第2話 別れ
朝食を終え、散歩ついでにお母様から頼まれた買い出しをするのが、二つ目の日課だ。
私は机の上に置かれたメモを手に取る。
「お母様ー! 今日はこれー?」
「えぇ、そうよ」
お母様は洗い物をしながら、こちらを振り返って答えた。
メモを見ると、今日はいつもより少し量が多い。
「えっと……」
私はリストを覗き込みながら、上から順番に読んでいく。
・豚肉
・牛乳
・小麦粉
・リンゴ
・濃乳
・お砂糖
……あれ?
下の二つは、見たことのない言葉だ。
私はまだ字を覚えている途中だから、上手く読めないこともある。
何度か目を細めて見直してみるけれど、やっぱり分からない。
「お母様、なんかいつもと違うものが混ざってて……」
そう言うと、お母様はふふっと笑った。
「それはね、のうにゅうと、おさとうよ」
「のうにゅうと、おさとう?」
私が首を傾げると、お母様は洗い物を終えて手を拭きながら、こちらへ歩いてくる。
「普段は高くて買わないのだけど、今日は特別な日だからね。お祝いの料理に使うものなのよ」
「お祝い……!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぽんっと弾んだ。
今日は私の誕生日。
朝からずっと嬉しかったけれど、こうしてお祝いの準備が進んでいると分かると、ますます楽しみになってくる。
「わかったわ!」
元気よく返事をすると、お母様は嬉しそうに微笑んだ。
「そうそう。それと、今日は荷物が多いから、セイルを連れていきなさい」
「はーい!」
私はメモを大事に握りしめると、セイルお兄様を探して屋敷の中を歩き回った。
すると、廊下の先からお父様とセイルお兄様の声が聞こえてきた。
何を話しているのだろう。
気になって近づいてみると、二人は真剣な顔をして話していた。
……どうやら、くだらない話をしているようだ。
「男なら大剣を振り回したいだろう!」
お父様が胸を張って言う。
「大剣を振り回す力があればですが……。そもそも大剣を振り回すとなると、どれだけの筋肉が必要だと思ってるんです?」
セイルお兄様は呆れたように眉を寄せる。
「世間一般で考えたら、男二人分くらいの重さを軽々持ち上げられるぐらいじゃないと無理ですよ」
「いやいや、そこは気合いだろう!」
「気合いでどうにかなる問題じゃないでしょう」
二人とも、どうしてこんなに真剣なのだろう。
私は少し離れたところから、二人の会話を眺めていた。
お父様は楽しそうに大剣について語っている。
一方のお兄様は、そんなお父様に対して本気で反論している。
……男の人って、よく分からない。
しばらくすると、お父様は「また始まった」と言わんばかりに、セイルお兄様の話を半分くらいしか聞かず、辺りをキョロキョロと見回し始めた。
そして、私と目が合った。
その瞬間。
「あっ!」
お父様の顔が、ぱっと明るくなる。
ラッキー、と顔に書いてあるような表情だった。
「アステー! 何してるんだ?」
「お父様、また大剣の話ですか?」
私がそう聞くと、お父様は嬉しそうに笑った。
「おお! そうだ!」
……やっぱりね。
お父様は昔、大剣を振るう王国騎士隊に助けてもらったことがあるらしい。
その話を何度も聞かされているけれど、聞けば聞くほど、本当なのか嘘なのか分からなくなってくる。
大剣を振るう王国騎士が、熊4体を相手に一人で全部倒したとか……。
どこまで本当なのかは、私にも分からない。
でも、お父様がその話をするときだけは、とても楽しそうなのだ。
「セイルお兄様、お母様が今日は買い出しに二人で行きなさいって」
私がそう伝えると、お兄様は小さく頷いた。
「分かった。じゃあ準備するか」
「うん!」
すると、お父様が思い出したように手を叩いた。
「んじゃ、パパは畑仕事してくるからなぁ」
さっきまで大剣の話をしていた人とは、まるで別人みたいだ……。
「……切り替え早いな」
セイルお兄様が呆れたように呟く。
お父様は気にした様子もなく、畑へ向かおうとする。
「あ! お父様!」
私は慌てて呼び止めた。
「このリストの買い出しなので、お金をください!」
「おお、そうかそうか」
お父様は懐から財布を取り出す。
これは、お母様の作戦だ。
家計の管理はお母様がしているけれど、どうしてもお金が足りなくなることがある。
だから、こうしてたまに私からお父様に頼んで、お金を出してもらうのだ。
私からお願いすれば、お父様はすんなり自分のお金を渡してくれる。
「お父様、お金ちょうだい!」
「おう。ちょっと待ってろ」
そう言って、お父様は懐から財布を取り出した。
そして財布を開いて中を確認すると、少しだけ考えるような顔をする。
「……あれ? これしか入ってないな」
「足りる?」
「うーん……まあ、大丈夫だろ」
お父様はそう言うと、財布をそのまま私に差し出した。
「ほら。これ、持ってけ」
「え? お財布ごと?」
「おう。俺は畑に行くだけだからな」
「わかった! ありがとう、お父様!」
私は財布を受け取る。
「おう! 気をつけて行ってこいよ」
「ありがとう、お父様! 畑仕事頑張ってね!」
そう言うと、お父様はとても嬉しそうに笑った。
まるで「娘に応援してもらった!」と顔に書いてあるみたいだ。
そのまま鼻歌でも歌いそうな足取りで、畑仕事へ向かっていった。
その光景を真横で見ていたセイルお兄様は、呆れたようにため息をつく。
「まじで、それどうかと思うぞ。お父様が可哀想になってくる」
「お母様に反抗できるの?」
「……」
お兄様は黙った。
その沈黙が答えなのだと思う。
レヴェリア家で一番権力を持っているのは、お母様だ。
普段はあんなに温厚で優しいのに、一度怒ってしまったら手がつけられない。
お母様の言うことが、一番正しくて合理的なのだ。
家計が苦しい中、どうにかやりくりしてこの家を支えてきたのもお母様だ。
だから、誰もお母様には逆らえない。
……たぶん。
「お父様は顔はいいんだけど、頭がちょっとあれなので……」
私は少しだけ考えてから、結論を出した。
「お父様は、いい人を嫁に貰ったと思う」
「……それ、お父様が聞いたら泣くぞ」
「どうして?」
「いや……なんでもない」
お兄様は苦笑いを浮かべる。
私はそんなお兄様を不思議に思いながら、買い出しのメモを握り直した。
今日は私の誕生日。
家族みんなで食べるお祝いの料理が、今から楽しみだった。
庭でリーゼが洗濯物を干しているのが見えた。
「リーゼー!」
大きな声で呼ぶと、リーゼもこちらに気づき、大きく手を振ってくれる。
「お気をつけて〜!」
「行ってきまーす!」
手を振り返し、私はセイルお兄様と一緒に屋敷を出た。
……と言っても、街は屋敷を出てすぐのところにある。
時刻は十時。
街が一番賑わう時間帯だ。
この時間は、朝に届いたばかりの品物が一番多く並ぶ。
採れたての野菜や果物。朝狩りで獲ってきたばかりなのだろう、新鮮なお肉。
昼に向けて仕込みを始めた店からは、焼いた肉や香ばしいパンの匂いが漂ってくる。
色々な匂いと人の声が混ざり合い、歩いているだけで自然と気持ちが弾んだ。
そんな中、私たちを見つけたのか、小物を並べている店のお姉さんがこちらへ手を振った。
「アステリアーナ様〜!」
よくお話をするお姉さんだ。
「こんにちは!」
お姉さんがおいで、と手招きをしているので、セイルお兄様と一緒に近くへ向かう。
すると、お姉さんは嬉しそうに笑って、小さな包みを取り出した。
「今日、お誕生日ですよね! 良かったらこれ、どうぞ」
そう言って差し出されたのは、一つの花飾りだった。
細い金属で編まれたような土台に、いくつもの小さな花があしらわれている。
淡い白の花びらは朝露を残したように透き通り、中心には小さな金色の粒がいくつも輝いている。
花と花の間には細い葉の飾りが添えられ、その一枚一枚まで丁寧に作られていた。
太陽の光を受けるたび、花びらの縁や金色の飾りがきらり、きらりと瞬く。
まるで本物の花が、そのまま光をまとって髪飾りになったみたいだった。
「わぁ……! 綺麗!」
思わず声が弾む。
「こんな綺麗なもの、いただいていいの?」
嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちが混ざり、受け取るのを少し迷っていると、
「僕がつけてあげるよ」
隣にいたセイルお兄様が先に動いた。
私の手から髪飾りを受け取ると、慣れた手つきで私の髪にそっとつけてくれる。
「……どう?」
「うん、似合ってる」
お兄様が微笑む。
そのまま髪飾りを眺めていると、セイルお兄様がお姉さんに向き直った。
「足りないかもしれないけど、僕がお支払いします」
「いえ、差し上げたのですからいいんですよ、セイルヴェイン様」
「でも……」
「本当にいいんです」
お姉さんは笑いながら首を横に振る。
セイルお兄様はしばらく何か言おうとしていたけれど、頑なに受け取ろうとしないお姉さんを見て、とうとう諦めた。
その様子を見て、お姉さんはほっとしたように笑った。
「ありがとう! 大切にするわ!」
頭に触れると、指先に小さな花の感触が返ってくる。
ひとつ、宝物が増えた。
キラキラと輝くこの髪飾り。
家に帰ったら、鏡を見てみよう。
そんなことを心の中で思った。
「アステ様とセイル様じゃないか」
隣で野菜を売っているおばあちゃんが声をかけてきた。
「こんにちは、おばあちゃん」
「こんにちは。今日はリンゴありますか?」
私が聞くより先に、セイルお兄様が尋ねる。
「ああ、ごめんよぉ。今日はリンゴはないんだ……。奥の果物屋なら、あるかもしれないねぇ」
「わかったわ! ありがとう」
お礼を言って移動しようとすると、
「あ、ちょっと待ちな」
おばあちゃんに呼び止められた。
「うちの孫がね、アステ様に渡したいものがあるって朝から騒いでてね。受け取ってもらえないかの」
「私に……?」
何かしら、と首を傾げる。
おばあちゃんは店の奥へ向かって声を張り上げた。
「エリー! アステ様がいらっしゃってるよー!」
すると、奥の方からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
次の瞬間。
「アステ様ー!」
満面の笑みを浮かべた女の子が飛び出してきて、そのまま私へ飛びついてきた。
「わっ……!」
勢いに押され、少しよろける。
「エリ!」
この子は五歳。
妹たちの一つ下だ。
妹たちと歳が近いこともあって、たまに同じくらいの年代の子たちと屋敷の庭で遊んでいる。
「アステ様!」
嬉しそうに私を見上げるエリ。
「エリ、そんなに慌てなくても大丈夫よ」
私はしゃがんで、エリと目線を合わせる。
「次からは、バタバタしないで出ておいで。周りにぶつかったら大変だし、エリが怪我をしてしまったら悲しいもの」
「……わかったわ」
エリは素直に頷いた。
そして、何かを思い出したように両手を差し出した。
小さな手には、一通の手紙が握られている。
「これ……」
エリは少し照れたように俯いて、それから私を見上げた。
「アステ様が、今日お誕生日だから……」
その言葉を聞いて、胸がふわりと温かくなる。
きっと今日、私に渡したかったのね。
「お家でゆっくり読むわね」
私はエリから手紙を受け取った。
「うん!」
嬉しそうに笑うエリに手を振り、小物のお姉さんと野菜売りのおばあちゃんにも「またね」と手を振る。
私とセイルお兄様は、教えてもらった果物屋を目指して街の中心部へ向かった。
「でも、街の奥って結構遠いよね」
「そうだね。ここからだと少し歩くかな」
「リンゴ、あるといいなぁ」
そんな他愛もない話をしながら歩いていた。
けれど。
しばらくすると、私は周りの雰囲気がおかしいことに気づいた。
……なんだろう。
街が、ピリついている。
騒がしいというか、落ち着かないというか。
さっきまでとは、何かが違う。
今までこんなことはなかった。
それなのに、歩いていると次々と声をかけられる。
「アステ様、お誕生日おめでとう!」
「今日はセイル様と一緒なんだねぇ」
「アステリアーナ様、髪飾り素敵ね」
どれも聞き慣れた、優しい声。
なのに今日は、その一つ一つが妙に引っかかった。
胸の奥が、ずっとざわざわしている。
私はとうとう耐えられなくなって、セイルお兄様の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「アステ、どうしたの?」
セイルお兄様が私の顔を覗き込む。
「……アステ、顔色が変だよ。具合悪いの?」
私は首を横に振った。
違う。
そうじゃない。
何かがおかしい。
でも、何がおかしいのかわからない。
怖い。
理由もわからないのに、胸の奥がどんどん苦しくなる。
やっとの思いで声を出した。
「……なにか……変」
小さな声だった。
「え? 何?」
セイルお兄様が聞き返す。
「街が変なの……」
喉が震える。
「……なにか、おかしいの」
胸のドキドキが止まらない。
セイルお兄様は周りを見渡した。
「何が変なの? 僕は普通に見えるよ?」
私は答えられなかった。
何がおかしいのか、自分でもわからない。
ただ、怖い。
そんな私を見て、セイルお兄様は少し困ったように笑った。
「ちょっと待ってて。あそこのパン屋さんに聞いてみるから」
そう言って、私から離れていく。
「……っ」
やだ。
セイルお兄様。
行かないで……。
不安に押しつぶされそうになる。
でも、ただ怯えているだけじゃダメだ。
何かがおかしいなら、探さなくちゃ。
私は必死に周りを見渡した。
人。
店。
馬車。
建物。
いつもと同じ街の景色。
……違う。
何かがいる。
そのとき。
――ガチャ。
微かに、金属が擦れるような音がした。
剣と鎧が擦れ合うような、硬く乾いた音。
私は音のした方向へ顔を向ける。
――カチャ、カチャ。
今度は、金属同士がぶつかる音。
それに混じって、
――パカッ、パカッ、パカッ。
馬の蹄の音が聞こえてきた。
私は目を凝らす。
遠くから、まっすぐこちらへ向かってくる三頭の馬。
その背に、人が乗っている。
馬が揺れるたび、身につけた鎧が小さく鳴り、腰に下げた剣が鞘の中で擦れる。
……あれは?
セイルお兄様がパン屋さんと話している声が聞こえてきた。
「え? 王国視察隊!? なんで!?」
王国視察隊。
各地を巡回し、王国の法に反する行為や不正がないかを調査する部隊。
必要に応じて関係者を拘束し、王都へ連行する権限も持っている。
先日、リーゼから教えてもらったばかりだ。
でも、どうして?
どうして、王国視察隊がここに……?
王都からはものすごく遠い。
そもそも私たちの領地は田舎すぎて、今まで一度も王国所属の部隊なんて来たことがない。
お父様がよく愚痴っていたもの。
「王都のお偉いさんは、こんな田舎まで来やしない」
確かなはずだ。
なのに。
馬の蹄の音が、どんどん大きくなる。
私は一歩、後ずさった。
三頭の馬はあっという間に私たちの前までやってきた。
そして。
私を囲むように、三頭の馬が止まった。
……大きい。
馬の上に人がいる。
見上げても、逆光で顔がよく見えない。
怖い。
身体が動かない。
「……この子か?」
低い声が落ちてくる。
男が手に持っているものを確認する。
「間違いないようです」
「そうか」
短い沈黙。
「これまた幼い子供を……仕方ない。連れてけ」
「はっ!」
「……え?」
意味がわからない。
何を言っているの?
次の瞬間、馬に乗っていた一人が地面へ降りた。
そして私へ手を伸ばす。
「やだ!!」
身体を掴まれた。
「なにするの!」
持ち上げられる。
足をばたつかせ、必死に抵抗する。
叩いても、蹴っても、びくともしない。
「やだ! 離して!!」
そのまま抱え上げられ、馬へ乗せられようとする。
「セイルお兄様!!」
そこで、目が合った。
遠くにいたセイルお兄様が、こちらを見ている。
「アステ!?」
顔が青ざめる。
「アステ!!」
セイルお兄様がこちらへ駆けてくる。
「セイルお兄様!!! 助けて!!!」
涙で視界が歪む。
「アステ!! アステ!!!」
何が起きたのかわからない。
どうして?
どうして私が?
どうして連れていかれるの?
馬が大きく身体を揺らした。
そして、走り出す。
「いやぁぁぁ!!」
セイルお兄様が、どんどん遠くなる。
「セイル!!!」
必死に手を伸ばす。
「セイル!!!!」
叫ぶ。
叫んでも、届かない。
私は喉が枯れるまで叫び続けた。
私を抱えている人の腕を叩く。
何度も、何度も。
それでも、びくともしない。
街の景色がどんどん後ろへ流れていく。
セイルお兄様の姿が、小さくなる。
見えなくなる。
「……セイルお兄ちゃん……」




