第十二話 エピローグ
一週間後、ウィリオットの廃嫡が決定した。
ただでさえ国王陛下は先の婚約破棄宣言に立腹していたのに、このたびのスキャンダルが続き、もう許しはしなかったのだ。
重臣たちも異を唱えなかった。
当然ながら国王という存在は、その気まぐれでいくらでも国家の土台を揺るがせることができる。
だからウィリオットのような衝動的に愚行をくり返す男を、次の国王に戴くことはできないと、誰もが不安を覚えたのである。
廃嫡の理由としては妥当なものだった。
◇◆◇◆◇
「立太子おめでとう、セシル殿下」
晩春の風を浴び、髪を押さえながらカミュエは言った。
高等部校舎の、屋上のことである。
一週間ぶりに登校したセシルに、珍しい場所に呼び出されたのだ。
「ありがとうございます、義姉上」
「王太子の交代なんて前代未聞の事件に、城もさぞかしバタバタしたでしょうね。あなたも大変だったでしょう?」
「ええ。特に私の婚約者を早々に決めねばと、周りが騒がしいです。ずっと蔑ろにしてきたのに」
セシルは落ち着いた声音で皮肉り、肩をすくめた。
次の国王になることが決定され、物腰にも貫禄が出てきた――わけでは多分ない。
恐らくこれが本来の「セシル殿下」なのだ。
すぐに声を上ずらせたり、あたふたしていたのは、カミュエの前でだけ見せる、年相応の素顔だったのだ。
「今日はこんなところにお呼び立てして申し訳ありません、義姉上。折り入ってお願いがございまして」
「あら? 何かしら」
「義姉上――いえカミュエ様に、私と婚約していただきたいのです」
予想できていた申し出だった。
セシルも「驚かないのですね」と哀愁を帯びた声で言った。
「私の幼馴染は、存外におしゃべりだったようです」
「ニケ嬢を責めないであげて頂戴。あなたを想ってのことなのだから」
「承知しております。彼女は大切な友人です。これからもずっと」
セシルは友人という部分を強調した。
ランドロー侯爵令嬢ニケは、きっとセシルの婚約者候補の一人として宮廷で挙げられていることだろう。特に現侯爵が政治工作に躍起になっているだろう。
しかしセシルに娶る気はないと、角の立たない表現でカミュエに伝えたのだ。
「如何でしょうか、カミュエ様。愛して欲しいだなどと、感傷的なことは申しません。ホライゼンのため、将来の王妃に相応しい淑女はどなたかと見回して、貴女ほどの方はいらっしゃらない。その一心なのです」
「本当にそうかしら? あなたを尻に敷いて国政を壟断する、希代の悪女かもしれないわよ?」
「それでホライゼンが安泰になるなら、望むところです」
セシルの意志は固いようだった。
この国を立て直す野心を持つカミュエにとっても、最高の申し出だった。
でもセシルとは結婚できないと、もう決めたことだった。
「誠に残念です」
と、何も言わずともセシルに伝わった。
今にも泣き出しそうな顔で笑っていた。
「これからも義姉上と呼んで、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。わたくしもうれしいわ」
既にカミュエはウィリオットに婚約破棄されている上に、そのウィリオットも廃嫡された。
なのになおセシルが「義姉」と呼び続ければ、周りは首を傾げるだろう。
でも、それでいいのだ。
カミュエとセシルがわかり合っていればいいのだ。
「これからも私に、いろいろと教えてくださるでしょうか?」
「それももちろんよ。あなたにはぜひ初代国王陛下のようになってもらわなければね」
カミュエの野心は、別に自分が直接出しゃばらなくては気が済まないだとか、そんな安っぽいものではない。
結果としてホライゼンが立て直せるのなら、手段や経緯は何でもいいのだ。
その一環としてウィリオットのような自分を磨くことを知らない男はご退場いただき、セシルが立太子されるよう画策した。
そして、セシルが立派な国王になるよう導くのも、その成長を間近で見守る喜びを味わうのも、何も王妃でなくとも可能だった。
「これからも勉強会を続けていただけるでしょうか?」
「秘密の勉強会はもうダメね。ニケ嬢や他のご学友も一緒に、ね?」
「……致し方ありませんね」
婚約する気もないのに二人きりで密会を続けたら――それが本当にただの勉強会でも――周囲の誤解を生むことだろう。
この屋上の密会だってこのタイミングでは、けっこうギリギリだ。
にもかかわらずセシルは、
「最後に一度だけ、よろしいでしょうか?」
そう言って右手を差し伸べ、腰を折った。
ダンスの誘いのポーズだった。
そのために人目につかず、且つスペースのある屋上を選んだのだとわかった。
「ええ、喜んで」
カミュエはしっとりとホールドを組み、セシルのリードに身をゆだねる。
演奏などなくとも、ひとりでに体が動く。
それほどにこのところは、二人で呼吸を合わせる特訓をしたのだ。
セシルも足元など一切見ず、ただカミュエの目だけを見て言った。
「『なぜ私たちは出会ってしまったのか――』」
すぐにわかった。「トーレス王物語」の一節だ。主人公の台詞だ。
「『私は天の配剤を憎む。そして貴女を憎む』」
これ以上にない愛の言葉だった。
でもカミュエは続く台詞を返せなかった。
もちろん暗誦できないからではない。
理由は一つ――自分はセシルにとってのヒロインではなかったから。
◇◆◇◆◇
「マジでセシルきゅんのプロポーズ、断っちゃったんだ?」
事の顛末を聞いたエリザベスが、「もったいな~」と言わんばかりの顔で呆れた。
公爵家町屋敷のことである。
天気もいいし、四階のバルコニーにテラス席を設えさせて、気兼ねのないお茶会と洒落込んでいた。
傍に侍っているのは例によりアーサーだけなので、腹を割って話ができる。
「しっかし前からセシルきゅんに恋されてたって、カミュエちゃんも隅に置けないね!」
「我ながら良い女すぎて、自分が恐いわ」
「でもそのロマンスからビビッて逃げたヘタレだけどね!」
「……うるさいわね」
こと恋愛事に関してはエリザベスの方が間違いなく強者で、「アタシなら据え膳あったら貪り食うのに」とばかりの彼女に、カミュエは反論できず捨て台詞を返すことしかできなかった。
ちなみにセシルとの間に発生したアレコレは、洗いざらいエリザベスにゲロッている。
自分が結局、セシルの恋心を利用できなかった弱さも、包み隠さなかった。
ホライゼンを光り輝かせる道のりは果てしなく遠く、この先もエリザベスが持つゲーム知識が必要になることは多々あるだろう。
そして、カミュエの側に隠し事があればあるほど、エリザベスも何を伝えるべきかの指針が定まらなくなってしまう。
例えばカミュエはもう誰とも婚約する気がないのに、「落とせそうな良い男リスト」を延々と語られても時間の無駄だ。
ただでさえザベ子の話はとっちらかっているのだから。
「まあ、セシルきゅんを傀儡にして、裏で操るラスボスポジの方が、カミュエちゃんにはお似合いかもね!」
「言い方を選んで頂戴。権力者は得てして孤独なの。適切な助言者が傍にいるべきなの」
「まあ変なインチキ占い師に引っかかるよりは、カミュエちゃんに操られた方が絶対幸せかー」
「だから言い方!」
カミュエがキッとにらんでも、エリザベスはヘラヘラ茶菓子をパクついてた。
でも次の瞬間、「ギャボー!?」という絶叫とともに悶絶した。
カミュエの名誉を汚す輩に懲罰を与えるため、アーサーが素知らぬ顔で激辛カヌレにすり替えたのだ。まさに一瞬の早業だった。
エリザベスが泡を噴いているのを尻目に、カミュエは優雅に紅茶のカップを傾ける。
せっかくゆっくり堪能できると思ったのだが――エリザベスが静かになったらなったで、今度は別の雑音が耳についた。
実は今朝から、屋敷の外が騒がしかったのだ。
カミュエは四階のバルコニーから、騒音の元凶に冷え切った一瞥を投げかける。
今や廃嫡王子となったウィリオットだった。
町屋敷を囲む高い塀に阻まれ、閉め切られた正門をガムシャラに叩きながら、朝からずっとわめき続けているのだ。
「話し合おう、カミュエ! そして余とやり直そう!」
などと世迷言をほざき続ける廃嫡王子を、カミュエは白け切った目で見下ろす。
「婚約破棄などと、余は本気で言ったわけではない! ただただカミュエの気を引きたい一心だったのだ! ほ、ほら、押すだけではなく引くのも恋愛の駆け引きだというだろう!? 余は愚かにもあんな俗説を信じてしまった! カミュエが余にとり最愛の婚約者であることは、一度も揺らいだことなどない! だから頼む、まずはその美しい顔みせておくれ、カミュエ!!」
必死すぎ――というのは、今のウィリオットのためにある形容だろう。
カミュエは半笑いになってしまい、広げた扇子で口元を隠す。
廃嫡された元王太子の末路は、古今東西相場が決まっている。
処刑されるか、暗殺されるか、追放されるか、幽閉されるか、出家させられるかだ。
国王陛下は非情になり切れない人のため、出家の線が濃厚だと父公爵から聞いていた。
とはいえウィリオットからすれば、教会で辛気臭い人生を余儀なくされるなど、堪ったものではないだろう。
加えてセシルがいつか戴冠した後、もっと重い処遇を改めて課される恐れを、懸念しているかもしれない。
カミュエはセシルの為人を知っているから、そんな真似をするとは思わない。が、ウィリオットからすれば今まで冷遇してきた弟に、報復されても不思議ではないと思っているのだろう。
だから恥も外聞もなく、こんなに必死になっている。
あの婚約破棄をなかったことにしてカミュエの夫――次のダーカンダーク公爵になれるのなら、出家とは雲泥の暮らしを享受できる。
そんな結婚を国王陛下が認めるかも怪しいが、ダーカンダーク家が後ろ盾になればワンチャンあると、都合のいい幻想にすがっているのだろう。
「カミュエーーー! カミュエーーーーーーーーーーーーーー!!」
騒音がいつまでもやまない。
しかも事態はますます悪化する。
「もうやめてください、ウィリオット殿下! あなたにはわたしがいるじゃないですか!」
――と。
屋敷の正門にすがりつくウィリオットに、さらに後ろからすがりつく女が現れたのだ。
無論、ウリエラである。
「カミュエ様みたいな冷酷な人に、助けを求めたってきっと無駄です! でも私なら殿下を見捨てたりしません! 一生お側にいますから!」
そう言ってウリエラは涙ながらに訴える。
(まあ白々しい)
カミュエはまたも失笑を禁じえない。
もしウリエラが、ウィリオットに対する全き愛情から――このまま駆け落ちしようだとか、貧しくても幸せな家庭を築こうだとか、そういう覚悟で――言っているのなら美談だ。
でもカミュエは、ウリエラが「この学校には玉の輿に乗るためだけに来たんです」と言ってのけた性根を忘れていない。
(多分、あなたは勘違いしている)
平民だから致し方ないが、ウリエラは本当に貴族社会の常識がわかっていない。
ウィリオットが廃嫡されると聞いて、「国王にはなれなくなった」程度の甘い認識しか持っていないのだろう。
平民からすれば羨むような贅沢暮らしが、王宮で続けられると思い違いしているのだろう。
もしかしたら「平民のわたしが王妃になるのはさすがに無理だったけど、今のウィリオット様なら結婚できるのでは!?」なんて夢想すら抱いているかもしれない。
もしウィリオットの今後を――現実を知ってしまったら、果たしてウリエラはどんな顔をするだろうか?
まあ、興味はない。
カミュエは心のない元婚約者に意趣はあっても、ウリエラに対してはさほど悪感情を持っていない。
「どうでもいい存在」だった。
むしろウィリオットは責任をとってやれと思うくらいなのだが――
「黙れ! 何が光魔法の使い手だっ。特待生だっっ。余をたぶらかした魔女めがっっっ」
「ぎゃあっ」
ウィリオットはすがりつく「恋人」を、半ば殴りつけるようにして振り払っていた。
ウリエラは頬を腫らし、ショックを受けた様子で「恋人」を見上げたまま、立ち上がることもできずにいた。
「うわサイテー」
「人間、落ちるところまで落ちるものね。恐いわね」
舌のダメージから立ち直ったエリザベスと一緒に、眼下の他人事を眺め下ろす。
いや、ゲーム脳女には決して他人ごとではないか。
「あーん、このウィリオットさまにはほとほとゲンメツさせられるよー」
ショック、ショックー、とエリザベスはカヌレをヤケ食いしていた。
「アタシ昔からさー、今の状況が『ゲームの世界に入っちゃった』のか『ゲームそっくりな異世界に来ちゃった』のか、ずーっと考えてたんだけどさー」
カミュエもチラッと思うことはあるが、深く考えたことはない。
答えがわかったって意味がない、どうしようもない事柄だからだ。
「でも【アンロマ】に似てるだけで、【アンロマ】そのものじゃないんだろうねー。今のウィリオットを見てて痛感したー」
「ふふっ、なるほどね」
ザベ子にしては良い推理だと、カミュエもうなずかされる。
――と。
そんなカミュエやエリザベスを、ウリエラはへたり込んだまま、塀の外からずっと見上げていた。
ウィリオットに拒絶され、暴力を振るわれたのもショックだったが、彼女ら二人の振る舞いにもまた同じくらいの衝撃を味わわされていた。
廃嫡されたとはいえ王子の必死の訴えさえ聞き流し、平気で菓子をつまんでいるエリザベス。
塵芥にでも向けるような冷たい目で、こちらを高圧的に見下ろすカミュエ。
なんと恐ろしい女たちだろうか!
特にカミュエだ。
ウィリオットの不興を買い、立場を失った哀れなお嬢様だと思っていたのに……気づけばその立場が逆転している。
この魔女に一時でも勝ったと己惚れていたことを、ウリエラは激しく後悔していた。
将来の安泰を求めるのならば、生徒会入りを打診された時に、従っておくべきだったのだ。
尻尾を振るべき相手を、完全に見誤ってしまったのだ。
ウリエラは絶望のあまり、立ち上がることもできなかった。
一方でウィリオットは、性懲りもなくカミュエに助けを求めていた。
「いい加減に機嫌を直してくれ、カミュエ! 余にすげなく扱われ、君がどれだけ傷ついたか、余も充分に反省した! これからは君の愛に応え、報いると誓う! だからカミュエ! カミュエエエエエエ!!」
もう後がなくなった男の、なりふり構わなさ――だけではないだろう。
カミュエが心の底では自分を愛していると信じ、本気でやり直せると思い込んでいる道化の、猛アピールだった。
王太子として何不自由なくチヤホヤされてきたウィリオットには、現実を直視するというただそれだけのことが、無様なくらい難しいようだった。
カミュエもいい加減、聞き飽きてくる。
一笑に付すのも疲れてくる。
「アーサー」
「はい、お嬢様」
「外がうるさいわ」
「畏まりました。野良犬どもを追い払って参ります」
今日もアーサーの淹れてくれた紅茶が美味しかった。
読んでくださり、ありがとうございます!
一応はここで完結ですが、もし続きを読みたいという方がいらっしゃいましたら、ブクマ登録していただいたり、
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