円満寺
「みっくん!!お祓い行くよっ!!!!」
その日の朝、事務所に入るなり御手洗さんが腰に手を当てて待ち構えていた。
「あ、おはようございます」
「おはようっ!!」
昨日の御手洗さんとは打って変わって、いつもの調子には近づいてる感じはあったが、どこか声に力がこもっているのが分かった。
「今日ね、みんなでお祓い行くことにしたからっ!!」
「……え?今日ですか?現場はどうするんですか?」
「ふっふっふー。持つべきものは仲間なんだよ!みっくん!!」
何を言われたのか理解が追いつかなかった。だが俺が質問するよりも先に、小金井課長がトイレから手をハンカチで拭きながら出てきた。
「はっはっは。現場なら問題ないぜ、光生君よ。応援は手配済みだし、何より全て話したら、社長が業務としてのお祓いに行くことを許可してくれたからな!!」
外の喫煙所で深山さんがコーヒー片手にタバコを吸っている。ちらりとこちらを横目で見ていた。
「昨日のうちに課長が社長に打診してくれたんだよっ!しかもお祓いまで予約済!!」
「…よくそんなにスムーズに行きましたね」
課長は、少し気まずそうに頭を掻いた。
「いやー、実はな、あの雑居ビルの屋上で、あんなもん見ちまって。誰にも言うなって、お前には口止めしといたけど」
「はい」
「正直、あれからずっと、気になってたんだよ。俺だけじゃない、光生も御手洗さんもなんかおかしいだろ、最近。大丈夫なのは心臓に毛の生えた深山だけだ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
「だから、こっそり知り合いに聞いて回ってたんだよ。お祓いに詳しい奴とか、寺の関係者とかに」
「えー。課長、それもっと早く教えてくださいよ」
「いや、まぁなんというかだな…」
課長がシドロモドロになっていると、タバコを吸い終わった深山さんが事務所に入ってきた。
「課長、自分だけお祓い行こうとしてたから、紹介してもらった。昨日お前が帰った後に、御手洗さんと課長と話して、すぐ電話で事情説明したらオッケーくれたんだよ」
「あっ、深山!わざわざ言うことないだろ!それに俺の事前調査が役に立ったんだから!」
「まぁ役には立ったっすね。俺は心臓に毛が生えてるから、つい口が」
飄々とした様子で深山さんは、課長の陰口を数ターンのうちにやり返した。もう課長の戦闘ゲージはほぼないと見た。
「正直、もう、このままじゃダメだと思うの」
御手洗さんの目は、いつものにまにました愛らしい表情ではなかった。真剣な、それでいてどこか思い詰めたような色をしている。
「ということで、みっくん!お祓っちゃうから、準備しよっ」
気の所為だった。
めっちゃ可愛らしい笑顔だった。
──
「お寺有名らしいよぉ〜。この辺まで特急で参りますっ!」
御手洗さんがスマホの画面を見せてくる。地図アプリに、目的地が表示されていた。
「俺も、あそこは噂で聞いたことあるな」
運転席の深山さんが、缶コーヒーを片手に淡々と付け加えた。
「お祓いならあそこが有名だって、どっかの現場で聞いたことがあるんだよな」
「深山さんも知ってるんですね」
「詳しくは知らないけど。まぁ、良い方の噂だから内容なんて何だって一緒だろ」
会社の車に四人で乗り、円満寺へと向かっている。俺と御手洗さんは後部座席。課長が助手席で深山さんが運転をしてくれていた。
初めての四人での移動も、後部座席に座ることも普段なら有り得ない環境だったから、変に緊張した。
御手洗さんが何かしら軽口を叩いてくる場面も、なんだかいつもと違って見えて、手持ち無沙汰になった。
「御手洗さん」
「ん?」
「ありがとうございます。御手洗さんは大丈夫ですか?」
「大丈夫だよっ!めっちゃ寝たしっ!みっくんの方が心配だよ〜」
そう言って、御手洗さんはいつものように笑おうとしていたが、その笑顔はどこか無理をしているようにも見えた。
「私はね、今まで良い意味か悪い意味か分からないまま、ずっと数珠の力だって思ってた」
「はい」
「でも、この前のでね。…なんかそうじゃないのかもって、初めて思ったの」
信号待ちで、御手洗さんが窓の外を見つめる。
「考えてみたら、みっくんが入社してからいろんなことがあったでしょ?家に帰ると何も起きない。どこへ行っても何も起きなかった。でも、みっくんといると……」
――言葉が、そこで一度途切れた。
そして俺は、御手洗さんをそれ以上見ることができなかった。
「責めてるわけじゃないの……なんだか分かんない。分かんないけど、とにかくみっくんと向き合って頑張らないとって思ったんだよっ」
『みっくんといると』その一言に、何も返せなかった。
御手洗さんは、その後も何かを懸命に優しく伝えてくれていた気がする。
でも。
よくわからなかった。
──
昨日の帰り道、御手洗さんのあの横顔見て、本当に後悔してしまった。
家に帰った後も、眠りにつくまで、一時も頭から離れなかった。
――ただ笑顔を見たかっただけなのに。余計な事をしなければ良かった
それが呪いのように反復し続け、寝る為の気力さえ蝕んだ。
(何故、プライベートでも見ることを隠したんだろう)
(御手洗さんが仕事中だけと言った時に、言えたじゃないか)
(信頼しているのだろう?)
(助けてもらってばかりなのに)
(何故、隠し事をしたんだ)
(数珠のせいじゃないことくらい、わかっていたじゃないか)
(嫌われるのが怖かった。俺が原因だと知られることが怖かったんだ!)
(だからなんだ、この卑怯者。そんな自己中に皆のそばにいる資格なんて)
シカクナンテ
──
円満寺は、市街地から少し離れた静かな住宅街の中にあった。周囲には古い民家が並び、時折鳥の声だけが響いている。
古い山門をくぐると、手入れの行き届いた境内が広がっていた。
掃き清められた石畳、剪定された松の木、その向こうに、瓦屋根の美しい本堂が見える。
「立派なお寺ですね」
「前評判通りだな!」
小金井課長が何故か嬉しそうな顔をして答えた。四人揃って、境内を進んでいく。
平日の朝だからか、参拝者は見かけなかった。
大きな八重桜が印象的だった。
そんなことを考えながら歩いていると、目的地である本堂の前で若い僧侶が出迎えてくれた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。事情は伺っております。どうぞ、こちらへお入りください」
案内されるまま、靴を脱ぎ本堂の中へと入る。
畳敷きの広い空間、正面には金色の仏像が安置されていた。
よく知らなくとも、自然と頭を下げたくなるような、そんな仏像だった。
線香の匂いが、静かに漂ってくる。
中央には、護摩壇が組まれていた。木材が積み上げられ、その奥に住職が既に座っていた。
年配の恰幅の良い人物で、眉は太く、目つきは穏やかそうに見えるが、どこか厳格さを感じさせる佇まいをしている。
「遠いところから、よくぞ参られました」
住職が、低く落ち着いた声で言った。
「若いのに…大変な思いをされているようですな」
その一言だけで、既に何かを見抜かれているような気がした。
まるで金剛力士立像のような鋭い眼差しに射抜かれ、俺は何となく居心地が悪かった。
「話は、電話で伺った通りですな。本日はまず、護摩を焚いてお祓いをいたしましょう」
住職はそう言うと、静かに準備を始めた。若い僧侶が道具を運んでくる。護摩壇の周りに経文の書かれた紙、御札、様々な道具が並べられていく。
「皆様は、そちらにお座りください」
俺たち四人は、少し離れた場所に並んで正座した。御手洗さんが、隣で小さく息を吸うのが分かった。
「では、始めます」
住職が静かに手を合わせる。
腹の底から響くような低い声で、経が唱えられ始めた。
独特の節回しを持った言葉の連なりが、本堂の中に響き渡る。
やがて、読経に合わせるように太鼓が鳴り始めた。
ドンッ。ドンッ。ドンッ。
低く重い音が、畳を通して腹の底まで響いてくる。
護摩壇に火が入れられた。
最初は小さな炎だったが、次第に勢いを増し、木材を舐めるように燃え広がっていく。
読経と太鼓の音が重なり、本堂全体に響き渡る。聞き取れない言葉の連なりが、空気を静かに震わせていた。
四人とも、身動き一つせずその様子を見守っていた。
最初は、いつも通りの厳かな空気だった。
炎が揺れる。煙が立ち上る。線香と木材の焼ける匂いが、混じり合って本堂に満ちていく。
(このまま、終わるといいけど)
そう思った、その時。
炎の揺れ方が変わった。
(……あれ?)
風はどこからも吹いている感じはない。それなのに炎が大きく一方向に傾き続けた。まるで横から何かに吹き消されそうになるかのように、不規則に揺らめき始める。
隣で、御手洗さんの肩が小さく強張るのが分かった。
ドンッ。ドンッ。ッドン。
それまで一定だった太鼓の音が、わずかに遅れた。
住職の読経の声も、わずかに乱れ始めた。息継ぎのタイミングが、不自然に崩れていく。
(……様子が、おかしいぞ)
傍らに控えていた若い僧侶が、異変に気づいたのか、住職の方へ心配そうな視線を向けた。
炎が、一瞬、青白く色を変えた気がした、その瞬間だった。
「――ッか」
住職が、突然胸を強く押さえて咳き込んだ。読経の声が、そこでぷつりと途切れる。
「和尚様!」
若い僧侶が、慌てて駆け寄った。
住職の顔色が、みるみるうちに青白くなっていく。額には、じっとりとした汗が浮かび始めていた。
「大丈夫ですか!?」
課長が、思わず腰を浮かせる。
住職は、片手を上げてそれを制した。荒い息のまま、肩を大きく上下させている。
「……すみません。少し、休ませてくだされ」
護摩の炎がまるで潮が引くように、急速に勢いを失っていった。
本堂の中が、しんと静まり返る。線香の煙だけが、ゆらゆらと天井へ向かって立ち上っていた。
──
しばらくして、ようやく呼吸が落ち着いた住職が、深く息を吐いた。額の汗を僧侶が差し出した手拭いで拭う。
「申し訳ありません。こちらの、不手際です」
「いえ、そんな……大丈夫ですか?」
「ただの持病の発作ですので、お気になさらず」
御手洗さんが心配そうに口を開いた。持病と聞いて、想像していた事と違った安堵が俺の中を駆け巡る。
その後、住職はしばらく黙ったまま俺の方をじっと見つめていた。その目には、これまでにない緊張の色が滲んでいた。
「正直に申し上げます」
場の空気が、一気に張り詰めた。誰も相槌を打てなかった。
「私では、荷が重すぎます」
その一言に、御手洗さんが息を呑む気配がした。
「言い訳にはなりますが」と住職は前置きをし、苦虫を噛みつぶしたような顔をして続けた。
「長年、こういったことに携わってきましたが……ここまでのものは初めてです」
住職は、額の汗を拭いながら静かに続けた。
「あなたに憑いているもの、あるいは、あなた自身が抱えているもの。どちらにせよ、私の力では、太刀打ちできません」
「……そう、ですか」
なんとか、それだけ絞り出した。
沈黙が、本堂の中に落ちる。誰も次の言葉を発せなかった。
「一つ、心当たりがあります」
住職が、僧侶に何かを指示すると、しばらくして一枚の紙が運ばれてきた。
「明鏡院 請願寺という寺です。あそこの住職なら、あるいは」
住職は、そこに寺の名前と場所を、自らの手で書き加えていった。
「普通のお祓いとは少し違う方法を取られる方です。ですが、あなたにはその方が合っているかもしれません」
紙を受け取りながら、住職の手が微かに震えているのが分かった。
(普通のやり方じゃ、どうにもならないってことか)
御手洗さんが、そっと隣で俺の袖を掴んだ。袖越しに伝わる温もりが、やけに心強かった。
「今日は、本当にありがとうございました」
小金井課長が代表して頭を下げる。深山さんも、無言のまま、深く一礼した。
本堂を出て境内を歩く間、誰も口を開くことはなかった。
山門をくぐり振り返る。瓦屋根の向こうに、夕方に近づいた空が静かに広がっていた。
(明鏡院請願寺、か)
紙に書かれた文字をもう一度見つめる。
俺たちには、もうそこへ向かうしか選択肢はなかった。
──
本日未明
N県S市の円満寺で、住職の男性が死亡しているのが発見されました。
警察によりますと、男性は昨夜、寺の本堂で――




