第四十九話 5
――ホーウェル陥落。その知らせはまさに寝耳に水だった。ホーウェル公爵の安否の確認、そして、ホーウェルと隣り合うカンティオ領防衛のために、キースとエイルはすぐにホーウェルに向かった。
それをラウルから聞いた時には、ホーウェルで最後の切り札の兵器が使われ、獣王国軍は撤退したという噂も耳に届いていた。
早期決着がつき、カンティオにも被害はなく、フィリーは安心したかった。それなのに、何故か言い知れぬ不安に胸が押し潰される思いでいた。
その不安は、すぐに的中することになる。
「エイル様が……お亡くなりに……?
そ、そんな、セヴァンさん! 嘘……ですわよね?」
「……フィリー殿……」
カンティオ軍が帰還したと知って、すぐに公爵邸に向かったフィリーは、そこでエイルの死をセヴァンから告げられた。
セヴァンが冗談でそんなことを言うはずもないことは理解していたが、それでも耳を疑うしかなかった。
「お、おじさまは……キース様はっ!?」
「キース様はご無事です。大ケガもほぼ治療済みで、今は療養されております……」
「よかった。おじさままでいなくなられては、ラウル様が……」
とはいえ、胸の痛みは消えない。エイルはフィリーにとっても優しい兄のような存在だった。
英雄と呼ばれるほどに強かったエイルが、こんな形でいなくなってしまうとは。すぐには受け入れられそうもない現実だった。
「ラウル様のご様子は? できれば、おじさまともお会いしたいのですが……」
「ええ、それはありがたいことですが……、今はまだお二人共、混乱されておるでしょう。それなのに人帝国貴族から慰問者が絶えません。少しお時間を頂きますが……」
フィリーは気付いていた。セヴァンも疲れ果てていることに。ラウルやキースはそれ以上だろう。そんな中、自分が見舞っても余計に気を遣われるだけなのではないかと。
「あ、セヴァンさん。今日は……よろしいです。わたくしは、また日を改めて、落ち着いてからで……」
「え? あ、フィリー殿!」
フィリーは呼び止めるセヴァンの声を聞かず、走り去ってしまった。
教会に帰るため首都の街を歩くフィリー。ホーウェル陥落の現実と、エイルの死も噂として広まりだしていたのか、すれ違う人々にいつもの活気も笑顔もない。そして、フィリーもまたその内の一人でしかない。
戦時中なのだから、どんなに平和だったカンティオにも、いつかはこんな日が来ることはわかっていた。でも、それは夢や幻に思えたことも事実である。
「カンティオが……変わっていく。わたくしは、どうしたら……」
カンティオを守りたい。それがラウルを守ることになるから。フィリーはラウルに笑顔でいてもらいたかった。彼が笑顔でいられる間は、自分も笑顔でいられるから――と。
しかし、現実は残酷で、今の自分の無力さを知らしめてくる。自分に何ができるのか考えても、到底エイルの代わりなど務まるわけもない。
肩を落としたまま、教会に戻って来たフィリーに呼び声が届く。
「――フィリー・フィルレイン!」
フィリーは驚いて振り向く。そこにいたのは立派なローブを身に付けた初老の神官。。
「フィリーいうのはそなたで間違いないか?」
「は、はい。わたくしですが。
それは帝都大神殿の紋章……? 帝都の神官様がわたくしに何のご用でしょうか?」
最近は教師になるべく、勉学に勤しんでいたフィリー。教会に籍は置いているものの、正式に祝福を受けて神官にもなっていない。
そんな彼女に前に現れたのは、教団の中でも最高位の神官が集う帝都大神殿の神官。本来なら言葉を交わすことすらできない相手だった。
「少し調べたいことがあるのだ。一緒に来てもらえるだろうか?」
「は、はい……」
不信感はあったが、頼みを断ることも出来ずにフィリーは従った。そして、通されたのは教会の中の一室。
そこには立派な鎧に身を固めた騎士が数人いて、見慣れぬ小さな魔動機を護衛するように立っていた。
「あの……この魔動機は?」
「“適性検査装置”とだけ言っておこう」
「適性……?」
「恐れることはない。この教会にいる光の魔法使いは、既に検査を済ませておる。あとはそなただけ、ということだ。すぐに終わるから、ここに触れてみなさい」
不信感は募るばかりだったが、フィリーはゆっくりと魔動機に触れた――
――数日後、フィリーはキースとラウルに会うために再び公爵邸を訪れた。数日前は人帝国貴族の姿も見えていたが、今はすっかり普段の公爵邸に戻っていた。
しかし、すれ違う人々に笑顔はなかった。もうエイルはいない――その悲しみは未だ果てないもの。フィリーにも痛いほどわかっていた。
そして、セヴァンにつれられてキースの部屋に通された。
「キース様。フィリー殿がお見舞いにいらっしゃいました」
「……そうか」
ベッドの上でそう返事をしたキースを見てフィリーは目を丸くした。
いつも明るく、貴族とは思えないほど気さくで剽軽なキース。フィリーと会う時は必ず笑顔を絶やさない彼だったが、今はどうだろう。まるでベッドの上に置かれている等身大の人形のように、全く生気を感じられず、顔はどこかやつれて表情も虚ろだった。
「あ……あの……」
「やあ、フィリーちゃん……心配かけたね」
と、フィリーに声をかけられてから遅れて笑顔を見せるキース。とはいっても覇気はなく、痛々しい。
「お体の方は大丈夫ですか?」
「ああ、魔法ですっかりよくなったよ。心配はいらないさ……」
「あ、あの……その……」
フィリーはエイルの話を聞きかったのだが、どう話を切り出していいのかわからずに口ごもる。
すると、キースの方から口を開いた。
「私は……守れなかったよ。エイルもバルドも……」
「おじさま……」
目を逸らし、うっすらと涙ぐんでいるのがわかって、フィリーは余計に言葉が出なくなった。
息子であるエイルは当然、犬猿の仲でありながらも確かな絆があったホーウェル公爵のバルドを失うことがどれほどのことか、察するに余りあるものだった。
「私は独り、取り残されてしまった……」
「そんなことはありませんわ! おじさま……
わたくしではエイル様の代わりなどにはならないでしょうが、それでもわたくしはおじさまのことを思っています。セヴァンさんもそうです。
それに何より、ラウル様がいらっしゃるではありませんか!」
「……私は、皆を守れるであろうか。ラウルをも失うのではないだろうか。このカンティオすらも……」
「おじさま……」
心底、滅入っているキースの様子に、フィリーは何もできない自分を悔やんだ。
「すまない、フィリーちゃん。こういう時は悩めば悩むほど、悪い方へ悪い方へと考えてしまうというのは理解しているつもりなのだが……」
「いえ……そんなことはありませんわ。おじさまはお優しいんですから……」
「ありがとう。元気をもらえたよ、フィリーちゃん……」
キースは再び微笑んだ。しかし、その微笑みは突き刺さるほどにフィリーの心を揺さぶった。
「妻はまだ寝込んでいるようだ。しばらくは人と話す余裕もないだろうから、すまないね。フィリーちゃん」
「いえ。至極当然のことですわ。あの、それではラウル様も……?」
「ラウルは一番しっかりしているよ。私や妻、エイルと親しかった者が全員立ち直れずにいる現状で、必死に平常心を保ち、支えてくれている。本当に、父として情けないばかりだ。
私は大丈夫だから、ラウルに会ってやってくれないか?」
「は、はい。おじさま、差し出がましいことを申しますが、どうかお体もお心も大事になさってください……」
その言葉にキースは一瞬目を丸めるが、ゆっくりとうなずいた。
「ああ、そうするよ……」
フィリーはキースに一礼すると、セヴァンと共に部屋を出て行った。それと入れ替わるようにシェーラが入ってくる。
「……やはり良い子だね、彼女は」
「聞いていたのか。どうしたのだ、今日は……」
「あのフィリーに関しての情報だよ。もしかしたら“光の聖者の素質”が、彼女にも認められたかもしれない」
「なっ……」
ビクリとひどく体を震わせて反応するキースに、シェーラは冷静に続ける。
「数日前、教会に検査官が来ていたらしい。帝都でなければ正確には判断できないそうだけど、彼女に素質があったことには間違いないみたいだね」
「私はホーウェルで光の聖者すらも守れなかった。あの時、失敗したにも関わらず、こんなにも早く次の光の聖者を探し始めたのか……」
「フィリーは帝都に行ってしまうんじゃないかい? 頼んでくれれば阻止するけど、どうするんだい?」
キースはうつむき、黙り込む。部屋をしばしの沈黙が包み込む。だが、キースはうつむいたまま答える。
「私はラウルを守る。ラウルまでも失いたくない。失うわけにはいかないのだ……
たとえこの先、何を犠牲にしようと私は鬼にでも悪魔にでもなる覚悟だ……」
「キース。本当にいいんだね? それで……」
シェーラの問い返しにも、キースはもう何も答えなかった。
――セヴァンと共に廊下を歩くフィリーは、彼に尋ねる。
「セヴァンさん。おじさまはああ仰っていましたが、本当にラウル様のご様子は大丈夫なのですか?」
「ええ……。正直、私も驚いております。もちろん全く気落ちされていないというと嘘になりますが、それでもラウル様は皆を元気付けてくださっています。
ですが、間違いなくラウル様もお辛いはずですから、私にはその様子が辛くて辛くて見ておられぬのです……」
目を真っ赤にして涙ぐむセヴァン。フィリーもその気持ちに共感し、今にも涙を流しかけたがぐっとこらえる。
「……では、わたくしもいつもと変わらず、笑顔でラウル様にお会いいたしますわ。ですから、セヴァンさんもそんなお顔なされないでください」
「ははは……、誠に不甲斐ないばかりです。本来ならば我々、大人がラウル様やフィリー殿を励まさねばならないというのに……」
「心は心です。大人だとか子供だとかは関係ありませんわ」
「フィリー殿……」
セヴァンはふと違和感を感じた。フィリーは元々大人びていたが、今のフィリーはこれまで以上に何か強い思いを、心の中に秘めているような……そんな気がしていた。
「フィリー殿、今日は何かラウル様に伝えにいらしたのでは?」
「……さすがはセヴァンさんですね。ばれてしまいましたか。セヴァンさんには先にお話ししておきますね」
「フィリー殿。一体何を――」
セヴァンは眉をひそめたまま、フィリーの話に耳を傾けた。
――そして、ラウルの部屋の前に立ったセヴァンは扉をノックする。
「ラウル様。いらっしゃいますか? 私です」
「セヴァンかい? どうしたの?」
すぐに出てきたラウルだが、セヴァンの後ろに隠れたフィリーには気付いていないようだ。
「お客様でございますぞ。ラウル様」
「お客様?」
セヴァンの姿しか見えず、ラウルは首をかしげる。すると、ようやくセヴァンの背後からフィリーがひょっこりと顔をのぞかせた。
「ラウル様! わたくしです!」
「フィリー! びっくりした。驚かせないでよ……」
「うふふ。突然ごめんなさい。でも元気そうで良かったですわ。ラウル様」
「フィリー。僕の様子を見に来てくれたの?」
いつもと変わらない笑顔のフィリーにラウルも笑顔になった。
フィリーは必死に笑顔を保ったまま続ける。
「……エイル様のことは聞きました。領民の皆さんが嘆なげいています。わたくしだって……」
「ありがとう……フィリー。
でも、大丈夫だよ。父上は無事だったし、僕も悲しんでばかりじゃいられないからね。兄上の分まで頑張らないと……」
やはりラウルはいつもと変わらない。きっとカンティオを守りたい、皆の笑顔を守りたいという気持ちが強いのだろう。
家督を継ぐのはエイルだからと、どこか兄に頼ることもあったラウル。しかしエイル亡き今、考えを改めないといけない時期が来ていたのだ。
フィリーにはすぐにそれがわかった。だからこそ、自分も変わる決心を固めた。
「……ラウル様。わたくしもそう思って決めたことがあるんです。今日はそれをお伝えに来ました」
「……え?」
「わたくし、光の聖者様のお手伝いをする為に神官になろうと思っています」
「光の聖者……様?」
首をかしげるラウルにセヴァンが説明する。
「セイクリッド・エンブレムを扱える唯一無二の存在であるお方が、そう呼ばれているようです」
「今、その光の聖者様に仕える神官を募集していて、わたくしにも素質があると認められました」
「凄いじゃないか。フィリー!
でも、学校の先生になりたいって夢は……?」
「……ラウル様は仰いましたよね? 夕日を綺麗だと感じて笑顔になれるのは、今が平和だから――と。だから、わたくしは平和を守りたいのです。今回はその資格を得たので、この機を逃したくはないのです」
「そうか。本当に凄いよ、フィリー。僕も負けていられないね!」
ラウルは自分のことのように喜ぶが、フィリーは何故か浮かない様子。
「……どうかしたのかい?」
「あの……、神官になる為には数年間の修行が必要なので、カンティオを離れなければならないんです」
「そうか。それを伝えに来たんだね……」
ラウルも寂しげな表情になる。エイルを失い、フィリーもまた旅立つ。周囲の環境が変わっていく……。
「――戦争は何もかも変えていくね。僕も、変わらないと……」
「ラウル様……」
辛そうなラウルを見て言葉を失うフィリー。そんな彼女に気付いたのかラウルはすぐに笑顔を見せて言う。
「フィリー。寂しくなるけど、僕は君を応援するよ!」
「ありがとうございます。ラウル様」
フィリーはニコリと微笑み返した。
――こうしてフィリーはカンティオを後にした。本当はずっとラウルの傍で彼を支えていたかった。しかし、いくらそう思っていても自分には何も力がない。だから、フィリーは旅立った。平和な未来を願って……。
――帝都にて、さらに大きな魔動機を使い、精密に検査されたフィリーはある部屋に通された。やけに立派な装飾に彩られた広い部屋の、やけに豪勢な椅子に一人で腰掛けていたフィリーは、ソワソワしながら誰かを待っていた。
重要な話があるから、と言われて待っているだけだが、誰が来るのかわからない。
「待たせたな」
「えっ……」
と、入ってきたのはレイヴィス。光の聖者に関わる話のようで偉い人が来るとは思っていたが、まさかの人帝国第一皇子の登場にフィリーは立ったまま硬直した。
「あ、あのっ……」
「楽にしていろ。フィリー・フィルレイン、と言ったな?」
「は、はい。フィリー・フィルレインと申します。まさかレイヴィス殿下に拝謁出来るなどとは思ってもいませんでした」
「楽にしていろと言っている。まあ、座りなさい」
フィリーは緊張したままレイヴィスと向かい合わせで座る。もちろんそんな立場ではないとフィリーも自覚していたが、なぜかレイヴィスはおおらかだ。
「別に回りくどく話すことではない。単刀直入に言わせてもらうが、フィリーよ。そなたが次代の光の聖者に決まった」
「えっ。次代……?
ど、どういうことですか。わたくしはただ、光の聖者様の側近の神官になるべく、こちらに参ったのです。魔動機の検査で、わたくしにその素質があると聞かされて……」
「側近の神官の素質ではない。光の聖者自体の素質だ。
何も騙そうとしたのではない。人帝国領外で真実を軽はずみに話すことは出来ず、あの魔動機では簡易的な検査しか出来ない。だから、光の聖者の素質が本物であるかもわからなかったのだ」
「では……本当に、わたくしが?」
「どうだ? 光の聖者になるつもりはないか?」
それはフィリーにとっては願ってもいないことだった。
誰かの助けを待つばかりの無力な自分。誰も助けてあげられない無力な自分。そんな自分から変われる気がした。
しかし、フィリーがうなずく前にレイヴィスは続ける。
「だが、“光の聖者になるということ”を正直に話そう。私も悪魔ではない。決断はそれからでいい」
「光の聖者に……なるということ?」
理解できていないフィリーにレイヴィスはゆっくり口を開いた。そこから発せられた言葉を耳にしたフィリーは、目を皿のように丸く広げて凍り付いた。
――フィリーが退室した部屋にレイヴィスだけが残っていた。あごに手を当てて難しい顔をしている。
そこへ入って来たのはローガンだった。
「失礼します、殿下。彼女とのお話はどうなりましたか?」
「……光の聖者の素質を持つ者は、魔力だけでなく“性格”さえも同じなのだろうか……」
「殿下? それはどういう……?」
「いや、こちらの話だ。彼女は受け入れたよ、光の聖者になることを」
「全ての真実を聞いて即決したのですか?」
有り得ない、と言いたげにローガンが驚く。
「そうだ。彼女にも自らを犠牲にしてまでも守り抜きたいものがあるのだろう。ユリアと同じだ……」
「……自らを犠牲に守り抜きたいもの……」
ローガンは既に犠牲となったユリアと共に神殿巡りをした仲間。ユリアの人柄を知っている彼には、今のレイヴィスの言葉が重く響いた。
「不満そうだな、ローガン」
「いえ……。私も真実を知っていればユリア様を止めていました。知っていれば……」
「それはもう後の祭り。あきらめよ。戦争とはそういうものだ。“人が人ではなくなる”、“国が国ではなくなる”……それが皇帝の望んだことだ。
その邪魔な皇帝ももういない。だから私が変える。私が終わらせる……この醜い戦争を……」
「殿下……?」
フィリーの中にユリアを見て、苛立ちを隠せないレイヴィスは唇を震わせる。
「この醜い“世界の全て”を……私が……」
そんな状態でも、迷いなくどこか一点を見据えているレイヴィスに、ローガンはもう何も声をかけられなかった。
次回更新は25日(土)の予定です。




