真相
「嬉しいわあ!私、こんな有名な俳優のお芝居観るの、初めてよ。」多嘉恵さんがはしゃいだ。
シェアハウス仲間四人で滝川エイジ主演の「ハムレット」の千秋楽を見に来たのだ。
このチケットを取るのは、至難の業なのだが、どういう風の吹き回しか、特等席が、なんと滝川エイジによって贈られてきたのだった。
数日前、滝川エイジのマネージャーという人物から電話がかかってきて、エイジの希望により、チケットをプレゼントするので、枚数を教えてほしいと聞いてきたのだった。ありがたい事に、神原は芳田と圭助の男二人の事も勘定に入れてくれていた。良い友だ。
刑事二人もチケットを手に劇場のロビーにいた。神原をはじめとする総勢六人は、特等席に案内され、素晴らしい芝居を堪能した。
滝川エイジは、神原が思っていた以上の名演技を見せた。これほど素晴らしいとは、思わなかった。
オフィーリアが川で流されるシーンでは、周りでグスっという鼻をすする音が何か所か聞こえた。
六人中、三人がハンカチで流れる涙を抑えていた。その三人とは、多嘉恵さん、圭助、吉田だった。
アンコールも終わり、ホールの照明も明るくなり、すっかり客席も人が少なくなった。
神原と二人の刑事は、これから滝川エイジに会いに行くらしかった。
多嘉恵さんと芳田と圭助は、三人で帰路についた。
三人は途中でカフェに立ち寄り、お茶を飲みながら、さんざん今日の芝居の感想を喋り合った。
控室には、滝川エイジが一人でいた。マネージャーの勝田が、打ち上げが始まるから、早く着替えて来るようにと言ってきたが、エイジは「少し遅れるから」と伝えていた。
エイジは一人の客がやって来るのを待っていた。
ドアがノックされた。「はい、どうぞ。」エイジが応えた。
入ってきたのは前島小枝子だった。
「庄ちゃん。今日は素晴らしかったわ。本当に感動したわ。」小枝子が、頬を紅潮させて言った。
「どうもありがとう、小枝子さん。」
「庄ちゃん、本当に素晴らしい俳優さんになったのね。なんだか、遠い存在になってしまった気がするわ。」
「そんな事。僕は僕のまま、変わらないよ。」
「ああ、私、そんな庄ちゃんが好きなのよ…。」
腕を伸ばして首元に抱き着こうとする小枝子から身をかわしながら、
「でもね、小枝子さん。もう、終わりにしてくれませんか。」と、エイジが真顔で言った。
「庄ちゃん…。」
「小枝子さん、僕はどうなってもいい。過去のスキャンダルを言いふらしたければ、そうしてもらってもいい。ただ、もうこれからは、僕につきまとわないでほしいんだ。」
「庄ちゃん、私はあなたを育てた母親なのよ。そりゃあ、途中からはちょっと違ったけど、でもあなたの言い方だと、母親を捨てるって事と同じことになるのよ。」
「そうだろうか。もしあなたが本当に僕の母親なら、過去のスキャンダルで脅したりしないはずだよ。」
「庄ちゃん、私を見捨てる気?あなた、そんなに冷たい人間だったの?」
「ごめんなさい、小枝子さん。もしお望みなら、慰謝料を払います。だから、お願いします。」
「ああ、ひどい!庄ちゃん!」小枝子は泣き崩れた。
その時、ドアがノックされた。神原達三人だった。
「はい。どうぞ。」エイジが返事をした。
神原がドアを開けた。
「おや、お邪魔だったでしょうか。」
「いえ、構いません。お入りください。」エイジが招いた。
「滝川さん、きょうのお芝居、楽しませてもらいました。素晴らしかったです。チケットをありがとうございました。」神原が礼を言った。
「いやあ、私はめったに芝居なんて見る事もないんですがね、こんなに感動するもんだとは、今日まで知りませんでしたよ。」山本が褒めた。
「僕は、恥ずかしながら、泣いてしまいましたよ。こんなことは初めてです…。」吉田は、まだ赤い目をしていた。
「皆さんにそんなに褒めていただいて、チケットをお贈りした甲斐がありました。今日はお越しいただきありがとうございました。」エイジが立ち上がって頭を下げた。
「ところで、前島小枝子さん、あなたは何故、ここにいるんです?」神原が聞いた。
「僕が呼んだんですよ。皆さん、どうぞ狭いところですけどお座りください。僕は、今ここで、今回の一連の事件について、自分の知っている事を全て正直にお伝えし、たとえそれが自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、受け入れて、自分の人生に決着をつけたいと思っているんです。」
神原と山本は、エイジが以前会った時と比べて、精神的に大人になったのを感じた。
吉田は、「いけ好かない野郎だと思っていたが、男前じゃないか」と感心した。
「小枝子さん、ごめんね。この人達に本当の事を話すとなると、小枝子さんの事も言わなきゃいけなくなるんだ。でもね、小枝子さん、真実は、いつまでも隠してはいられないんだよ。」エイジは小枝子を見ながら言った。
「庄ちゃん、私を警察に差し出す気?」
「結果的に、そうなるかもしれない。でも、僕も僕のした事の責任は取るつもりだから。」
小枝子は、青ざめたが冷静だった。
「そう…、いいわ。じゃあ、わたしが自分で言うわね。刑事さん、東雲あさりさんを階段から突き落としたのは、私です。」小枝子が白状した。
「やっぱり、そうでしたか。」神原が言った。
「わかってらっしゃったんですか。さすがは探偵さんですね。」小枝子が言った。
「でも、これはご存じなかったでしょ。坂出みずきさんを夜道で押して、坂を滑り落したのも、私だったってこと。」
「おお、そうでしたか。それは知りませんでした。」神原は、嘘をついた。
「だから、この人、滝川エイジさんには、何の罪もありません。すべて私が一人で勝手にやった事なんです。」
「駄目だよ、小枝子さん。一人で罪を被ろうとしちゃ。」エイジが遮った。
「だって、これが真実でしょ。あなたは何も悪くないわ。」
「違うんです。探偵さん、刑事さん。僕の言い分を聞いて下さい。」
「伺いましょう。」
「僕は、以前から小枝子さんと東雲たにしさんの二人がそれぞれ、ずっと僕をつけていた事を知っていました。あの日、二度目に『オーベルジュ・シェル・エトワール』に行った日も、誰かが僕の車の後をつけている事には気付いていました。パパラッチかも知れないし、小枝子さんか、たにしさんかもしれないし、最初はわかりませんでしたが…。でも、途中ぐらいから、それがタクシーだとわかり、おそらくたにしさんだろうと思いました。」
「なるほど…。」
「でも、僕はすごく疲れていましたし、夜の山道には慣れていなかったので、そのまままっすぐに目的地に向かいました。すると、やっぱり一週間程経って、東雲あさりさんがやって来たんです。」
「なるほどね…。」
「あさりさんが死んだあの夜、僕は浅い眠りで、寝入ってからまたすぐに、目が覚めました。とは言っても、まだ半分は夢の中で、ボーッとしていました。すると、目の前に小枝子さんの顔がありました。」
「えっ!」刑事二人は驚いて、いっせいに小枝子の方を見た。
「ええ…。その通りです。私は、その夜、こっそりと屋敷に忍び込み、ずっと物陰から三人の様子をうかがっていました。そして、深夜になってから、庄吉君の部屋に入り、その寝顔を眺めていたんです。」
実際、「オーベルジュ・シェル・エトワール」に忍び込むのは、容易な事だった。
尚美は、客の出入りがある間は、門を開け放していたし、玄関の鍵もかけていなかったからである。しかも、二人住まいなのに、部屋数は多すぎるほどだったし、昼間に尚美が掃除に入る時以外では、いくらでも空いた部屋に隠れていられたからであった。
「…ほう…。」神原は、ある程度まで予想はしていたものの、予想以上の小枝子の大胆な行動に対して、やはり少なからずショックを受け、他に返す言葉が見つからなかった。
「すると、庄吉君が寝言のように『もう、僕を自由にして。もう、許して…。』と言ったんです。」
「ほう…。」
「それで私は悲しくなって、部屋を出ました。もちろん、彼の言葉が自分に対する言葉だと思ったからです。でも、階段の前の廊下を東雲あさりさんがフラフラと歩いているのが眼に入ったんです。私は以前から、あの女が庄吉君に何をしてきたか、知っていました。だから無性に腹が立ってきて、あさりさんが憎くてたまらなくなったんです。そして、思わず彼女に突進し、突き落としてしまいました…。」
「なんと!そうでしたか。」
「やっぱり、僕のせいだったんだ…。僕が君に、そんな事を言ったから…。」エイジがうなだれた。
「庄ちゃんのせいじゃないわ。私が勝手にやったことよ。」
「東雲あさりに対して、殺意はありましたか?」神原が聞いた。
「いいえ、そこまでは…。ただ、酷い目にあわせてやりたかっただけです。だけど暗かったし、彼女も酔っていて足がもつれていたし、…加減がわからなかったんです。」
「…それで、坂出みずきさんの件は?」山本が促した。
「あれは、僕が悪いんです。あの日、みずきは僕に結婚してほしいと言いました。それを僕は、きっぱりと断りました。しかし、断り方が不味かったと、今ではすごく反省しています…。」
「そうなんですか?」
「ええ…。僕は、あの時みずきの目の前で、尚美さんに愛の告白をする形を取ってしまいました…。」
「確かに、それは不味かったですね…。」吉田が言った。
「でも、庄ちゃん。あれは、ああ言うしか、仕方なかったと思うわよ。私も物陰から見ていたんだけど…。」小枝子が口を挟んだ。
「あの時は、私もショックでした。まさか、庄吉君が尚美さんをそこまで愛しているとは思いませんでしたから…。それから私は、みずきさんが泊まっていた一階の客間の隣の部屋に身を潜めました。そして、三人の様子をそれぞれ伺いながら、自分もあれこれ考えていました。尚美さんと庄吉君が、二階の庄吉君の部屋へ入っていったのも知っていました。それから、何時間も経ちましたが、私は目がさえて少しも眠くありませんでした。すると、もう午前四時を過ぎた頃、みずきさんが部屋を出る気配を感じました。そして、そっと様子を見てみると、コートを羽織ったみずきさんがキッチンへ入っていくのが見えたので、心配になって後をつけました。だって、私も庄吉君を愛しているから、みずきさんの気持ちは痛いほどわかるんですもの。…みずきさんはそのままフラフラと、勝手口を出て、裏の門を開けて屋敷を出て行ったんです。」
「ふむ、なるほど。」
補足するならば、屋敷の出入口も門もすべて電磁で管理されていて、中からは簡単に開けられるが、外から入る時にはピンポンを押して要件を告げ、中から操作して開けてもらう造りになっていたのであった。閉店中は常に作動するようにしてあった。
「彼女は、ふらつきながら、かなりの長距離を歩き続けました。雪の降り積もる寒い夜で、後をつける私も大変疲れました。もう、いい加減諦めて引き返そうかと思いました…。」
「そうでしょうな。」
「まだ暗かったのですが、ほんの少し東の空が白んできた頃でした。突然、彼女の進行方向に下り坂が見えたんです。それで、『危ない!』と思いました。私は、急いで彼女の元へと走りました。実際には雪がすごくて、とても走る、とはいきませんでしたが、それでも極力急ぎ足で進みました。でもあと一歩まで近づいた時、助けるどころか雪で滑って、伸ばした手が彼女の体にぶつかり、かえって突き飛ばすような事になってしまったんです…。」
「そうでしたか!じゃあ、あなたは坂出みずきさんに対して、殺意があったわけではなかったんですね。」
「ええ、殺意などありませんでした。でも、結果的には私が彼女を突き落としたんです。彼女は、あっという間に坂道を滑り落ちて、動かなくなりました。私は、恐くなりました。しばらくそこに立ちつくして、どうしようかと悩みました。すると、すぐ近くの家の人が起きだしたようで、部屋の明かりがついたんです。それからほどなく、家の中から女性が出てきて、みずきさんを見つけ、駆け寄るのが見えました…。」
「小枝子さん、みずきを助けようとしてくれて、ありがとう…。」エイジが小枝子の手にそっと触れた。
「庄ちゃん、私、みずきさんを助けられなかったのよ。それどころか、私がこの手で突き落としたのよ。それに、その後も見ていただけなのよ…。みずきさんが助かったからよかったものの、もしかしたら、死んでいたかもしれないのよ…。お礼を言われるような、立場じゃないわ。」
「でも、言いたいんだ。あなたはみずきを心配してくれた。そして、助けようとしてくれた。それだけで、充分だよ。それなのに、僕はあなたを『つむじロッジ』で見かけた時、もっと恐ろしい事を想像したんだ。本当に申し訳なかったよ…。」
それから、エイジは神原と刑事達に向かって言った。
「僕は、今回の事件において、自分では何もしなかった。でもそれこそが、最大の罪ではないでしょうか。僕が最初からもっと、それぞれの人に誠意をもって接し、事件が起こる前の段階で止められていたら…。そう思うと、本当にやりきれません。この事件の原因は僕です。僕の存在が、この不幸な事件を起こしてしまったんです。僕は、東雲あさりさんと吉原尚美さんを死に追いやりました。すべては僕のせいです。僕が、悪いんです。だから罰を与えて下さい。そして罪を償わせてください。お願いします。」
「いや、滝川さん。たとえ原因があなただったとしても、あなたを法的にどうこうは出来ないかと…。」山本が困惑しながら言った。
「…そうですか…、わかりました。ならば、自分の事は自分で考えます。」エイジがきっぱりと言った。
「滝川さん、あなたまさか…。僕の考えが正しければ、あなたが行おうとしている事は、断じてやってはいけません。僕がそうはさせませんよ。」神原が言った。
「ええ、そうですとも。この事については、絶対にあなたの好きにはさせません。たとえ、一日中、僕があなたにへばり付いてでも!」吉田も強く言った。
それを聞いて、滝川エイジは、寂しそうに笑った。
「…神原さん、本当の幸せって、何だと思いますか?」
「えっ?」
「僕にとっての幸せとは、ただ尚美さんと手を取り合って、夜空の星を眺める事だったんです。」




