第2話 レスターの呼び出し
「ですから、そんなに副団長に責任を感じていただかなくて結構ですから……」
(こうやって話すのは何年振りだろう。相変わらず、美しいお姿だわ)
レスターは兄の友人で、子どもの頃はよくハーヴィー家にも遊びに来ていた。
いまは「鬼の騎士団副団長」なんて言われているらしいけれど、彼が優しくて誠実な人なのはよく知っている。
(そういえば、レスターが正式に婚約した話は聞いたことがないわ。まさか、まだ、お姉さまのことを思っているのかしら……)
サラの兄と同い年のレスターは今年で28歳。
男性の結婚適齢期は少し過ぎている。
(浮世離れしたお兄さまはともかく、レスターだったら引くて数多なのに。お仕事が忙しくてそれどころじゃないのかしら。レスターみたいな人と結婚できる人は羨ましい)
レスターとサラの姉・ユーニスは、6年前に婚約話が浮上した。が、そのとき姉に思い人がいることが発覚し立ち消えになった。
(私とは違い円満な解消だったから、いまでも二人の仲は悪くないはず)
サラはそこまで考えて、自分の置かれている状況を思い出していた。
(……レスターのことを考えたって仕方ないのに……。現実逃避だわ)
何を隠そう。サラの初恋は、兄の友人であるレスター・ウェズリー・ヴィヴィアンだ。
(どの世界でも、初恋は実らないものと言われているのがよく分かる)
姉・ユーニスとの婚約が立ち消えになって、レスターがハーヴィー家に遊びに来ることはなくなった。
(レスターは、お姉さまに会うのがつらかったのよね。あのときは私はよく分からなくて、突然遊びに来なくなったレスターを恋しく思っていたんだわ)
王宮勤めになってからは、遠くから密かにレスターの姿を見ることはあったけれど……。
(こんな近くで話すことになるなら、きちんとお化粧を……。いえ、せめて徹夜明けのボロボロの状態では会いたくなかった……)
サラは先ほど廊下でレスターに突然声をかけられ、「執務室で話そう」と言われ、現在に至っている。
はじめて入る騎士団副団長の執務室は、余計な装飾はなく、整理整頓されていた。
応接用なのだろう。
ふかふかのソファに、何故か横並びで座っている。
サラは座り位置を少し不思議に思ったが、久しぶりにキラキラしたレスターの顔を真正面から見続ける自信も、ボロボロの自分を見られ続ける覚悟もなく、促されるままに隣に座っていた。
(ああ、もう、なんで……こんな日に――。レスターに会うなら、ドレスアップしたのに……。前世では「馬子にも衣装」という言葉もあった。私だってこんな格好じゃなければ、多少は見られるようになるのに)
「どうして、そんなに下を向いているんだ? 久しぶりに話すのに……」
サラの不自然な姿勢に、レスターは寂しそうな声を出した。
「そんなに、俺が、嫌なのか?」
どこが「鬼の騎士団副団長」なのか。
久しぶりに会うレスターは、6年前と何も変わらない。
優しいレスターの声だ。
「そんなわけ!」
思わず、サラは顔を上げた。
「ああ、ようやく顔を見せてくれた」
レスターは美しい顔を、綻ばせた。
アーモンド形の少し釣った碧の目が、三日月型に細められている。
少し太めの眉も男性らしくて凛々しいし、ストレートな金の髪はキラキラと輝いている。
昔と違って、髪は後ろに撫でつけられているのも渋くて素敵だわ。
(ああ、もう……。なんで、なんで、そんなに――かっこいいの。それに比べて私は――……。彼の瞳に映るのが、つらい。つら過ぎる)
サラは両手で顔を隠した。
「どうして顔を隠すんだ?」
「だって……徹夜明けで――。こんな顔、見られるなんて」
(恥ずかしくて、死ねる!)
「そんな――……サラ、君はいつだって……可愛いのに」
レスターは社交辞令が苦手なのか、少し照れたのか、「可愛い」というセリフは少し言い慣れていないを感じがした。そういう誠実なところが、レスターの魅力だ。
(イケメンなのに、こんなに優しいなんてどうなっているの!?)
嘘でも「可愛い」なんて言ってくれたのだ。
(そうまで言っていただいて、いつまでも顔を隠しているのも大人げないわ)
サラは請われるままに、レスターと向き合った。
久しぶりに向き合ったレスターは、想像以上の破壊力だった。
「サラ、君の優秀さは騎士団にも聞こえてきている。新人なのに残業続きだなんて」
レスターは「可哀そうに」と、サラの頭をポンポンと撫でた。
その仕草は、以前と同じ――妹にするようなものだった。
「頑張っているんだな」
徹夜明けで婚約破棄されたボロボロの女に、レスターはよくない。
(あんまり優しくしないで)
目の奥が熱くなるのを感じた。
(やだ。こんなタイミングで……。泣いたりしたら……)
サラは瞳が潤むのを見られたくなくて、レスターから視線を外した。
「サラのことはずっと気にしていたんだ。でも――……俺が話しかけても、君を困らせると思って……」
(お姉さまとの婚約がまとまらなかったから、ハーヴィー家の人間に会うのは気まずかったのだろうか? それとも「鬼の騎士団副団長」だから?
私だって――……話しかけたかったけど、迷惑だろうと思っていた)
「そんなこと――……私も、同じように、思っていました」
「そうか。そうだったのか。……だったら、すぐに声をかければ良かった」
レスターは私の告白に、嬉しそうに口角をあげた。
サラもレスターの笑顔に引っ張られるように笑った。
さっきまでの絶望はなんだったのだろう。
レスターの何気ない仕草で、心がポカポカと暖かくなるのが分かった。
(子どもの頃に、戻ったみたい)
うっとりとレスターを見ていると、レスターの瞳に真剣なものが宿った。
「サラ、それで……。疲れているところ、ここに来てもらった件だけど。デニス・エドマンド・アドキンズのことだ」
レスターの声が、少し低くなった。
デニスは騎士団所属の騎士――アカデミーを卒業したばかりの、二年目の新人だ。
「騎士団所属の人間が、大変失礼な行いをした。誠に――……申し訳ない」
レスターは、サラをまっすぐに見つめると恭しく頭を下げた。
その姿は、兄の友人でも、姉の元婚約者候補でもなく、デニスの上司の顔だった。
「やめてください。あなたが謝ることなんて……」
「騎士団の人間の不始末は私の不始末だ」
「そんな、プライベートなことですから、上司は関係ありません」
「そうは行かない。デニスは、君の職場の前の廊下で、多くの人目のある場で、君に婚約破棄の宣言を行ったと報告を受けている。こんな非常識なことはない。私の教育不足だ」
レスターの態度には、仕事への矜持と強い責任を感じた。
通りすがった人がすぐに騎士団に報告に行ったのだろう。
(もう、こういうことになるから、婚約破棄をするならするで、TPOを弁えてくれればいいのに……。本当にデニス様は、私のことなんかどうでも良いと思っていたのね)
「起こったことは、仕方がないことですから……」
「私が言えたことではないが――。婚約破棄をするとしても、やり方というものがある」
「それは、そう、ですけど……」
「あんなことをして――……。女性がどういう思いをするか、想像もできないとは」
「デニス様と……信頼関係を結べなかった私の責任でもありますから」
レスターの前で、デニスのことを悪く言うことはできなかった。
これ以上、彼にデニスのことで責任を感じさせたくない。
しかし、デニスを庇った瞬間――レスターが纏う空気が一気に冷えたような気がした。
「デニスを、庇うんだな」
「そういう……つもりでは――」
「責任というのなら――……今回、破棄に至った責任は、私にもある」
レスターが大真面目な顔をしてサラを見つめた。
(……はい?)
思わず、涙が引っ込んだ。レスターは何を言っているのだろう。
「マリア嬢とデニスが出会ったきっかけは、私だ。私が……あの日、彼に書類を届けさせた。もし私が別の者を使いに出していれば、君が傷つくことはなかった」
レスターは深刻な顔で俯いた。まるで、自分が何か大きな罪を犯したようだった。
(……いや、無理があるわ! それを言ったら、二人を採用した人事も、なんなら彼らを生んだ親まで責任を負うことになりかねない)
突っ込みどころ満載の台詞だったが、彼は本気でそう言っていた。
本気で「自分のせいでサラの婚約が壊れた」と思い詰めているようだ。
その碧の瞳に宿る熱っぽさに、サラは背筋が震えるのを感じた。
(責任感が強いのは彼の素敵なところだけど、これはさすがに……――)
サラは項垂れるレスターに首を振った。
「デニス様と私は、元々うまくいっていたわけではありませんから。そういうことがあってもなくても、結果は変わらなかったと思います」
「でも――」
「そんなに副団長に責任を感じていただく必要はありません」
食い下がるレスターに、サラは笑顔を見せた。
こうやってレスターと話すことはもうないかもしれない。
(だったら、せめて笑っている顔を覚えておいてほしい。徹夜明けのボロボロの姿だって、微笑めば少しはマシに見えるはず)
レスターは、サラから少し視線を外した。
(どうか、したのかしら?)
「副団長」
「レスターだ」
顔をあげたレスターの顔は、何故だか不機嫌そうに歪んでいた。
「え?」
「レスター。デニスのことは名前で呼ぶのに何で私は役職なんだ? 前は名前で呼んでくれていただろう? 役職で呼ばれるなんて寂しいよ」
「あ……。もう子どもではないし……。失礼かと思って――その。ごめんなさい。レスター」
レスターはそう呼ぶと、満足そうな顔で笑った。
「レスター。気にしてくれてありがとう。私、そろそろ家に帰るわ。お父様に説明もしなければならないし」
ソファから立ち上がるサラの手を、レスターは引き留めるように握った。
(え? なに? まだ、何かあるの?)
サラの戸惑いに気が付かないのか、レスターは穏やかな口調でサラに質問した。
「それなんだが――。サラ、君はデニスと婚約破棄をしたあと、どうするつもりなんだ?」
「どうするって……」
どうするも、こうするもない。
どう答えてよいか、考えあぐねていると、レスターがサラに微笑んだ。
握った手をぐっと引っ張り、レスターの隣に強引に戻すとサラの顔を見つめた。
その瞳に熱が宿っているように見えるのは、気のせいなのだろう。
レスターがサラを見つめたまま、ぐっと押し黙った。
(な……なに?)
不思議に思っていると、思いがけない言葉を口にした。
「サラ。私と……婚約、しないか?」




