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ぼーっとながら、ふわっと考える  作者: 仲麻呂


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うわぁー、極端なことを言うなぁ

 「前件否定の誤謬」を知っているだろうか。

 これは論理学で扱われる論理的な誤りの1つであるが、そもそも論理学という言葉を知っている人が世の中にどれだけいるだろう(おそらく1%もいないと思う)。学校で論理学を学んだ人となると、一生を通しても会うことがないかもしれない。


 周囲の人の会話を効くと、この前件否定の誤謬を犯している人が多く見受けられる。論理的な過ちをしがちなだけでは、たいした問題にならないが、誤謬をもとに間違えた推論や解釈を行い、感情的な物言いになってくると、少し気になってしまう。


 前件否定の誤謬というのは、簡単にいえば


 A ならば B

 A ではない

 よって、B ではない と導くのは誤り


 具体例を挙げると、「雨が降っているならば、家の前の道路が濡れる 。今日は雨が降っていない。よって、家の前の道路は濡れていない」と導くようなものだ。これは論理的には導き出せない。なぜなら、家の前の道路は雨以外の理由でも濡れることがあるからだ。

 今日は雨が降っていなくても、近所の人が家の前の道路に打ち水をしたら道路は濡れる。近くで洗車をしている人がいても道路は濡れる。前提「雨が降っていない」から「家の前の道路は濡れていない」と結論づけることはできない。


 要するに、前提を否定しただけでは、結論を否定することはできない。しかし、現実の世界では、同様の誤謬によって会話に齟齬が生まれることがある。僕は、そういう現場をこれまでにも見てきたし、自分自身がよく誤解されてきた。


 たとえば、ある人が「夫婦同姓は日本の伝統であって、夫婦同姓を守らなければならない」と主張したとする。それに対して僕が「夫婦同姓は日本の伝統ではないよ」と指摘したとする(僕の記憶だと、鎌倉時代の武士社会では妻が生家の氏姓で名乗ることがあった)。この時点で多くの人に、僕が夫婦同姓に反対している(あるいは、夫婦別姓に賛成している)と捉えられるが、これも間違っている。


 正しくは「このやりとりからでは、僕は何も主張していない」が正しい。たしかに、僕は相手の前提である「夫婦同姓は日本の伝統である」を否定したが、夫婦同姓の是非については何も述べていない。前件の否定から、僕が「夫婦同姓は守るべきでない」と主張していると解釈したら、それは前件否定の誤謬になる。つまり、相手の前提を僕が否定したからといって、それだけで夫婦同姓を否定してるとはいえない。

 

 しかし、現実の世界では、この誤りが頻繁に起きる。指摘や批判の内容を鑑みずに「夫婦同姓派の主張に反対する→夫婦別姓派だ」と疑いをかけられる。原発反対/賛成の議論でも同じ展開になる。政治的な内容や相手が熱中している事柄だと、しばしば感情的なやりとりになってしまう。


 そういう状況に遭遇したくはないので、結局は事前に予防線を引くことになる。「僕は、夫婦同姓と夫婦別姓のどちらがよいかわからないですが、夫婦同姓が日本の伝統だと主張するのは無理があるのでは・・・」というような言い方になって、どうしても回りくどい説明になってしまう。とはいっても、前置きを省くと自分の立場が誤解される。


 日本人同士で議論するときは、慎重に話を進めるためにどうしても前置きが長くなる。スパッと端的に主張をする人をテレビやネットで見かけるが、主張内容を聞いていると「極端なことを言うなぁ」と感じてしまう。現実は、もっと複雑で微妙なバランスで成り立っていたはずと思うのだが。

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