1
:配信、始めました
2038年、日本。
ダンジョンが出現してからすでに8年が経っていた。
最初はパニックになった世界も、今ではすっかり「産業」になっていた。探索者は配信者、視聴者は観客。モンスターを倒せば報酬、配信がバズればさらに報酬。
「余裕です」「俺最強」「楽勝すぎワロタ」——そんな言葉が画面を埋め尽くすのが当たり前になっていた。
天野悠真(18歳)は、そんな世界の底辺にいた。
「はぁ……マジでやるのかよ」
アパートの狭い部屋で、悠真は中古のスマホを自撮り棒に固定しながらため息をついた。画面に映る自分の顔は、普通すぎて特徴がない。黒髪、平均身長、怯えた目。高校を卒業して半年、フリーター。家賃と飯代が尽きかけていた。
「登録者17人、同接平均3人……笑えるな」
それでもやるしかない。親に「普通に就職しろ」と言われたくなくて、ダンジョン配信を始めた。
初回探索。難易度最低の【第1階層】だけ。死ななければ勝ちだ。
悠真はスマホの配信アプリを起動した。タイトルはシンプルに『【初配信】底辺がダンジョン行ってみた』。
【配信開始】
「えっと……こんにちは、天野悠真です。今日は……その、生きて帰れたらいいなと思います」
《きたー新入り》
《かわいい声してる》
《緊張してて草》
すでに3人入っていた。悠真は軽く頭を下げ、ダンジョンの入口ゲートをくぐった。
薄暗い石造りの通路。空気は湿っていて、かすかに獣の臭いがする。
足音がやけに響く。
「……怖ぇ」
素直に声に出た。
他の配信者なら絶対に言わない言葉。でも悠真は隠せなかった。
《正直すぎワロタ》
《余裕です!とか言わないの?》
《新鮮でいいね》
ウォッチラット——第1階層の代表的なモンスター——の気配を感じて、悠真はスマホを構えた。
小さなネズミ型のモンスターが三匹、通路の先にいた。
普通なら威嚇して飛びかかってくるはずだった。
なのに。
三匹とも、ピタリと動きを止めて、悠真を——正確にはスマホのカメラ越しに——見つめていた。
「……え?」
悠真の背筋がぞわっとした。
目が、合っている。
ただ、見ている。攻撃の気配はない。ただ、じっと、じっと、こちらを観察している。
「な、なんで俺ばっかり……」
悠真は後ずさりながら、小声で呟いた。
《なんか目が合ってる?》
《ラットが真顔でこっち見てるの草》
《悠真(仮)頑張れー》
心臓の音がうるさい。
悠真は震える手で自撮り棒を握りしめ、棒立ちになった。
「うわ、怖ぇ……マジで帰りたい……でも」
家賃。
明日食べられるもの。
そして、なぜか胸の奥で小さく疼く好奇心。
「でも……行く」
彼は深呼吸して、ゆっくりと前へ一歩踏み出した。
ウォッチラットたちはまだ見ている。逃げもせず、襲いもせず、ただ視線だけを注いでくる。
悠真は木の棒(100円ショップで買った安物)を構え、恐る恐る近づいた。
一匹がわずかに頭を傾げる。まるで「何をするつもりだ?」と聞いているかのように。
《なんか普通のラットと違う気がする》
《視線が強い……》
《新入り、意外と動じてない?》
「動じてるわ! めっちゃ動じてるわ!」
悠真は叫びながら棒を振り下ろした。
ぱしっ、という軽い音と共に、一匹が霧散して消えた。
残りの二匹はまだ見ている。
悠真が息を荒げて次の標的を向けた瞬間、二匹は同時に後ろを向いて、素早く通路の奥へ逃げていった。
「……逃げた?」
悠真は呆然と呟いた。
他の配信者の動画では、ウォッチラットなんて一瞬で倒せる雑魚のはずだったのに。
彼はスマホをゆっくりと回し、周囲を映した。
誰もいない。
なのに——
「なんか……まだ見られてる気がする」
背中、首筋、頭の後ろ。
視線が、まとわりついている。
《え、マジで?》
《俺もなんかザワザワしてきた》
《気のせいだろw》
悠真は首を振って笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
「1階層、クリア……っと」
薄暗い通路の先にある転移ゲートに近づきながら、悠真は小さく息を吐いた。
【第1階層 探索時間:14分42秒】
【獲得報酬:1,200円相当】
配信を終了しようとしたそのとき、スマホの画面が一瞬、ノイズのようにざわついた気がした。
《お疲れー》
《次も見るわ》
《なんか……目が痛い?》
悠真はスマホをポケットにしまい、地上に戻った。
夕方の陽射しがまぶしい。
「はぁ……生きてる」
安堵の吐息をついた瞬間、ふと振り返った。
ダンジョンの入口は静かだった。
でも、なぜか——
まだ、誰かに見られているような気がした。
(第1話 終わり)




