十六話
「じゃあ、行ってくるぜ」
「お土産は期待しないでね」
「皆、そんな顔をするな。最後は笑顔で送り出してくれ」
豪とすみれが両隣に並んだ状態で深淵の縁に立つ俺。
背後には深淵、正面には望、七節、淵上、静が見送りに来ている。
全員が神妙な顔付きで、望だけは無理して笑顔を浮かべようとしているが表情筋に無理をさせているのだろう、口元がぴくぴくと痙攣していて引きつり笑いにしか見えない。
「おそらく、こうやって言葉を交わすのも最後になる。今度会うときは互いに記憶がない状態だ。だから、忘れない……なんて軽はずみな発言はしない。俺が言えるのは、あっちでも仲良くしてくれ。また、会おう」
最後に何を言うべきか悩みに悩み抜いたが、考えていた台詞はすべて頭から消え、素直な気持ちが口からこぼれ出た。
「うん、また必ず会えるよ。記憶なんて運命に比べたら軽い軽い!」
「わしはおそらく子供となって再会することになるだろう。思う存分、可愛がってくれ」
二人も覚悟は既に決まっている。
仲間たちと違い自然な笑みを浮かべて、別れの挨拶を口にした。
「そうですね、しんみりするのはやめましょう。信じていますよ、お三方であれば必ず成し遂げてくれると!」
「私の【遮断】有効活用して。負けないでね」
七節、淵上の両名は吹っ切れたようで、同じく笑顔で快く送り出してくれている。
「お爺ちゃん、年甲斐もなくはしゃいだらダメだよ? あとあと、元……気……で……」
俯き、言葉が途切れ途切れになっているのは静。
彼女は新たな世界では……ひ孫となる。再び出会えるのはかなり先になってしまう。それを静もわかっている。今のように同年代で会話を交わすことは二度とない。
「泣くな、静。わしも父さんも母さんも平和な世の中で過ごせるのだぞ。あっちの世界では目一杯甘えて甘やかしてもらえばいい。わしもそうするし、二人もそうするはずだ」
豪が静の肩に優しく手を添えて、俺たちに振り返った。
すみれと顔を見合わせてから満面の笑みで大きく頷く。
「お小遣いをいっぱいやるぞ」
「一緒にお出かけしようね」
俺たちの言葉を聞いて、静は勢いよく顔を上げると胸に飛び込んできた。
そんな彼女の背を二人で優しく撫でる。
「二人が曾祖父と曾祖母だなんて、未だに実感がわかないけど……頑張ってね」
「おう、任せておけ」
「ひ孫に応援されたら、元気百倍だよ」
静はそっと離れると涙を拭って、笑みを返してくれる。
これで全員との別れを済ませて……ないな。望が珍しく静かなので存在を忘れかけていた。
いつもは賑やかな望でも感極まっているのかと、視線を向けるとしかめ面をしている。不満というよりは何かを考え込んでいるようだが。
「望?」
自分で言うのもなんだが、俺の口から珍しく気遣う声が出た。
「あー、すまん。最後の言葉やから、緊張が吹き飛ぶような一発ギャグを考えてたんやが、脳内でシミュレーションしたら全部滑って、場が凍り付く未来しか見えへんかった……」
「想像を遙かに超えるくだらないことで悩んでたぞ、おい」
少しでも心配した俺がバカみたいだ。
でも、まあ、この方が望らしいか。なんだかんだ言って、すみれに続いて長い付き合いになった間柄だ。これぐらいのノリで送り出してくれた方が気も楽か。
「まあ、あれや。そんな気負う必要はないで。失敗したら地球が滅ぶだけや。でもな、その責任を守人が背負い込まんでええ。上手くいけば守人たちの手柄。上手くいかんかったら運が悪かった。これぐらいの気持ちでええねん。期待もせえへん、だが上手くいくことを信じとるで。あー、なんか、言いたいことがまとまらんで、とっちらかってもうたわ」
自分の髪をガシガシと激しく掻き回し、照れたようにそっぽを向く望。
お前の気持ちは充分過ぎるぐらい伝わったよ。
「皆、ありがとう。行ってくるよ」
俺が拳を突き出すと仲間たちが歩み寄り、互いの拳を軽くぶつけ合った。
もう、言葉はいらない。正面から俺たちを見つめる、その目を見ただけで熱い想いが伝わってくる。
三人揃って大きく口を開けている深淵の縁の限界まで下がり、視線を交わすと地面を蹴った。
揃って深淵に落ちていく瞬間、大きく手を振る仲間たちの姿が視界から消えていく。
今目に映っているのは、雲一つない青く澄んだ大空。
この落ちていく感じには慣れきってしまい、恐怖は微塵も感じない。寝る前にベッドへ飛び込む感覚ぐらいでしかない。
「今まで楽しかったね」
耳元ですみれの声がする。
楽しかった、か。何度も苦境に陥り、苦労を重ねてきた。死を覚悟したのは一度や二度じゃない。だけど、多くの仲間と出会い、ともに苦難を乗り越え今ここに至った。
そして何よりも、すみれがいつも側にいてくれた。なら、答えは決まっている。
「ああ、楽しかったな」
これが本心だ。
「これが上手くいったら、今度は新鮮な気持ちでやり直せるんだよね。記憶を無くして、また守人君と出会えて一から恋愛できるなんて夢みたい」
これが強がりではなく本心なのは、彼女のうっとりした表情を見ればわかる。
よく「記憶を無くしてもう一度、この名作映画を観たい、ゲームがしたい」なんて口にする人がいるが、まさに彼女はその心境なのだろう。
「そうだな、ああ、そうだ。もう一度……」
「邪魔して悪いが、そろそろ着くぜ」
豪に促され、視線を落下方向に向けると深淵の【ワームホール】が迫っていた。
精神を集中させつつ、右腕を真下へと伸ばす。
すみれと豪が両側から俺に抱きつく。豪の圧が強いが、家族水入らずだな。
いつもなら俺が【ワームホール】を出して飛び込むのだが、今回は深淵に直接干渉して跳ぶ。
触れた直後に転移と時間逆行を同時に発動。過去のアグリウスタル人の星へ。
難易度は高いが、今の俺ならやれる。
「最後の時間逆行だっ!」
目を開けると空が見えた。
穴から見えていた青空とはまるで違う、赤が広がっている。それも、夕焼けや朝焼けのような鮮やかな赤ではなく、心をざわつかせるような濁った赤。
見ているだけで気分が悪くなりそうだ。こんな世界で暮らしていたら異世界が羨ましくて奪いたくなる気持ちも、ほんの少しだけ理解……やはり、できないな。共存なら兎も角、蹂躙する発想にはならん。
と、感傷に浸っている場合じゃない。周囲を確認するよりも先に【遮断】を発動。
俺と両隣にいる二人を包み込み、第三者から気配、匂い、存在を【遮断】する。これで相手は俺たちを認識できないはずだ。
「二人とも大丈夫か?」
「うん、快調だよー」
「こっちも問題ない」
二人とも言葉に嘘はないようで、その場で軽くストレッチをしている。
時間逆行を繰り返す度に、体の負担が増していき車酔いを酷くしたような症状に悩まされていたが、今回はそれがない。
能力がかなり強化されたことで【ワームホール】の制御を完璧にこなせるようになった。
自分たちの現在位置を確認するために周囲を観察する。
直ぐ近くに深淵が存在しているが、大きな穴はない。紫色のモヤを噴き出す、空間の歪んだ円形の渦が存在するだけ。
異世界に繋ぐ際は穴が生じるのだが、こちら側は穴が発生せずに直接人員を送れる。
「話には聞いてたが、マジで深淵だらけだな」
豪が額に手を当てて周囲を見回しながら驚きの声を漏らした。
「ふわー、すっごい光景」
すみれも豪と同じような仕草をして、興味深げに観察をしている。血の繋がりを感じるな。
俺も真似て辺りを観察したが、確かに感嘆してしまう光景だ。
荒野に存在する幾つもの深淵。地球に現れた深淵の数は百なので、最低でも同じ数がここにある。
一つ一つがドーム型球場より一回り大きく、その存在感だけで圧倒されてしまいそうだ。
「感心するのはここまでだ、行くぞ」
「了解」
「潜入ミッションだね」
すみれはこんな状況でも少し楽しそうだ。
目的地は一目瞭然。この荒れ果てた大地にポツンと立つ施設。
壁面は灰色で無骨な造りをしている。何もない場所なのでやたらと目立ってはいる。高さは覚醒者訓練所のビルぐらいか。あのビルは十階を越えていたはず。
周囲を取り囲むように設置されている深淵三つ分ぐらいの敷地面積はありそうだ。つまり、かなり大規模な施設。
俺たちは深淵の縁を沿うようにして、大回りをしながら施設へと近づいていく。
深淵の周りにはアグリウスタル人は一人もおらず、将軍たちの記憶で見たとおりで警備がここにはいない。
深淵から逆に敵が忍び込んでくるなんてことは想像すらしていない。実際、ヤツらの今までの歴史で一度もなかった。慢心が生んだ油断。それを利用させてもらう。
施設まで距離があり、常に周囲を警戒しながら大きく迂回して進んでいるので、想定よりもかなり時間がかかってしまった。
「到着まで一時間か」
今、俺たちは施設の近くに潜んでいる。
ここまでは順調だったが、施設周辺には警備の兵士たちが無数に存在している。当たり前だが、ここの警備は厳重で入り口を通るのは至難の業か。
【遮断】状態なら感知されない可能性が高いが、失敗が許されない状況で正面突破はさすがに……。
「さて、ここからどうするか」




