第九話 打倒! ウィリオット
誰にも見られずダンスの特訓をするために、セシルにはお忍びで公爵家の町屋敷へ来てもらうことになった。
由緒正しきこの屋敷には、歴代の当主たちが社交のため、個人的な晩餐会や舞踏会を催すことのできる大広間が、ちゃんと備わっていた。
ちなみにセシルはこれが初訪問である。
普通、王子の行啓を賜るとなれば――たとえそれがお忍びでも――上を下への大騒ぎになることだろう。
しかしダーカンダークは、ホライゼン屈指の権門。さすが使用人たちですら肝が据わっていた。寸毫の無礼なく、だが静かに玄関広間内で出迎えた。
当主である父からして、セシルに一言「ようこそいらっしゃいました」と会釈するだけで、心得たように姿を消してくれる。
これが並の貴族――いや伯爵くらいの大貴族でも、王子の覚えをめでたくしようと必死になり、当主がいつまでも出しゃばったに違いない。
流れるようにセシルを大広間へ招き、早速レッスンを始める。
傍に置くのはアーサーと、第二王子お付きの侍従だけ。
また曲に合わせて練習するため、ヴァイオリンの腕も確かなアーサーに演奏を任せた。
「まずはあなたのレベルを見たいから、好きにわたくしをリードして?」
「は、はいっ。精一杯頑張ります!」
「ふふっ、今は頑張らなくて大丈夫。トチっても音を外しても気にしないで。わたくしが合わせてあげるからリラックス、リラックス」
「す、すみません……緊張で震えが止まりません……」
ダンスで手を合わせればすぐバレることだからか、セシルは恥じ入りつつも隠さず申告した。
「わたくしの足を踏んでしまわないか不安? だったらずっと足元を見ながら踊ってくれていいわ」
最初から正しい姿勢を諦めては、レベルを確かめることもできないのだが、カミュエは敢えてそう提案する。
自転車の練習で、始めは補助輪を付けるようなものだ。
まずはダンスの真似事でいいから、セシルが緊張せずに踊れるようになるのが大事。
「わ、わかりました。よろしくお願いいたします」
セシルは声を上ずらせながらも、腰を折って右手を差し出す。
カミュエがその手をとり、ダンスを開始するためのホールドを組む。
(あら?)
とカミュエは少し驚いた。
ダンスはとにかく正しい姿勢が重要だ。そしてセシルはひどく緊張こそしているものの、ここまではなかなかサマになった姿勢をとることができていたからだ。
(トラウマになる前は、幼いうちからちゃんと練習をしていたってことでしょうね)
セシルが素人同然であることも覚悟していたから、これは歓迎すべきサプライズ。
ゼロから教えるよりグッと楽になる。
ただしやっぱりダンスが始まると、セシルはもう腰砕けだった。
アーサーの調べに合わせ、後方へ流れるようにカミュエをリードすべきところが、カミュエを傷つけまいとするあまり腰は引け、ステップはビビリすぎ。さらに二人の足元を凝視しているから、姿勢が悪いことこの上ない。
(でも今はいいわ。好きに踊って頂戴)
一切注意したりせず、まずは一曲通しで踊る。
そして休まず二曲目に入り、少しだけアドバイスする。
「そもそもダンスは男役がリードして、女役がフォローするのだから、わたくしがあなたの足を踏むことはあっても、あなたが踏んでしまう心配はさほどないのよ?」
「理屈ではわかっているのですが……」
「あなたが昔、足を踏んでしまったそのご令嬢は、きっとステキな王子サマとダンスできることになって、よほど緊張したかパニックになったのでしょうね。だから、そのさほどないことが起きてしまったのだと思うわ」
カミュエはまるで見てきたかのように、「セシルは悪くない」とくり返した。
事実なんかどうでもいい。これは振り返っても仕方のない類の過去でしかない。
それでセシルの心の負担が減らせるなら、嘘も方便というものである。
でもまた口をつぐんで、セシルを集中させて、二曲目も通しで踊りきる。
カミュエはあまり活発な女子ではないが、令嬢の嗜みとしてダンスだけは打ち込んできた。だからこのくらいでは疲れないし、セシルの方も体力充分だと感じて、休まず三曲目に入る。
セシルの緊張はまだまだとれない。
足元もずっと凝視しっ放し。
何よりセシル自身がそのことで、「こんなザマではいくらレッスンをつけてもらっても、上達なんて夢のまた夢では?」と自責の念に駆られているのが、つないだ手を通して伝わってくる。
だから安心させるために言う。
「舞踏会で一番難しいのは、不特定多数と踊らなくてはいけないことよね」
くり返しになるが、同じペアでずっと踊り続けるのは野暮なのだ。
「自分たちの世界に入りすぎ」「周りが見えていない」と失笑を買う行為なのだ。
だからパーティーでは、「レディ。一曲、お手合わせ願えませんか?」「ええ、喜んで」みたいなノリで、初めての相手とも即興で踊れるようにならないといけない。
「でもあなたは今度のパーティーで、わたくしとだけ特別に踊ってくれるのでしょう?」
「も、もちろんですっ。義姉上のためだけですっっ」
「だったらあなたは、わたくしとだけ合わせることを考えればいいの。だから今はわたくしのステップを、存分に見て頂戴。わたくしもあなたに合わせたステップを――それも同じタイミングで同じステップを、必ず踏むようにするから。あなたほど聡明な人なら、きっとすぐに憶えられるはずよ。顔を上げるのは、それからで大丈夫」
「わ、わかりました! まずはそういたしますっ」
「それでパーティー当日までに、わたくしの呼吸というものを理解して欲しいの」
「……義姉上の……呼吸を……」
「できそう?」
「やります!」
セシルは「できる」「できない」の話はしなかった。
本当に責任感の強い王子サマだ。
そんなセシルならきっと「できる」とカミュエも信じられた。
ホライゼン貴族にとって社交ダンスとは、文字通り「ペアを組む相手と関係を深めるため」のものなのだ。
加えて遊興の側面が強い。
だから「一緒に踊って楽しい」「気持ちいい」ことが何より重要視される。
つまり例えばカミュエの前世――現代地球における競技ダンスとは、やることはそっくりでも本質は全く異なるということ。
あれは「選ばれた才能の持ち主たちが」「日夜努力と情熱を注ぎ込んで」「選手の中の選手を決めるため」に存在するものだ。
比べればカミュエとセシルは、貴族の坊ちゃん嬢ちゃんのお遊びレベルの中で最優を獲ればいいだけなのだから、難易度が天と地ほども違う。
だからセシルくらい真摯に臨んでくれれば、付け焼刃でも勝算はある。
「あなたに男役のコツを教えておくわ」
「! ぜひご教授くださいっ」
それはいったいどんなものかと、セシルが期待で瞳を輝かせた。
「わたくしにどんな風に踊って欲しい? ――それをちゃんと考えることよ」
この国限定だが、カミュエの思う必勝法だった。
◇◆◇◆◇
学校行事の準備にセシルの個人レッスン、平素の授業もあれば自学の時間も欲しい、もちろん社交も疎かにできない――そんなカミュエにとって多忙を極めた五月が、終わろうとしていた。
本日月末。夕刻。
ダンスパーティーはつつがなく開催された。
この日を楽しみにしていた多くの生徒が、新調した色とりどりの礼服やドレスで着飾り、会場に集合する。校舎とは別棟として専用に建てられた、豪華絢爛なダンスホールだ。
カミュエは運営側の総責任者として、先に会場入りしていた。
ただしダンス大会に意気込む一人でもあるから、この日のための壮麗なドレスでバッチリ武装している。
そう、普段は着飾ることの無意味を説くカミュエだが、TPOまで無視しては逆に無粋であることを理解している。
ダンスパーティーというハレの日には、思いきり着飾って楽しむ。それが粋だし、融通を利かせられるのがオトナというものだ。
しかも今回はウィリオットへの嫌味を込めて、敢えて思いきり王太子好みに仕立てさせてみた。
エリザベスの意見も参考にした。
「【アンロマ】だと主人公が真紅のドレスを着ると、喜んでくれたよ!」
「了解、赤色ね。わたくしも嫌いじゃないわ」
「ち~が~う~っ。赤じゃなくて真紅~~ぅ」
「……面倒臭い奴ね」
「【アンロマ】の設定はメンドクサくないです~ぅ。キメ細かいんです~ぅ」
「あなたが面倒臭い女だって言ったのよ」
「ひどっ」
「あと顔の系統的にいって、主人公に真紅なんて派手なドレスが似合うかしら?」
「そ、そこはゲーム的なご都合というものがですね……」
「なんで開発者でもないのに弁明してるの?」
――というゲーム脳女とオタク心理に理解のない女のやりとりがあったのだ。
そしてもちろん、髪飾りは先日、セシルにプレゼントしてもらったもの。
同じく先に会場入りした生徒会の令嬢たちにも好評で、
「普段はいっそ慎ましいくらいのドレスを好まれるカミュエ様が、毎年この日はゴージャスなコーディネートでいらっしゃるのを、わたくし楽しみにしておりますの」
「今年も眼福ですわ~」
「特にこの髪飾りが映えることといらっしゃったら、さすがのご趣味の良さですわ」
「そうですわね……わたくしにはいつものカミュエ様とはまたご趣向が違うように思えますけれど、でも大変お似合いだと思いますわ」
「きっと大会に臨む気迫の表れでいらっしゃるのよ」
と――カミュエが気合を入れて用意させたドレスより、どちらかというと髪飾りの方が賞賛されていた。
(セシル殿下の方が趣味がよかったってことね)
カミュエは内心苦笑い。
同時にセシルに改めて感謝する。
そのセシルは運営をサポートしてくれるために、中等部生徒会の男女を引き連れて、バックヤードに現れた。
高等部の生徒に比べればやはり幼さ、愛らしさが先に立つ彼、彼女らの中で、セシルの姿はひときわ凛々しいものに映った。
今日のために仕立てた礼服が引き立てる、硬質な雰囲気のおかげだけではない。
必勝の覚悟を以って大会に臨む男の、意気と自信が見事にブレンドされ、あたかも静かに燃える炎を立ち昇らせているような空気感をまとっているのだ。
そう、自信である。
今日まで休まず特訓を続けた結果、セシルのダンスに対する意識は革命的なまでに変わっていた。
トラウマなど既に影も形もない。カミュエはさすがにそこはもっと時間がかかると思っていたのに、自分の指導は自分が想定するより遥かに、セシルに合っていたようだった。
特に初日に教えたコツが、セシルの中で何やら劇的変化をもたらしたように思える。
連日の特訓でセシルはしばしば、「義姉上にどう踊っていただきたいか……もっと……」などとブツブツ言っては試行錯誤していた。
(思い返すだけでゾクゾクしちゃうわね……)
人間が急成長する様をまたも間近で見ることができて、カミュエはもう堪らなかった。
人格といい才覚といい、セシルは本当に教え甲斐のある逸材だった。
だから今さらセシルと何か打ち合わせる必要などない。
この日のために万全の準備をしてきたのだ。
今は裏方として互いに執行部員を指揮し、いよいよパーティー開幕の段となる。
始まりは壇上に立った校長の、退屈な挨拶から。
それをカミュエは壇の袖で聞き、生徒たちは会場の思い思いの場所で聞き流す(前世の学校の記憶と違い、貴族の令息令嬢はよほど格式ばったセレモニー以外では整列というものをしない)。
続いて生徒会を代表して、ウィリオットのスピーチ。
今日までイベント準備に何も寄与してこなかった男が、まるで自分一人が全校生徒のために奔走したかのような苦労話を、滔々と、ぬけぬけと語る。
「『こいつホンッマ……』」
カミュエは思わず日本語で悪態をついてしまった。
おかげで傍にいた執行部員女子たちの、首を傾げさせてしまった。
でもそれくらい業腹だったのだ。
以前ならウィリオットには次期国王として、威厳を保ってもらわないといけなかったから、ここでどれだけ手柄ヅラをしようと気にならなかった。
しかし廃嫡させると決めた今では、平然と嘘八百を並べ、優れたリーダーぶろうとするクズのことが鼻についてならなかった。
しかもウィリオットへの腹立たしさは、それだけに収まらない。
ダンス指導担当の、二人の教諭のスピーチも終わり、さあ大会だという段になってのことだ。
カミュエは執行部員の中でも特に信頼を置くロワ嬢に一旦、運営を預け、自らは出陣する。
「参りましょう、義姉上」
「ええ、よろしくね」
バックヤードでセシルと合流し、腕を組んで粛々と向かう。
人気のない廊下を通り、大勢が談笑に花を咲かす会場へ。
ここからは義姉上呼びはなしだし、カミュエも敬語を使う必要がある。
そうして会場に入った途端、ウィリオットとバッタリ出くわしたのだ。
隣にはウリエラがいて、べったりと腕を組んでいた。
(いやそれはどうなの……)
パーティーで同伴した男女が腕を組むのは普通のことだが、そこには作法というものがある。
典雅に、上品に、それでいて毅然と、そっと腕をからめるのが淑女の嗜みだ。
対してウリエラはもう「しなだれかかる」と表現するしかない、ウィリオットの左腕に全身で抱きつくような格好だった。
これが二人きりなら好きなだけベタベタすればいいが、公衆の面前ではいただけない。
仮にも王太子の格が疑われてしまう。
ウィリオットもウィリオットで、そんな恋人を叱りもしないのだから同罪というか、同レベルというか。
今まではカミュエが影となく日向となく立ててきたが、自分がいなければこの殿下はこうなってしまうのか? いやそれは自惚れすぎか?
ともかくウィリオットはそんな無様をさらしながら、まるで「我こそが公序良俗の体現者でござい」とばかりの態度で話しかけてきた。
「セシルとペアを組むという噂は、事実だったようだね。余がダメなら弟王子に乗り換えようだなんて魂胆は、さすがに如何なものかな」
と呆れ顔で批判してきたのである。
しかもウリエラまで追い打ちをかけてきて、
「わたしはとってもお似合いだと思いますよ? ステキなお二人です」
クスクスと嫌味ったらしく笑いながら、綺麗事を抜かしたのだ。
その裏に隠された意味を、カミュエは誤解しなかった。
「王太子殿下はわたしのもの! あんたにはその余り物がお似合いよ」とウリエラは言っているのだ。
いい根性をしている。
だからカミュエは返礼に、
「あまりプレッシャーをかけないで欲しいわ、ウリエラさん。去年までと違って、パートナーの足を引っ張ってしまわないかと緊張しているところなの」
にっこり優雅に微笑みかける。
もちろんその裏の意味は、「セシル殿下とウィリオット。どちらが贋物をつかまされたか、今から白黒つけてあげる」である。
聞いてウリエラは怒りで形相を歪め、キッとにらみつけてきた。
なるほど愚鈍ではないのだろう、こちらの言外の意図もちゃんと汲み取ったらしい。
(でも顔に出るようではダメね。貴族も平民も関係なく、それじゃ社会でやっていけないわよ?)
この点はウィリットの方がさすが如才なく、余裕の笑みのままカミュエの嫌味を受け流している。
「だそうだ、セシル。緊張するレディを上手くリードするのは、男の甲斐性というもの。おまえが踊っているところを長らく見た記憶がないが、せめて王家の威信に恥を塗るような真似は慎んでくれよ?」
「ご薫陶ありがとうございます、兄上。本日は『去年までのキング』に胸を貸していただきます」
カミュエとウリエラが言葉の刃で斬りつけ合った横で、そのパートナーとなる兄弟も早やバチバチだった。
そう、ウィリオットの嫌味に嫌味で返すセシルの物腰は、まさに王子の貫禄を漂わせる堂々たるもの。
(ふふっ。やっぱりあなたも男の子なのね)
カミュエの前ではいつも声を上ずらせたり、すぐあたふたするばかりの少年が、宿敵の前ではこんなに格好良く振る舞えるだなんて、ちょっと見直すではないか。
「ははは、こやつめ」
「兄上こそ。あははは」
ウィリオットもセシルも目が全く笑っていないまま、「言葉ではなくダンスで決着をつけよう」とばかりに、互いに逆方向へと歩き出す。
カミュエもセシルと腕を組んだまま、同じ方向へ。
もうウィリオットたちのことなど振り返りもしない。
だが背中にウリエラの視線が突き刺さるのを、ずっと感じていた。




