第八話 カミュエの奸計
その二日後。
カミュエは生徒会室で、ダンスパーティーに必要な備品の最終チェックをしていた。
二年生のレール男爵令嬢コレットが、骨惜しみしない性格で目録を作ってくれて、過不足がないかカミュエが精査し、会長の代わりに承認するのだ。
そう。
肝心の生徒会長殿は婚約破棄して以降、全く生徒会室に来なくなった。
歓楽街に繰り出し、連日の火遊びにますますご執心だというもっぱらの話。
元々仕事は全部カミュエに押し付けていたとはいえ、以前は顔くらいは出していたのに、その申し訳程度の役目すら果たさなくなったのだ。
まあ、ばつが悪いのだろう。
生徒会執行部員の半数――すなわち女子は全員、カミュエの味方。
ウィリオットの敵だ。
彼の方から謝罪し、婚約破棄宣言を取り消さない限り、無数の針の如き眼差しを以ってウィリオットを迎えるだろう。
相手が王太子だからといって、臆する者はカミュエの周りにはいない。
将来、側近に取り立てるべく選りすぐった令嬢たちなのだ。
ある者はたとえ王家に対しても、悪いものは悪いと諫言できる胆力を持ち、またある者は王家すら畏れぬ、己の才覚に絶対の自信を持ち、またある者は王家でも無視できないほど、権勢を誇る実家を持つ。
ウィリオットの方が逆に臆するのは、当然のことだった。
(――だけど、今日は来る)
カミュエは確信していたし、理由があった。
副会長の職務を精力的にこなしながら、元婚約者の登場を待っていた。
そして生徒会の活動が終わる、十六時の鐘が鳴る直前に、カミュエの確信は現実となった。
「やあ、淑女諸君。今日もカミュエに重労働を押し付けられているようだね。心が痛むよ」
ウィリオットは遺憾そうな顔を作って、しゃあしゃあと現れた。
だったら自分が生徒会長としてバリバリ仕事を代わってくれればいいのに、それはしない。
昔から口だけはいいのだ。この男は。
カミュエたちは一応は王太子の手前、全員が席を立ち、淑女の礼をとる。
でも冷え冷えとした空気は隠しもしない。
ウィリオットは一瞬ムッとなったが、すぐに気にしてないふりをして、副会長の執務机まで真っ直ぐ来る。
「告知を見たよ。今年からダンスパーティーの趣向を変えるそうじゃないか」
「ええ。せっかく楽団を一新するのですから、他にもいろいろ試してみたくて」
「試すのは構わないが、ペアを事前登録制にするだなんてね。如何にもカミュエらしい無粋なことだと思ったよ」
ウィリオットは批難がましく言った。
去年までのパーティーでは、男子も女子も思い思いの相手とペアを組み、自由にダンスを楽しむのが慣習となっていた。
事前に踊る約束をしてもよし、当日に興が乗ってペアを組んでもよしだ。
またホライゼンの貴族文化では、舞踏会といえば多くの相手と踊るのが粋で、同じ相手とばかり踊るのは野暮とされていた。
それをカミュエは昨日急遽、「最初のダンス相手は事前に生徒会へ申告すること」と決定し、今朝その告知文を掲示板に貼り出したのである。
「しかも大会形式にするそうだね? これもカミュエらしい無粋なやり口だよ」
「なんと仰られようと、その方が盛り上がると思ったまでですわ」
批難を続けるウィリオットに、カミュエは毅然と答えた。
去年までのパーティーでは、誰もが次々と相手を変えながら自由に踊り、その中で最もよかったペアを教師陣が投票し、「キング&クイーン」に選ばれていた。
カミュエもウィリットも複数の相手とダンスを楽しんだが、この二人がペアを組んだ時が「最も華があった」と教師陣が評価した――あるいは忖度した――結果、王太子とその婚約者(当時)が受賞したわけである。
しかし今年は「パーティーの最初にダンス大会を催し、そこで最優秀ペアを決定する。その後は例年通り自由に相手を変え、ダンスを楽しんでよし」とカミュエが急遽決定し、これも今朝方告知したのである。
「ウィリオット殿下も、ペアのご申請にいらっしゃったのでしょう? この場で受け付けさせていただきますわ」
「ちなみにカミュエは誰と踊るか決まっているのかい?」
「それが生憎と。殿下と楽しむつもりでしたから、すっかり当てが外れてしまいましたの」
カミュエはさも困った顔を作って、頬に手を当てる。
無論、婚約破棄の加害者たるウィリオットは、同情などしたりしない。
どころか逆に、当てつけるように言い出した。
「余は特待生のウリエラとペアを組むことにした。よろしく受理してくれ」
途端、カミュエを除く女子全員がざわついた。
ウィリオットが特待生の平民と、逢瀬を続けているという噂は日に日に強くなっている。
カミュエを婚約破棄した理由も、ウリエラとの恋愛に狂ったからという見方が少なくない。
だが噂は噂でしかなかった。これまでは。
それをウィリオットは、とうとう隠す気がなくなったということだ。
周りの令嬢たちが驚くのも無理はなかった。
一方、カミュエはこうなることを予測していた。
というか、ウィリオットを誘導するために、急に事前登録制だの大会形式だのと決定したのだ。
「あら? 殿下は今年の『キング』は諦めるおつもりなのかしら?」
「ハハッ! 君はウリエラが平民だからといって、ダンスはできないと思い込んでいるんじゃないかい?」
「違いましたのなら、無礼は謝罪いたしますけど?」
「確かにウリエラはダンス初心者だ。でもどこぞの誰かと違って自己主張がなく、余のリードに身も心も沿わせてくれるのでね。上達も早いし、パーティー当日にはまさに一心同体のなんたるかを披露しようじゃないか」
「まあ。それは楽しみですわ」
カミュエは心にもない追従をした。
ウィリオットにも伝わっただろう、鼻白んだ顔つきになって、
「カミュエこそ余と組めず、今年の『クイーン』は諦めたのかな?」
「お願いしたら、わたくしと組んでくださるのですか?」
「君がウリエラに暴力を振るったことを、心から謝罪するなら考えよう」
「では諦めますわ。心とは誠に自由にならないもの。だから上辺の謝罪しかできませんもの」
「ぬけぬけと!」
ウィリオットが一瞬、憎々しげにカミュエをにらんだ。
なるほど、こういうところが「生意気」だと、彼の不興を買うところなのだろう。
「いいだろう。だがカミュエ、自分が吐いた言葉には責任を持ってくれたまえよ?」
「と、仰いますと?」
「ウリエラにダンスはできないと決めつけた無礼――当日『クイーン』となったウリエラの前で、心から謝罪してもらおう」
ウィリオットはその時が楽しみでならないとばかりに、サディスティックな笑みを浮かべた。
普段、気さくで人当たりがよいこの男が、隠し持っていた残虐性の表れだった。
またそれで溜飲が下がったのか、肩で風を切って生徒会室を後にする。
ウリエラとペアを組み、本気で優勝する自信で満ち溢れていた。
そして王太子の姿が完全に消えた後、周りにいた令嬢たちがカミュエの元へ駆け寄ってくれる。
「どうかお心を強くお持ちになって、カミュエ様……」
「まさか王太子殿下ともあろうお方が、婚約破棄をご反省なさるどころか、平民との熱愛にうつつを抜かしていることを居直るだなんて……っ」
「しかもカミュエ様に対し、あの意地悪な物言いったら!」
「口の端に上らせるのも畏れ多いことですが、わたくし軽蔑せずにいられませんわ」
「何よりカミュエ様が、おいたわしくておいたわしくて……」
と――彼女たちは口々にカミュエを慰めてくれ、またウィリオットを批難した。
その気持ちが本当にうれしい。
(でもね、みんな安心して。最初から私の計画通りだから。ちっとも堪えてなんかいないから)
でも、本当のことは打ち明けられないのが心苦しかった。
カミュエは「王太子に完全に捨てられた可哀想な女」「ダンスのペアも見つけられない哀れな女」を演じなければならないのだから。
◇◆◇◆◇
さらにその翌日の放課後――
「お聞きしました、義姉上!」
セシルが「優雅であれ」という王侯貴族の心得を忘れた様子で、息せき切って駆けてきた。
高等部の生徒会室で、カミュエが自発的に居残り仕事をしていたところである。
他の執行部員たちは帰宅させたため、副会長の執務机にカミュエが一人でぽつんといた(という貴族文化の綾で、当然アーサーは影の如く侍っている)。
「まあ、セシル殿下。そんなに急いでどうしたのかしら?」
「昨日、兄上が義姉上になさった仕打ちのことを、教室で耳にしました。それでずっと居ても立ってもいられない心地だったのです。本当はもっと早く馳せ参じたかったのですが……」
カミュエがすっとぼけて訊ねると、セシルがおずおずと答えた。
「授業や生徒会の仕事を、放り出すわけにはいかないものね。わかっているわ? あなたのその気持ちだけで、とってもうれしい」
「義姉上は気丈すぎます! 私がもし同じ仕打ちを受けていたら、今ごろ笑顔なんて浮かべる余裕はありません!」
ウィリオットがウリエラとの深い仲を隠さなくなったこと、カミュエとの婚約破棄を謝罪するどころかダンスのペアさえ拒絶したこと、あまつさえペアのいないカミュエを嘲けるような真似をしたこと、等々――昨日の生徒会の一幕が、今日には全校生徒に知れ渡っていた。
カミュエを慕ってくれる女子執行部員たちは、自分のクラスに帰ればそれぞれがリーダーシップを発揮する、令嬢中の令嬢たちだ。発言力は小さくない。
そんな彼女たちが口々に「カミュエ様がお可哀想……」と級友たちにこぼし、あるいは訴えてくれたことだろう。
ゴシップが大好物である貴族の令息令嬢たちが、こんな格好のネタを逃すわけがない。
一日中、学校中で噂話が飛び交い、尾ひれ背びれもつきまくりで流布したという次第である。
カミュエの思惑通りに。
「兄上が義姉上を婚約破棄なさった時も、たとえ気の迷いにしてもひどすぎると思っておりました。あまつさえ今度は義姉上を嘲弄なさっただなどと! 私の立場上、口にしにくいことですが、さすがにもう兄上のことが許せません。この後、抗議に参る所存ですっ」
「いいのよ、やめて頂戴。それがわたくしを想っての義憤ならなおさらよ? あなたの立場が悪くなってしまう方が、わたくしにとってよほど胸が痛いわ」
「っ……。義姉上はお優しすぎます……」
セシルはうつむき、拳をにぎり締めながらも、ウィリオットへの抗議は思い留まってくれた。
でも代わりとばかりに、今度は自分の胸に手を当てて訴えてくれた。
「今日は義姉上にお願いがあって参りました! 今度のダンスパーティーで、どうか私と踊ってください」
セシルならきっとこう言い出してくれると、カミュエも思っていた。
でも表面上は「まあ!」と驚いたふりをする。
「一度は義姉上のお願いを断っておいて、今さら何を調子のよいこととお思いでしょう」
「そんなことはないわ。わたくしとしてはとても助かる。でも、あなたはそれでいいの? 無理をさせていないかしら? ダンスには何か思うところがあるのでしょう?」
「はい、実は私はダンスにも苦手意識を持っておるのです。その昔、大切な友人の足を思いきり踏んで、骨折させてしまったことがありまして、それ以来……」
「まあ、そんなことが(棒)」
「だけど義姉上のたってのお願いを断ったことが、どれだけ身勝手だったかを、兄上の振る舞いを見て反省いたしました!」
(人のふり見て我が身を直せるのは本当に素晴らしい美徳だけど、さすがにそれは自罰的すぎじゃないかしら……)
ウィリオットと違い、別にセシルは猛省しなきゃいけないような悪いことはしていない。
「どうか私と踊ってください。未熟者ですが、当日まで必死に練習いたします。どうかまた私に特訓をつけてください。義姉上はダンスも名手でいらっしゃいますから、きっと素晴らしいご指導をいただけると思うのです」
トラウマを持っているはずのセシルが、覚悟の決まった表情で言った。
男の目をしている――と直感的にカミュエは思った。
十四歳の少年にも、理想の弟にも、今この瞬間は見えなかった。
「そして義姉上には『クイーン』になっていただきます。二人で兄上を見返して差し上げましょう」
「ふふっ、そうね。あなたにとっても立場が悪くならず、わたくしにとっても角が立たず、でもこれ以上にないウィリオット殿下への抗議になるわね」
セシルは申告通り、カミュエの誘いを一度は断ったことを後悔しているのだろう。
でもやっぱり一番の動機は、「可哀想なレディを放っておけない」のだろう。
ただそれを口にするのは、当の本人の前で憚られるだけで。
(そんな優しいあなたの気持ちを利用するんだから、私もひどい女ね)
可哀想な女を演出し、学校中に知れ渡らせることができれば、きっとセシルはトラウマをおして助けてくれると思っていた。
計画を練り、躊躇なく実行に移し、狙い通りの結果を得た。
(後悔はしてない。もし今後同じような状況になっても、厭いはしない)
いつかカミュエが王妃になり、この国を立て直すために、必要なプロセスなのだから。
なんでも磨きたくなるのは自分の性分だが、結果として万民が幸せになればウィン・ウィンというもの。
セシルにとっても悪いことにならない。「兄に負けたくない」という秘めた願望を、また一つ叶えることになる。
ダンスへのトラウマだってきっと癒える。
これがカミュエ流の奸計。いったい一石何鳥か。
「では早速、今日から練習を始めましょうか?」
「はい! よろしくお願いいたします、義姉上」
鉄は熱いうちに打てだ。




