第29話 甘過ぎる口づけ
「サラ、母が妙なことを言って君を困らせてすまなかった」
帰りの馬車の中で、レスターがサラに頭を下げた。
「やだ。レスター、やめてよ。少し驚いたけど、お義母様が心配してくださっていただけだって分かっているし」
サラはレスターに笑顔を見せたが、レスターはもう一度サラに頭を下げた。
「すまない」
(そんなにレスターが気にしなくてもいいのに……。本当に責任感が強い人)
「それにしても――……」
サラが今夜の晩餐を思い出し、ふふっと思い出し笑いをした。
「レスターが脅しているって」
サラの思い出し笑いにつられてレスターも思わず苦笑した。
「本当にあの人は突拍子もないことを……。息子をなんだと思っているんだか」
「ネリー様の、ああいう歯に衣着せない感じ、久しぶりで面白かったわ!」
「本当に母上は、時折ぶっ飛んだ発言がひどいし、思い込みも激しいんだ」
馬車の中で、二人で声を上げて笑ったあと、ふと、真剣な瞳のレスターと目が合った。
「サラ」
「――……何?」
「本当に、無理はしていないか?」
「え?」
「母はぶっ飛んだ発言はするけど、鋭いところはある」
「え、ええ」
「俺は君より10も年上の男だ――……。確かに、愛想もない。この年まで婚約者一人いなかった。正直、女性の喜ぶことはあまり分からない」
(でも、レスターは私のために色々調べてくれていた)
「仕事の都合と言ったが……本当は――すぐにサラと結婚がしたくて、日程を決めた」
「え?」
「君に心変わりされたら、俺も困る」
レスターの瞳が、少し自信なさげに揺れた気がした。
(じゃあ、ネリー様が言っていたことは……)
レスターははぁとため息をつくと、「母はたまに鋭いから、本当に困る」と、軽く頭を抱えていた。
(レスターも、私と結婚したいって……思ってくれているってことよね?)
「私が、レスターにプロポーズしたのよ」
サラは少し緊張しながら、頭を抱えるレスターにそう言った。
「あれは……」
「レスターは子どもの頃から、私の王子さまだって言ったじゃない」
レスターと目が合った瞬間、とくんっと胸が高鳴った。
(お兄さまのお友達として遊びに来ていたときから、私はずっと……)
「あの言葉は――信じて、いいのか?」
レスターは少し顔を赤らめながら、サラを見つめた。
サラはレスターの碧い瞳を見つめて、こくんと頷いた。
サラが同意する姿を見て、レスターは困ったように、はぁ……とため息をついた。
「サラ、君は――……本当に……」
レスターは何やらごにょごにょつぶやいていた。
「なに、レスター?」
車窓からは、月が見えていた。
今日は空気が澄んでいて、月がよく見える。
(月を見ると、あの日のプロポーズのことを思い出す)
サラはあの日にもらった指輪を眺めていると、その手にレスターの手が重なった。
パッと顔を上げると、レスターの顔が先ほどよりもずっと近くにあった。
――ドクン、ドクン、ドクン……。
早鐘のように、サラの心臓が鳴るのを感じた。
「サラ……」
「なっ……なに?」
(ずいぶん近い……。いくら暗いからってこの距離は――心臓に悪過ぎる)
「口づけを……許して貰えるか?」
「――え?」
一瞬、何を言われているのかが、分からなかった。
レスターは本物の王子さまのように、サラの左手を取ると手の甲をレスターの頬に寄せると、「君の唇の触れる許可を――」と見つめた。
サラの鼓動は、先ほどよりも一段と大きくドクンッと跳ねた。
「レッ……レスター?」
レスターはサラの顔の横に手を置き、サラを壁際に追い詰めた。
(どっ……どこが、女性の喜ぶことが分からないよ! 女性の心なんか、鷲掴みしているじゃない。壁ドンを……リアルに体験する日が来るとは――)
「だめ?」
レスターが少し甘えるように、首をかしげた。
(こんなの……こんなの……断れる人、存在するの?)
「だ……だめ――じゃない」
サラはキュッと目をつぶった。
レスターの手が顎に触れる感触がして、身体が思わずビクッと震えた。
安心させるように、レスターの手がサラの頬を優しく撫でると、ゆっくりとレスターがサラに近付き、そっと唇を合わせた。
レスターの柔らかい唇が、サラの唇に重なった感触が、妙に生々しかった。
優しく触れるような唇の感触が、サラを夢見心地にした。
レスターの唇が離れると、少し寂しくなった。
サラが夢見心地で目を開けると、間近にレスターの顔があり、もう一度レスターがサラに覆いかぶさった。
終わったと思っていた口づけは、もう一度、今度はもっと深くて、甘いものに変わっていた。
レスターは呼吸が苦しくならないように、サラの様子を確認しながら唇を近づけたり、離したりしていた。その度に、サラはこの口づけが終わるのか、続くのかが分からず、翻弄され続け、ついにはサラの家に辿り着くまで、じっくりとレスターの口づけに甘く溶かされていた。
伯爵邸に馬車が近付いた頃に、ようやくレスターはサラから身体を離した。
あまりに長い時間、レスターの口づけに酔わされて、サラは視界が蕩けていくのを感じていた。サラのぼんやりした視界には、レスターの唇が浮かぶ。まだ熱を持っているような唇は、先ほどまで自分の唇と重なっていたと雄弁に語っているようだった。
「レスター……」
「サラ――。そんな顔をされると……離れたくなくなる」
そういうと、今度はレスターはサラを優しく抱きしめた。
(そんな……顔って……?)
「あんまり可愛いから。我慢できなくて――。ごめん。嫌じゃなかった?」
レスターは抱きしめながら、サラの耳元でつぶやいた。
サラはレスターの身体に身を埋めながら、思い切り首を振った。
(嫌なわけ――ない。むしろ……)
「その……嬉しかった、というか……。気持ち、良かった、です」
レスターの胸の中から、そっとレスターを見上げると嬉しそうに微笑むレスターと目が合った。
「そうか。……それは、光栄だ」
「キスってこんなに気持ちが良いものなのね。……全然、知らなかった」
「――え?」
サラが思わずつぶやくと、レスターは意外そうにサラを見て、抱きしめる手を解いた。
「デニスとは……したことなかったから」
サラは気まずそうに、ポツッと下を向いてつぶやいた。
(デニスとの婚約は、今思っても本当に形だけのものだった。出会ってすぐに、あまり性格が合わないことには気が付いていたし。それでも、決まりを守るように、たまにお茶をして、参加しなければならない夜会に最低限参加して――……。お互いのことを知り合おうなんて、歩み寄ることもなかった。こんな甘い雰囲気になることだって……)
「……そう、なのか」
サラはこくんと頷いた。
(レスターとも恋愛結婚ではないけれど……。少なくとも、彼はデニスとは全然違う)
レスターはサラの髪を一筋掬うと、髪にそっと口づけた。
「この先も、君に口づけていいのは私だけだからね。サラ」
言い聞かせるように、レスターはサラにそう言った。
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