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セイクリッド・エンブレム  作者: 長坂 オウ
第四十九話 差し伸べられた手
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第四十九話 6

 ――光の聖者になるということ。それは自分の体をセイクリッド・エンブレムを扱う道具に変えること。当然、人としての死を意味している。

 フィリーはその真実を知ってもなお、光の聖者になることを拒まなかった。彼女自身が獣魔を特別憎んでいるわけではない。獣王国を滅ぼしたいわけでもない。ただひとえに、“守りたいもの”を守りたいと思っていた。

 フィリーは、ただ犠牲になろうと考えていたわけではない。この自らのおこないをいしずえに、キースもセヴァンも両親も、カンティオ領と人帝国の皆が――そして、何よりラウルが平和に暮らせるために。それが成し遂げられるなら、もう何も怖くはない。“覚悟”はできていた。


 そして、六年の月日が流れ、フィリーはアズメルから帝都に向かうことになった。

 いよいよ覚醒の下準備である神殿巡りの旅が帝都から始まる。その日程を告げるためにフィリーの元に現れたのはローガンだった。


「ラウル様が!? わたくしの護衛のためにラウル様が来られるのです!?」

「はい。カンティオ公爵様は反対されていたようですが、ラクシェン様はそれでも来られるようです。陛下からの勅命ちょくめいですので、断ることを考える方がどうかしているのですが……」


 薄く呆れ顔を浮かべてローガンがつぶやくが、フィリーは全く話を聞いていない様子だった。


「……フィリー様? どうかなさいましたか?」

「い、いえ!」


 喜んではいけないと思いつつも、フィリーは胸躍らせた。もう会えないと思っていたラウルが来てくれる……そう思うだけで嬉しかった。

 今さら光の聖者になることを断るつもりもなく、逃げ出したいわけでもない。でも、これは神が与えてくれた最後の褒美ほうびだと思えて仕方なかった。


「(神様……。もうこれ以上のことは望みませんから、どうかもうしばらく、わたくしのわがままを聞いてください……)」


 フィリーは願い、祈った。今しばらく“フィリーでいられる”ことを噛みしめて。残りわずかなその一時も幸福でいられますように、と……

 あきらかに表情が明るくなったフィリーを、ローガンはどこか悲しそうに眺めている。


「(何も知らないで……。現実は非情だ)」


 ローガンはここへ来る前にレイヴィスからかけられた言葉を思い出す。


「(“ラクシェンを暗殺せよ”。光の聖者の影武者に同行することになるカンティオ公子を道中で暗殺する。それが私の任務。カンティオ公子を釣るエサにされたことも知らず、なんと無邪気でいることか……)」


 しかし、そんな冷徹なことを考えていても、ローガンはどこか後ろ髪を引かれる思いでいた。フィリーの無邪気なその微笑みが、先代の光の聖者であるユリアや、妹のニニアンのものとかぶる。


「(ユリア様は真に人帝国の平和を、レイヴィス殿下の幸福を願われていた。カンティオ公爵はその“ユリア様を見殺しにした”。その報復を受けてもらおうか……)」


 公子に罪はない。なぜ暗殺せねばならないのか、と揺らぐ気持ちをローガンは冷たく押し殺した。


「(カンティオ公爵は我々の知らないことを知っている。彼に権力を与えれば、いずれ人帝国に大きな“ひずみ”を生むだろう。その前にレイヴィス殿下はカンティオを潰す気だ。

 光の聖者(フィリー)よ、私を恨むなら恨めばいい。私はそれでも止まらない。レイヴィス殿下とユリア様のためにも……)」


 ただ冷たく、ローガンはそう心に刻んだ。迷いなくラウルを殺すために……。






 ――そして、フィリーはアズメル大神殿にてラウルと再会した。

 その再会は神が与えてくれた褒美。はたまた悪魔の誘いだったのか。ラウルが訪れてすぐにアズメルは黒騎士とデューグによって襲撃され、ラウルはフィリーを連れて脱出する。

 その時、ローガンに殺されるはずだったラウルの運命も、つつがなく光の聖者として覚醒するはずだったフィリーの運命も、予期せぬ方向に進み出した。狂い始めた運命のもとに、この旅は始まったのだ。

 ミリアと出会いゼヴァンを失い、神器を求めて神殿を巡り、デュランと出会い、そして獣魔の真実を知った。その旅の中、ラウルは次第に真の光の聖者として覚醒する“きざし”を見せ、フィリーは困窮こんきゅうする。


 獣魔を救うなら光の聖者の力は必要なく、デュランを失った後、帝都に到着した時にフィリーはレイヴィスに光の聖者になることを断ろうと考えていた。フィリーは自分の意識を保ったまま光の聖者であり続け、獣王国との融和ゆうわの道を探ろうと、レイヴィスをどうにか説得しようとしていたのだが……

 しかし、それよりも前にデッフレスにて黒騎士と対峙たいじした時、ラウルも光の聖者の素質があることを知らされてしまった。その時、フィリーは恐れたのだ。


 “自分が光の聖者になることを断ると、ラウルが光の聖者にされてしまう”――と。


 ならば自身が光の聖者になってしまえば、ラウルを救えると考えた。しかし、実際はフィリーの知らないところで、レイヴィスはラウルの方を光の聖者にしようとしていた。


 そして、光の聖者とセイクリッド・エンブレムに関わる者達は、同じ方向を向いているようで互いに別方向に歩みを進め、今日という日を迎えてしまった。


 ――そう、本当ならば今日、フィリーはフィリーとして終わる日になるはずだった。

 レイヴィスの隣で迎えた終わりの日。自分で望んでここへ来たのに、恐怖で立っていられない。

 すると、ふと思い出した。幼き日、嵐の夜に一人震えていたあの時の感覚を。あの時の優しいラウルの手のひらを。

 その時だった。ラウルが現れたのは……


「フィリー。ごめん、遅くなったね……だけど、迎えに来たよ……」


 ラウルはそう言って、またフィリーに手を差し伸べた。しかし、フィリーは拒んだ。それでもラウルは叫んだ。


「嫌だ……僕は、君を……失いたくないんだっ!!」


 フィリーの頬に涙が伝う。自分の覚悟など簡単に崩してしまうほど、優しく温かい存在。

 再び差し伸べられた彼の手。フィリーも手を伸ばす。そしてたった一言、小さく小さくつぶやいた。


「……たすけて……」






 ――ハッと息をのむようにフィリーは目を開いた。

 子供の頃の夢を見ていた気がするが、今見えているのは森の中に張られた天幕だった。

 すると、リエルの声が届いた。


「フィリー? ミリア、フィリーが目を覚ましたよ」

「よかった。大丈夫? フィリー?」

「……ミリアさん、リエルさん……?」


 一瞬、なぜ自分がここに寝ていて、リエルもミリアも心配そうにこちらを見ているのかわからなかったフィリーだが、いつもならそばにいて当たり前の人がいないことに気付くと同時に現実を思い出す。ラウルはもういない――と。

 すると、自然と涙があふれだす。


「フィリー!? 泣いてるの? どこか痛い?」

「違うんです。リエルさん……

 わたくしは、とんでもないあやまちを犯してしまいました……」

「過ちって。フィリー、まさかあなた、ラウルのことで思い詰めてるんじゃないでしょうね? でも、あれは全部レイヴィス陛下のくわだてのせいでしょ?」


 フィリーは首を横に振る。そうではないことを彼女は理解していた。


「わたくしは全部知っていたのです。光の聖者の運命も、ラウル様にも光の聖者の素質があることも……。わたくしはそれを隠していました。

 最初におかしいと思ったのは、水の神殿の時にラウル様が入り口を開いてしまわれた時。次にデュランさんと戦った時に、ラウル様がエンブレムの力を発動させてしまった時です」

「あれはフィリーの力じゃなかったのね……。確かにあの時、ラウルは別人の様になってた。じゃないとラウルがデュランを斬るはずないもの。わたしももう少し疑うべきだったわ」

「光の聖者のわたくしでさえ、エンブレムがあんな形で発動することには半信半疑でした。ですから、ミリアさんに疑えという方が無理な話です」

「じゃあ、フィリーも半信半疑だったんだよね? それじゃあどうしようもなかったんじゃない?」


 リエルが首をかしげるが、フィリーは首を横に振る。


「いいえ。デッフレスという街で黒騎士と戦った時に、わたくしは確信しました。ラウル様にも光の聖者の素質があることを――いえ、それどころかわたくし以上の素質があることに」

「確かにそれは、もっと早くわたし達にも話して欲しかった気持ちはあるけど……」

「わたくしは一人でラウルを救えると思っていました。自分さえ光の聖者になってしまえば、それで済むことだと。

 光の聖者になっても、きっとラウル様ならわたくしの力をうまく使ってくださるから、覚悟はできていると自分に言い聞かせて。

 なのに、わたくしはずっとラウル様に甘えてしまっていた。本当は光の聖者になるのが……怖くて、怖くて……仕方なかったのです……」


 肩を震わせるフィリーにリエルも目に涙を浮かべて言う。


「そんなの当然だよ! だから、今まで頑張ってきた自分を責めちゃダメだよ……」

「いいえ。結局、わたくしの決意は独りよがりだったんです。何もかも自分で一人で抱え込む振りをして、心の奥底では誰かに――ラウル様に救ってもらえることを望んでしまっていた。

 だから、ラウル様が手を差し伸べてくださった時に、わたくしは無責任にもその手を取ってしまって……代わりにラウル様を闇の奥底に引きずり込んでしまったのです……」


 涙を流しながらフィリーは体をひどく震わせ、焦点の定まっていない目を据えて、顔を蒼白させる。


「フィリー! 落ち着きなさい!」

「……わたくしはラウル様さえ無事ならそれでよかったんです! 光の聖者になると決めたのだって、ラウル様を救いたかったからなんです! なのに、ラウル様がっ……ラウル様だけがこんなことに……

 全てわたくしの行いのせいなんです! わたくしが光の聖者になるべきだったのに、わたくしさえしっかりしていれば――」


 取り乱して一方的に泣きわめくフィリーの頬を、ミリアは強く叩いた。


「ミリアッ! なんてこと……」

「リエルは黙ってて。フィリー、あなた、いい加減にしなさいよ……」

「ミリア……さん……」


 叩かれた頬を手で押さえながら、フィリーはミリアを見つめる。その時になって、ミリアも泣いていることに気付いた。


「ラウルは、フィリーにいなくなってもらいたくなくてあなたを助けに行ったのよ。リエルをだましてでもね。

 そのあなたが今、ラウルを助けられなかったからって自分がいなくなってた方がよかったって自分を責めてたら、その方がよっぽど独りよがりじゃない!」

「わたくしは……、ならば、どうすればよかったのですか……」


 落ち着きは取り戻したものの、それでもフィリーの涙は止まらない。


「どうすればよかった、なんて考えても意味がないの。わたしだって、ずっとホーウェルのことであの時どうすればよかったんだろうって考えてたけど、過ぎてしまったことはもうどうにもならないの。

 だから、考えるなら“これからどうするか”にしなさい。ラウルを助けたいって気持ちなら、わたしだってあなたに負けてないわよ?」

「ウチもだよ! 難しいことは考えられないけど、助けないといけないんだよ。それはわかるから」

「ミリアさん……リエルさん……」


 フィリーはようやく顔を上げた。泣いてもうつむいても叫んでも、それだけではラウルは救えない。そんな単純なことさえ、見失いかけていた。しかし、ミリアとリエルが気付かせてくれた。


「――わたくしは諦めません。

 ごめんなさい、ラウル様がいないことに気付いて、すごく悲しくなってしまって……」

「……いいのよ。わたし達だってそれは同じなんだから。ラウルって前に出たがるタイプじゃないけど、ずっとそばにいてくれたから。

 わたしこそごめん。思いっきり叩いちゃって……」

「いえ。わたくしは一人じゃないってことを痛感できました。わたくしは最初から一人じゃなかった。だからこそ、自分を犠牲にすべきではなかったのですよね……」

「――そういうことだぜ。フィリー」


 後ろから聞こえたルーカスの声にフィリー達は揃って振り向く。そこにはいつの間に起きていたのか、ルーカスとデュラン、メイシャの姿もあった。


「ま、オレもそんなこと言える立場じゃねぇんだけど。オレも皆を、フィリーを騙してたんだし」

「だから、ルーカスも一緒に助けに行けばいいじゃん! ラウルを助けるって話なら、アタシもまぜてもらうからね!」


 メイシャにバシバシ肩を叩かれてルーカスは苦笑する。一方、獣魔姿のままのデュランは大きな耳を倒してうつむく。


「情けないな……。俺はラウル達を守るために戻ってきたのに、何もできなかった……」

「おっさん。あんたも落ち込んでる暇はないっての。今、ミリアが言ってただろ。これからどうするか、どうやってラウルを助けるかってことが重要だ」

「ああ、わかってる。考えよう、あらゆる手をな!」


 温かい仲間達がつどう。ラウルの周りに集まった仲間達だ。

 フィリーはラウルや仲間達から勇気をもらった。今一度いまいちど、自分の手のひらを眺めても、その手は細くか弱いものに違いはない。誰かを助けられるほど立派なものでもない。それでもフィリーは強く固く、その手を握り締めた。


「今度はわたくしが、この手を差し伸べる番なのですね……

 お願いします。皆さん。どうか……一緒にラウル様を助け出しましょう」

「当然よ! ね、皆?」


 ミリア達はまっすぐな眼差しで、力強くうなずいた。フィリーは涙を流しながらも、微笑んだ。




 ――そして、フィリー達は一丸となって立ち上がる。狂った運命にあらがい、ラウルを救い出すために。

【次回予告】


ラウルを救う策を考えるわたし達。

だけど、どうすればいいのよ……

考えても答えが見つからない間にもラウルは光の聖者として動き出してる。

早くどうにかしないと……


次回、セイクリッド・エンブレム 第五十話。

『光をともして』


――そういえば、どうしてキース様は光の聖者について元々知ってたのかしら……



【次回は12月9日(土)更新予定です。次回もお楽しみに】

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