第7話 王都グランディル
ノアは途中で見つけた馬に跨り、私を前に乗せた。
そのまま、ユール副隊長とともに全力で駆ける。
「この先、崖がある。飛び越えるぞ」
ユール副隊長の口から出たとは、とても思えない言葉だった。
先行したユール副隊長が、馬をさらに加速させる。
やがて、その先に崖が見えた。
ユール副隊長は迷うことなく、崖を飛び越える。
それを見たノアも、馬の速度をあげる。
「捕まれ!」
飛ぶ瞬間、ノアが叫んだ。
同時に、振り落とされないためかお腹をぎゅっと抱きしめられる。
次の瞬間、身体が宙に浮いた。
そして、着地。
「っ……!」
ものすごい衝撃が身体を突き抜ける。
思わず目を閉じた私が顔を上げると、斜め前方にユール副隊長の姿が見えた。
馬は地面へと軽やかに着地する。
まるで、衝撃など一切存在しなかったかのように。
その姿は、とても綺麗だった。
風にさらさらと長い髪が揺れる。
まるで絵の中から出てきたみたいだった。
けれど。
その顔は、ものすごく険しい。
怒りと悲しみが混ざったような、なんとも言えない表情だった。
さっきまで、わけの分からないことばかりが起きていた。
それなのに。
私は、その姿から目を離せなかった。
しばらく道なりに走っていると、前方に光が見えた。
その向こうには、土煙も上がっている。
近づくにつれて、掲げられた旗の紋章がはっきりと見えてきた。
王国の紋章だ。
それにしても。
明らかに身体の大きな人たちが多すぎる。
やがて、互いの姿がはっきりと見える距離まで近づき、馬を止めた。
ユール副隊長は馬に跨ったまま、相手の部隊の指揮官らしき人物と向き合う。
「視察隊のユール副隊長だったか。何があった」
「……魔獣が……二体、出現した」
その言葉を聞いた瞬間、目の前の部隊が一斉にざわついた。
「だから、警星灯が二つだったのか」
「村一つと、私の部隊が犠牲になった。まだ生き残りがいるかもしれない」
「そうか」
短い返事。
けれど、その声には重さがあった。
そして、指揮官らしき人物が私を見る。
「その子は?」
私は思わず、その人を見上げた。
ユール副隊長が答える。
「……No.22だ」
「魔力持ちか」
その人の視線が、私の腕へと落ちる。
そして、短く言った。
「よく守ったな」
「はい……」
ユール副隊長が答える。
「犠牲が大きかったですが……」
ほんの一瞬。
その声が揺れたように聞こえた。
「……魔獣は、任せろ」
指揮官がそう告げる。
ユール副隊長は小さく頷いた。
そして、ノアへ声をかける。
「ノア、行くぞ」
「はっ」
馬が再び走り出す。
私はその背中に揺られながら、遠ざかっていく部隊を振り返った。
何時間走っただろうか。
そろそろ、おしりが痛くなってきた。
微妙に姿勢を変えたり、座り直したりしながら、さらに数時間。
さすがに限界が近づいてきたころ、ノアが声を上げた。
「ユール副隊長、アステが限界です。休憩しましょう」
「あと少しだ」
「アステはまだ十歳の女の子なんですよ!?」
ユール副隊長は、ゆっくりと速度を落とした。
そして、前を向いたまま馬を止める。
「……十分だけだ」
「私、まだ大丈夫です……」
ユール副隊長の背中を見ていると、そう言わずにはいられなかった。
すると、ノアが呆れたように笑う。
「アステはもう限界でしょ? さっきからずっと姿勢変えまくってるし」
……やっぱりバレていた。
ノアさんにぴったりくっついて走っていたから、誤魔化せなかったらしい。
ノアさんは先に馬から降りると、私をひょいっと抱き上げ、そのまま地面へ下ろしてくれた。
「……疲れた」
馬に揺られ続けていたせいか、地面に足をつけても、なんだかふわふわしている気がする。
ユール副隊長は馬に跨ったまま、川の音がする方へ視線を向けた。
「頭を冷やしてくる」
それだけ言うと、川の方へ消えていった。
私はその背中を見送る。
「……ユール副隊長、怖い?」
「……正直、怖いです」
「そっか~」
ノアはしばらく考え込むように黙った。
「……あれが、ユール副隊長の元々の性格なんだよ」
「え?」
「王国視察隊の隊員のほとんどは、こっちの方が見慣れてる」
今はもう、何人残っているのかも分からない王国視察隊の隊員。
「でも、あれじゃ怖いでしょ?」
ノアが苦笑する。
「視察隊は周りと交流することが多いから、あれじゃ仕事にならなくてね」
「……」
「隊長から釘を刺されて、ユール副隊長なりに努力した結果、あーなったんだよ」
「極端すぎませんか?」
思わずそう言うと、ノアはふふっと笑った。
「ユール副隊長は不器用だからね」
そして、私の頭をぐちゃぐちゃと撫でる。
「ユール副隊長は、不器用なくらいクソ優しいんだよ」
「だから……怖がらないでやってくれ」
その言葉を聞いて、ふと思い出す。
――隊員は家族なのよ。
そう言って、笑っていたユール副隊長。
ちょうど十分ほど経った頃、川の方からユール副隊長が戻ってきた。
「……」
私は思わず目を丸くする。
……なぜか、全身びしょ濡れだった。
「わぁ! なんでそんなにびちょびちょなんですか、副隊長」
「……行くぞ。準備しろ」
「アステ、ユール副隊長こわいねぇ」
ノアさんがからかうように言う。
そんなことを言われても、どんな反応をしていいのか分からない。
「……アステリアーナは、こっちに乗れ」
ユール副隊長が自分の馬を指す。
「俺の馬の方が負担が少ないはずだ」
「……」
……私、こんなにびちょびちょの人と乗るの?
ただでさえ、今のユール副隊長は怖いのに。
身体が、すくむ。
戸惑っていると。
「ほいっと」
後ろからノアさんにひょいっと持ち上げられた。
「えっ?」
そのまま、ユール副隊長の馬へ乗せられる。
私の後ろには、びしょ濡れのユール副隊長。
「……」
身体が、さらに固まった。
「じゃ、よろしくお願いします。副隊長」
ノアさんが、にこっと笑った。
「……」
ユール副隊長は何も言わない。
ただ、手綱を握り直す。
「……行くぞ」
「は、はい……」
次の瞬間、馬が一気に駆け出した。
「わっ……!」
身体が大きく揺れる。
さっきまでのノアさんの馬よりも、ずっと速い。
風が頬を撫で、長い髪が後ろへ流れていく。
必死に身体を支えていると、背中越しにユール副隊長の体温を感じた。
……近い。
すごく近い。
さっきまで怖くて仕方なかったのに。
こうして背中にいると思うと、余計に緊張する。
どうしよう。
何を話せばいいんだろう。
しばらく走っていると。
ふと、背後から聞こえていた呼吸が変わった気がした。
「……?」
そして、少しずつ馬の速度が落ちていく。
さっきまであれほど速かったのに。
まるで、走ることを忘れてしまったみたいに。
ぱか、ぱか、と蹄の音がゆっくりになっていく。
「……ユール副隊長?」
振り返ろうとした。
けれど。
ぽたり。
頭に何かが落ちてきた。
「……?」
冷たい。
また、ぽたり。
もう一滴。
髪から落ちてきた水だろうか。
そう思って、上を見ようとする。
けれど。
ぽたり。
また一滴。
その瞬間、後ろからふわりと身体が包まれた。
「……っ」
ユール副隊長の腕が、私の身体を抱く。
そして。
私の頭に、顔を埋めていた。
濡れた長い髪が頬に触れる。
冷たい。
けれど、その身体は少しだけ震えていた。
「……ユール副隊長?」
返事はない。
ただ、私の頭に顔を埋めたまま、ぎゅっと抱きしめられる。
「……」
私は、何も言えなかった。
気づけば、ノアさんの馬が私たちの横まで追いついてきていた。
ノアさんは何も言わない。
ただ、一瞬だけこちらを見る。
そして。
ノアさんは何も言わずに、私たちより少し前へ出た。そして、私たちの馬に合わせるように、自分の馬の速度を落とした。
「……」
前を走るノアさんの背中が、少しだけ遠ざかる。
まるで。
何も見なかったことにするように。
ぽたり。
また一滴。
水なのか。
それとも、涙なのか。
私には分からない。
ただ。
ユール副隊長の身体が、ほんの少し震えていることだけは分かった。
「……少しだけ、このままでいさせてくれ」
低く、掠れた声。
「……はい」
それだけ答えた。
馬は、もう走っていなかった。
ただ、ゆっくりと歩いている。
前にはノアさん。
私はユール副隊長が落ち着くまで、そのままじっとしていた。
しばらくすると、遠くの景色が少しずつ変わってきた。
木々の向こうに、白い建物が見える。
その数は、どんどん増えていく。
「……?」
さらに進むと、遠くに大きな城壁が見えてきた。
高くそびえる壁。
その向こうには、いくつもの建物が立ち並んでいる。
「あれは……?」
思わず声が漏れる。
すると、すぐ後ろから声がした。
「王都よ」
「……!」
思わず振り返る。
そこにいたのは、さっきまでのユール副隊長とはまるで別人だった。
いつものように背筋を伸ばし、穏やかな表情を浮かべている。
「もうすぐグランディルに入るわ」
「……」
……戻った。
本当に、いつものユール副隊長だ。
さっきまで私の頭に顔を埋めていた人と、同じ人には見えない。
「初めて見る?」
「はい……」
「そうでしょうね」
ユール副隊長が、少しだけ笑う。
「王都は大きいでしょう?」
「……はい」
思わず頷く。
さっきまでのことが、夢だったように思えてくる。
濡れた髪も。
震えていた身体も。
頭に落ちてきた雫も。
「……」
私は、何も聞かなかった。
だから。
ユール副隊長も、何も言わない。
ただ、手綱を握り、前を見ている。
その横顔は、私の知っているユール副隊長だった。
「ノア」
「はい?」
少し前を走っていたノアさんが振り返る。
「入都したら、まず本部へ向かうわ」
「了解です」
「それと」
ユール副隊長が、ちらりと私を見る。
「アステリアーナちゃんを先に休ませましょう。かなり疲れているはずよ」
「優しいっすね」
「……何か言った?」
「いえ、何も」
ノアさんが笑う。
ユール副隊長も、にこっと笑った。
「そう。ならいいわ」
さっきまでとは違う怖さを感じた。
怖いというより、何を考えているのか分からなくて、気味が悪い。
私は前を向く。
目の前には、どんどん大きくなっていく王都。
「……すごい」
思わず、そう呟いた。
ユール副隊長は何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ手綱を緩めた。
やがて、王都の正門が目の前に見えてきた。
大きな城壁に囲まれた王都。
その入口には、何人もの警備隊が立っている。
近づいていくと、こちらに気づいた警備隊の一人が手を上げた。
「止まってください!」
ユール副隊長が手綱を引く。
馬がゆっくりと足を止めた。
警備隊の男が、こちらへ駆け寄ってくる。
「申し訳ありませんが、現在、王都への入都を制限しています」
「……入れないの?」
思わず聞き返す。
警備隊の男が、私を見る。
「ああ。魔獣の出現が確認されているため、現在は入るのも出るのも厳しく制限されています」
「……」
魔獣。
その言葉に、胸がざわつく。
ここまで来たのに。
王都に着いたと思ったのに。
「……またか」
ユール副隊長が、ぽつりと呟いた。
「やっぱりそうっすか」
ノアさんも、ユール副隊長も驚いた様子はなかった。
「前にも何度かあったからね」
「はい。今回も同様です」
警備隊の男が答える。
「安全が確認されるまでは、正門からの入都は許可できません」
「……」
私は二人を見る。
「じゃあ……私たち、どうするんですか?」
少しだけ声が震えた。
せっかく王都まで来たのに。
すると、ユール副隊長が何でもないことのように言った。
「なら、軍施設から入るか」
「え?」
「正門が使えないなら、別の入口を使えばいい」
あまりにもあっさり言うので、思わず目を丸くする。
「そんなところから入れるんですか?」
「ええ」
ユール副隊長が、穏やかに笑う。
「王国隊には、そのくらいの融通が利くのよ」
「なるほど」
ノアさんも頷く。
「じゃ、反対側へ回ります?」
「そうしましょう」
ユール副隊長が馬の向きを変える。
さっきまで目の前にあった大きな正門が、少しずつ遠ざかっていく。
「……」
王都に入るのって。
もっと簡単なものだと思っていた。
ユール副隊長は何事もなかったかのように馬を走らせる。
その横を、ノアさんが並んで走る。
二人とも、もう慣れたものだった。
しばらく走ると、やがて王都を囲む城壁の一角が見えてきた。
そこには、正門とは別の大きな入口があった。
「……大きい」
思わず声が漏れる。
正門よりも大きい。
人が何人も並んで歩けそうなくらいの、大きな扉。
「ここが軍施設の出入口よ」
ユール副隊長が説明する。
「非常時には、ここから軍が一斉に出るの」
「軍が……?」
「ええ」
大きな扉を見上げる。
確かに。
これなら、たくさんの人や馬が一度に通れそうだ。
扉の横には、小さな扉もついている。
その前には、受付のような小さな窓口があった。
ユール副隊長が馬を止める。
「ここで手続きをするわ」
「はい」
私たちは馬から降りる。
ノアさんが私を先に降ろしてくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
その間に、ユール副隊長が受付へ向かう。
「王国視察隊、第二隊です」
受付にいた兵士が顔を上げる。
「視察隊?」
「あれ? ユール副隊長じゃないですか?」
「ええ」
ユール副隊長が懐から何かを取り出す。
「No.22を見つけたわ」
それを見せると、兵士の表情が変わった。
「本部へ急ぎ知らせます」
「いいわ。自分で行くから」
「分かりました。記録だけお願いします」
兵士はユール副隊長に用紙を渡した。
ユール副隊長は、必要事項を書き込んでいく。
その間、私は大きな扉を見上げていた。
近くで見ると、思っていたよりずっと大きい。
これが開くところを見てみたい。
そんなことを考えていると。
「アステリアーナちゃん」
「はい?」
ユール副隊長に呼ばれる。
「もう入れるわ」
「……!」
いつの間にか、手続きが終わっていた。
「早い……」
思わず呟くと、ノアさんが笑った。
「こういうのは慣れてるからね」
「そうなんですか?」
「何度も出入りしてるから」
「なるほど……」
ユール副隊長が、少しだけ笑う。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい!」
私は二人について歩き出した。
小さな扉をくぐる。
その先には、今まで見たことのない広い軍施設が広がっていた。




