研修の合間
都内のビルの一室。長机がずらりと並んだ会議室で、わたしは配られた資料をぱらぱらとめくっていた。
午前の講義が終わり、昼休憩に入ったところだった。
「御手洗さん、眠そうっすね」
隣の席で、深山くんが缶コーヒーを開けながら言った。
「んー、朝弱いからねぇ」
「朝?いま、昼休憩ですけど」
「あ」
「一日中眠そうなだけじゃないっすか」
「うっ……深山くん、地味に厳しいこと言うね。みっくんにも寝坊助って言われたんだよねぇ」
「みっくんって、光生の事っすよね」
「そうだよぉ」
深山くんが缶コーヒーを傾けながら、こちらをちらりと見た。
「なんか、御手洗さんが光生の話するとき、いつもよりちょっと楽しそうっすよね」
「え? そう?」
「気のせいならいいっすけど」
それだけ言うと、深山くんはまた資料に目を落とした。
わたしは何も言い返せず、ぬるくなったお茶を一口飲んだ。
(楽しそう、かぁ)
窓の外を見る。
灰色の空の下に、都内のビル群が並んでいた。
こういう場所にいると、いつもの現場とは全然違う空気で、ふと余計なことを考えてしまう。
(そういえば……みっくんのこと、最初に見たの会社じゃなかったんだよね)
資料を閉じて、少しだけ目を閉じた。
──
あの日も、朝だった。
わたしは寝坊した。
……いや、正確には、寝坊しかけた。
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
スマホを見ると、約束の時間まであと二十分しかなかった。
飛び起きて、適当に髪を整え、顔を洗い、着替える。
朝ご飯?そんなもの食べている場合じゃない。
「間に合わないよぉぉぉ!」
駅までの道を半分走るように進んでいた。その途中に、前を歩いていたおばあさんが、手に持っていた紙袋をドサッと派手に落とした。
中から、椎茸がころころと道路の端まで転がっていく。
「あっ」
わたしは一瞬だけ足を止めた。
でも、その時にはもう先に誰かが動いていた。
「大丈夫ですか?」
背の高い男の子だった。
転がった椎茸を拾い集め、道路の端まで転がっていったものまで走って取りに行っている。
「すみませんねぇ」
「いえ、大丈夫ですよ」
男の子は柔らかな表情で微笑んでいた。
別にものすごく格好いいとか、そんなことを思ったわけじゃない。
ただ。
(優しいたけ……)
そう思った。それだけだった。
「うわっ、やばっ!」
時間を確認して、また走り出す。
振り返ると、男の子はおばあさんに立派な椎茸を押し渡されてあたふたしていた。
その姿が、あまりにも印象的だった。
──
次の日。
会社へ行くと、小金井課長に言われた。
「今日、例の新人くん来るから。よろしくな」
「はいはい〜。分かってますよぉ」
新人が入る。
前々から聞いていた話だった。
だから、その時は特に何も思わなかった。
お昼前になり、事務所の扉が開いた。
「明日からお世話になります。よろしくお願いいたします」
少し緊張した様子で、深く頭を下げる男の子。
名刺を差し出した手が、少しだけ震えていた。
「蓮見 光生と申します」
顔を見た瞬間。
(……あれ?)
昨日の朝。
道路に転がった椎茸を拾っていた人。
おばあさんに椎茸を御礼に押し渡されて、笑っていた人。
(あっ!)
頭の中で、二つの姿が重なる。
(やっぱ昨日の優しいたけだ)
思わず、まじまじと顔を見てしまった。
すると優しいたけ君が、少し困ったように首を傾げる。
「あの……?」
「しいた――あっ、いや!えっと……みつおくんね!よろしくー!」
「……はい?」
光生君の顔が、一瞬だけ固まった。
「あ……よろしくお願いします」
そのまま、特に訂正されることもなく、話は流れていった。
(あれ?)
後になって思った。
(名刺見て呼んじゃったけど……みつお、じゃなかった気がする。椎茸のせいだよぉ)
でも、もう何度も呼んでしまっていた。
今更、「ごめん、ずっと名前間違えてたわ。よく聞いてなくてさ。てへへ」なんて言うのも変な気がする。
だから、そのままになった。
そしていつの間にか、光生くんは「みっくん」になっていた。
──
「御手洗さん」
声をかけられて、目を開けた。
深山くんが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「昼休憩、もう終わりますよ。寝てたんすか」
「あ、ううん。ちょっと考え事してた」
「ふーん…珍しいっすね」
「たまにはねー」
資料を持ち直し、席を立つ。
窓の外を見る。
灰色だった空が、少しだけ明るくなっていた。
(あの時は、まさか同じ会社に入ってくるなんて思わなかったなぁ)
スマホを取り出す。
通知は、何も来ていない。
(今頃、みっくんと課長、大丈夫かなぁ)
少しだけ心配になるけど、でも。
(私がいないから今日は何も起きないだろうし。)
そう思って、少しだけ笑った。




