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第1話 幸せな日常

「アステお嬢様、起きてください」


眩しい光が私の目に差し込んでくる。侍女のリーゼがカーテンを開けたようだ。


「……ん……リーゼ、おはよう」


朝は得意な方だけど、今日は楽しみすぎて、なかなか眠れなかった。


「アステお嬢様、どうしたんですか、その寝癖」


リーゼが、お腹を抱えて笑っている。


「なによ、リーゼ」


「鏡を見てください」


笑いを堪えながら、リーゼが鏡を指差した。


侍女らしくない彼女は、私にとって親友……いいえ、お姉様だと思えるくらい大切な存在だ。


彼女に言われるままベッドから起き上がり、ドレッサーの鏡を覗き込む。


そこに映っていたのは、あちこちに跳ね上がった髪。


「ちょっと、なによこれ……。今日は私の誕生日なのに!!」


「アステお嬢様、さては今日が楽しみすぎて眠れなかったんですか?」


リーゼは変わらず笑っている。


「そんなに笑わなくたっていいじゃない」


「すみません、アステお嬢様。直してあげますから、そのままお座りください」


ようやくリーゼは笑いを収めた。


「……わかったわ」


椅子を引いて、そこに腰を下ろす。


リーゼが私の後ろに立ち、髪に櫛を通そうとする。


その前に、もう一度鏡を覗き込んだ。


鏡越しに目が合う。


「……ぷっ」


リーゼは必死に笑いを堪えようとしたようだけど、結局、耐えきれなかった。


「もう! リーゼ!!」


侍女のリーゼに髪を整えてもらい、妹たちを起こすために部屋を出る。


廊下を歩いていると、窓の向こうにセイルお兄様の姿が見えた。庭で剣の自主鍛錬をしているようだ。


「あっ!」


思わず窓へ駆け寄る。


窓を開けようと手を伸ばしたけれど、あと少しだけ身長が足りない。


「うーん……」


もう一度背伸びをして手を伸ばしていると、後ろからすっとリーゼが手を伸ばし、窓を開けてくれた。


「ありがとう、リーゼ」


振り返って笑いかけると、私は開いた窓から身を乗り出すようにして庭を見た。


そして、大きな声でお兄様を呼ぶ。


「お兄様ー!」


けれど、お兄様は振り返らない。


集中しているのか、私の声が聞こえていないのか。


朝の庭に、剣を振るう音だけが響いている。


凛とした顔立ちに汗を浮かべながら、お兄様は何度も剣を振るっていた。


「お兄様ー! セイルお兄様ー!!!」


今度はさっきよりも大きな声で呼ぶ。


すると、ようやくお兄様が振り返った。


私に気づいた瞬間、その凛とした表情がふっと柔らかくなる。


優しい笑顔だ。


お兄様は剣を腰に収めると、こちらへ駆け寄ってきた。


「おはよう、アステ。十歳の誕生日、おめでとう」


「ありがとう、お兄様!」


リーゼはいつの間に持ってきたのか、窓からお兄様へタオルを差し出した。


「どうぞ、セイル様」


「ありがとう、リーゼ」


お兄様はタオルを受け取ると、額に浮かんだ汗を拭う。


「ねぇ、聞いて、お兄様!」


私はさっそく今朝の出来事を話した。


「リーゼったら、私の寝癖を見て、ありえないくらい笑ってたのよ!!」


「アステ、眠れなかったんでしょ」


「……!」


図星を突かれた。


「な、なんで分かったの?」


「だって、今日はずっと楽しみにしてたじゃない」


お兄様がくすっと笑う。


「お嬢様ったら、それはそれはすごい髪型で……」


リーゼは思い出したのか、また笑い始めてしまった。


「もう、リーゼ!」


「僕も見たかったな。アステのかわいい髪型」


「お兄様まで!」


絶対にからかってるわ。


リーゼはお兄様の言葉を聞くと、さらに笑い始めた。


一体、何がそんなに面白いのかしら。


私は少しだけ頬を膨らませて、リーゼを睨んでみる。


……全然怖がってない。


「今からルナとリナを起こしに行くの?」


お兄様がそう尋ねる。


ルナとリナは、私たちの双子の妹。


二人が生まれたときから、朝起こしに行くのは私の日課になっている。


「うん、もちろんよ!」


「僕も一緒に行こうかな」


「えっ、本当?」


お兄様が一緒に来てくれるなんて、数ヶ月に一度あるかないかだ。


「ちょっと待ってて」


そう言うと、お兄様は庭から屋敷の玄関へ回るため、走っていった。


しばらくして、廊下の向こうからお兄様が戻ってくる。


「んじゃ、行こっか」


「うん!」


私はお兄様の隣に並んで歩き始めた。


リーゼはその後ろから、いつものようについてくる。


しばらく歩いて、妹たちの部屋の前に着く。


私は扉に手をかける。


そして、いつものように勢いよく扉を開けた。


部屋のカーテンはまだ閉じられていて、室内は薄暗い。中央には、お姫様が眠っていそうな大きなベッド。


その上で、こんもりと膨らんだ布団が少しだけ動いている。


私はベッドの奥側へ駆け足で向かった。


お兄様は反対側の手前へ、ゆっくりと歩いていく。


リーゼは朝の光を入れるため、窓へ向かった。


ルナとリナは、朝が苦手だ。


とにかく寝起きが悪い。


次に起こされることを体が覚えているのか、二人は毎朝、ほとんど無意識に布団を頭まで被っている。


今日も顔すら見えない。


「ルナ、リナ。朝よ。起きて」


「…………」


「ルナ、リナ。おはよう」


お兄様と私に優しく起こしてもらえるなんて、きっとこの二人は幸せね。


……なんて思ったけれど。


「…………」


妹たちは一切反応しない。


「もう、起きてってば」


何度呼んでも反応がないので、私は二人にかかっていた布団を全部取ってしまう。


ちょうどそのとき、リーゼがカーテンを開け始めた。


朝の光が部屋いっぱいに差し込み、眠っている二人を照らす。


そこには、互いに向き合いながら、仲良くすやすやと眠るルナとリナがいた。


それは、それは美しい光景だった。


二人の容姿は、家族の私たちでさえ見間違えてしまうほどそっくりだ。


向かい合って眠っている二人は、まるで鏡に映った姿のよう。


白銀の髪が朝の光に照らされ、白い寝間着がよく似合っている。


まだ十年しか生きていないけれど、今まで見てきた中で一番美しい光景だと思う。


……毎日、この光景を見るために起こしに来ていると言ってもいいくらいだ。


「……んっ……」


今、声を上げたのはどちらだろう。


目を開けてくれれば、すぐに分かるのだけど……。


「……やだぁ。お布団、返してぇ……」


分かった。


今日は私の側にいるのがリナ。


お兄様の側にいるのがルナ。


今の声はルナだった。


「ルナ、お布団は返せないわよ」


お兄様は二人の顔を交互に見比べながら、不思議そうな顔をしている。


「よくこれで分かるな」


この状態で二人を見分けられるのは、私とお母様くらいだ。


ルナの声は少し低くて、リナの声は少し高い。


それに、ルナの方がリナよりよく喋る。


私からすれば大きな違いだけれど、どうやら他の人たちには、なかなか見分けがつかないらしい。


リーゼでさえ、毎朝「どっちがどっちか分かりません」と言っている。


でも、双子を起こすのはここからが大変だ。


私は二人の寝顔を見つめながら、小さく息を吐いた。


「さて……どうやって起こそうかしら」


何度呼んでも起きない二人を見て、少し考える。


でも、今日は私の誕生日。


もしかしたら、いつもより簡単に起きてくれるかもしれない。


私はベッドに身を乗り出し、二人の耳元へ顔を近づける。


「……ルナ、リナ」


小さな声で名前を呼ぶ。


「今日はね……私の誕生日なの」


すると、さっきまでぴくりとも動かなかった二人の眉が、ほんの少しだけ動いた。


やっぱり。


私は思わず笑みを浮かべる。


「二人にも一緒にお祝いしてほしいな」


「……ん……」


「……おたんじょうび……?」


今度は、ちゃんと反応が返ってきた。


「そうよ。だから起きて?」


「……アステの……おたんじょうび……」


「うん!」


二人ともまだ眠たそうだけれど、今日はいつもより反応がいい。


ふふっ。


今日は楽勝ね。


私はもう一度、二人の耳元で優しく囁く。


「おはよう、ルナ。おはよう、リナ」


しばらくすると、二人がゆっくりと目を開け始めた。


朝の光を受けた白銀の髪が、さらさらと枕の上に広がっている。


眠たそうに瞬きをするたび、長い睫毛が小さく揺れる。


そして、ゆっくりと二人の瞳が開いていく。


ルナの瞳は、淡い青色。柔らかく、優しい色をしている。


一方、リナの瞳は濃い金色。少し黒を混ぜたような、深みのある色だ。


瞳の色は違う。それでも、眠そうに私を見つめる二人の顔は、やっぱりよく似ている。


家族でさえ見間違えることがある二人だけれど、私にはすぐに分かる。


まだ目覚めきっていない二人は、ぼんやりと私を見つめていた。


その姿があまりにも綺麗で、私は思わず見入ってしまう。


毎朝見ているはずなのに、やっぱり綺麗。


白銀の髪も、透き通るような肌も、よく似た顔立ちも。


二人が並んでいると、本当に鏡を見ているみたい。


「……おはよう、アステ」


「おはよう……」


ようやく二人が小さく笑う。


その笑顔までそっくりで、私はまた嬉しくなった。


「ふふっ。おはよう!」


二人が起きてくれるこの瞬間が、私は結構好きだ。


だから私は、毎朝二人を起こしに行く。


二人の身支度を整え終えると、私たちは朝食を取るためにリビングへ向かった。


妹たちはまだ眠そうに、ふらふらと歩いている。


二人は仲良く手を繋ぎ、そのままゆっくりと廊下を進んでいく。それを見守るように、私とお兄様は二人の後ろをついて歩く。


リーゼは、妹たちの部屋に残っている。


毎朝、二人の部屋を片付けてくれているからだ。


だから、妹ふたりをリビングへ連れていくのは私の役目だ。


「……眠い……」


「……ねむい……」


二人の小さな声が聞こえる。


お兄様の前を歩いているリナが、危なっかしいくらいふらふらしている。


「お兄様、リナがそのまま壁にぶつかるわ……よ」


言い切るより先に、


ゴンッ!


「……あ」


リナのおでこが壁にぶつかった。


間に合わなかった。


「いたぁ……」


リナはその場に尻もちをつく。


その勢いで繋いでいた手が引っ張られ、ルナまでよろけた。


「危ない!」


私は咄嗟にルナの肩を押さえ、二次災害だけは防ぐ。


ほっと息をついたのも束の間。


「えっ、あ! 僕がちゃんと見てなかったからだ!!」


お兄様が慌ててリナのもとへ駆け寄る。


「リナ、大丈夫?」


リナは涙目になりながら、おでこを押さえている。そして、ぶつかった壁をじっと見つめていた。


どうやら、壁に怒っているらしい。


「……いたい」


頬をぷっくりと膨らませて壁を睨む姿が、なんとも可愛らしい。


……どうやら、すっかり目が覚めたようだ。


お兄様は尻もちをついたリナを優しく起こす。


「リナ、ごめんね」


いや、決してお兄様が悪いわけではない。


けれどリナは、ぶつかった壁だけでは飽き足らず、お兄様まで悪いと言わんばかりの目で見つめている。


……顔はとっても可愛いけれど。


どう考えても、リナが前を見て歩いていなかっただけだ。


私は口を閉じておくことにした。


それに、もう目が覚めたリナなら、お兄様に任せても大丈夫ね。


「ふふ……セイルお兄様、リナをお願いね」


「うん。任せて」


私はまだ少しふらついているルナの手を取る。


「ほら、ルナ。私たちは先に行きましょう」


「……うん」


ルナの手を握りながら、二人で先にリビングへ向かう。


そして扉を開けると、


ふわりと、朝ごはんのいい匂いが部屋いっぱいに広がった。


「お父様、お母様、おはようございます」


「……おはようございます。ママ、パパ」


私とルナに挨拶をされると、お父様の顔がふっと緩んだ。


「おはよう、アステ、ルナ。アステ、十歳の誕生日おめでとう」


お母様の優しい声が響く。


この心地よい声が、私は大好きだ。


「おはよう、アステ、ルナ。リナとセイルはどうしたんだ?」


「んー、壁にぶつかってセイルが面倒を見てるわ。すぐ来るはずよ」


それを聞いたお母様は、慣れた手つきで冷やしたタオルを用意する。


「あはは、またか」


お父様が笑っていると、ちょうどそのとき、扉が開いた。


「……おはよう」


リナはまだ涙目で、おでこを押さえている。


その後ろから、セイルお兄様も入ってきた。


「おはようございます、お父様、お母様。リナ、頭をぶつけてしまって……」


「はいはい。ちょっと見せてちょうだい」


お母様はリナのもとへ歩み寄り、冷やしたタオルをおでこに当てる。


「……つめたい」


「少し我慢してね。痛みはどう?」


「……まだちょっと痛い」


「そう。じゃあ、しばらく冷やしておきましょう」


お母様に頭を撫でてもらいながら、リナは大人しくしている。


セイルお兄様は、そんなリナの隣で少し申し訳なさそうな顔をしていた。


「お兄様、そんな顔しなくても大丈夫よ。リナが勝手にぶつかったんだから」


「でも……」


「セイル、お前が気にすることじゃない」


お父様が笑いながら言う。


「リナも、歩きながら寝ていたんだろう?」


「……寝てないもん」


「ふふっ」


お母様が小さく笑った。


こうして、私の十歳の誕生日の朝が始まった。


全員が席につくと、朝食の時間だ。


今日は私の誕生日だから、いつもより少しだけ豪華になっている。


焼きたてのパンに、温かいスープ。色とりどりの野菜に、卵。それから、香ばしく焼かれたベーコン。


いつもの朝食より少しだけ品数が多いだけなのに、それだけで特別な日の食卓に見えた。


「わぁ、今日はベーコンがある!」


リナはすっかり目が覚めたようで、嬉しそうに料理を眺めている。


「さっきまで眠そうだったのにね」


私が笑うと、リナは少しだけ頬を膨らませた。


「だって、壁がぶつかってきたんだもん」


「壁はぶつかってきてないわよ」


「ぶつかってきたの!」


「ふふっ」


すると、隣に座っていたルナが、ようやく目を覚ましたように顔を上げた。


そして、リナのおでこをじっと見つめる。


「……リナ、おでこどうしたの?」


「壁がぶつかってきたの」


「……いたい?」


「もう大丈夫!」


リナはそう言いながら、自分のおでこをさする。


「お母様に冷やしてもらったから平気!」


「そっか……」


ルナは安心したように、小さく笑った。


「よかった」


「ルナも気をつけてね。ちゃんと前見て歩かないと、壁にぶつかるんだから」


「……うん」


「リナが言うと説得力がないわね」


「なんでよ!」


私とルナが笑うと、リナは少し不満そうに頬を膨らませた。


その向かいでは、お父様とお母様、それからセイルお兄様が何やら話をしている。


「そういえば、また隣町で事件があったらしいな」


「はい。最近、そういう話が多いですよね」


「事故なのか事件なのか、はっきりしないものもあるみたいね」


「近頃、急に増えたものな」


三人の話し声が、朝の食卓に混ざって聞こえてくる。


私はそんなことよりも、目の前に並んだ料理の方が気になっていた。


特に、こんがりと焼かれたベーコン。


表面には薄く焼き色がついていて、まだほんのりと湯気が立っている。


すると、リナが自分の皿からベーコンを一枚取った。


「アステ、これあげる!」


「え?」


リナが嬉しそうにベーコンを差し出してくる。


その隣では、ルナも自分のベーコンを小さな手でつまんでいた。


「……私も」


「ルナまで?」


二人とも、誕生日の私に食べてほしいらしい。


私は二人の手元を見て、それから顔を見合わせた。


「ありがとう。すっごく嬉しい!」


二人の顔がぱっと明るくなる。


「でもね」


私は二人の手をそっと押し返した。


「今日はみんなで食べたいの」


「みんなで?」


「うん。私だけいっぱい食べるより、みんなで一緒に食べた方が楽しいでしょ?」


「……うん!」


ルナが嬉しそうに頷く。


リナも少し考えてから、にっこり笑った。


「じゃあ、みんなで食べる!」


「そうよ!」


私は笑いながら、自分のベーコンを一口食べる。


香ばしい匂いと、じゅわっと広がる塩気。


「おいしい!」


「ほんと?」


「うん! だから二人も早く食べて!」


「いただきます!」


「いただきます……!」


三人で顔を見合わせながら、朝食を食べ始める。


そんな私たちの横で、大人たちの会話が続いていた。


「……そういえば、妙な噂もあるらしいぞ」


「妙な噂?」


「悪魔の力を操る人間がいる、なんて話だ」


「悪魔の力……ですか?」


セイルお兄様が聞き返す。


「ええ。でも、ただの噂よ」


「最近の事件と関係があるんじゃないか、なんて話している人もいるみたいね」


私はその言葉を、ほんの少しだけ耳にした。


悪魔の力。


そんなものがあるんだ。


でも、私にはよく分からない話だった。


「アステ、これおいしいよ」


「ほんと? どれどれ!」


私はすぐにルナとの話に意識を戻した。


ただ、「悪魔の力」という言葉だけが、ほんの少しだけ記憶の片隅に残った。

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