第16話 重すぎる通勤
「おはよう、サラ」
いつもの乗り合い馬車で出勤しようとしたら、なぜかレスターが爽やかにほほ笑んでいた。
「レスター……? なんで、乗り合い馬車に……?」
通勤用の馬車に乗り込むと、レスターが何故か乗っていた。
(レスターって……王宮近くのタウンハウスから通っていたわよね?)
乗り合い馬車に似つかわしくない、丁重なエスコートをされて馬車に乗り込む。
「サラが、朝の迎えはいらないと言うから」
「それは、レスターが遠回りになるから断ったのであって。こうして乗り合い馬車に乗るなら意味ないっていうか……」
(なんでこんなことに? レスターは、一体何を考えているのかしら……)
当たり前のように、レスターの隣に座らされる。
馬車には朝いつも会う2課の職員――デリック・ビッツも同乗していた。
サラはデリックに軽く会釈をした。
デリックとは馬車で毎朝会うし、同じ魔法課の職員ということもあって、たまに話もする。
デリックは細身で分厚い眼鏡をかけている。
表情の変化も、感情の起伏も基本的には乏しいが、魔道具オタクのため、魔道具の話になると止まらなくなる。デリックは異性を感じさせるところもあまりないので、気楽に話せる。
サラも魔道具や魔法のことへの興味は強いので、彼の専門的な話は興味深い。
(今日はレスターがいるから、彼とオタク話に花を咲かせるわけには……)
レスターの長い脚が、狭い乗り合い馬車では窮屈そうだ。
デリックは遠慮しているのか、窓の外を見ている。
「レスター、その……迎えに来てくれるのは嬉しいけど。ここまでしてくれなくても」
「迷惑だった?」
「……迷惑では、ないけど。申し訳ないし」
「申し訳なくなんてない。私は君の婚約者なんだ。心配するのは当然だろう?」
「心配って……別に通勤するだけで」
(一体何があるというのか。乗り合い馬車は王宮勤めの人しか乗らないから、身分も確かだ。騎士団は危険任務も担当するから、感覚がおかしくなっているのかな? でも、デニスは全然そんなところはなかったけど……)
「こんな密室で異性と一緒にいるのが、嫌なんだ」
デリックに聞こえないように、レスターが耳元で小さく囁いた。
「え!?」
レスターの視線が、デリックの背を捕らえている。
「別に……心配することなんて何も――」
(レスターも、お兄さまのように過保護気質なのかしら。なんだか……デリック様に申し訳なさすぎる。たまたま私と同じ馬車に乗っているだけなのに……)
デリックはさっきから、背景に徹してくれているようだ。全く反応を示さず、ずっと窓の外を見ている。
「それよりサラ、ハーヴィー伯爵からも正式にお返事をいただいたよ。式の日取りも早く決めたいから近いうちに正式に挨拶にも伺うから」
先日の夜会から2日しか経っていないのだが、なんだか驚くスピードで物事が進んでいく。
(デニスとは1年婚約しても、全然結婚の準備なんて進まなかったのに……。驚くスピードだ)
「ありがとう。私もヴィヴィアン侯爵家にご挨拶に伺わないとね」
「父も、母も、喜んでいるから、サラは心配しなくて良いよ。そうだ。夕食の日を設定するよ。君の仕事の予定を教えてくれ」
「あ、うん」
レスターに請われて、鞄から予定表を取り出した。
向こう3カ月の細かな予定が書かれている。
「これを、借りてもいいかな? この先の予定もある?」
「え? あ……あるけど」
(そんな、先の予定まで必要?)
「全部、写しておきたい」
「え!? 全部?」
「ああ、この後も式の準備や打ち合わせなんか決めることがいっぱいあるだろう」
「それはそうだけど、全部写すのは大変じゃない?」
(この世界にはコピー機やプリンタがないのよね。魔法を活用した活版印刷のようなものもあるけれど特殊能力だから、いまだに写本も多いし。気軽にちょっとしたものをコピーする、みたいな感覚は少ない。魔法はすごいけど、やっぱり科学の力は便利だったわ)
「写せますよ、すぐに」
ずっと車窓を眺めていたデリックが、私たちを無表情に見ていた。
「え?」
「この前、サラさんと話していて、閃いたんだ。紙に書かれているものを誰もが簡単に写せるものがあると便利だなって」
「え?」
「こういうとき、うってつけでしょう?」
デリックとは、前世の経験から便利に思うものの話もしていた。
「2課に試作品があるんで、来ますか?」
淡々とした表情でデリックが提案する。
レスターが驚いたように、デリックを見ている。
「良いのか?」
「はい。サラさんの予定表を、写したいんですよね?」
「ああ、全て。できるのか?」
レスターが持っている予定表をデリックが確認する。
「この程度なら、簡単ですね。5秒くらいでできるんじゃないですかね」
「5秒!?」
(手書きで写していたら、10倍はかかりそうだものね。それにしても、全部写す必要は本当にあるのかしら?)
サラとレスターは、デリックについて2課へ赴いた。
レスターとサラの登場に少し驚いたようではあったが、2課の職員は独自の世界観を持っている人が多く、それほど気にしていなかった。
(研究者気質というのか。デリックもそうだけど、人への関心より魔道具への関心の方が強い人が多い気がする)
デリックが見せてくれた魔道具は、前世で言うところのコピー機とは全く異なる形状だった。金属っぽい材質の棒状のもので、大分コンパクトだ。スイッチを押しながら棒状のものを予定表に照らすと、その写しが予定表の上からふわっと現れた。
(どういう仕組みか全く分からないけど、機能としては完全にコピー機だわ)
「すごいな、これは! 君は天才か」
レスターはサラの予定表の写しを持って、感動していた。
デリックは少し照れているようだった。
「サラの字が、そのまま……」
レスターはよく分からないところに感動ポイントを見出していた。
(コピー機なんだから、私の文字がそのままなのは当たり前なのに)
「まあ、まだ大量にはできないので、試作段階ではありますが」
「量産できると、仕事も捗るな」
「ええ、ただそうなると写字生の仕事にも影響しますので慎重にとは考えています」
デリックの言葉にレスターは感心したように「ふむ」と言った。ただの「研究馬鹿」ということでは無さそうだと、レスターはデリックを評価していた。
デリックはレスターを無表情に見つめた。
「副団長、先ほどもチラッとお話ししましたが、実はこの魔道具のアイデア、サラさんと話していて浮かんだんです」
「……サラ、と?」
急にレスターの表情が固くなった。
「はい。サラさんとは朝に乗り合い馬車で一緒になるので、少し話をするんですが。彼女は、私にはないユニークな発想があって、今までも魔道具制作のヒントをもらっていて……」
サラはデリックの言葉を不思議な思いで聞いていた。
(デリック様がそんなことを思ってくれているとは思わなかったわ。私はただ前世で便利だったことが、この世界でもできたらいいなっていう程度で話していただけなんだけど)
「そうか」
「今朝のお話が、少し聞こえていましたが――。私は副団長が心配なさるような、特別な感情はサラさんには持っていません」
レスターはデリックを値踏みするような、厳しい目を向けていた。
「……」
「見ての通り、女性にモテる要素もありません。余計なお世話ではありますが、副団長が毎日遠回りをして出勤をされるのは大変なことかと思います。日勤ならともかく、夜勤や宿直の日もありますよね? 魔獣討伐も定期的にあるだろうし……」
(確かに、そうだ)
「女性にはモテませんが私も男ですから。変な男が現れたら、サラさんの盾にはなれるかと」
「……」
「ですから、今後も朝、馬車の中で、サラさんとお話をしても宜しいでしょうか?」
デリックは真剣な顔でレスターに頭を下げた。
(ど……どういう、お願いなの? これは――)
レスターは、私の予定表の写しと、デリックを交互に見てため息をついた。
「――……条件が、ある」




