第十一話 悪役令嬢たれども悪女たらず
言うまでもなく「キング&クイーン」は、カミュエとセシルのペアが選出された。
しかし、二人とも高等部と中等部生徒会それぞれの責任者として、パーティーの裏方に忙殺され、勝利の余韻を分かち合う暇がなかった。
終了予定時刻は二十一時だが、二十時の鐘が鳴るころには多くの生徒が大分満足し、帰宅していくのが目につく。
おかげでカミュエもようやく一息つくことができる。
「お疲れ様ですわ、カミュエ様」
バックヤードとは思えない豪華な内装の部屋の、豪華なテーブルで休憩をとっていると、声をかけてくる女生徒がいた。
ランドロー侯爵家の令嬢で、名前はニケ。
セシルを支える中等部の副生徒会長、また二人は幼馴染づき合いをしていると記憶していた。
「あなたもお疲れ様。よかったら、しばらく話し相手になってくださらない?」
「はい、喜んで。失礼いたします」
ニケは折り目正しく淑女の礼をとると、対面の席に腰掛けた。
セシルにお似合いの、楚々として礼儀正しい副会長だと思った。
「実はカミュエ様に、お礼を申し上げたくて参りましたの」
「お礼? 何かしら」
全く心当たりがなくて訊ねると、ニケはおずおずと答える。
「カミュエ様はご存じだと思いますが、セシル殿下は今日までずっと、どなたとも踊ろうとはなさいませんでしたの。……原因はわたくしですわ」
聞いてカミュエは得心する。
セシルは幼いころ、友人の足を踏んで骨折させてしまい、以来ダンスが恐くなったと言っていた。
その友人というのがニケだったのだろう。
「セシル殿下に足を踏まれて、大げさに痛がってしまいましたの。その踏まれた原因だって、すっかり舞い上がってメチャクチャなステップになっていた、わたくしにございましたのに。殿下はあの通りお優しい方ですから、ご自分のせいだとひどく気に病まれて……」
「まあ、そんなことがあったのね」
子供が骨折したらそりゃあギャン泣きして当然だが、ニケはセシルの名誉を守るためにそう言った。
カミュエもニケの名誉を守るために、何もかも初耳だというふりをした。
「わたくしはそのことを、ずっと責任に感じておりました。だから今日、カミュエ様と楽しそうに踊るセシル殿下のお姿を見て、心底ホッといたしました。きっとカミュエ様が、あれほどダンスに忌避感を抱いていらっしゃった殿下の、心の傷を癒して差し上げたのでしょうね」
「そんなことはないわ。セシル殿下は、ダンスのパートナーもいなくて笑い者になっていたわたくしを、見るに見かねて手を差し伸べてくださっただけ。助けられたのは、わたくしの方なのよ?」
「カミュエ様がそう仰るのならば、わたくしも異を唱えはしません。ですが、これだけは申し上げさせてください。セシル殿下が再び踊ることができるようになって、わたくしも救われました。本当にありがとうございます、カミュエ様」
「あなたがそう言うのなら、わたくしも素直に感謝をいただいておくわ」
深々と頭を下げるニケに対し、あまり謙遜しすぎても彼女の気持ちを蔑ろにしてしまうことになるので、カミュエはそう応えた。
これでニケも気が晴れただろうし、わざわざカミュエのところへ来た用も済んだだろう。
カミュエはそう思ったが、ニケはまだテーブルの向かいでもじもじしていた。
何か訴えたいことがあるようだが、恐くて言い出せない。そんな様子だった。
「相談があるのなら、お姉さんに言ってご覧なさい?」
少女の緊張をほぐすため、カミュエは冗談めかして言う。
よほど口にしづらい事柄なのだろう、ニケはそれでもしばし深刻な顔で迷っていた。
でもやがて、意を決したように訴えた。
「カミュエ様とセシル殿下のご関係について、わたくしが横からとやかく言う権利はないと、承知の上で申し上げるのですが――」
と、ニケが前置きまでするものだから、これはよほどの話だぞとカミュエまで身構える。
「そして、きっとこれもカミュエ様はご存じのことだと思うのですが――」
と、ニケが重ねて前置きするものだから、本当に自分が知っていることだといいけどとカミュエまで緊張する。
果たしてニケは訴えた。
思い詰めた顔で。
真剣な声で。
「どうかセシル殿下の想いに、応えて差し上げてくださいませんか、カミュエ様!」
と。
聞いてカミュエの頭はフリーズした。
それくらい、ニケの言葉の意味を理解するまで時間を要した。
理解してもなお混乱は続いた。
(んんんんんんんんんん?????)
この文脈で「想い」といえば、普通に考えれば恋愛感情のことだろう。
するとセシルは、自分に懸想していたということか?
密かに? いったいいつから?? そんなことあるか???
きっとニケの勘違いなのでは。
実際、今までのやりとりを思い返しても――
(――いやあるわ)
メッチャあるわ。
てっきり自分は義姉として慕われているのだと思い込んでいたが、別の視点を持って改めてセシルの言動を精査すれば、確かに恋心を抱いているのかもと疑わしいことが多々あった。
カミュエはサーッと蒼褪める。
己の行動もまた振り返ってみれば、なんと思わせぶりな態度をセシルに対して連発してしまったことか。
セシルがカミュエに恋心を抱いているのなら、さぞかし切ない気持ちにさせたに違いない。
しかも、悪気がなかったとは口が裂けても言えない。
五月に入ってからというもの、セシルと政略結婚する計画は、常にカミュエの念頭にあった。
「無礼を承知で申し上げます! カミュエ様とウィリオット殿下のご婚約が破談となってしまいました今なら、セシル殿下とご結婚なさるという道もあるのではないでしょうか?」
(うん実際私もそう考えてたんだけどね……)
「国王陛下もすぐにはお認めにならないかもしれません。口さがない者たちは、弟殿下に乗り換えるのかと陰口も叩きましょう。ですが我が侯爵家が、全力でカミュエ様をお支えいたします! 周囲を黙らせてみせます!」
(うん実際それはありがたい申し出なんだけどね……)
「ですからカミュエ様! どうかどうか、セシル殿下の想いをっ! 受け容れてはくださらないでしょうか!!」
(…………)
少女の懸命な叫びに、想いに打たれる。
この悲痛な願いに、その場凌ぎの方便で応えるわけにはいかなかった。
はぐらかすことさえできなかった。
カミュエは承知している。
ニケは今、極めて危うい発言をしている。
もし誰かに聞かれたら、あるいはカミュエが告発したら、貴族社会においてニケの立場が極めて悪くなる――だから実家から勘当されかねない――それほどのリスクを孕んだ発言だ。
ニケもそれを承知の上で、覚悟を以って訴えてきたのだ。
彼女の顔つきを見ればわかる。愚かな少女が勢いに任せて、口走ったわけでは決してない。
ではなぜニケがそんなリスクを負ってまで、カミュエに懇願するのか?
(あなたこそセシル殿下に恋しているのね。それも恐らく、子供のころからずっと……)
そんな美しい感情を、大切に大切に磨いてきたのだろう。
ひしひしと伝わってくるものがあった。
そしてだからこそニケは自分の慕情よりも、セシルの幸せを願っているのだ。
少女の胸中に想いを馳せると、居たたまれなくて仕方がない。
こんなにも純粋な気持ちに対し、カミュエは打算と方便で返答することはできない。
そう。自分でも意外なくらい、できなかった。
だから――
「ごめんなさい――」
◇◆◇◆◇
パーティーが終わるまで、カミュエは機械の如く裏方仕事に徹した。
体は確かにここにあるのに、心がどこかへ行ってしまったかのようだった。
生徒会の仕事から解放された後、いつどうやって帰宅したのか憶えていない。
気づけば自分の寝室にいて、ベッドに突っ伏していた。
こんな行儀の悪い寝方をするのは、一体いつ以来だろうか。
「何を悲劇ぶって浸っているのよ、『悪役令嬢』の分際で……」
自分への悪態が止まらない。
王妃となり、この国を立て直す野心のためなら、なんでもする覚悟だった。
セシルだって利用するつもりだった。
それでセシルが何か損するわけでもない。むしろ侮っていた大人たちを見返し、立場のなかった宮廷に確固たる地位を築き、兄を超えるという念願をこれ以上にない形で果たせるのだ。
お互いにウィン・ウィンだと、カミュエはうそぶいていた。
「だったら、それを続ければいいだけの話でしょう……?」
セシルが自分に想いを寄せていたというのなら、今度はその恋心を利用すればいい。
少年の理想の女を演じ続け、ますます惚れさせてやればいい。
それでセシルの方だって、諦めていたはずの幸せを手に入れることができるのだ。
お互いにウィン・ウィンだと、カミュエはうそぶけばいいのだ。
「……でも……できない……っ」
フィクションに登場する悪女のように、セシルを手玉に取り続ける自信などなかった。
きっといつか、ひどく傷つけてしまう予感しかなかった。
今は弟のようにしか思えない少年でも、大人になれば異性として見ることができるか? その自信だって全然なかった。
神谷永理はまともな恋愛経験をしたことがない。勉強と仕事が恋人だった前世においても。ウィリオットとの婚約が決まっていた今世においてはなおさらだ。
それでどうして上手くできよう?
確かに負けず嫌いの努力家だという自負はある。
でも逆に言えばウィリオットのような、ろくに苦労もせずなんでもこなしてしまえる天才肌ではないのだ。
別に自分が失敗するのはいい。でも、それでセシルを傷つけるのが嫌なのだ。
自分でも驚くくらい、嫌だという気持ちがあふれてどうしようもないのだ。
「ふふっ……なんて偽善者なの」
こんなにも自己嫌悪を覚えたのは、いったいいつ以来か思い出せない。
傲岸不遜でもいい、自分が好きな自分でいられるよう常に己を磨いてきたのが神谷永理だった。
今現在だってウィリオットに婚約破棄されようが、エリザベスに処刑エンド予告されようが、上手く対応できていると思っていたのに……。
「これからどうしよう」
セシルと婚約する計画は、完全に破綻してしまった。
あちらも当然、政略結婚だと割り切ってくれるはずだと、その思い込みがあったから立案したのだ。
でも相手の秘めた気持ちに知らんぷりして、愛のない結婚を要求する気にはどうしてもなれなかった。
「そんな繊細なことじゃ、結婚なんて一生無理ね……」
ちゃんと政略結婚だと割り切ってくれる相手を、探せばいいとかそんな問題でもない。
傷つけるのが嫌でセシルと結婚できないのなら――
他の男と結婚したって、セシルが傷つくことに違いはないのだから。
世は、己は、なんとままならないことだろうか。
懸想されていると知って、こちらも意識するようになってしまう乙女心か欲しかった。
あるいは真逆に、親しい相手の心を踏みにじってでも目的を達成する、悪女の如きタフさが欲しかった。
カミュエは枕に顔を埋めたまま、いつまでも悪態をつき続ける。
公爵令嬢のための、バカバカしいほどに広い寝室。
天蓋付きのベッドがぽつん。
それがこんなにもわびしく思えたことも、生まれ変わって初めてだった。
――と、
「別に結婚などせずとも、よいではありませんか」
温かい声が聞こえた。
アーサーのものだった。
驚きを禁じ得ない。
いつも影の如く存在感を消して付き従うヴァレットが、珍しく主張を口にしてきたからだ。
しかもそれだけに留まらない。
アーサーはベッドの傍まで来くるとひざまずき、カミュエの右手をそっとにぎってきたのだ。
もう驚いたどころではない。
立場をわきまえ、こちらが命令しない限り、指一本触れようともしない男だったのに。
いったいどんな顔をして、こんな真似をしているのか。
カミュエはまじまじと見てしまった。
果たしてアーサーは、いつになく感情のこもった声で続けた。
「この私がおります。永遠に貴女のお側におります」
恐いくらい真剣な目つきをしていた。
痛いくらいこちらの手をにぎりしめていた。
熱いくらい彼の血潮を感じられた。
「遠くへゆかれると仰せならば、果てまでも。地獄へ落ちると仰せならば、底までも。どこまでもお供いたします」
だからカミュエは、自分が思う通りのことをし、思うままに生きればいい。
それでどれだけ失敗しても、どれだけ後悔しても、全てを喪うことだけはないから。
つないだ手から、アーサーの想いがこれでもかと伝わってくる。
負けないくらい強く、彼の手をにぎり返す。
彼の体温が、そこにある存在感が、ただただ心地よい。
うっかり涙ぐんでしまった。
前世の記憶が蘇る。
仕事、仕事に追われ、でも何も為せず、上司たちからはなじられ、嘲られ、負けてなるかと一層自分を追い込んで、とうとう部屋に独り斃れた。
でも、それはもう前世のことだ。
「いつものように、私にお命じください」
万感の込められた声で、アーサーは言った。
「ええ。わたくしの望むままに」
万感を込めた声で、カミュエは応えた。
そして立ち上がった。
毅然と、それでいて優雅に上体を起こす。
アーサーに手をとらせ、女王の如くかしずかれてベッドを降りる。
セシルとの結婚は諦めた。
でも、この国を燦然と輝かせる野心だけは諦めない。
そうでなくてはカミュエは神谷永理ではない。
「アーサー」
「はい、お嬢様」
「ウィリオットはどうなっているかしら?」
「お嬢様のご計画通りに。順調に」
クールな返答と洗練された所作で寝室の扉を開け、書斎へエスコートしてくれる。
先ほどの熱情が甘やかな夢だったかのように、アーサーはもう従者兼護衛兼暗殺者に戻っていた。
カミュエが執務机に着座すると、アーサーが恭しく差し出した水晶玉を天板の上に置く。
冷たく透明な表面に触れ、魔力を灯すと、遠くの景色を映し出す。
「覗き見の水晶球」と呼ばれる、極めて高価な魔道具である。
科学の発展していないこの異世界においては便利な代物だが、どこでも随意に覗けるわけではない。
あたかもカメラの如く対応する宝石があり、男物のブローチに仕立てたそれの正面にある景色を、こちらの水晶玉に映し出すテレビモニタのような役割を果たす(ただし音声までは伝えない)。
そして今、覗き見の水晶球に映っているのは、ウィリオットの見苦しい姿だった。
正体をなくすほど泥酔し、大勢の高級娼婦を侍らせ、取り巻きの貴族令息たちと乱痴気騒ぎの真っ最中である。
場所は王都の歓楽街にある、富裕層向けの秘密のプレイルーム。
ウィリオットは最近になって取り巻きの一人にそそのかされ、火遊びを覚えていた。ギャンブルにハマッていた。
だが酒に溺れたり、女を買うほどは落ちぶれていなかった。
王太子として最低限の理性と節度は保っていた。
そう、昨日までは。
「ずいぶんと飲ませたみたいね?」
「ガリャの琥珀酒です。酒精は強く、口当たりは軽く。気をつけなければ、すぐにこうなります」
「部屋の中が妙に煙っているけど、これはタバコ?」
「いいえ、阿片でございます」
「あらあら、王太子にあるまじきご乱行ね」
カミュエはクスリと口角を吊り上げた。
ウィリオットが今日になって節度をなくした理由は、ダンスパーティーにあった。
侮っていた弟王子に負け、下に見ていた元婚約者にはダンスの申し出を蹴られ、悔しくて悔しくて堪らなかったのだ。
それで憂さを晴らすため、いつになく痛飲しているのだ。
確かにウィリオットはパーティーで恥をかかされた。というかカミュエとセシルがかかせてやった。
だからといって、普通の者ならここまで荒れはしない。
「たかが学校行事」「たかが子供のお遊び」なのだから、一時の恥だと割り切るだろう。
しかしウィリオットは王太子に生まれ、しかも天才肌で、今までろくに努力せずともあらゆる名声を勝ち取ってきた。
だからただの一度も挫折を知らず、メンタルを鍛える機会もなかった。
だから「たかがあの程度の恥」が我慢ならなかったのだ。あたかも幼児の如く。
そして、ウィリオットが今日になって節度をなくした理由は、もう一つあった。
今、この水晶玉でスキャンダラスなシーンを覗き見でてきているのも、対応する宝石の持ち主が現場にいるからだ。
ウィリオットの取り巻きの一人で、木端男爵の六男である。
貴族としてはおよそ最底辺の身分であり、だからだろう王太子に取り入るのに必死で、ウィリオットに火遊びを覚えさせた張本人である。
そのクズをカミュエが買収した。
ウィリオットの気質を見抜き、ダンスパーティーの後、悔しさで大荒れするだろうことを予測し、あらかじめ命令しておいたのだ。
ウィリオットをそそのかし、普段なら絶対に手を出さないような危険な遊びで、憂さ晴らしさせろ、と。
もちろん、接触したのは影魔法で正体を隠したアーサーだから、カミュエの画策だと露見することは絶対ない。
そして、王太子の歓心を得るために火遊びを覚えさせるようなクズは、カミュエが提示した金額の前にあっさりウィリオットを売ったわけである。
「ふふっ、他愛もない」
水晶玉を睥睨しながら、カミュエは忍び笑いを続ける。
現地ではさらなる事態に発展し、その様が克明に映し出されていた。
夜が更けても一向に帰らぬ王太子を心配した近衛騎士たちが、プレイルームに踏み込んだのだ。
もちろん、ウィリオットの居場所を密告したのはアーサーの仕業。カミュエの仕込み。
近衛騎士たちもまさかこんな乱痴気騒ぎになっているとは、夢にも思わなかっただろう。
彼らの怒りの形相を見れば、「殿下! これは如何なる所業ですか!?」だとか「国王陛下にどう申し開きするおつもりですか!」だとか、問責の声が聞こえてきそうだった。
「明日には王都中に、ウィリオットの醜聞が知れ渡るでしょうね?」
王家の恥を近衛騎士たちが外に漏らすことなど、基本あり得ない。
だが人の口に戸は立てられないものだ。
特にこのアーサーの口には。
「カミュエお嬢様のお望みのままに」
情報工作も得意とする従者は、全て心得たように一礼した。




