旅籠 篝火屋 前編
「よし、準備完了〜。明日の篝火屋さんはねぇ、旅館なんだよ。結構古くて、歴史あるところ何だよっ」
帰り際、片付けをしながら御手洗さんが教えてくれた。
「歴史ある旅館ですか。なんだか楽しそうですね」
「んー、楽しいかどうかは、みっくん次第かなぁ〜」
ニコニコ笑顔で数珠をちらっ、ちらっと見せてくる。含みがある言い方に俺は少し血の気が引く。
(うそだろ…何もないよな?頼むぞ、数珠さま)
「明日は火災報知器の点検を御手洗さんと光生くんでやってくれ。他の設備は私と深山でやるから。あっ、ちなみに早出な」
「はい、かしこまりました」
「みっくん、初めてだね」
その日は帰ってから、火災報知器の点検要領を一度おさらいした。熱感知器、煙感知器、受信機、発信機。一通り頭に叩き込んでから、布団に入った。
(何も起きませんように!)
――
翌朝、現場に向かう車の中で、御手洗さんが窓の外を見ながら言った。
「このあたりさ、昔は送り火の里って呼ばれてたらしいよ」
「送り火の里、ですか」
「お盆でもないのに、年に一度、対岸の山に灯りが並ぶ夜があったんだって。土地の人は、あちらの祭り、って呼んでてね。覗いちゃいけないって、子供に言い聞かせてたみたい」
「…なんでそんな話、詳しいんですか」
「前に来たとき、女将さんに聞いたのっ」
そんなことを話しているうちに、現場に到着した。
――
木造四階建て。築何年ほど経過しているのか、予測することさえ出来ないほどに、良い意味で古めかしい外観をしている。
旧館、新館、自宅も兼ねた別館があり、事あるごとに増築を繰り返してきたようだ。旧館は暗い迷路のように入り組んでおり、もともと建物と離れた屋外にあった蔵にいたっては、新館の一部に取り込まれているらしい。
大きな暖簾の下がった玄関に、達筆な字で「旅籠 篝火屋」と書かれた看板が掲げられていた。
軒先を見上げると、古い金具だけが等間隔に並んでいる。かつてそこに何かを吊るしていた跡のようだった。
「御手洗さん、これ何かかけるんですかね?」
「何だろうねぇ。でも、火を焚いておく道具を吊るすものじゃないか?って前に課長がいってたような気がする」
女将さんへの挨拶を終え、小金井課長と深山さんはそれぞれ担当の設備へ、御手洗さんは女将と共に別館へ、俺は上の階からということで、火災報知器の点検準備を終えたらまず四階へと向かった。
――
階段は数箇所あるらしいが、エントランス付近にあるメインの階段は螺旋状になっていた。だが螺旋状といっても三人並んでも余裕で歩けるほどに広く、そこに使われてる床の木は枕木のようにぶ厚い。
一番狭くなっている四階は四部屋しかない。現在は客室ではなく納戸のように使われているらしく、廊下も埃が積もっていた。
昔、とある文豪が定期的に長期滞在し、作品を仕上げる時は必ず借りるのが上がって左の部屋なのだとか。御手洗さんが車で教えてくれた。
御手洗さんは誰からも好かれるあの愛嬌の良さで、女将から情報をたくさん仕入れてるのだろう。
畳は埃が積もり色褪せ、所々擦り切れていた。襖は建て付けが悪いのか、開けるたびにギシッと重たい音がする。
アンティークな古い照明はあるが、点けてもなんだか薄暗い。何故か窓には障子が張られていて、外の光をほとんど通さない。
(人の出入りがもうずっとないんだろうな。でもここに入り浸って書物に集中するのは最高だっただろうな。昔は周りの建物も低く、景観も良かったようだし)
畳の匂いは感じられない。埃っぽさと、かすかにかび臭い空気が混じっている。
黙々と点検を進めていく。感知器の状態を確認し、作動するか試験器で一つひとつ確認していく。単純な作業だが、この静けさは単純作業をしていてもどこか落ち着かないものがあった。
――楽しいかどうかは、みっくん次第かなぁ
脳裏に御手洗さんの含みのある言い方がよぎる。
物音一つしない。自分の足音と、点検表をめくる紙の音だけが、やけに大きく響く。
(集中して、早く終わらせよう)
そう思いながら、最後の部屋の確認を終えた。結局、四階は何も起きなかった。
――
三階へ降りる。ここからは客室が並ぶ、旅館らしい造りになっていた。だが、部屋の配置は均等ではなく、なんだか不規則で違和感がすごい。廊下の端からでは部屋の入り口がどこかも見えず、何部屋あるのか、どこから入るのかさえわからなかった。
廊下は磨き込まれていたであろう板張りで、四階よりは幾分か明るい。それでも、窓の外の木々の緑が濃く、差し込む光は弱かった。
部屋の中の感知器と、押し入れの中の感知器、一つひとつ試験をしていく。
しばらく作業を続けていると、少しずつ体が作業に慣れていくのが分かった。手順は同じ、部屋に入り、押し入れを開け、感知器が作動するかを確認する。
(この調子で進めば、昼までには終わりそうだな)
そんなことを考えながら、次の部屋へと入る。中庭に面した部屋で、やはり部屋が暗い。入ってすぐの小さなトイレの前を通りすぎ、部屋の中の感知器を点検した。
続いて、椅子などを避けて押し入れの襖を開けた。
上段には古い布団が積まれ、下段は空だった。使われている様子はまるでない。
試験器を伸ばし、感知器に近づける。
しばらくすると感知器のランプが点灯した。
よし、と小さく息を吐き、試験器を戻して襖を閉め、一歩下がり振り返った。
すると反対の壁に斜めに立て掛けられた姿見に、ふと目をやったその瞬間、それはいた。
反射して俺とその背後を映す鏡の端、押し入れの上段にある天袋の襖が十センチほど空いているのが映る。
そして、開いている隙間から、人間らしき顔がこちらを見ているのが分かった。
(……え)
目だけを動かして、そちらを見ようとしてやめる。だが前を見れば鏡が視界に映る。
(気のせいだ。気のせいに決まってる!)
どちらをみていいかわからない。だが何故か動き出せず、仕方なく恐怖のままに鏡に目をやった。
すると襖の隙間は、さっきよりわずかに広くなっている気がした。
そして俺は気づいた。天袋の中の高さはせいぜい四十センチほどしかない。もちろん奥行きも大してないだろう。
俺が今見ている様な、人の顔が縦に下から生えるように存在するなんて有り得ないのだ。
生首でもない限り。
そして、天袋の襖が音もなく、すっと横へ開いた。
中から、皺だらけの老人のような顔がこちらを見下ろしていた。
黄ばんだ目が怨嗟をぶつけるように大きく見開かれている。何より目に焼きついたのが、それが生首ではなく――
《《体があった》》ことだ。
襖が全て開いたことにより、右耳があるはずの部分から首が生え、横たわっているのがわかった。
「……ッ!!」
叫ぶこともできずに、転がるように部屋を飛び出した。そのまま廊下を何メートルか走ってから、ようやく足を止める。息が上がり、心臓が痛いくらいに鳴っていた。
(今の、なんだよ……)
恐る恐る振り返りしばらく放心しているが、さっきのナニカが廊下に這い出てくる様子はなかった。
しばらくその場から動けなかった。だが、いつまでもそうしているわけにもいかない。震える手で点検票を握り直し、深呼吸を三回してから、また作業に戻った。
残りの部屋は、一切天袋も鏡もを見ないようにしながら、なんとか終わらせた。
――
二階に降りるころには、精神的にかなり消耗していた。だが点検はまだ残っている。
二階は三階よりもさらに部屋数が多く、廊下も長い。
それでも何とか勇気を出して作業をこなしていき、二階の最後となる一番奥の大人数部屋へと入った。
この部屋は主室と寝室が別れており、広縁部分にも、感知器があった。
そして、残りは押し入れとなる。
(あれ以降、ここまで何もなかった。何もない、何もいない)
襖を開けようと手を伸ばすと、わずかに襖が開いていた。指一つ分。
(これまでは大体綺麗に閉まっていた。いやでも考えすぎだな。たまたまだろ)
そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと襖を開ける。息を吐き、感知器に試験器を当て、作動を待つ。
(早く、早く作動しろ!)
――カタ
(……うしろ?)
廊下から主室を抜け、俺が今いる寝室の入り口付近。確実な気配と音がした。
錆びついたように首が硬い。どのみち音がした方を通らなかれば部屋からは出られない。
無理矢理体を回し、ギギギとぎこちなく背後へ顔を向けた。
そこには顔があった。ライトの光が顔を照らし出していた。
「ゔっ……!?」
顔だと認識した瞬間に、反射的にギャーーーーー!!!!っと声を上げかけた。
だがそれより先に、目の前の顔がバッとこちらへ勢いよく近づいてきた。
「しーっ!!みっくん、しーっ!!」
御手洗さんが、慌てて体ごと体当りするように俺の口を両手で塞いだ。
その勢いで俺と御手洗さんは倒れ込み、至近距離で目が合う。御手洗さんはいつもの、優しくにこにこした顔じゃない。ちょっと焦った顔をしていた。
「んんっ……!?」
「おっきな声出したら、女将さんに怒られちゃうよっ」
口を塞がれたまま、こくこくと頷く。御手洗さんがゆっくりと手を離した。
「な……なんでこんなとこにいるんですか?!」
声を潜めて聞くと、御手洗さんはようやく少し笑った。
「なんでって…手伝いにきたからだよ?」
「勘弁してください…ガチでこわかったですよ」
「ごめんって。クオッカみたいな子が震えながら点検してたら、誰でも自分の顔に光当てちゃうと思うよ?」
御手洗さんとの距離が、まだかなり近いことに気づく。さっきまでの恐怖とは、また違う意味で心臓がおかしくなりそうだった。
「あの、御手洗さん」
「あ」
御手洗さんも気づいたのか、慌てて一歩下がった。頬が少し赤くなっている気がしたが、薄暗い部屋のせいかもしれない。
「えええ、えっと、点検、終わらせよっか!」
「そ、そうですね!」
二人してぎこちなく、残りの点検を終わらせた。
――
休憩は外の縁側で取らせてもらうことになった。小金井課長と深山さんも、ちょうど自分たちの担当を終えたところで、四人揃っての昼休みだ。
「いやー、暑い暑い。この時期の点検はきついなぁ」
女将さんが用意してくれた麦茶を小金井さんが一気に飲み干しながら愚痴る。深山さんは縁側の端に座り、煙草に火をつけていた。白い煙がゆっくりと空に溶けていく。
「光生君、なんか……何とも、大丈夫か?」
小金井課長に言われて、三階での出来事を話すことにした。話しているうちに、うまく言葉にできない怖さがまた蘇ってきて、声が少し震えた。
「天袋から、皺だらけの顔が……目が恐ろしくて、頭の横から首生えてて」
「ほーん。俺そんなん一回も見たことないわ。怖がってるからじゃないか?」
小金井課長が鼻をほじる。深山さんは煙草の煙を吐きながら、横目でちらりとこちらを見ていた。
「光生……薬やってる?」
「やってませんよ!なんてこと言うんですか深山さんは!」
「…二階でも騒いでたろ?切れて幻覚出てるのかと思ったから」
ぷかーっとタバコの煙を吐き出し、深山さんはさらっと続けた。
そこへ、御手洗さんが気まずそうに付け加えた。
「あ、あの、二階の分は、その、私です……」
「ん?!御手洗さん、なにやったの?」
小金井課長が直ぐ様反応してきた。
「出来心で…みっくんを驚かせてしまって。恐る恐る点検してるのが小動物みたいで、つい」
「くっ。光生くん、ずるいぞ」
「え?」
(この人は何言い出したんだ)
小金井課長に何があったんだ!正確に教えてくれ!とせがまれてる俺を見て、御手洗さんはぺろっと舌を出していた。
深山さんが、灰皿に煙草を押しつけながら、ぽつりと言った。
「まぁ三階の方は、たぶん本物だろうな」
「……深山さん」
「お前も確信してるんだろ?」
図星を突かれて、何も言えなかった。
深山さんは「取り憑かれないようにな」とだけ言って、またタバコに火をつけた。
休憩の時間は、いつもよりずっと短く感じた。
(午後は厨房とその地下、それから蔵…か)
残りの点検箇所を思い浮かべながら、俺は冷えた麦茶を一気に飲み干した。




