ぶんぶんぶん、余裕のあらわれ
車通りが多いところに住んでいることもあって、普段からバイクや車の音がうるさい。信号待ちのエンジンの空ぶかし、クラクションの音も煩わしい。ただ、こういった意図的な騒音が聞こえている間は、平和で安全な状態といえる。
ここ数年の内に、2回の交通事故を目撃した。1つ目は、スピード違反の2台のバイクが軽自動車に後ろから突っ込んだ。衝突する数分前まで、2台のバイクは法定速度を守って走行していた。1台が右車線へ車線変更を行い、エンジン音をあげながらスピードを上げて走っていった。もう1台もその後ろを追いかけていった。その後すぐに2台のバイクは、アンダーパスの下り坂で停止していた車の後方に衝突したと思われる。僕がアンダーパスへ進入したときには、転倒した2台のバイクのそばに、バイクの運転手が立っていた。
衝突したとき、僕は事故現場の約200m後方の交差点で停止していた。衝突音は聞こえなかった。クラクションの音もなかった。クラクションを鳴らす余裕すらなかったのだろう。
もう1つの交通事故は、交差点での車同士の接触だった。交通事故が発生したとき、僕は、その交差点から100mほど離れた場所にいた。交差点を直進する車に対して、対向車線から右折しようとしてきた車が飛び出し接触する事故だった。このときも、事故が起きる前にクラクションの音などはなかった。
トラブルや危険が自分の身に起きそうなとき、運転手の体は緊張し、体がこわばってしまう。固くなった人間は、大人しくなり、静かになる。
逆にいえば、クラクションを鳴らしたり、エンジンの空ぶかしているのは、余裕の証だといえる。
これは道路上だけの話ではなおい。ビジネスシーンや日常生活でも同じことがあてはまる。
上司の無駄口を叩いているとき、それは余裕の現れだ。今が平常時で、トラブルがない平和な日常だと捉えられる。職場での要望や不満があれば、このタイミングで話を切り出すのが良いだろう。少しは話を聞いてくれるかもしれない。
トラブルが起きたり、緊急事態が今まさに迫っているとき、おしゃべりをしている余裕はない。人間は沈黙する。唖然とする人間の姿を思い出してほしい。力が抜けて、何も考えられない状況になって、一時的に目の前の状況が理解できなくなり、沈黙となる。
時間が経ち気持ちに余裕が生まれると、冷静な状況確認を行い、必要な人間に報告や相談をして今後の対応へ移行する。怒鳴ったり、大声を荒げる人もいる。怒鳴るだけの余裕が生まれたとも解釈ができる。
今日も、道路の騒音が聞こえてくる。大きなエンジン音を出すバイクや、大音量の音楽を流しながら走っている車もいる。静かにしてほしいなと思いつつ、平穏な日常の形だと捉えることで、自分の気持ちをなだめている。




