手に力を込めた。
レスターの胸が、自分と同じように鼓動が早くなっているのが分かった。
(レスターも、緊張しているっていうこと?)
「聞こえるか?」
サラは小さく頷いた。
「君が俺に抱きしめられるが嫌ではないなら……断る理由はないだろう?」
(そう……なの?)
レスターの胸に抱かれて、嬉しさのあまり正常な判断力が鈍っている気がした。
(婚約破棄の、責任を取らせるなんて――……おかしなことなのに。
この逞しい腕に身を委ねてしまいたい。
でも――……。
そんな依存のような、レスターの弱みに付け込むような関係を作っていいのだろうか)
熱い抱擁のあと、レスターの瞳が、じっとサラを捕らえた。
(こんな、吐息がかかるような距離……心臓に、悪すぎる)
「近々――王家主催の夜会があったな」
(そういえば、招待状が届いていたような……。連日の忙しさで、全然目を通していなかったけれど。社交を怠ることについては、デニスに指摘されても仕方ないわね)
「君をエスコ―トしたい」
「え?」
「そのとき、改めて返事がほしい」
「でも――」
「サラ、君は色々考えているみたいだけど。俺以上に、君を幸せにできる男はいないよ」
レスターはそういうと、サラの手を取って指先にちゅっと小さく口づけた。
(なっ…………! もう、これ以上ときめかせないで! 前世も、今世も、男気ゼロの地味女には、こんな胸キュン行為は心臓に悪すぎるっ!)
今日、何度目になるか分からない絶叫を、サラは心の中でしていた。
◇◇◇
「サラ、レスターから婚約の申し込みがあったのだけど……」
「は?」
父の執務室を訪ねたら、困惑した父がヴィヴィアン侯爵家の印璽が押された手紙を手にしている。
(デニスとの婚約破棄を報告しようと思ったのに……。一体その手紙はいつ書かれたのだろう……? 私と別れた後に書いて、私より先に父のもとに渡るなんてこと、ある?)
サラはレスターの仕事の早さに、困惑していた。
(っていうか、婚約の返事だって待ってくれるって話だったのに……。一体、どういうことなの?)
「あ……あの、その、手紙には……なんて?」
「なにって……サラとの婚約を許してほしいと……。デニスとの婚約の件は、レスターだって知っているだろう。一体どういうことなんだ?」
「それが――」
私は今日起こった怒涛の出来事を掻い摘んで父に説明した。
デニスの婚約破棄の話は、なるべく軽く話したが話の途中で何度も父が怒りを抑えられなくなっているのが分かった。
(お父さまにこんな思いをさせるなんて、親不孝なことだわ)
「レスターは……デニスの上司として、何故か責任を感じてくれているみたいで」
「そうか」
なんと説明して良いか戸惑う私の目を、父は伺うように見た。
父もレスターのことは兄の友人としても、騎士団の副団長としても、よく知っている。
「それで、サラはどうしたいんだ?」
「どうって……。デニスの件はレスターが責任を感じる必要なんかないんだから、レスターの申し出を受けるのは……」
「でも、レスターはこうして手紙まで送って来ているんだから。本気で言っているんだろう?」
「それは有難いけど……」
「有難いのか?」
父は私の反応に、少し驚いたように目を見開いた。
「え?」
「レスターに婚約を申し込まれて、有難い、ということか?」
「そ……それは――」
父親に、初恋がレスターだと知られるのは気恥ずかしい。
(というか、今日久しぶりに会って分かったけど、レスターへの思いは現在進行形だった。
本音を言えば嬉しいけど……)
「レスターに迷惑はかけたくないし……」
「迷惑なもんか」
父は何を言っているんだとばかりに、眉を上げた。
「迷惑だったら、こんな異常なスピードで手紙なんて送って来ない。どう考えたって事前に用意している。機会を伺っていたとしか思えない速度だ」
「そ……そう、かしら」
「サラ、デニスの件は申し訳なかった」
「お父さまが悪いわけじゃないわ」
「いや、年齢や家格、社交界での評判だけで相手を選んだのは早計だった。こんなことになったのは家長である私の責任だ。デニスとはあまり性格も合わないようだったし、私がもう少し早く気付けばお前をこんな風に傷つけることはなかった」
(また、責任――。
私の周りには、ずいぶんと責任感が強い人が多い)
「次の婚約は、サラ、お前の意思を第一にしたいんだ」
「私の意思――……」
テーブルの上に置かれた手紙を見つめた。
(本音を言えば――……レスターと結婚したい。素直になれないのは、彼の責任感を利用していいのかという迷いもあるけれど。これ以上好きになってしまったら、彼と釣り合わない自分が惨めになるだけのような気がして……正直、怖い。前世で結婚詐欺に遭ったときもそうだった。うますぎる話には裏がある。どうしてもそう思ってしまう)
「私は……」
『サラ。君ときたら、見た目も地味、仕事もできないから残業ばかり、愛嬌もない』
こんなときに、今日のデニスの言葉が私を抉る。
(あんな男の言葉、真に受けているわけではない。でも――レスターの隣が相応しい場所か言われると……)
言葉が出て来なかった。
父は私のそんな様子を見ると、小さくため息をついた。
「焦らせてすまなかった。今日は、色んなことがあり過ぎた。少しゆっくりと、考えてみなさい」
「はい」
「ただし――……考えるときは、自分の気持ちを最優先に」
父は厳しい顔でそう言ったあと、小さく微笑んだ。
執務室を出るとすぐに執事のジャンが控えていた。
「お嬢様に、贈り物が届いております」
「贈り物?」
私に贈り物だなんて珍しい。
特に何のイベントもなかったはずだけど。
一体、誰が――。




