第三話 【アンジェラ・ロマンシア】の世界へようこそ
「本当に王家へ反逆してやろうかしら……」
カミュエはやさぐれた顔で、物騒なことをつぶやいた。
王城の程近くにある、ダーカンダーク公爵家の町屋敷のことである。
応接間に招いたエリザベスと二人きり、誰かに聞き咎められる懸念はない。
「カミュエさま、シナリオに殉じる覚悟ができたんだね! 悪役令嬢として無様に命乞いする末期の台詞、ちゃんと考えておいてね!」
「アホ言いなさい」
ゲーム脳女がまた胡乱なことを言い出したので、カミュエはツッコむのに思わず淑女らしからぬ言葉遣いをしてしまった。
「いい? ここがあなたの言う【アンロマ】そっくりの世界で、ウィリオットたちがゲームの登場人物と同じように考え、行動するのだということは認めましょう」
そこは現実を直視しなければならなかった。
悔しいがエリザベスの言う通りだった。
「でも、わたくしまでシナリオ通りに動いてあげる義務はないわ? 婚約破棄を言い渡されたのは誤算だけど、それでもこの国を立て直す理想と野心は諦めない」
「むふー、ゲームの【カミュエ】さまよりカッコイイ! でも具体的にどうやって?」
「それを今、思案しているのよ」
カミュエは扇子の先で、額を押さえて答える。
そして、効果的なプランを導き出すためには、前提となる情報収集が不可欠だ。
不幸中の幸いに情報源なら目の前にいた。
というか、そのためにお客として招いた。
「【エリザベス・ヘルブレイズ】も本来は悪役令嬢なのよね? ゲームではどういった役回りなのかしら?」
「えっとね、【エリザベス】は【ノウェク・ルート】で邪魔してくるキャラなんだけどー」
「ノウェク? 魔法学教師のノウェク先生のこと?」
「そ、そ!」
ノウェク・アセイランは二十五歳という若さで魔法学の権威であり、加えて「まるで絵に描いたような」美形で、女生徒たちから大変人気のある教諭だ。
アセイラン伯爵家はホライゼンにおける教育分野を司っており、父親である現当主はセントセレス学園の校長を務めている。
嫡子であるノウェクもゆくゆくは、家職として校長の地位を引き継ぐことになるだろう。
またカミュエの記憶が確かなら、ノウェクとエリザベスは許嫁の関係にあったはずだった。
「もしかしたら主人公の選択次第では、ノウェク先生と恋仲になれて、婚約者を奪われたゲームの【エリザベス】が、嫉妬に狂って主人公を攻撃するということ?」
「そ、そ! 【エリザベス】は炎魔法の天才って設定なんだけど、【ノウェク】さまも風魔法の天才で、ルートのクライマックスで【エリザベス】が主人公を焼き殺そうとしたんだけど、【ノウェク】さまが風魔法で庇って、炎を押し戻して、逆に悪役令嬢が焼き殺されちゃってザマァ! ってなるの」
「……あなたはそのシナリオに殉じるつもりはないのよね?」
「もちろんだよ! てゆっかアタシは【アンロマ】のガチ勢だし、攻略対象キャラなんて全員漏れなく推しだし、せっかく生まれ変わってノウェクさまと許嫁同士になったんだから、ずーっと前から攻めて攻めて攻めまくって、今じゃあラブラブのイチャイチャのドロッドロな関係なワケよ! アタシたちの間に、もはや主人公の付け入る隙なんて一ミリもナシッ!」
「なるほど、恋愛と自衛の一石二鳥というわけね」
カミュエは素直に感心した。
同時に、処刑フラグを立ててしまった己が前途にも、活路が見えてきた。
「つまりはわたくしたちは自分の意志と行動で、ゲームのシナリオを変えることができるというわけね? 何か大きな運命力のようなものが働いて、どうやってもシナリオ通りに軌道修正されるだとか、そんな映画みたいなことは起きないのね?」
「少なくとも【アンロマ】本編で、【エリザベス】と【ノウェク】さまがくっつくルートは、ただの一個もなかったからね!」
「ちなみにゲームの【カミュエ】や【エリザベス】が、改心したりハッピーエンドを迎えるルートはないのかしら? あれば今後の立ち回り方として、大変参考になるのだけれど?」
「残念ながら【アンロマ】本編じゃ、【カミュエ】さまも【エリザベス】も必ずムゴい死に方をするよ!」
「それはつまり、主人公が必ず勝つからということ?」
「ううん! プレイ次第じゃ、主人公が誰ともくっつけずにバッドエンドになっちゃうんだけど、その場合は北の帝国が攻めてきて、ホライゼンが滅びて登場キャラが全員死ぬの!」
「救いがなさすぎる……」
なまじ現実味のある未来絵図だけに、カミュエは所詮はゲームの話だなんて割り切ることができず、暗澹たる想いに駆られた。
その一方で、確かな希望もあった。
目の前の少女がそうだ。
自分の意志により悲劇の運命を退け、幸せを勝ち取った体現例が。
言動がアホっぽいし、実際多分アホの子なのだろうが……その行動力は敬意を払うに値し、見習うべきだった。
◇◆◇◆◇
(しかしゲームみたいな異世界だったとは……ねえ)
ローテーブルを挟んでエリザベスと対峙したまま、広げた扇子で口元を隠し、しばし思案に暮れる。
何やら勝手が変わってきたというか、せっかく身に着けた貴族社会での処世術や社交術だけでは、処刑フラグを回避するのは難しいのだろう。きっと。
一方で、ゲームそっくりな世界だと認めてしまえば、腑に落ちることも多々あった。
例えばホライゼンでは綺麗事ではないレディファースト文化が根付き、逆に男尊女卑の悪習は存在しない。
地球における前近代のヨーロッパとは全然違う。
だがこれが乙女ゲーム世界ならば、女性ユーザーに当然配慮されたものだと想像がつく。
他にも例えばだが――
「失礼いたします、お嬢様。お茶を淹れて参りました」
「入りなさい」
恭しいノックが聞こえ、カミュエは扇子をぴしゃりと閉じると、入室を許可する。
トレイを持って現れたのは、幼少のころより仕えてくれるカミュエ直属の従者だ。
名をアーサーといい、歳は二十三。
そして、この青年の容貌を目の当たりにして、エリザベスが息を呑んだ。
髪は新雪の如く白く、他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出す。
瞳は鮮血の如く赤く、刃めいた鋭い眼光を湛える。
何より、カミュエはこのアーサー以上に容姿の整った男を知らなかった。
例えばウィリオットやノウェクも、「まるで絵に描いたような」完璧な美貌の持ち主だろう。
しかしアーサーはさらにその上。
どんな画家でさえ、彼の秀麗さを描き表すことはできない――それこそ美の神自身が、御手を以って創造した芸術品ではないのかと、そのレベルの美青年なのだ。
アーサーが紅茶と菓子をテキパキ給仕する間ずっと、エリザベスはポ~ッと見惚れていた。
配膳が済み、アーサーが従者として影の如くカミュエの脇に控えた後も、エリザベスの目は青年の美貌に釘付けだった。
紅茶や菓子に手を伸ばす余裕が全くなかった。
(まあ、無理もないわよね)
カミュエはティーカップを手にとり、香気を楽しみながらほくそ笑む。
自慢の従者が、他の誰かにとっても魅力的に映るのなら、主人として誇らしいことに違いない。
そしてアーサーが淹れた茶は、今日も素晴らしかった。
最上の茶葉を使っているのは当然、手際もまた最上のもの。紅茶とは思えないほど甘味を抽出し、渋味はその甘味を引き立てる程度にしか残さない。
「今日も良い味よ、アーサー」
「恐れ入ります、お嬢様」
ティーカップを持ったまま従者の手並みを褒めると、アーサーは恭しく腰を折る。
地球のヨーロッパでは、紳士が侍女を傍に置いたり、淑女が従者を直属させることは決してなかったという。
たとえ使用人でも身の回りの世話をさせるのは、必ず同性だった。
ところがこのホライゼンでは、男が侍女を侍らせるのは「破廉恥だ」と認められない一方で、女が従者を従えるのは「護衛を兼ねるので当然」と考えられていた。
カミュエには奇妙な習俗に思ていたのだが、これも乙女ゲームの世界だからと理解すれば、納得がいく。
ただ、
「いいな、いいなっ。アタシもこんなイケメンの従者欲しかったなっ」
とエリザベスがほぞを噛んでいるのを見るに、同じゲームのキャラに生まれ変わっていても、彼女の傍には美形の従者はいないらしい。
「というかこんな神イケメン、【アンロマ】には存在しなかったんだけど?????」
エリザベスが小声になり、ローテーブルに身を乗り出してきて言った。
アーサーに聞かれないよう配慮したのだろうが、
「声をひそめる必要はないわよ? わたくしとアーサーの間に、隠し事は一切ないの」
それこそカミュエが前世の記憶を持っていることや、この世界とは別の住人だったことも、アーサーにだけは話してある。
アーサーからすれば信じ難く、また理解し難い話だろうが、忠義者の従者はカミュエの話を丸々呑み込んでくれていた。
「じゃ、じゃあ遠慮なく聞くけどっ。この神イケメン、誰!?」
「わたくしが七歳の時から仕えてくれている従者よ。ゲームにも登場したのではなくて?」
「確かに【カミュエ】さまにも直属の従者がいたけど、全然キャラが違うっ。もっと狼男みたいな人相した、ウチトコとおんなじ屈強な戦士だったもんっ」
「あら、そうなの?」
実は【カミュエ】がゲームの登場人物だったというのだから、てっきりアーサーもセットでそうだと思っていたのに。
「この世界の誰でも彼でもゲームに登場したわけじゃないしね!」
「まあ、それはそうよね」
前世においてゲームを全くやらなかった神谷永理だが、小説ならば(あとマンガは少量)嗜んだ。
だから例えば、教室のシーンでクラスメイト全員がいちいち描写されないことを鑑みれば、ゲームでも同様だろうと想像がつく。
ともあれエリザベスにとってアーサーは、全く知らない人物だというのはわかった。
だから興味津々の彼女のために、自己紹介させる。
「アーサーと申します、以後をお見知りおきを。カミュエお嬢様直属の従者兼護衛兼暗殺者を務めております」
「最後不穏な単語が聞こえたんですけどぉ!?」
「アーサーがまだ十三歳のころ、お父様のお命を狙う少年暗殺者として我が家に忍び込んだのだけれど、任務に失敗して自害しようとしたところをわたくしが助命して、闇組織を抜けてわたくしに仕えるよう説得したのよ」
「設定モリモリすぎぃ!? ホントにゲームのキャラじゃないワケ!?」
「それはあなたの方が知っているでしょ?」
「ううっ、【アンロマ】の隠しキャラはおろか公式設定書や副読本やコミカライズやノベライズまで網羅してるアタシに、知らないキャラなんているわけないしなあ……っ」
だったら本当にアーサーは、ゲーム本編とは関係ないこの異世界の一住人なのだろう。
エリザベスは、登場キャラ以外にもこれほどの美形がいたのがよほど衝撃的なのか、まだ「はわわ」とか「ほわほわほわ」とか口走りながら、アーサーに見惚れている。
気持ちはわかるが、カミュエとしては話を元に戻したい。
婚約破棄された自分がこれからどう身を処すべきか、相談するためにエリザベスを招いたのだ。
「そろそろ質問をいいかしら、エリザベス嬢?」
「はわわっ」
「……アーサーで目の保養をしたいのなら、別の機会を設けるから。いい加減、正気に戻って頂戴」
「ほわほわほわっ」
「アーサー」
「はい、お嬢様」
カミュエが名を呼ぶとそれだけで、アーサーが当意即妙に動いた。
主人の脇に控えていた彼が――まるで瞬間移動めいた速度で――テーブルの対面に腰掛けたエリザベスの、その背後に立つ。
そして、ピタリと――
手品のように抜いたナイフを、エリザベスの喉元に突きつけた。
「ギョエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?」
「正気に戻ってくれたかしら?」
「だ、だからってナイフで脅すことはないっしょ!」
「あらあら、ウチのアーサーが粗相をしてごめんなさいね?」
「暗殺者時代の癖が抜けなくて申し訳ございません、エリザベス様」
「せめて口と顔と態度に反省の色を出してよ二人ともっっっ」
扇子を広げてクスクス忍び笑いをするカミュエと、喉元に突きつけたまま一向にナイフを仕舞わないアーサーに、エリザベスが涙目になって抗議してきた。
「質問をいいかしら、エリザベス嬢?」
「お嬢様にお返事は、エリザベス様?」
「なんでも答えるから命だけは勘弁してつかーさいっ」
「あらあら、嫌だわ。まるでわたくしが脅迫しているみたいじゃない」
「『みたい』じゃなくて『してる』でしょうがこの悪役令嬢!」
「それはゲームの中の話でしょう?」
わたくしは違うわ? とすっとぼけるカミュエ。
まあこれだけ脅したら、真剣に相談に乗ってくれるだろう。
アーサーに目くばせするとそれだけで、手品の如くナイフを仕舞い、瞬間移動めいた速度で再びカミュエの脇に控えた。
エリザベスは自分の首が無事かペタペタ触って確かめながら、
「で、アタシは何を答えればよいんでしょうか? 預金口座の暗証番号?」
「お金には困っていないの。わたくしが訊きたいのは、あなたがどうやってノウェク先生と恋仲になったのかよ」
カミュエが知る限り、ノウェクはひどく堅物の教師だった。
黄色い声の女生徒たちにキャーキャー囲まれても、鼻の舌を伸ばすどころか、「はしたないですよ、皆さん」と優しくも毅然と注意する、ちゃんとしたオトナ。
そんなノウェクがこの躾けのなってない……もといゲーム脳のアホ……もとい十歳近く年下の少女を相手に、ラブラブのイチャイチャのドロッドロ関係になるところが、想像できないのだ。
ワンチャン、エリザベスのフカシまである。
果たしてエリザベスは、恋する乙女のような顔つきに変わり、半ばノロケるように説明した。
「ノウェクさまはねー、確かにお堅いところもカッコイイんだけどー、実は家の決まりで教師や校長にならなくちゃいけないことが、子供のころから不満でー」
「へえ。あの教師の鑑のような殿方に、そんな意外な一面が」
「ノウェクさまは魔法こそ大好きで真剣に実力を磨いてるんだけどー、どっちかってと学問より実践派でー、本当はその力を活かして冒険者になりたかったのー」
「仮にも名門伯爵家の嫡子が、あんなヤクザ稼業に憧れていたのね……」
「だからアタシー、『卒業したら一緒に冒険者になろー』『家を捨てて駆け落ちしよー』って伝えてー、ノウェクさまも『僕の本当の気持ちをわかってくれたのは、君だけだ』『おもしれー女だな』って感激してくれてー、アタシも魔法の腕を磨くことになって手とり足とり個人レッスンしてもらってー、そーゆー経緯があってもーアタシのこと溺愛よ、溺愛ー!」
「なるほど、よくわかったわ。では次の質問――」
「一度溺愛モードに入ると、ノウェクさまはアタシの前でだけは狼になるキャラだから、魔法のレッスンにかこつけて恋の個人レッスンを迫るのも大事でー、キスの個人レッスンにー、ハグの個人レッスンにー、ってイベントこなしていってー、こないだついにシナリオにもなかった夜の個人レッスン――」
「アーサー」
「はい、お嬢様」
「だからナイフはやべでよおおおおおおおおおおっっっ」
エリザベスの柔らかそうな頬を、冷たい目をしたアーサーがナイフの腹でピタピタとつつくと、ノロケるのに夢中になっていたゲーム脳女も我に返ってくれた。
はらはらと大粒の涙をこぼすエリザベスの前で、カミュエは平気な顔でティーカップに口をつけ、思考を整理する。
「つまりあなたは“ゲームの知識を使って”ノウェク先生を篭絡したというわけね?」
質問というか確認をすると、エリザベスがまだエグエグ嗚咽しながらうなずいた。
なるほど、ノウェクがゲームの攻略対象の一人だというのなら、その攻略のための筋道がある(なければゲームとして成立していない)はずで。
さぞ【アンロマ】をやり込んだのだろうエリザベスは、その攻略方法を知悉していたからこそ――こんな淑女らしからぬアホの子でも――堅物のノウェクと恋仲になれたということだ。
「だったらそのゲーム知識を、わたくしにも教えてくれるかしら?」
「え、別にいいけど……なんに使うの? ウィリオットさまと復縁したいなら、それは無理だよ? 処刑フラグが立った後で、元鞘に戻ったシナリオなんて存在しないし」
「あの男には、わたくしの方こそ愛想が尽きたわ。復縁なんて願い下げよ」
今ごろは婚約破棄の話が知れ渡り、王都中が大騒ぎだろう。
城では国王陛下がウィリオットを呼び出して叱りつけ、軽率な決断を撤回するよう迫っているだろう。
けどカミュエはもう、ウィリオットと結婚するつもりはない。
衝動的に婚約破棄宣言してしまうような、政治判断能力のない男を夫に迎えて、この国を立て直すことができるとは思えない。
だからカミュエも決断したのだ。
「確認するのだけれど――弟殿下のセシル様もきっと、ゲームの登場キャラよね?」




