第1話 婚約破棄
「サラ・ジャスミン・ハーヴィー、今日を持って君との婚約は破棄させてもらう!」
鏡を見なくても、ひどい顔をしていることは分かっている。
婚約破棄がショックなわけじゃない。徹夜明け、だからだ。
(なんでも良いから、早く家に帰して……)
私の婚約者――デニス・エドマンド・アドキンズは、私の同僚――マリア・ダイアン・ランドンの肩を抱いて、私を得意気に指さした。
デニスの逞しい腕に抱かれたマリアは、同い年とは思えないセクシーさで、デニスの胸にしな垂れかかっている。マリアはカールのかかった艶のあるストロベリーブロンドのロングヘアをくるくると弄んでいる。
(結局、いつの世もこういう女性が男性には好まれるのね)
サラは妙に諦観した思いで、恋する二人を眺めている。
平凡を絵に描いたようなサラの唯一非凡なところは、前の人生の記憶があることだ。
いわゆる、前世の記憶というヤツだ。
サラの前世は、この世界とは全く違う――“ニホン”という国でのものだ。ニホンには魔法はなかったが、魔法のような科学が発達していた。私はその世界でも驚くほど地味で、真面目で、男性に好かれるタイプではなかった。
(前世も、今世も、真面目に生きているのに、なんだってこんな目に……)
徹夜明けの私と違って元気なデニスが、王宮の廊下でハキハキと婚約破棄を宣言してくれたおかげで、通りすがる人たちの視線も痛い。
(婚約破棄をするならするで、職場の前でしなくても……)
あまりに配慮のない、恋するデニスを前に、思わずため息が漏れた。
そんなサラに、マリアは満足気な笑顔を見せた。
(マリアの指示なのかしら……。本当、性格が悪い)
「――分かりました。私はこれから家に帰りますので、父にはこのことを伝えておきます。アドキンズ侯爵は、このことはもうご存じなのでしょうか?」
サラは淡々とデニスにむき合った。
デニスはそんなサラの態度に苛立ったように睨んだ。
「なんなんだ。その態度は」
「何って……」
「少しは君もマリアのように可愛げのある態度を取れないのか。だから、こんなことになるんだ」
マリアは潤んだ瞳で、デニスを上目遣いに見ている。
「デニス様、そんなことをおっしゃってはサラがかわいそうだわ。ショックで頭が働かないのよ」
マリアのこの顔は、もう何度見たことだろう。
なんでこんな手に引っかかるのかが不思議だが、いつも、いつも、いつも――……。老いも若きも、男性はマリアの上目遣いに弱い。
(本当に、男ってバカ……)
デニスにしな垂れかかるマリアをチラッと見た。
(婚約破棄されている中で可愛げって……どう見せれば良いのかしら)
「マリア、君はサラの気持ちまで考えて……。本当に優しい女性だ」
デニスはうっとりとマリアを見つめて言った。
(恋は盲目ってこういうことなのかしら。本当に優しい女性は、職場の前で婚約破棄しろなんて言わないし、婚約者のいる男性に手も出さないし、こんな勝ち誇った顔で元婚約者を見ることはないと思いますけどね!)
「それに比べて、サラ。君ときたら、見た目も地味、仕事もできず残業ばかり、愛嬌もない。私の親に取り入ることだけは上手かったようだが、社交も全然しない。父にはこの話はこれからするが、君が未来のアドキンズ侯爵夫人に相応しくないことは自明のことだ」
(なるほど。アドキンズ侯爵にも言わずに、こんなをしているのね……。どうかしているわ)
「デニス様ったら……」
「本当のことだ。仕方がないだろう?」
「でも――」
マリアはデニスの横で、形ばかりサラへの発言を咎める振りをしながら、嘲笑うような笑みで煽っている。
(本当に、ムカつく女。マリアが少しは仕事をしてくれれば、私の残業だって減るわ)
サラはデニスとマリアの茶番に苛立ちを覚えたが、ぐっと飲み込んだ。
(我慢――。我慢よ、サラ。こんな人たち、相手にしないに限る)
「――……申し訳、ございませんでした」
今世の貴族社会は“ニホン”以上に、男尊女卑の社会だ。いかなる理由があろうと、公衆の面前で男性に言い返すような女性は好まれない。サラは苦々しく思いながら、心にもない謝罪を口にした。
デニスは頭を下げるサラに、満足気な顔をした。
もちろん、その傍らのマリアは、デニス以上に得意気な顔でサラを見ていた。
「手続きはハーヴィー伯爵に連絡する」
「よろしくお願いいたします」
サラはデニスに頭を下げて、職場をあとにした。
周囲の同情的な視線は気になったが、そんなことを気にしている場合ではない。
サラは乗り合い馬車が待つ通りまで、今後のことを考えながら歩いた。
貴族社会は爵位、階級がものをいう。
デニスの話だと、この婚約破棄は彼の独断だ。
(でも、こんな……――王宮の廊下で、大声で宣言されては、アドキンズ侯爵とて撤回するのは難しいわね)
伯爵家である我が家が、格上である侯爵家に物申すなんて考えられない。
つまり、1年続いたデニスとの婚約は、これで正式に解消される。
婚約者として過ごしたこの1年――傲岸不遜なデニスに好意を寄せることはなかった。
が、家格や年齢の釣り合いを考えても、デニスはサラにとって、それなりに条件の良い婚約者ではあった。
(性格は私とは合わなかったけれど、二枚目だと一部の女性には人気があった。それに、私以外の女性には紳士的で優しい一面も見せていたし、デニスのご両親は、地味で真面目な私を評価してくれていた)
デニスとの婚約破棄が、ショックなわけではないけれど……。
(公衆の面前で婚約破棄された私に……次のお相手は――難しいわね。すぐにまともなお相手が見つかるとは思えない。彼との婚約をまとめてくれたお父さまにも申し訳ないわ)
サラは昨年アカデミーを卒業した18歳だ。
今世の令嬢たちは20歳前の婚姻も多い。
(前世と比べると、婚姻は早いけれど、若い女性の方が売り手が多いというのは変わらないわね)
家格や年齢が釣り合うまともな男性は、既に既婚者か婚約者がいる。
(これから新しいお相手を探すとなると――)
サラはこの後のことを考えると、頭が痛かった。
前世では結婚詐欺に遭った。そのことがトラウマになって、交通事故で亡くなる41歳まで結婚はしていなかった。
(前世では仕事に逃げるように生きていたけれど……)
ニホンと違い、この世界――特に貴族社会は女性の社会的な自立は認められにくい。
家のために女性は結婚し、後継ぎを産むべきだとされている。
(でも、こんなことになった私と婚約する人なんて……)
相当高齢な貴族の後家か、変態と名高い貴族の慰みものか……。
(お父さまは、まともなお相手を探してくれようとはするだろうけど……そんな相手、いるとは思えない)
考えるだけで頭が痛くなる。
(ご高齢の方はともかく、変態貴族との結婚だけは、なんとか避けたいものだわ……)
結婚にときめくような思いは残っていなかった。
サラは祈るような思いで目を閉じた。
「サラ」
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
その声は、初恋の人、レスターの声だった。
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