第二話 婚約破棄なんてフィクションなのよ?
「……順を追って、説明して頂戴」
カミュエはいらだちを堪え、眉間を揉みながら再度、問いかける。
エリザベスはこれもすぐに、快活に答えた。
「カミュエさまって前世の記憶があるよね? 中身、日本人だよね?」
「なっ……どうしてそれを!?」
「だってさっき、日本語で『近寄らないで』って叫んでたよね? ホライゼン語の『スタウェッ』じゃなくて」
エリザベスの指摘通りだった。
カミュエは先ほどウリエラの言動に生理的嫌悪感を覚えるあまり、突き飛ばすと同時に思わず日本語で叫んでしまったのだ。
日ごろから頭の中では日本語で思考しているから、咄嗟に口を突いて出たのも、実は今回が初めてではない。
確かに今のカミュエは、ホライゼン語のネイティブである。
しかし日本語の方が語彙も概念も遥かに豊富で、また人間の思考力は言語に引っ張られて深くも浅くもなると、前世の本で読み知っていた。
だから生まれ変わっても、頭の中では日本語を使うようにしているのだ。
「だけれど、ということはエリザベス嬢も元は日本人なのかしら?」
「そ! てっきりアタシだけが前世の記憶を持ってると思ってたんだけど、カミュエさまもおんなじだったんだねーっ。仲間がいてうれしいなーっ」
エリザベスはよく言えば人懐こい、悪く言えば馴れ馴れしい性格なのだろう、ガバッと抱き着いてこようとしたので、カミュエはサッとよけた。
生憎とこちらは、よく言えばさばさばとした、悪く言えば冷淡な性格なのだ。
初対面の相手と、過剰なスキンシップをする趣味はなかった。
「説明がまだ途中だけれど?」
「うーんと、カミュエさまも日本人なら【アンロマ】くらいは知ってるでしょ?」
「あんろま?」
「【アンジェラ・ロマンシア】だよ! 覇権乙女ゲーの!」
「……ゲームは一切やらなかったのよ」
学生時代は「勉強が趣味」で、社会に出てからは「仕事が趣味」だった神谷永理は、コンピューターゲームの類は(スマホゲーでさえ)ごく幼少期以外、全く触れてこなかった。
周りに勧められても、自分に必要なものとは思えなかった。
まあ、少数派だったろう。
エリザベスも聞いて驚いた様子で、「まぢで!?」「そんな日本人いるの!?」「化石!?」とばかりの目を向けてくる。
カミュエだって今にして思えば、「ちょっと視野が狭かったかも」「かたくなだったかも」と思わなくもない。
「じゃあカミュエさまは知らずに十七年生きてきたんだろうけど、この世界は【アンロマ】まんまなんだよ! 特にセントセレス校なんてゲームの舞台なの!」
エリザベスの説明は続いた。
それもオタク特有の早口でまくし立てた。
カミュエはオタクの生態に精通していなかったけど、エリザベスがひどく得意げ且つ楽しそうなのは伝わってきた。
曰く――
「【カミュエ・ダーカンダーク】と【エリザベス・ヘルブレイズ】はゲームの登場キャラで、いわゆる悪役令嬢ポジ! 主人公のライバルってよりは、いちいち邪魔してきて、いじめまくる役回りねっ」
「で、その主人公キャラがあっこでまだ痛がってる【ウリエラ】!」
「他にもこの学園には、主人公の攻略対象のイケメンキャラがいっぱいいるの! 王子様の【ウィリオット】もその一人で、どの集合絵でも絶対真ん中のキャラだよっ」
「で、【ウリエラ】がゲーム始まった四月中に、【ウィリオット】さまに会いに行ってフラグを立てまくると、五月四日に【カミュエ】さまと遭遇するイベントが起きるわけ!」
「そこで【カミュエ】さまが『アテクシの婚約者に色仕掛けするなこの泥棒猫!』ってインネンつけてくるわけなんだけど、主人公が『アタシの方がウィリオットさまに相応しい!』って選択肢を選ぶと、メインシナリオっていわれてる【ウィリオット・ルート】に入るの!」
「で、なんやかやロマンスがあって、主人公は王子様と幸せな結婚をして、落ちぶれたこの国も二人で立て直してハッピーエンド!」
「逆に【カミュエ】さまは主人公を妬んで王家に反逆を企ててバレて処刑エンドだよ」
エリザベスはそこまで本当に一気にまくし立てて、ゼィゼィ呼吸を荒げる。
そして汗をぬぐい、息を整えながら、最後に言った。
「わかってくれた? 【カミュエ】さまが死亡決定ってそゆこと!」
ええ、とカミュエも一つうなずいた。
今の説明でよくわかった。
エリザベスという少女のことが理解できた。
同じ元日本人として、エリザベスの両肩にそっと手を置くと、真摯になって伝えた。
「ゲームと現実を混同するのはやめなさい。悪いことは言わないから」
前世のニュース番組で、日本人の中にそういう「イタイ人」がいるとまことしやかに言われていたが、まさか実在したとは。
カミュエは空恐ろしい想いを禁じえなかった。
「待って待って!? これアタシの妄想じゃないからっ。まぢでゲームとおんなじ世界なんだからココっっっ」
「ああっ……頭のおかしい人に道理を呑み込ませるには、どうすればいいのかしら……っ。至難だわっ」
「残念っアタシ正常ですから!
「自分がどれだけ荒唐無稽なことを言っているのか、自覚できないのが異常なのよ?」
「カミュエさまだって転生してるんでしょ!? そのコートームケーなことが実際に起きてるでしょ!?」
「気持ちはわかる――いや、わたくしにはわからないけれど、とにかくよ。現実を直視しなさい、エリザベス嬢」
「それブーメラン発言だからね!?」
カミュエは親身になって、エリザベスが目を覚ますように言葉を尽くす。
だがエリザベスも強情で、顔真っ赤になって反論してくる。
前世のカミュエには、聞き分けのない弟が二人もいた。実家にいたころは本当に手を焼かされた。その時分を思い出さずにはいられなかった。
「とーにーかーくー! 今日は五月四日でここは西ホールしょ? ゲームでも同じくイベントが起きて、主人公が【カミュエ】さまにビンタされるんですーぅ。それが【ウィリオット・ルート】に入ったフラグなんですーぅ。カミュエさまにとっては破滅フラグを今、立てちゃったんですーぅ」
「つい突き飛ばしてしまったけれど、ビンタはしてないわよ?」
「主人公があんだけ痛がってるんだから似たようなもんでしょが!」
カミュエは真顔で答えたが、エリザベスは階下を指して屁理屈をこねた(なおホライゼン淑女は作法として人を指差さない、目下相手でも扇子を使う、というのをこの娘は知らないようだ)。
さらには、
「この後も絶対シナリオ通りになるから見ててよ! ウィリオットさまがサッソーと駆けつけて、愛しの主人公を庇うからっ。ひどい仕打ちをしたカミュエさまに義憤を燃やして、婚約破棄する神イベだからっっ。悪役令嬢の転落人生がスタートするザマァ展開だからっっっ」
子供みたいに地団駄を踏んで、力説するエリザベス(なおホライゼン淑女は作法として地団駄を略)。
そんな彼女の両肩にカミュエはそっと手を置くと、大真面目に教えた。
「『婚約破棄』なんてフィクションの中だけの作り話で、現実にはあり得ないのよ?」
「だからここゲームそっくりな世界なんだってばぁっっっ」
エリザベスはそう言うけれど、一度真剣に考えて欲しい。
仮にも一国の王が決めた婚約を、それも王太子と公爵令嬢の婚約を、その当人とはいえ軽率に破棄すればどんな羽目になるか。
国王陛下の面目が丸潰れではないか。
いや、カミュエの父親だって黙っていない。怒り狂ってウィリオットに責任を詰め寄るだろう。
ホライゼン屈指の大貴族と王家の間に亀裂が入り、将来の禍根となるだろう。
両家を強く結びつけるための政略結婚だったのに、結果はあべこべではないか。
しかも、ウィリオットがそこまで大事をして手に入るのが――言い方は悪いけれど――平民の娘との恋愛? どうせ一過性の? 実利がないこと甚だしい。
そんなに好きなら、愛妾として囲っておけば済む話なのに。別にカミュエも目くじらは立てないから。
いくらウィリオットの正体が軽佻浮薄な人間とはいえ、その程度の処世術はわきまえているに違いない。
「わかってくれた? 現実の貴族社会ってそういうものよ」
カミュエはこんこんと道理を説いた。
だがエリザベスは折れない。
唇を尖らせ、ムキになって階下を指し続ける。
そして――事態はエリザベスの言う通りになった。
「これはいったいなんの騒ぎだ!」
ウィリオットがそう言って、颯爽と西ホールに現れる。
ウリエラのせいで人だかりができていたのだ。
「珍しい特待生」として注目を集める新入生が、痛い痛いとすすり泣き、いつまで経っても立ち上がろうとしないをのを見て、すわ何事かと通行人が一人、また一人と足を止めて遠巻きにした結果である。
ウィリオットがそんな人垣に割って入り、騒ぎの中心であるウリエラを発見した。
「そなた、ウリエラか!? まさか怪我か? 何があったのだ?」
「ああ、殿下……っ。聞いてくださいっ……」
ウィリオットが慌てて駆け寄ると、それまで全身の骨が折れたかのように決して立とうとしなかった役者が、のろのろと上体を起こし、王子の体にすがりついた。
「カミュエ様にいきなり暴力を振るわれたんですっ」
「なんだと!? い、いやしかし……っ」
ウリエラは哀れを誘う表情を作り、涙ながらに王子に訴えた。
しかしウィリオットは聞いて驚きつつも、「しかしカミュエはそんな女性ではない」と一度は否定しようとしてくれた。一度は。
するとウリエラは、ますますおおげさに髪を振り乱して、
「学校のことも貴族社会のことも全くわからないわたしに、殿下が優しくいろいろとを教えてくださっているところを、カミュエ様が目撃したそうなんですっ。しかもカミュエ様は、それが浮気現場だと誤解してるんですっ。誠実なウィリオット殿下に限って、そんなことあるはずないのに! でもカミュエ様は嫉妬に狂って、泥棒猫をこの学校から排除するって言い出して……」
――などと大声で嘘八百を並べ立てた。
あまつさえオイオイと泣きだし、これでもかと同情を引こうとした。
事ここに至り、ウィリオットの表情が激変する。
「聞いたか、カミュエ! 君のことを見損なったぞ」
バルコニー状の二階部に立つカミュエを見つけ、指弾してくる。
(どうしてあんな嘘八百を、言われるままに信じちゃったのかしら……)
カミュエは白けた顔で、婚約者の頭の中を推測する。
許嫁同士、幼少からのつき合いだ。
カミュエが軽々しく暴力を振るう女ではないと、一度は信じてくれた。
でもウィリオットは恐らく、「カミュエは恋愛面でも自分にベタ惚れだ」と勘違いしているのだ。自惚れているのだ。
さらにウィリオットは実際、ウリエラと浮気をしているのだろう。それもウリエラの口ぶりからして、けっこうエグめなのを。
その二つの前提が噛み合った結果、ウィリオットの中で「余にぞっこんのカミュエが、あんな濡れ場を目撃したら、嫉妬に狂ってもおかしくない」「普段ならあり得ないが、暴力に訴えてもおかしくない」と――そんな理屈が成立してしまったのでは?
ウィリオットの激しい批難は続いた。
「余は常々、カミュエの勝気な性分を憂慮していた! 生徒会長たる余の仕事を奪ってまで手柄を誇りたいのかと、出過ぎた真似をすると、陰口を叩かれていたのを幾度も聞かされた!」
(陰口で聞いたんじゃなくて、あなたが内心そう思っていただけでしょう? どうせ)
「だが、そなたが生徒会の雑事に奮励するのは、ひとえに余への愛情の表れだと信じていた! 余に仕え、奉仕せんとするその真心こそ天晴と、敢えて口出しを控えていた!」
(私があなたのことを愛してるだなんて……やっぱりそう思い込んでいたわけね)
「だがその余に対する愛情が、そして勝気すぎるそなたの性分が、他者への攻撃となって表れるのは、これは看過できぬ! ましてウリエラを! 貴族ではなく立場の弱いウリエラを! 余は次期国王であり、あまねく民の守護者として――義憤に堪えぬ!!!」
(あなたに民を守る良心や公平性なんてないでしょ? ただ恋人を守りたいだけでしょ?)
ウィリオットのおためごかしのいちいちに、ツッコみたくてしょうがなかった。
でも内心考えるだけで、カミュエは口に出すのを控えた。
そんなことをすれば、王太子の面目が丸潰れだからだ。
いずれカミュエが王妃として国政を動かす時に、国王の権威は高くなくてはやりづらいからだ。
だからウィリオットの批難に、否定もしないが肯定もしない。
殊勝な態度で、だが同時に優雅さも失わず、未来の王妃が未来の国王の言葉へ耳を傾けるのに相応しい物腰というものを、周囲に示す。
そして、この事態をどうやりすごすのか――カミュエの中ではとっくに算段がついていた。
まずはウィリオットに好き放題言わせて、彼の権威を守る。
そのうちウィリオットも気が済むというか、疲れるだろうから、それを待って二人でウリエラを医務室へ連れていく。
そしてウィリオットらの目があるところで、ウリエラが怪我などろくにしていないことを校医に証明してもらう。
これにてウィリオットは「平民の娘にも手を差し伸べ、また義憤を以って婚約者を諫めようとした王子」として面目が立つし、カミュエも「新入生が何やら大げさに騒いだだけで、暴力行為というほどの問題は起こしていなかった」と示しをつけることができる。
――というカミュエの思惑は、シンプルながら全く妥当なものだった。
しかし適切ではなかった。誤算を生む要因があった。
一つ、カミュエが想像した以上に、実はウィリオットはウリエラと逢瀬を重ねており、とっくに恋の虜になっていたこと。
二つ、それもウィリオットにとっては初恋だったこと。
ゆえにこの王太子が恋に狂うことで、どんなに愚かで衝動的な人物になるのか、幼馴染のカミュエでさえ知りようがなかったのだ。
結果、
「余は今までもカミュエには、思うところが多々あった!
どれほど短所の多い許嫁であろうとも、呑み込んで愛するのが王者の器量だと見過ごしていた!
だが、カミュエが余の民をいたぶったというなら言語道断ッ!!
こたびの件は、さすがの余もほとほと愛想が尽きた!
よって余はここに――ダーカンダーク公爵令嬢カミュエとの婚約を、破棄することを宣言する!!!!!!」
などとウィリオットは妄言を吐き散らかしてしまったのだ。
公衆の面前で。
ドヤ顔で。
あたかもウリエラこそが本物の婚約者であるかのように、熱烈に抱き寄せながら!
「ね? シナリオ通りになったでしょ?」
カミュエの隣にいたエリザベスが、勝ち誇って言った。
ウィリオットにも負けてない――それはもう憎たらしい――ドヤ顔だった。
(民のためどうこうっていうなら、こんな暗愚を次期国王に戴かなくちゃいけないことが、一番の被害でしょうよ!)
カミュエはもう呆れて物が言えなかった。
閉じた扇子の先を額に当て、ひたすら頭痛を堪えていた。
己の野心に――この国を宝石の如く磨き上げ、世界に燦然と輝かせてみせるという理想に、にわかに暗雲立ち込めていた。




