飲みのお誘い
現場から帰社し、車を降りたところで深山さんに声をかけられた。
「光生、この後暇?」
「あ、はい。特に予定ないですけど」
「じゃあ、小一時間飲みに行こう」
特に断る理由もなく、そのまま会社近くの小さな居酒屋に歩いて行くことになった。
カウンター席に並んで座る。深山さんと二人きりで飲むのは、初めてのことだった。
──
「とりあえず生二つ」
深山さんが、慣れた様子で店員に声をかける。
「深山さん、よくここ来るんですか」
「まあ」
運ばれてきたビールを軽く合わせて、一口飲む。深山さんは特に何も言わず、黙々と枝豆をつまんでいた。
沈黙が続き何か話さないと、と思うのに話題が浮かんでこない。店内の喧騒だけがやけに大きく聞こえた。
「あの、深山さんって前は何の仕事してたんですか」
「営業。全然違う業界の」
「そうなんですね。なんでこの仕事に?」
「資格取ったら食いっぱぐれないと思っただけ」
あっさりした答えだった。それ以上深掘りする隙もない。
そしてまたしばらく沈黙が続いた。
(これ、ほぼほぼ喋らないのになんで誘われたんだ?)
深山さんは特に気にする様子もなく、黙って枝豆の殻を皿に積み上げていく。こちらだけが、その沈黙に耐えられなくて、次の話題を探していた。
「深山さんって、休みの日は何してるんですか」
「競馬」
「へー、競馬ですか」
「たまに競輪も行くし、パチンコもする」
意外にも具体的だった。そんなもん日によるだろ、とか言われるかと思っていた。
「自分やったことないんですけど、勝てるもんなんですか?」
「負ける方が多いだろうな」
「それでも行くんですね」
「行くだろうな」
しばらく黙って飲んでいると、ようやく深山さんの方から口を開いた。
「光生、この仕事どう?」
「え?」
「入ってどのくらい経ったっけ」
「もうすぐニヶ月ですね」
「体は楽だろ?」
「そうですね。でも実務も法律も知識が幅広すぎて、覚えることが多すぎます。資格も沢山必要ですし」
「そうだな。でも俺らはまだいいよ」
「え?」
「面倒なのは現場責任者。相手からしたら普段使わないもんに定期的に金払って、不備があれば金がかかる嫌な設備と認識されてる。修繕で百万超える時もあるし。それを睨まれながら説明して納得させないといけないからな」
「確かに…体感ではあまり感謝されてる感じはありませんね。むしろ目の上のたんこぶのように見られてる感じはします」
「法律だからな。俺らが悪いわけじゃねーのに。まぁみんながみんなそんな奴じゃないけどな」
「まぁ、気持ちはわからんでもないですけどね」
「そのへん、課長や御手洗さんは上手いと思うよ。課長の腰の低さと図太さは武器だし、御手洗さんの愛嬌は天性のもんだし。俺にはむり」
「深山さんも凄いと思いますけどね。団地の時、おばさんに捕まって逃げ出せないときに助けてくれたじゃないですか。自分はあまりはっきり言うの苦手なんで」
「普通だろ。言いやすさは立ち位置の違いじゃねーかな。あとは気合い」
「なるほど。善処します」
思わず苦笑いした。深山さんも小さく笑った気がした。
「まあ、慣れる」
「慣れるものなんですか、あれ」
「慣れないと、続かないだろこの仕事」
妙に説得力のある言葉だった。深山さん自身、何度も似たような場面に立ち会ってきたのだろうか。
「深山さんは、ストレスで嫌になりますか?」
「こいつ殴ってやめちまいてーな、って思うときもある」
「そうなんですか、全然そう見えないですけど」
「顔に出さないだけ」
それから少し黙っていた深山さんがグラスをゆっくりと傾けながら、そしておもむろに「篝火屋。お前、天袋から顔出てきたって話しただろ」と言ってきた。
「あ、はい」
――あの日、俺も見た
その言葉に思わず、手が止まった。
「え…深山さんもですか?!」
「詳しくは言わねぇけど。あれ以来、なんか妙な事が増えた気がするんだよな」
深山さんはそれだけ言うと、また黙ってグラスを傾けた。
「妙な話って」
「さあ。気のせいかもしれねーし、他は人の話だから」
それだけ言うと深山さんは残りのビールを飲み干した。それ以上は何も教えてくれなそうだった。
「おかわり、頼む?帰る?」
「あ、じゃあ折角なんで、もう一杯」
新しいビールが来るまでの間、少し沈黙が続いた。
「深山さん」
「ん?」
「御手洗さんとはもう長いんで――」
「付き合って三年くらいかな」
「……ッ!?」
「ジョークだよ、あほだな」
「あ、いや」
「お前いじり甲斐あるって言われねー?」
「御手洗さんには良くいじられますね」
「だろうな。御手洗さんの方が先輩だけど、俺の場合は歳が上だからな。気を使われてんだろ。お前は逆で、歳も社歴も下だから、いじりやすいんだろうな」
深山さんが枝豆をつまみながら言った。
「御手洗さん、前はもっと大人しかった」
「え、そうなんですか」
「お前が入ってから、なんか変わった」
「どう変わったんですか」
「うるさくなった。あと幼稚になった気もする」
あまりにあっさり言われたので、一瞬反応に困った。
「そ、それは、悪い意味ですか」
「さあ」
深山さんは、それ以上答える気がないようだった。グラスを傾けて、ただ黙って店内を見ている。
そのグラスが空になり、その日はお開きになった。
──
店の前で別れる時、深山さんが振り返らずに言った。
「光生」
「はい」
「無理すんなよ」
「……え?それは」
「仕事もそれ以外も。たまに疲れてそうな時あるぞ」
それだけ言うと、深山さんは自分の家の方へと歩いていった。振り返ることも、それ以上何かを説明することもなかった。
俺はしばらく、その背中を見送っていた。
(疲れてそう…か)
心配してくれてたんだ。
今日誘ってくれたのも、この一言を伝えることが目的だったのかもしれない。
(やっぱ深山さん、モテそうだなぁ)
夜風に当たりながら、駅までの道を歩いた。少し飲みすぎたのか、頭がぼんやりしている。それでも、さっきの「無理すんなよ」という一言だけが、妙に頭に残っていた。
「はぁ…」
――帰ったら勝手にテレビついてんだろうなぁ




